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ー天下統一の章 1- 織田家の窮地、再び

 信長は兵4万を率いて走りに走った。この時点では6月2日午前8時である。二条の城は斉藤利三(さいとうとしみつ)隊により包囲されている。そして、二条の城は兵1000しかおらず、皆の命は風前の灯となっていた。


「はあはあはあ。おい、久秀!まだ生きているか!死んでいるなら返事をしろってんだ!」


「ふうふうふう。死んでいたら返事など出来るはずがないのでござるよ?まったく、こんな時にまで冗談はよしてほしいのでござる!」


 佐久間信盛(さくまのぶもり)松永久秀(まつながひさひで)はその手に弓矢を携えて、二条の城の城壁を越えてこんとする利三(としみつ)隊を次々と射殺していた。だが、多勢に無勢。段々と押され始め、ついには城門を制圧されてしまい、二条の城の入り口にて交戦を開始するのである。


「ひいひいひい。まさか、わしまで槍を手に戦うことになるとは想っていなかったのじゃ!齢50にして槍働きなどしたくなかったのじゃ!」


 そう愚痴りながら、槍を振り回すのは村井貞勝(むらいさだかつ)である。彼は官僚畑で育ったニンゲンであり、槍働きなど誰も期待していなかった。だが、それでも貞勝(さだかつ)はこの窮地を脱するために、慣れない槍を振り回し続ける。


「へっ。そんなに無駄口を叩けるなら、まだまだ大丈夫ってところだな!よっし、皆、敵兵を押し返せ!あちらさんも疲れてきたのか、攻勢が緩んできたぞ!」


 信盛(のぶもり)が二条の城を護る兵士たちにはっぱをかける。現役を引退してから早2年が経ってはいたが、さすがは勝家(かついえ)と第一線を争ってきただけはある。彼は巧みな用兵で利三(としみつ)隊2万を押し返していくのであった。


「おい、熱した油を持ってくるのでござる!敵にぶっかけてやるのでござる!ん?名品・珍品の数々をどうするかでござるか?火薬でも詰め込んで、ほう烙火矢にでも変えてしまえでござる!」


 二条の城には、信長が集めた、茶壺や茶器、茶釜が多数あった。松永久秀(まつながひさひで)はそれらに火薬を詰め込ませ、簡易的な爆弾と生まれ変わらせて、火縄をぶっ刺し、兵たちにそれをぶん投げるようにと指示を飛ばす。


 6月1日の攻防はどうにかして、二条の城側が守り切ることに成功する。想わぬ抵抗の激しさに斉藤利三(さいとうとしみつ)は歯噛みする。


「ぐぬぬぬ!これは不味いのでござる!ここまで抵抗が激しい以上、この城に信長が居ることは必定なのでござる!堺には四国攻めの8万近くの兵がいるのでござる!あれらが戻ってくるまでに決着をつけねばならないのでござる!」


「ちょっ、ちょっと待ってほしいのでしゅよ!?信長さまがここの城に居るのでしゅか!?これでは謀反になってしまうのでしゅよ!?」


 明智秀満あけちひでみつが口から唾を大量に飛ばしながら、利三としみつに抗議する。何を今更、この男は言っているのでござるか!と利三としみつはそう想わずにはいられないのであった。


「おいっ!誰か、この男を殺すのでござる!信長さまの密命を疑っているのでござる!」


「い、いえ、しかし、光秀さまを討つなんてとてもではないですが、できませぬ!」


 利三としみつは、想わず、ちっ!と大きく舌打ちしてしまう。秀満ひでみつを光秀の変わり身として立てたは良いが、兵が馬鹿なのか、それを信じてしまっているのだ。これでは、自分が光秀を、主君を討てと命じているように兵たちに視えてしまう。これでは、何のために光秀の軍を手に入れたのかが無意味となってしまう。


 その利三としみつが取った行動に、兵士たちは、ギョッとする。なんと、利三としみつが手に持った刀で秀満ひでみつ首級くびをはね飛ばしてしまったのだ。


「な、な、何をしているのですか!光秀さまの首級くびをはね飛ばすなんて、利三としみつさまは狂ってしまったのですか!」


「よく視るのでござる!こいつは光秀さまの甥の明智秀満あけちひでみつなのでござる!こいつは、あろうことか、光秀さまが居なくなったことを良いことに、光秀さまの軍隊を自分の好きにしようと画策していたのでござる!それ故、拙者がこやつを斬ったまででござる!」


 利三としみつは地面に転がる秀満ひでみつ首級くびから兜を外し、その首級くびを左手で掴み持ちあげ、兵たちに見せつける。


「ほ、本当だぎゃ。この顔は光秀さまに似ているけど、光秀さまじゃないだぎゃ。おらたちは秀満ひでみつさまに騙されていたのだぎゃ?」


「家康を討てとの密命は確かに信長さまから承っているのでござる!その家康が二条の城に居ることもわかっているのでござる!これ以上、拙者に何か言いたいことがあるのでござるか!?」


