ー夢一夜の章 4- 訓練開始
竹中半兵衛は動揺する。20キログラムの砂の入った米俵を持って、10キロメートル進めとの訓練指示だ。早朝6時に起き、競歩と聞いていたがまさか、こんな重量を持たされるとは思っていなかった。
「さ、さて、朝いちばんの訓練開始で、す!」
参加者には総勢50名と他、秀吉、その弟、木下秀長。そして部下の飯村彦助がいる。彼らは20キログラムある米俵を軽々と持ち上げている。
「あなたたちも参加するんですね。でも、この訓練方法はいかがなんでしょうか」
「は、はい!まだまだ出世したいので、部下を引き連れて、みんなで幹部こーすで、す!」
秀吉は、はきはきと応える
「普段は米俵を担いで、5キロメートルですが、さすがに幹部こーすなだけあって2倍かあ」
そう答えるのは、秀吉の部下で50人長の飯村彦助である。
「いつもあなたたちはこんな訓練をしているんですか?すごいですね、下級兵士の訓練は」
「いえ、毎朝の5キロメートル競歩は信長さま含め、織田家全員でやっているよ。最低限、これができなかったら強制引退らしいから、内政組もやっているくらいだし」
とんでもないところに仕官したなあと竹中は思う。だが足軽は足腰が命だ。訓練の濃さはともかくとして、やっていることは正しい。
「ガハハッ!皆の衆、米俵は担いだでもうすか?今日は初日ゆえ、こーすの確認も含め、ゆっくりといくでもうす」
早朝の鍛錬には、特別こーちとして柴田勝家が担当している。彼は片腕で米俵を持ち上げ、のっしのっしと歩く。
「それではなるべく遅れないようについてくるでもうす」
5キロメートル地点で、竹中半兵衛は、はあはあぜえぜえと荒い呼吸をあげる。
「や、やっと半分ですか。それにしてもあなたたち、慣れているとはいえ、結構、平気なのですね」
秀吉はふうふうと呼吸を整えながら応える
「ふ、普段はもっと早く進んでいるので、これくらいの速度なら楽で、す」
「兄者は昔から足腰は強いからなあ。畑仕事してた俺より足が速いのはなっとくいかないよ」
木下秀長が兄の元気のよさをうらやましがる
「け、健康は武士にとっての基本で、す!さて、あと半分です。がんばりましょ、う!」
さらに時間が経過し、皆が10キロメートルを走り終える。さすがに普段の2倍の距離なだけあって、皆、一様に疲れている。特に訓練初日の竹中は
「はあはあはあ。し、死にそうです。こ、こんなの毎日やるんですか。わたし、肉体労働より頭脳労働派なんですが」
「ガハハッ!今時の若いもんは根性が足りないでもうす。明日から段々、速度をあげるから覚悟するでもうすよ」
「お、お手柔らかにた、たのみます。はあはあ、あああ、しんどい」
秀吉は、息を切らす竹中にお茶と手ぬぐいを渡す。
「幹部こーすは3か月ありま、す。まずは自分のペースをつ、つかむことから始めるといいとおもいま、す。体調管理も幹部としての必須事項だとおもいま、す」
「お茶、ありがとうございます。はあはあ。織田家の訓練はすごい、ですね。はあはあ」
竹中は受け取ったお茶をぐいっと飲み、その場に倒れ込む。そこに女性陣がやってくる
「はいはい。あんたたち、そんなところで寝そべってないで、朝食を食べた食べた」
きれいな女性陣である。秀吉殿に聞いたところ、武将の奥方さまたちが朝、昼の炊き出しにきてくれるとのことだそうだ。
「しっかり食べないと、このあとの訓練で持たなくなるから、食べられるだけ食べるんだよ」
そう声をかけるのは、佐久間信盛の奥方、小春殿だそうだ。姐さん気質のハキハキしたご婦人である。皆は誘われるまま、ぞろぞろと食堂に入っていく。食卓に並べられた料理は朝からとは思えないほどの豪華さである。
だが、激しい競歩を終えたばかりの竹中は、その馳走を目の前にして吐き気を催しそうになる。その背中をバンと小春が叩く。
「あんた、華奢なんだから、特にしっかり食べないとだめだよ。織田家の訓練は、食べずで過ごせるほど甘くないからね」
「ガハハッ!小春殿の言う通り、食べるでもうす。食べるのも訓練の一環でもうす」
そういうと、底のやや深い大皿にご飯、煮魚、天麩羅、納豆を乗せ
「食べれないなら、汁をぶっかけて流し込むでもうす、ガハハッ」
