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ー楽土の章32- 甲州征伐

 時間は進んでいく。1582年3月中旬。ついに武田家滅亡戦である甲州征伐が起きたのだ。その発端となったのは、岐阜と信濃の境である木曽の地において、木曾義昌(きそよしまさ)が謀反を起こし、信長に通じたことである。


 そもそもとして、武田勝頼たけだかつよりは織田家との決戦近しと睨み、新府城(しんぷじょう)を建築しようとしたのである。上杉家で起きた御館の乱(おたてのらん)で、勝頼かつよりは金4万を景勝かげかつから譲ってもらったのは良いが、その全てを徳川家との駿河の戦いで消費してしまっていた。


 そのため、この新府城(しんぷじょう)の建築において、領内に通常の2倍もの課税を行ったのが、木曾義昌(きそよしまさ)の謀反へと繋がっていったのだ。


 そんな因果関係はさておき、木曾義昌(きそよしまさ)の謀反に激怒した勝頼かつよりは軍を起こし、木曽福島城へと攻め上がり、木曽一族のことごとくを斬り伏せる。そして、木曽一族を救うために信長は信忠のぶただに兵を起こすようにと命ずる。


 織田側の第1派遣隊である信忠のぶただ隊は信忠のぶただを総大将とし、先鋒には森可成もりよしなりの遺児である森長可もりながよし、そして、信忠のぶただの直臣で若手急先鋒の団忠正(だんただまさ)。信長の姪を娶った遠山友忠(とおやまともただ)。さらにその若者たちのお目付役として、元・黒母衣くろほろ衆筆頭である河尻秀隆かわじりひでたかがその席に座ることになる。


 そして、信忠のぶただ隊の本体となる中陣・後陣には毛利長秀(もうりながひで)水野守隆(みずのもりたか)水野忠重(みずのただしげ)などの中堅クラスがその席に座る。まあ、水野家は尾張おわりと三河の境を領地とする豪族なので、織田家に属していたのかどうかは微妙なところではあるのだが。


 それはさておき、注目すべきは、総大将である信忠のぶただの補佐に滝川一益たきがわかずますが就いたことである。信長としては、この甲州征伐は大勝利に終わると、最初から確信していたことが、一益かずますの配置でまるわかりなのだ。


 別に一益かずますが居ようが居ないが、駿河からは徳川家が、上野こうずけからは北条家が同時に侵攻していたのである。総勢10万の兵を越える動員だ。落ちぶれていく武田家にこの数と多方面からの同時攻めに耐えれるわけがない。


 ならば、何故、こんな勝って当たり前の戦いに一益かずます信忠のぶただの補佐となったのか。応えは明白である。一益かずますに恩賞を与えるためなのだ。それも甲州征伐が終わったあと、対北条家の要として、一益かずますを使うためである。


 そんな信長の思惑通りに甲州征伐は進んでいく。信忠のぶただ隊の先鋒であった森長可もりながよし団忠正(だんただまさ)の2隊は勢いよく、木曽を越え、信濃へと攻め上がる。途上にあった高遠城を攻めに攻め、攻め過ぎたために目付役である河尻かわじりにたびたび叱責を受けるほどだ。


 その叱責で反省する2人ではなかった。ついには、甲州征伐が終えたあとに、信長直々に叱責を喰らうほどにこの2人は突出したのである。


「ふう。これは言っても聞かないのだ。しかし、勢いを削ぐわけにもいかないの現状でもある。まあ、痛い眼を視れば、足を止めるであろうな」


 と愚痴をこぼすのは河尻かわじりであった。


 高遠城攻めにおいて特筆すべきことはこの城の城主・仁科盛信(にしなもりのぶ)である。彼は勝頼かつよりと松姫の腹違いの兄弟であり、信濃の重鎮として武田家では位置づけられたいた。信忠のぶただは妻の松姫の兄弟ということもあり、仁科盛信(にしなもりのぶ)に最初は降伏勧告の書状を送ったのである。


 だが、それを仁科盛信(にしなもりのぶ)はつっぱねた。自分は武田信玄の息子である。その息子が敵に寝返ることなどできるはずがないとだ。


 そして、高遠城は頑強に抵抗の意思を示す。一時は信忠のぶただ隊は逆に押されるほどだったのだが、信忠のぶただは勢いを取り戻すためにも、とんでもない行動に出る。なんと、高遠城の第一の城門を突破したと同時に、信忠のぶただは、その城門をよじ登り


盛信もりのぶ殿おおお!拙者はそなたの姉である松姫を娶っているのでござるううう!だから、そなたを討っては、嫁の松姫が泣くのでござるううう!どうか、降伏してほしいのでござるううう!」


 盛信もりのぶはあごが外れんばかりに口をあんぐりと開けてしまう。まさか、総大将である信忠のぶただがそんな暴挙と言っても過言ではないことをしでかしたからだ。


「ど、どうしようでございます。織田家の総大将自らがあんな目立つこをしているのでございます。弓矢で殺してしまいましょうか?でございます」


「い、いや。それでは姉の松姫が自殺してしまうのでござる。ここは、視て視ぬ振りを決め込むのでござる」


 盛信もりのぶは家臣や兵たちに、決して、あの馬鹿を射抜かぬように厳命するのであった。信忠のぶただは、一益かずます河尻かわじりに城門から引き落とされて、さらには蹴りを散々に入れられることになる。


