ー楽土の章28- 信長vs顕如(けんにょ) 決着
有岡城が落城により織田家に生まれた利点のもうひとつは、本願寺顕如が完全に周辺国から切り離されたことである。ついに顕如は信長に抗う術を全て失ったのだ。秀吉隊が息を吹き返したことにより、頼みの綱であった毛利家からの支援は断絶したのだ。
1580年3月、ついに顕如は信長に対して降伏する。時の帝が仲立ちし、信長と顕如は和睦の書にそれぞれ花押を押すことになる。
1570年の信長包囲網から10年が経った。それはそれは長い年月であった。もし、顕如が信長に対して蜂起をしなかったら、とっくの昔に信長はこのひのもとの国を統一していただろう。それほどまでに顕如率いる一向宗たちの反抗は力強いものであったのだ。
再三、信長との和睦を一方的に破棄してきた顕如は信長に処刑される覚悟を持っていた。だが、信長が顕如に対して行ったことは、織田家の将たちすらも驚かすものであった。
「むう。殿が決めたことなので、わしからは何も文句は無いのじゃが、これでは、織田家の将たちが納得しないのではないのかじゃ?」
「貞勝くん?何やら、不満たらたらですね?先生は前々から言っているでしょう?宗教は武力を捨てて、政治に介入することをやめろと。そうすれば、無罪放免にすると。先生はそれをおこなっただけに過ぎません」
信長が顕如との講和で付きつけた条文の一番最初にはっきりと示されている文言。【惣赦免事】である。これが意味するところは【全てを許す】なのだ。誰しもが顕如は処刑されると想っていた。だが、信長はそうしなかっただけでなく、今まで顕如がやってきたことの【全てを許す】とはっきりとその意思を示したのだ。
この処遇に顕如はほとほと参ったと想った。
「信長はすごい奴なんやで。本気の本気で【宗教は武力を捨てろ】。ただそれだけやったんやで。わてはあの男を勘違いしていたんやで。ほんま、すまへんのかったやで。わいの命令で数多くの信者さんたちを死なせてしまったんやで」
顕如は信長の寛大な措置に涙を流した。それと同時に自分の嘘の宣伝により、命を捨てていった信者たちに謝りたい気分で心が押しつぶされてしまったのだった。
「わては一向宗の代表を退くんやで。これほどまでに、信者さんたちの命を粗末にしてきた男がこれ以上、上に君臨していてはダメなんやで。これから、本願寺は産まれ変わる必要性があるんやで」
顕如はすっかり意気を失ってしまっていた。その後、信長と顕如の講和はすんなりと進んで行き、本願寺家は石山御坊を退去後、信長が用意する別の土地へと移り住むことが決定するのであった。もちろん、信仰の自由も信長により保証されることになり、一向宗と織田家の確執は全て無くなるとそう想われていた。
だが、それを快く想わない人物が居た。
「父上は間違っているのでござる!拙僧はこの城から退去するつもりは無いのでござるううう!」
その人物とは顕如の息子のひとりであった教如であった。彼と信長に反抗し続けようとする一派が手を取り合い、石山御坊を占拠したのである。これには顕如も寝耳に水の話であった。信長は激怒し、顕如を安土城に呼び寄せて詰問するのである。
「顕如くうううん!?先生と顕如くんの間では講和が成りましたよね?もしかして、これは顕如くんの手引きなんですか?」
「ち、違うんやで!わては、これ以上、信長さまに刃向かうつもりはこれっぽちも持ち合わせてないんやで!ほんまにほんまなんや!だから、これ以上、一向宗の信者さんたちを傷つけんといてや!」
顕如の慌てふためく姿を視て、信長は想う。これは、顕如くん自身にもあずかり知らぬことだったのでしょうと。それに顕如くんからは覇気というものをまったくもって感じませんしね。
「では、顕如くん。この始末、どうつけるつもりですか?教如くんは先生に逆らう気満々です。その証拠に明け渡すはずの石山御坊にすら火をつけてくれましたからね?」
「あ、あれはたまたま、失火しただけなんやで?わざとやないんやで!?ほんまにきれいに石山御坊を渡そうとしたんやで!?」
石山御坊を明け渡す約束を信長と顕如はかわしていたのだが、後世において、教如が反抗の意思を示すために火をつけたとも、本当にたまたまタイミング悪く、失火したという説が残されているのである。
「ふむ。失火ですか。顕如くんのその言いを信じましょうかね。ただし、嘘とわかったら、どうなるかわかっていますよね?」
信長は脅しつけるように顕如に言うのであった。顕如はほとほと困ったという感じの顔つきで、ただただ、信長に対して平伏するのである。さらに顕如は信長との講和を確実とするために