その皿の上から味噌汁をぶっかけ、壮大なねこまんまを作り出す。ご、豪快な盛り付けですねと竹中は思いながら、メシをかきこんでいく。まだ朝の7時半である。1日は始まったばかりなのだ。喰わねばならない。吐き気を我慢して喰う、喰う、喰う。
朝食が終わり、30分の食休みを挟み、午前の訓練が始まる。槍、弓、相撲、水練、鉄砲の訓練となる。
槍は織田特性の3間半(約6メートル)のものをつかっての訓練だ。講師は槍の又左こと、前田利家である。20人1組となり、横陣、縦陣、斜め陣。それぞれの陣形への移行訓練も含め、槍を振るっていく。3間半の長さといっても素材には竹と木が使われており、重さはそれなりで抑えられている。しかし30分も振るえばさすがに腕がしびれてくる。
「おらおら、腕で槍を振るんじゃなくて、腰をいれるッス。腕だけの力で振ると、槍をもっていかれるッスよ!」
「せいっせいっ!」
竹中は必死の形相で槍を振るう。みなもせいやせいやと掛け声をあげていく。
弓は15間(30メートル)先の的を目標に射かける訓練だ。講師は大田牛一という、織田家随一の弓の名手である。それと鉄砲は織田家では多く配備されてはいるが、全体に行き届くほどそろっているわけではない。そのため、いまだに弓矢は間接攻撃において、主たる攻撃手段になる。弓矢の訓練は必須といって過言ではない。
「んっんー、中々当たらないものですねえ。弓より采配を振るっていたもので苦手です」
「言い訳無用。一心に的目がけて射るでござる」
「そいうものですか」
「名人になると馬に乗っている状態で的を射抜くというでござる。まだまだ精進がたらぬでござる」
弓矢は正確に的を射る訓練と集団戦で、面の制圧として射る訓練がある。集団戦では、味方に当てないためにも距離感をつかむことが大切である。矢の飛ぶ距離は、構える角度と、引き絞る弦の強さで決まる。みなが一定の距離にうまく絞れるまで訓練は続く。
続いて相撲は、柴田勝家が講師だと死人が出る可能性があるので、代わって、青地与右衛門という近江出身の相撲取りが講師となっている。相撲は合戦で相手を組み伏せるときに使える実践的な競技である。
「のこったのこったあ!」
「おらああああ」
竹中は豪快に投げられる。投げた相手は伸長150センチメートルの秀吉である。彼は小柄ではあるが、早朝にみせた足腰の強さどおり、相撲も強い。舐めてかかった竹中は強く尻をうつ。
「いたたた。わたしの負けです」
「相手がちいさいからと見た目で判断してはいけませ、ん!その油断が戦場で命取りになりま、す!」
秀吉の言う通りだ、体重をかければ容易に倒せるだろうと舐めてかかっていた。いけませんね、頭脳派ぶっときながら、これはだめです。
水練は3月の今ではまだ寒いということで、来月からの訓練だそうだ。その時間も当てて、鉄砲の訓練が行われる。講師は南蛮人である。これも基本的には弓矢の訓練とは変わらないのだが、鉄砲には早撃ちの技術がある。それも磨くのだ。
「んっんー。小さな竹筒に1回分の火薬をあらかじめ入れておいて、それを何個も持つわけですか、なるほど」
「早合という技術デース。目標は60かぞえる間に3回撃てるようになることデース」
「なかなか難しいですね。手先の器用さも関わってきます。あと音がすごい!耳栓をしててもキーンとなってしまいます」
この当時の鉄砲はすさまじい音がする。1キロメートル先にいても、鉄砲の音だとわかるくらい音が大きい。それでも、初めて触れる鉄砲に竹中はわくわくしながら挑戦をする。今までの疲れが嘘のように、鉄砲に魅かれる。
「しかし、この鉄砲と言うものはわくわくしますね。引き金を引いてバーン!しかも弓よりはるかに命中させやすい」
訓練を重ねれば重ねるほど、的に対して命中精度があがっていく。楽しくてしょうがない。弓ではこうはいかないものである。
一連の訓練を終えるとすでに昼飯時だった。またぞろ、皆で食堂に向かい、食卓を囲む。朝に大量に食べたが、午前の中身の濃い訓練ですっかり消化されており、腹は空いている。竹中はメシを口にかきこむ。まるですべてを己の血肉に変えるがごとく喰う。織田家で新たなる生を与えられた幼児のようにむさぼり喰うのであった。