ー楽土の章29- 鳥取城の飢え殺し
1580年6月。佐久間信盛を始めとして、数多くの織田家の老臣たちが失脚した。だが、もうひとつ、とある事件が羽柴秀吉の周辺で起きていたのだった。
「半兵衛殿。ゆっくり休んで、ください。私は半兵衛殿が居なければ、ここまで織田家で出世することはできません、でした」
「ううう。半兵衛殿おおお。逝くには早すぎるだろおおお!これからって時に何でひとり、先に逝ってしまうんだよおおお!」
「悲しいんだぶひいいいい。半兵衛殿が亡くなったのは本当に悲しいんだぶひいいい」
「半兵衛くん。安らかに眠ってくれやで?これからは、この楮四十郎がひでよしくんの軍師になるんやで?」
「オウ、ノウ。半兵衛殿はついにデウスの教えを最後まで信じようとはしなかったのデス。半兵衛殿は審判の日には地獄に堕ちてしまうのデス!」
秀吉は別所家との抗争が終わったあと、そこから北に進軍し、山名家の鳥取城へと攻め上ろうとしていた。その途上において、10年以上、秀吉を策の面で補佐してきた竹中半兵衛が陣中で病死したのである。秀吉をはじめ、彼の臣下たちは涙を流して、半兵衛の死を悼むことになる。
そして、後日、黒田官兵衛は次の秀吉の軍師的位置に抜擢されることになる。官兵衛は半兵衛が居なくなった穴を埋めるためにも、良策を次々と秀吉に示していくのであった。
その後、1580年の後半は各方面に派遣された将たちが奮闘し、じわじわであるが、織田家の領地は拡大の一途を進み続けるのである。
年が明けて、1581年春には柴田勝家北陸方面軍は加賀、能登、越中の西半分まで手に入れることに成功する。上杉家は大黒柱であった上杉謙信を失っただけでなく、御館の乱勃発により、1年半近くも家督争いが続き、漁夫の利の如くに北陸方面を織田家が席巻していくことになる。
だが、その御館の乱もようやく終わりになり、少しづつであるが、上杉景勝を筆頭に上杉家は息を吹き返していくことになる。そのため、越中の魚津城を前にして、一旦、勝家隊は進軍を止めることになったのだ。
「がははっ!急に上杉軍の勢いが増してきたでもうすな。これは家督争いが終わったとみて良いのでもうすかな?」
「そうッスね。勝家さまの読み通りだと想うッス。ここは一旦、領地経営にいそしむッスか?」
勝家の寄力であった前田利家がそう進言するのであった。
「ううむ。そうでもうすな。1年余りで能登と越中の西半分が手に入ったでもうすしなあ?というより、利家。お前がもらった能登1国を整備したいだけでもうすよな?」
「そ、そんなことないッスよ!?そ、そりゃあ、やっと1国1城の主になったからって、よっし、ここは国持ちらしく、城でも造ってみるッスか!なんて想ってないッスよ!?」
慌てふためく利家の姿を視て、ふうううとため息をつく勝家である。
「わかったでもうす。1国1城の主になれば、それにふさわしい城を持ちたくなる気持ちもわかるのでもうす。だが、ひとつ忠告しておくでもうすが、能登の北端に城を造るなでもうすよ?」
「えええ?能登の北端には良い漁場と湊があるんすよ?あそこに城を立てずに何処に建てろっていうんッスか!?」
「北端に造れというのをやめろと言っているだけでもうす。確かに、能登は三方を海に囲まれて、商売も発展しやすそうでもうす。だが、北端に城を造ったら、冬に雪に閉ざされて、もしもの場合にその城から出陣できなくなってしまうのでもうすよ?」
「あっ、なるほどッス。冬のことを忘れていたッス。そうッスね。じゃあ、能登の中ほどに立地条件が良さそうな場所を探してみるッス。助言ありがとうッス!」
勝家の助言により、利家は能登の中ほどに簡素ながら城を造ることになるのであった。利家と言えば、そのライバルである佐々成政といえば
「ん…。魚津城まで攻め落としたかった。越中の半分はもらえたけど、これじゃ、半国半城の主で、すっごく中途半端」
越中の西半分を領地として与えられた佐々であったが、なんだか利家に差をつけられたようで余り良い気分ではなかったのだった。
「ん…。もらえるなら加賀のほうが良かったけど、あそこはまだ、一向宗の織田家への反感が根強いし。これはこれで面倒が少なくて良かったと考えるべきかな?」
佐々がもらった越中の土地は広く平地が広がっており、農地を広げるにはうってつけの場所ではあった。それに発展した湊もある。だが、やはり上杉家と接しているためだけに、不安も多かったのだった。
「ん…。まあ、良いか。しばらく領国経営に精を出そう。ここ越中と能登とは交易をし易いし、利家と二人でその辺りを示しあわせておこう」
結局のところ、佐々は色々な感情をその腹の中におさめることになる。
さて、北陸方面の侵攻も一旦中止となり、織田家において、躍進していくことになるのは、羽柴秀吉であった。彼は6月の時点では鳥取城に攻め込んでいた。
