ー楽土の章31- 第二次伊賀攻め 紀州平定 そしてその先に
時は進み、1581年9月。信長は畿内の掃除を滝川一益と明智光秀に命ずる。一益の方は、信雄を総大将にし、さらに副官を蒲生氏郷に任命するといった徹底ぶりで伊賀の地への再侵攻を果たすことになる。
この第2次伊賀攻めの織田家側の人数は総勢10万に達したと後世で言われている。まあ、数の真偽は置いておいて、いくらあのダメダメな信雄と言えども、補佐に一益、氏郷が就いている以上、伊賀勢に苦戦することなど、ほとんどなかったのだ。
さらに一益は念には念を入れ、甲賀の里の多羅尾に通じ、伊賀への道案内までさせたのである。こうなれば、伊賀勢はたまったものではない。伊賀勢は少ない兵で抵抗を試みるが各個撃破されていく。そして、開戦から2週間後には、伊賀の全土が燃えることになり、織田家の圧勝で終わることになる。
その結果にほっと胸をなでおろすのは、やはり、信雄本人であった。先年の伊賀侵攻では父親だけではなく、目付役の一益にすら黙って、進軍し、大敗退するという大失敗をしたからだ。
「ふううう。さすが一益殿でしゅ。ぼくちん、これで面目躍如となったのでしゅ。これで、伊賀の地は、ぼくちんに任されるのでしゅ!」
「は、はあ。そうなると良いっすね。でも、これでわかったと想うっすけど、何かやりたいことがあれば、俺っちにちゃんと相談してほしいとこっすよ?信雄さまは言っちゃ悪いっすけど、戦が下手なんっす。そういう人物は、足りない分は能力あるニンゲンに頼るのが良いっすよ?」
「ぶひひっ。そんなの言われなくてもわかっているのでしゅ!あああ、今から、父上に褒められるのが楽しみなのでしゅ!たくさん、加増してほしいのでしゅ!」
信雄がほくほく笑顔でそう言っていたのだが、信長は特に、信雄を褒めることもなく、以前、親子の縁を切るといったのは、なかったことにする。ただ、それだけであった。さらには、信雄自身の加増もまったくもって無く、伊賀の地はまるまる蒲生氏郷の領地となるのであった。
「ぶひひいいい!こんなのおかしいのでしゅううう!ぼくちんが総大将だったのだから、ぼくちんが加増されるべきなのでしゅううう!」
信雄は父である信長に文句を言ったが、それでも信長は完全に無視を決め込むのであった。
一方、明智光秀は紀州に内乱ありと聞き、再び紀州平定へと軍を動かすのである。雑賀孫六が雑賀衆内での復権を果たすために内乱を起こしたのだ。まあ、規模としては内輪揉めだったこともあり、光秀は最後に漁夫の利を得るように、まとまりかけた紀州にて、これ以上、内乱を起こすなと、雑賀孫六と約定を結ぶだけに終わる。
さて、1581年も終わり、1582年に入ると、安土城の信長に訪問客がやってくるのであった。
「信長殿。息災でござったかな?家康でござる。やっと駿河の地を手に入れたのでござる!」
「おお、これはめでたい話ですね?で?三河、遠江、駿河の地を手に入れたので、そのうち、1国ほど、先生に譲ってくれるんですか?」
「ち、ちがうでござるよ!?いくら信長殿の頼みと言われても、譲る気はまったくないのでござるよ!?」
「なあんだ。わざわざ、家康くんが安土に来たのだから、期待していたんですがねえ?で?本当は何の用なんですか?」
「そ、それは、昨年の夏ごろ、北条家と徳川家が同盟となり、駿河は今年に入り、徳川家の領地となったのでござる。そこででござるな?武田家をそろそろ滅亡させようと想うところなのでござる」
家康がそう信長に進言する。だが、信長はあまり興味のなさそうな感じで、ふーーーんと言うのである。
「あ、あれ?武田家を滅ぼすのは乗り気では無いようでござるよ!?信長殿は、信玄に裏切られて奇襲を受けたことを忘れてしまったのでござる!?」
「いや。別に忘れてはいませんよ?武田家をけちょんけちょんにしたいのはやまやまなのです。ですが、問題は、先生は武田家の領地を全て、余すところなく手に入れたいと想っているんですよ。その意味するところがわかりますか?」
信長の言いにごくりと喉を鳴らす家康である。
「ま、まさかでござるが、信長殿は北条と手を組んで、武田家を滅ぼすのは、後々になって困ると言うことでござるか?」
「はい。さすが家康くんですね。先生は北条家も行く行くは滅ぼしてやりたいと想っているんですよ。ですが、北条家は表立って、織田家とは対立していません。まあ、家康くんは今川家・武田家を通じて、北条家とは因縁浅からぬ仲ですけど。織田家としては北条家へ攻め込むための大義が無いんです。だけど、本当にこのひのもとの国を平和に導くには、北条家ほどの大勢力をそのまま生かせておくわけにはいかないというわけなのです」
