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ー楽土の章25- 安土宗論

 新しく造られたびわ湖沿岸の神殿には連日、訪問客がやってきていた。民たちは一度、その神殿を近くで拝もうと殺到したのである。信長は拝観料として、民たちからひとりあたり50文(=5000円)をさい銭箱に投じる旨を通達していたのだが、民たちは喜んで、さい銭箱に50文を投げ込む事態となる。


「たらららーん!ちょっと、予想以上に民たちが押し寄せているのですー。こんなことなら、さい銭箱を3個、並べておけば良かったのですー」


「はははっ!先生のご利益がそんなに欲しいみたいですね!商売繁盛、家内安全、病気平癒、安産のお守りがバカバカ売れていきますよ!こんなことなら、準備していた10倍のお守りを生産しておけばよかったですね?」


 丹羽(にわ)と信長がほくほく笑顔で、安土城の広場に置かれている御影石の脇で、民たちがその石に対して二礼二拍手一礼する姿を視るのであった。


 そんな満員御礼状態の安土城であったが、その城下町で、ある事件がおきる。


「おい、てめえら、いい加減にしておくんだべ!おいらたちの教えを嘘だと吹き込んで、自分とこの信者にするのはやめるんだべ!」


「何を言っているのでございますかな?我ら日蓮宗以外は邪教なのは明白なのでございますぞ?そんな邪教を妄信する民たちを我らが正しい道へと導いているだけでございます」


 安土城の城下町の往来で日蓮宗の僧と浄土宗の僧が口喧嘩を行っていたのである。


「なーにが、正しい道だべか!お前ら、うちの信者が改宗するまで、付きまとっていくせにだべ!家の中にまで押し入って、改宗しなければ、家具を破壊しまくって、やめてくれえええと民が泣きついても、決して、その手をゆるめないくせにだべ!」


「失敬なことを言ってくれるのでございます。我らは邪教に染まった原因を破壊しているだけなのでございます。一度、邪教に染まれば、その者たちの所有物は全て(けが)れてしまうのでございます。だから、我らがキレイに浄化しているだけでございます」


 日蓮宗の僧の言いに激怒した浄土宗の僧が実力行使に出ようとしたまさにその時、城下町を視察していた、信長一行がその喧嘩に出くわしたのである。


「ん?きみたち、どうしたんですか?先生の領地では喧嘩はしても良いですが、殺しはダメですよ?そこのところ、わかっていますかね?」


「こ、これは信長さま。失礼したのだべ!だけど、話を聞いてほしいんだべ!こいつらが、うちの、いや、他の宗派の信者たちを無理やり、日蓮宗に入れようとさせているんだべ!」


「ふむ。先生は、信仰の自由を認めていますけど、強制的に改宗させるのは認めていません。そこの日蓮宗の僧くん。行いを改めてくれませんかね?」


「くひひっ!これは異なことをおっしゃられるのでございます。信長さまは邪教を広めるのは禁止しているはずでございますよね?日蓮宗はひのもとの国で唯一、正しき、仏の教えを広めているだけでございます。我らを叱責するより、そこの邪教徒共を火あぶりにするべきなのでございます!」


「ほう。先生に意見するとはおもしろいひとですね?きみ、名はなんというのですか?」


「日蓮宗の建部紹智(たけべしょうち)という名でございます」


「ふむ。なるほど。建部紹智(たけべしょうち)くんですか。わかりました。きみの言うことが正しいのか、それとも他の宗派が間違っているのか、先生、おおいに関心を持ちました。よって、安土城で、あなたたちの公開討論を行いましょう」


 信長の言いに建部紹智(たけべしょうち)はニヤリと笑い、口の端を歪ませる。


「わかりましたのでございます。それでは、我らが出席し、日蓮宗の教えの正しさを証明するのでございます」


 だが、これに浄土宗側が異を唱えることとなる。


「お前みたいな小童こわっぱが出てきてどうするのだべ。お前たちのところの代表格を出すんだべ!代表格が出ずに、お前みたいな雑魚が負けた場合は、絶対に、日蓮宗共が言い訳をするのは眼に視えているんだべ!」