「教如を破門にするんやで。あんなの、わての息子でもなんでもないんやで!これからは、3男の准如をわての後継者として指名させてもらんやで!」
顕如は教如など本願寺には存在しないモノだと宣言したのである。これにより、正統性を失くした教如とその一派は立ちいかなくなるのだった。この辺りはさすがは顕如である。見事、これ以上、一向宗と織田家の間で戦が起こらぬように、双方、矛を納めさせることに成功したのだった。
顕如から廃嫡された教如は石山御坊から退去せざるをえなくなり、ついに、畿内において、一向宗たちは信長との争いを完全に止めることになる。この後、北陸方面で多少のいざこざはあったものの、表立って、織田家と一向宗は相争うことはなくなるのだった。
1580年。この時点で宗教勢力において、信長の政策である【宗教は武力を捨てよ】を守っていなかったのは、高野山を残すのみとなった。一向宗ですらその牙を抜かれた以上、高野山の武力も排斥されて当然という風潮が世に現れるのも当然の流れであった。だが、信長はまずは織田家内の整理を第一とし、高野山はこの時点では見逃されることとなる。
1580年6月のことであった。信長は信盛を安土城へと呼び寄せる。
「のぶもりもり。大坂の地の統一、ありがとうございます。そして、引退勧告を告げます」
信盛はその信長の言いを聞き、ついにこの日がやってきたのかと想う。
「ああ。やっぱりそうくるよなあ。朝の10キログラムの俵を担いでの5キロメートル行軍も出来なくなっちまった身だったしなあ。歳を取るってのもきついもんだぜ」
この時、信盛は54歳へと到達していた。身体の衰えは信長から視ても顕著であり、日々の訓練すら満足にこなせない身となっていたのだ。
「ゆっくり養生してください。先生、これ以上、のぶもりもりを酷使するのは心が痛んでしまいます」
「そうだな。それが一番だな。殿、今まで俺みたいな凡将を重用してくれてありがとうな。あとは息子の信栄にでも任すわ。で?俺の領地はどうなるわけ?」
「そうですねえ。信栄くんがアレですからねえ。南近江の半国程度にまで領地を減らすことになりますけど、のぶもりもりは嫌ですか?」
「いや。俺としては四分の一まで減らしてくれて構わないと想っていたけどな?ぶっちゃけ、あいつは俺のひいき目でも不出来すぎるんだよな。なんで、あそこまで出来の悪い息子になっちまったのか、不思議でたまらん」
「のぶもりもりの言うところまではひどくはないんですがねえ?単純に経験不足なだけだと想いますよ?まあ、のぶもりもりが南近江の四分の一で良いって言うのならば、そうしますけど?」
「ああ、そうしてくれ。そうでもしないと、これから先、殿がひのもとの国全てを手に入れた時に困ることになるだろ。うちの息子が2か国持ちなんかになってたら、殿が実力重視の人事ができなくなっちまうからな」
信盛にはわかっていた。本願寺顕如を降した今、織田家にとって障害となろう勢力は今のところ、毛利家と北条家だけであることを。そして、あと5年もせずに殿は天下を手中におさめることをだ。
信長と信盛との会見から3日後、信長は織田家領地内で人事に関して大鉈を振るうことになる。信長の手により今まで目立った実績のない老人たちはことごとく失脚させられた。そして、織田家内を震撼させたのは、やはり織田家の功績1~2番の佐久間信盛の領地が四分の1に減らされたことであった。
その処置に対して、信盛は文句のひとつも言わずに息子の信栄に佐久間家の家督を譲り、現役引退することになる。
「ううむ。信盛殿がまさかあそこまでの処遇を喰らうとは想わなかったのでもうす。これは、もしや、次は我輩の番だったりするのでもうす?」
信長の処置に一番、動揺したのは柴田勝家であった。彼は今こそ織田家北陸方面軍指揮官であったが、そろそろ50歳に到達する歳であり、信盛の身に起こったことをどうしても自分のこれからに重ねてしまうのであった。
「むむむ。信盛殿が不運だったのは跡継ぎが不出来であったことでもうす。しかし、我輩はまだ運が残されているのでもうす。勝豊、勝政のどちらをまだ自分の跡継ぎにするか決めていないことでもうす。ここはいっそ、日の出の勢いの佐久間盛政を我輩の養子に迎え入れるべきなのでは?でもうす」
その後、勝家は柴田家の将来の安寧のために、佐久間盛政を重用していくことになる。そして、勝家の目論見は当たり、盛政はその実力を発揮していくのであった。