 秀満ひでみつ首級くびを地面にぶん投げて、ギラギラとした視線を利三としみつは兵たちに向けるのであった。利三としみつに従う兵たちは、絶対に、この二条の城攻めはおかしなことだと確信していたのだが、利三としみつに逆らうのは危険だと想い、従うざるをえなくなる。


 続く6月2日も二条の城では朝から激しい攻防が繰り広げられることとなる。午前10時に達する頃には、二条の城の城門は完全に破壊され、二条の城の各所からは火の手が上がって行く。


 しかしだ、それでも、まだ信盛のぶもり、久秀、貞勝さだかつたちは戦っていた。これほどまでに頑強に抵抗できたのは、信長がこの城に一時滞在したこともあり、その信長の精鋭中の精鋭である近衛隊がこの城に合流していたことが大きな要因であった。


 その近衛隊のひとりに、森可成もりよしなりの息子であり、信長が利家としいえ以上に寵愛した男が居た。その名は森蘭丸もりらんまるである。彼はこの時17歳となり、立派な成人であった。信長が蘭丸らんまるを若き頃から鍛えに鍛えあげた成果がこの二条の城の攻防でおおいに発揮されることとなる。


 やはり、森家の血筋と言うだけはあり、兄の森長可もりながよしと同じく、蘭丸らんまるには個人での武勇においても、ひとかどの将として、眼を見張るものがあった。彼は二条の城に乱入してくる兵を手にもつ槍で、叩き、突き、払い、次々と屠っていく。


「うおっ。すっげえな。さすが森可成もりよしなり殿の息子なだけはあるなあ!これは、ひょっとするとひょっとするんじゃねえの!?」


「ふはーははっ!森可成もりよしなり殿には浅井・朝倉両家が散々に手こずらされたのでござるからなあ?その森家の血を継いでいるだけあって、蘭丸らんまる殿はさすがといったところでござる!」


 蘭丸らんまるの舞うように放たれる槍の業の数々に、信盛のぶもりと久秀は唸らずには居られなかった。


「ひいひいひい!信盛のぶもり殿!久秀殿!蘭丸らんまるのほうばかりを視てないで、わしを助けてほしいのじゃあああ!」


「あっ。貞勝さだかつ殿が太ももに槍をぶっ刺されてるな。ありゃあ、もうダメかなあ?」


「ううむ。貞勝さだかつ殿。先に死んでしまうとは情けないのでござる!」


「勝手に殺すななのじゃあああ!まだ、軽く槍で太ももを刺されただけなのじゃあああ!」


 二条の城内は阿鼻叫喚の地獄へと様変わりしていく。6月2日正午を回るころには、最初にいた兵1000の内、600人が討ち取られる。いよいよもって、信盛のぶもりたちは追い詰められらた。


 だが、ここで、堺から信長が4万の軍を率いて、二条の城へと到達するのであった。利三としみつ隊は逆に包囲されてしまうことになる。


「京の都に侵入した賊を残らず斬り殺しなさい!この賊たちの首魁を絶対に逃がさないように!厳命です!」


 信長は矢継ぎ早に4万の兵たちに指示を飛ばしていく。ここで、この賊の首魁を逃がせば、再び、自分に刃を向けてくることは必然である。だからこそ、信長はこの賊徒たちを徹底的に殺し尽くしたのであった。


 利三としみつに従ったモノたちにとってはたまったものではない。彼らは家康を討ち取るためという大義があった。だが、それは利三としみつの詭弁であり、さらには利三としみつに騙されていることも途中で勘づいていたのだ。彼らに罪が無かったかと言えば、そうでは無い。


 6月2日午後4時を回るころには、二条の城は味方、敵の血により真っ赤に染まり上がっていた。さらには、この混乱に乗じて、京の都では乱暴狼藉、窃盗、火付けがはびこることになる。


 後世において【斉藤利三さいとうとしみつの乱】と呼ばれた騒動が本当の意味で収まるには3年近くの時を要することになる。


 それもそうだ。織田家の中枢部での大混乱により、指揮系統が失われたと言って過言ではないからだ。信長が【斉藤利三さいとうとしみつの乱】が起きる前に画策していた四国征伐は延期せざるをえなくなり、皮肉なことに利三としみつが娘の命を救うという目的自体は果たせたことになる。


 信長はこの乱の首謀者である利三としみつを捕らえ、自らの手でその首級くびをはね飛ばすことになる。利三としみつ首級くびは3週間に渡り、五条河原にて晒されることになった。


 北陸、中国、関東方面指揮官である柴田勝家しばたかついえ羽柴秀吉はしばひでよし、そして滝川一益たきがわかずますは、この織田家の政治的混乱により窮地に立たされることとなる。


 信長は、いや、織田家は10年前の信長包囲網以上の危機に面することとなる。


斉藤利三さいとうとしみつの乱】を乗り越えた後でも、織田家の諸将たちには苦難の道が残される結果となったのである。


 しかし、信長の野望は1582年6月1日では潰えなかった。そのことが、このひのもとの国の幸運であったのか、不運であったのかは、この時点ではわからずじまいである。


 信長や織田家の勇将たちが、この窮地をいかに脱していくかは、機会があれば、じっくりと語らせてもらうことにしよう。

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