「うーーーん。山城って攻めにくいです、よね。官兵衛殿。何か良い策はないの、ですか?」
「ならば、兵糧攻めにしてみるのは如何でごわす?おいどん、良い情報を手に入れたでごわすよ?」
官兵衛が掴んだ情報とは、鳥取城の主が、秀吉隊と対抗するために、城内の米を商人に売り、その金を元手に武器、弾薬、火薬を仕入れたことである。
「ふむ。なるほど、です。戦うための武器を仕入れるために城の備蓄である米を売ってしまったというわけ、ですか。これは面白いことになり、そうですね?」
「今年はもう6月だというのに、未だに春先かと想うくらいに寒いのでごわす。これはひょっとして、ひょっとするかもしれないのでごわす」
「おい。ひでよしさまと官兵衛殿がすごく腹黒い顔でニヤニヤしあってんだけどよ?あれは止めなくて良いのか?」
「彦助。ああいう時は放置しておくのが一番何だぶひい。巻き込まれると、大変な眼に合うんだぶひい」
「せやで?田中くんの言う通り、下手に関わらないのが一番やで?横で話を聞いている限りでは、三木城で行った干し殺しをまたやるつもりみたいやで?わい、鳥取城の皆さんが可哀想でたまらんのやで?」
「オウ、ノウ。デウスの教えを信じないばかりに、鳥取城の皆さんは飢え死んでしまうのデス!さあ、今からでも遅くはないのデス!鳥取城の皆さん。デウスの教えに入信してクダサイ!」
秀吉と官兵衛の目論見は大当たりすることになる。秀吉はまず、6月になると、鳥取城の包囲を一度やめて、鳥取城の主が兵糧を商人に売る邪魔を一切しなかった。そして、秀吉が次にやったことは、その鳥取城の主が売った米を含めて、周辺に存在する米問屋から、全ての米を買い占めたのだ。
さらに鳥取城の主にとって運が悪かったことは冷夏により、米が大不作となったことである。鳥取城側としては、秋の収穫を見込んでの米売りであったのに、その肝心の米収入がまったく無いという絶望的状況へと陥る。
米を買い戻そうにも、秀吉が周辺の米を全て買い取ってしまったために、まったくもって手に入れることができなくなった。本来ならこの時点で鳥取城側が戦うことなどできなかったのだ。不運とは重なるもので、鳥取城を落とされてたまるものかと毛利家が加担する。この城の主が交代になったのだ。
次の鳥取城の城主の名が、吉川経家であった。元々はこの城は山名家のモノであったのだが経家が入城したことにより、絶対に織田家に屈服してなるものかと、頑強なる抵抗の意思を示したのだ。
そのため、兵糧がほとんどない状態で鳥取城は籠城策を決め込むことになる。これが、鳥取城の戦い、または鳥取城の飢え殺しと呼ばれる戦いの開幕となったのだ。
戦線の推移に驚くのは秀吉である。1カ月、2カ月、3か月と鳥取城の包囲を続けてきたわけであるが、何故にそこまで降伏勧告を拒否するのかが、まったくわからない。
1581年も終わりに近づこうとした時、ついに経家はついに秀吉の降伏勧告を受け入れる。秀吉は開門された鳥取城の惨状に絶句する。
「こ、これは!彦助殿、田中殿、四殿、ついでに弥助殿!うちの兵糧をすぐにでも鳥取城のひとたちに分け与えて、ください!」
「う、うわあああ。人骨がゴロゴロ転がってるよおおお。こいつら、ヒトでありながら、ヒトを喰っていたんだあああ!」
「地獄だぶひい。鳥取城はこの世の地獄だぶひいいい!」
「はよ、この粥を食べるんやで!って、大変や!久しぶりに腹にメシを入れたから、胃がびっくりしたんか、死んでしまったんやで!」
「オウ、ノウ!ここの城主は愚かモノなのデス!ここまで、兵士や民を苦しめてまで、なぜ、頑強に降伏勧告を受け入れなかったのデスカ!」
秀吉はじめ、その家臣たちは、鳥取城内の惨状を眼の当たりにし、炊き出しを行ったわけだが、粥を口に入れて絶命するモノが続出する。秀吉が飢え殺しに加担したとはいえ、予想以上の惨状に、秀吉は涙を流すことになる。
「私は間違っていたの、でしょうか。無闇に血が流れないようにとの配慮で城を包囲したわけ、ですが、結果的に大量の死者が生まれてしまったの、です」
「秀吉さま。涙を拭いてくだされでごわす。秀吉さまに落ち度はないのでごわす。鳥取城を兵糧攻めにしろと進言したのは、おいどんなのでごわす!おいどんが、この罪を背負うのでごわす!」
半兵衛に代わって、秀吉の軍師役へとなった黒田官兵衛が、秀吉を慰める。官兵衛もまた、ここまでひどい惨状になるなど予測していなかった。こうなることを読めなかったのは、自分の責任だと官兵衛は想うのであった。
鳥取城を失い、山名家はその力を大きく削がれることとなる。畿内より西に残る勢力と言えば、毛利家のみとなり、鳥取城の戦い後、秀吉隊は毛利家と本格的な戦いへと発展していくのであった。