 この言いに建部紹智(たけべしょうち)が、ぐっ!と唸る。


「わかったのでございます。上と相談してくるのでございます。しかし、そちらこそ、浄土宗の代表格を出してくるのでございます。そちらが言うように、そちらが負けた場合に言い訳をされてはたまったものではないのでございます!」


 売り言葉に買い言葉とはまさにこのことであった。信長は喧嘩腰の僧たちを視て、ふうやれやれと吐息をするのであった。


 かくして、1579年5月27日。歴史に名高い【安土宗論】が浄厳院の本堂で繰り広げられることとなる。日蓮宗側は代表として、常光院の日諦、頂妙寺の日珖、妙国寺の普伝、久遠院の日雄、さらに記録係として久遠院の大蔵坊が出席することなる。


 対して、浄土宗側は代表として、浄蓮寺の霊誉玉念、西光寺の聖誉定安、正福寺の信誉洞庫、さらに記録係として知恩院の助念が出席する。まさに日蓮宗と浄土宗の代表者としてふさわしい、そうそうたるメンバーが揃うこととなったのだ。


 さらには、日頃から日蓮宗に邪教と罵られた各宗派の代表たちが、この宗論をひとめ見ようと、浄厳院の本堂の観客席側に集まるのであった。


 この【安土宗論】の特徴的なことは、この国始まって以来の【話し合い】による宗教対決なのである。宗教対決はどうやっても、血を視ることになる。これは世界共通の認識であった。お互いが自分のことを正義だと想っているのだ。それ以外の教えを信じるのは、まさに邪教徒なのである。この世に生きている価値などないと微塵もないと想っているのだ。


 だからこそ、この【安土宗論】が行われただけでも、充分に意味があるものであった。信長の理想とする宗教の姿が、ここに凝縮していると言っても過言ではない。信長は今まで、宗教勢力に武力を捨てろと明言してきた。


 比叡山を焼いたのも、そもそもは武力を捨てて、政治に介入するなという根本的な考えが信長にあったからだ。先の話になってしまうが、信長が本願寺顕如(ほんがんじけんにょ)との戦いを終えたあとに、無罪放免としたのも、彼の考えを実行しただけにすぎないのである。


 さて話を元に戻し、この安土宗論では、お互いで問答を繰り返し、結果として、日蓮宗側が浄土宗側の質問に応えらず、日蓮宗側の負けとなったのだ。【信長公記】では以下の通りとなる。