「馬鹿っすか!あんた、馬鹿っすか!信忠のぶたださまが死んだら、この甲州征伐は大失敗どころか、織田家にとっての痛恨の一撃になるっすよ!」


「本当に大馬鹿である!さすがは殿とののせがれなのである!おっらあああ!もう一発、腹に蹴りを入れてやるのである!」


「げほっごほっぐほおおおおっ!や、やめてほしいでござるううう!つい、気持ちが昂ってしまったのでござるううう!」


 散々に蹴られる信忠のぶただの姿を視て、奮起したのは森長可もりながよし団忠正(だんただまさ)であった。なんと、ついにはこの両名は高遠城を落としてしまい、さすがの鬼の河尻かわじりも閉口せざるをえなくなってしまった。


「うっし!やったんだぜ!これで、このいくさでは勲功一番は確実なんだぜ!」


「うっひょおおお。長可ながよし殿、やるッスねえ。俺っちの頑張りがかすんじまうッスよ!」


「何を謙遜しているんだぜ、団。お前が居なかったら、この城を落とすのにあと三日はかかっていたんだぜ?」


 長可ながよしと団は、はははっと笑い、肩を抱きながら、自分たちの功績を互いに褒めたたえるのであった。


 結局、信忠のぶただの願いとは裏腹に仁科盛信(にしなもりのぶ)は最後の最後まで抵抗し、討ち死にと相成るわけであった。彼は武田家の家臣たちが、戦意喪失し、次々と敵に降伏していく中、唯一と言っていいほどに武田家に対しての忠義を見せつけたのであった。


 信長は盛信もりのぶの戦いぶりをあとに聞き、彼の死体だけは丁重に葬ることを地元の住民たちに許すことになった。


 さて、甲州征伐はさらに続いていく。高遠城を落とされた武田家は信濃の半分を失うことになる。そして、ついに武田家の敗北を決定づける事件が起きる。勝頼かつよりの叔父である穴山信君(あなやまのぶただ)が徳川家に寝返ったのだ。こればかりは勝頼かつよりはほとほと困り果てることになる。


「ぐううう!穴山の野郎!まさか、裏切るとは想わなかったんだぜ!おい!もう、この新府城(しんぷじょう)を捨てるんだぜ!火を放つんだぜ!穴山の野郎にこの城を渡すわけにはいかないんだぜ!」


 勝頼かつよりが領民から恨みを買ってまで築きあげようとした新府城(しんぷじょう)には火がつけられて、破棄されることになったのだ。その後、勝頼かつよりは織田・徳川・北条連合軍に抗うことは不可能と判断し、甲斐本国からの逃亡を図ることになる。


 西から信忠(のぶただ)隊、駿河経由で南から徳川隊、さらに東から遅れて北条隊が参戦し、武田家の領地は煉獄の炎に包まれていく。


 勝頼(かつより)は逃げに逃げた。彼は北信濃の真田昌幸(さなだまさゆき)の領地を経由し、上杉家へと亡命しようとしたのだ。だが、その途上において、小山田信茂(おやまだのぶしげ)が真田の領地である上田には行かずに違う経路を取れと進言したのである。


 勝頼(かつより)はこの小山田信茂(おやまだのぶしげ)の進言を聞き入れてしまったことがこの戦いにおいての一番の失策であった。


 勝頼(かつより)がその小山田信茂(おやまだのぶしげ)の示す経路を通っている道中において、小山田信茂(おやまだのぶしげ)が伏せていた兵に襲撃を喰らうことになる。


「うぎいいい!小山田信茂(おやまだのぶしげ)があああ!まさか、あいつまで裏切るとは想ってなかったんだぜ!あいつだけは絶対に殺してやる!殺してやるんだぜえええ!」


 だが、その勝頼(かつより)の叫び声もむなしく、勝頼(かつより)に従う者たちは勝頼(かつより)を必死に抑え、逃走を図るようにと必死に説得するのであった。だが、先に進むことを勝頼(かつより)は諦める。


「この近くに天目山があるはずなんだぜ。あそこに逃げ込み、山中に隠れて、敵をやりすごすんだぜ」


 勝頼(かつより)は力なくそう、付き従う者たちに告げるのであった。勝家(かついえ)の嫁たちは、ああ、ついに終わりが近付いていることを覚悟し、涙を流す。


 勝頼(かつより)小山田信茂(おやまだのぶしげ)の謀反にあったあと、天目山へと身を隠そうとする。だが、無情かな。信忠(のぶただ)隊は追撃の手を緩めることはなく、彼を追い詰めていくのであった。


 3月11日午前11時。滝川一益(たきがわかずます)勝頼(かつより)一行を包囲する。勝頼(かつより)に付き従ったものたちは少しでも長い時間を稼ぐためにも奮戦する。


 怒号飛び合う中、勝頼(かつより)は腹に懐剣をぶっ刺し、真横に動かす。


「俺様の野望はここまでなんだぜ。誰か介錯をお願いするん、だぜ」


 武田勝頼(たけだかつより)。享年36歳。信玄の四男にして、武田家の最後の当主として、人生を終えるのであった。彼は死後、信長の手により、京の都で晒し首とされるのであった。

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