「そうでござるか。では、どうしたものでござるかなあ?北条家の機嫌を損ねて、武田家に合力すれば、武田家の命数は伸びることになるのでござる」
「先生としては、北条家と明確に敵対できるのでそれでも良いんですが、それだと、家康くんがしんどい想いをしますからねえ」
信長は右手であごをさすりながら、どうしたものかと悩むのであった。そんなところに、ある男が二人の前に現れるのであった。
「おおい。殿。暇してんだろ?俺も暇してるから、将棋でもしねえか?」
そう言いながら、二人の前に現れたのは現役引退した佐久間信盛であった。
「んん?のぶもりもり、今はまだ、家康くんとの話し合いの最中ですよ?悪いですが、あとにしてもらえます?」
「あ。すまんすまん。家康殿がやってきたのは、駿河を手に入れたことの報告だと想ってたから、殿がそれを祝っていたのかと想ってたんだけど、俺の勘違いだった?」
「そうですね。壮大な勘違いですね。どうやら、家康くんと氏康くんが武田家の本国まで欲しがっているみたいなんですよ。ただ、織田家としては両家に譲る土地が無いわけです」
「まあ、殿の目標は天下平定だから、甲斐を徳川家が席巻しちまったら、そこから東に進出するのが難しくなるし、ましてや、北条家は将来的に敵対するんだから、北条家にそもそも手を貸してもらいたくないわけだよな」
「さすが、信盛殿でござる。引退するのは早かったのはござらぬか?」
「家康殿。頭がいくら回ろうが、戦で働くことができなくなったら、織田家ではそこでおしまいなわけよ。それに俺は引退している身だし、責任感も無く、ただ言いたいことを言っているだけだよ」
まあ、これも信盛殿の処世術なんだろうと家康は想うのである。織田家は領地と共に、徳川家の3倍以上もの家臣が所属しているのだ。その中で、かろうじて領地を保つためには、でしゃばるわけにはいかないのでござろうなあと。
「さて、のぶもりもりの言う通りなわけですが、そこで先生、北条家と織田家の関係が悪化する方法を想いつきました」
「それは何でござる?出来れば、教えてほしいところでござるよ?」
「武田家を攻め滅ぼすのに、徳川家と北条家には手を借りることは借ります。ですが、徳川家にはスズメの涙ほどには何かを与えることはしますが、北条家に対しては、何もあげないことにします」
「ま、マジでござるか。それでは北条家は怒り狂うはずなのでござる。それはいささか、危険すぎるのではござらぬか?」
「まあ、大丈夫でしょう。武田家が滅びれば、その後ろ立てである上杉家は孤立無援となりますし、今更、上杉家と北条家が手を結ぼうが、北陸方面から勝家くんが攻め上がれば、上杉家も風前の灯なのですからね。だから、最終的には北条家は追い詰めれるって寸法です」
「深慮遠謀でござるなあ。それで、徳川家には何がもらえるのでござる?」
「そこは、武田家の旧臣を吸収でもしてください。そうすれば、徳川家としては戦力の補充となることでしょう。織田家としては武田家と因縁浅からぬ仲のために、彼らは織田家とは相いれない存在となりますからねえ」
「ううむ。やはり、徳川家には領地はいただけぬということでござるか。致し方なしでござるなあ」
「その代わりと言ってはなんですが、浅井長政くんとお市の3人娘の1人、お江をあげましょうか?確か、まだ秀忠くんの正妻の座は空いていましたよね?」
「おお。それは喜ばしいことでござる。では、そのお江をうちのせがれの嫁にさせてもらうのでござる。長政殿の娘と言えども、同時に信長殿の妹の娘なのでござる。血筋は立派に織田家に連なっているのでござる」
信長の提案に家康が快諾するのであった。さて、信長と家康の会談も無事に終わり、家康は武田家の旧臣を手に入れるために、武田家の家臣たちに急接近していくわけである。とりわけ、穴山信君には武田家滅亡の折には甲斐国の半分の領地を安堵するとの約束を取り交わすことになる。
この条件については信長も1枚噛んでおり、穴山信君武田勝頼の叔父というポジションにあるだけに、その男が内応すれば、武田家の崩壊は確実と見込んで、甲斐国の半分を与えることを了承するのであった。
ちなみに、1582年2月のこの時点では、すでに武田四天王と呼ばれたモノたちは全滅していた。長篠の戦いで唯一生き残っていた高坂昌信も、2年前に病死しており、今や、武田家は勝頼が寵愛しているモノたちで、武田家の重職は席巻されていたのだった。
武田信玄が当主の頃から仕えていたモノたちは冷遇されるという事態になっていたのである。まあ、そうは言っても、武田家の主力たるモノたちは長篠の戦いですでに戦死していたわけなのだが。各家が代替わりしていく中で、勝頼の代で没落していったと言ったほうが良いのかも知れない。