 貞安問云ふ、法華八軸ノ中二念仏あるや。


 法華云ふ、答、念仏これあり。


 貞安云ふ、念仏ノ義アラバ、何ゾ無間二落ル念仏ト、法華二説ヤ。


 法華云ふ、法華ノ弥陀ト浄土ノ弥陀ト一体か、別体か。


 貞安云ふ。弥陀ハ何クニ有る弥陀モ一体ヨ。


 法華云ふ、サテハ、何ゾ浄土門二法華ノ弥陀ヲ捨、閉閣抛卜捨ルヤ。


 貞安云ふ、念仏ヲ捨ヨト云フニ非ズ。念仏ヲ修スル機ノ前二、念仏ノ外ノ捨、閉閣抛ト云フナリ。


 法華云ふ、念仏ヲ修スル機ノ前二法華ヲ捨ヨト云フ経文アリヤ。


 貞安云ふ、法華ヲ拾ルト云フ証文コソアレ、浄土経ニ云フ善立方便顕示三乗ト


 云々。又、一向専念無量寿仏云々。法華ノ無量之儀経二方便ヲ以テ、四十余年、未ダ顕セズ、真実ト云ヘリ。


 貞安云ふ、四十余年ノ法門ヲ以テ、爾前ヲ捨テ、方座第四ノ妙ノ一字ハ、捨ルカ、捨ザルカ。


 法華云ふ、四十余年四妙ノ申ニハ、何ゾヤ。


 貞安云ふ、法華ノ妙ヨ、汝知ラザルカ。此ノ返答、コレナク閉ロス。


 貞安亦云ふ、捨ルカ、拾ザルカヲ、尋ネシトコロニ、無言ス。


 簡単に解説すると、浄土宗側が法華宗=日蓮宗側に、お前たちは念仏を唱えると地獄に堕ちると声高に叫んでいるけれど、お前たちの経文に念仏はないのか?と問い、日蓮宗側があると応えたことから始まったのである。


 そして、最後に「お釈迦さまが40年の修業で導き出した、方座第四ノ妙を捨てるのか否か?」と浄土宗側に問われ、そもそもとして、日蓮宗側が「方座第四ノ妙ってなんだっけ?」とトンチンカンなことを言い出して、さらにそこを浄土宗側に「そんなことも知らんのか!」とツッコまれて、返す言葉もなく日蓮宗側が黙り込んだのだ。日蓮宗側が問いに応えることが出来ず、日蓮宗側の負けとして決定したわけである。


「よっしゃあああ!日蓮宗の奴らの袈裟をはぎとってやるんだべえええ!」


「ひっひいいい!やめてくれなのだ。負けは認めるなのだ!だから、叩くのはやりすぎなのだ!」


 浄土宗側の僧たちは勝った喜びに酔いしれ、打擲ちょうちゃく棒でバッシンバッシンと音をけたたましく立てさせて、日蓮宗側の僧をぶん殴るのである。ボロボロにされた日蓮宗側の僧たちを視て、信長はその情けない姿を克明に手紙にしたため、息子である信忠(のぶただ)に送るのであった。


「はははっ。父上も年甲斐もなく、はしゃいでいる様子が手紙から覗えるのでござる。しかし、あまりにも無茶な要求だと想うのでござるがなあ?」


 信忠(のぶただ)は信長の書状に書いてある内容にやれやれと想う。日蓮宗側が負けたことに対して、罰として、無理やり、他宗を信じる民を改宗させない旨を約束させ、さらには懲罰金まで課したのであった。日蓮宗の寺々は、その金額に眼玉が飛び出るほど驚いたが、【方座第四ノ妙】の意味をあとに気付き、これはどうしようもないと諦めて、信長に対して、素直にその金を納めることとなったのだ。


 後日、信長は安土宗論で審判役を任せた僧たちに褒美として、きやびらかな扇子と、頑丈な鉄製の杖を贈るのである。


「よっほほほっ。これは良い杖なのでしゅ。拙僧の今まで使っていた杖は木製で、使い込んでいたためにひん曲がっていて困っていたのでしゅ」


 その審判役のひとりであった鉄叟てっそうが信長からの贈り物に感謝の念を表すことになる。


「いえいえ。本当なら、金箔押でもしたものを贈ろうと想ったのですが、鉄叟てっそうくんは紫色が良いとのことで、そのように取り計らいました。鉄叟(てっそう)くん。また宗論がありましたら、先生は鉄叟(てっそう)くんに審判役をお任せしようと想います」


「よっほほほっ。それは楽しみなのでしゅ。何かあったら、また呼んでほしいのでしゅ。このひのもとの国のどこにいても、飛んで駆けつけてくるでしゅよ?」


 この【安土宗論】はこれにて一件落着となったのだが、後の世に残る日蓮宗側の記録には、「審判役の鉄叟(てっそう)は耳が聞こえなかった」と真偽不確かなものが記載されており、現代では、これは信長が日蓮宗を陥れるために開かれたのだと吹聴されるようになる。


 だが、信長は現代の時代にこのような事態になることを当時において予測していた。【信長公記】には、信長は皮肉まじりに「日蓮宗は口が上手いから、日蓮宗側は結果を歪めるでしょう」。そうはっきりと書かれているのであった。

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