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ー花嵐の章18ー 勝敗は兵家の常

「ん…。信長さま、落ち着いて」


 佐々(さっさ)成政が恐る恐る織田信長に言う。信長は書状を乱暴に佐々(さっさ)に渡して見せる。


「ん…。天下静謐てんかせいひつのため、両軍、兵を収めよ」


 佐々(さっさ)は目を丸くする。書状の花押かおうは武田信玄のものである。佐々(さっさ)は信長の方に向き直す。


「武田信玄からの書状です。武田家が斉藤、織田家の和議の仲介者になるから、兵を下がらせろとの書状です」


 信長は叩き折った指揮棒を地面に放り投げ、深く、深くため息をつく。そして、椅子に力なく座り、佐々(さっさ)に言う


「皆の者に通達してください。武田家の介入により、いくさはこれにて終了です。浅井家にも通達をわすれずに」


 ははっと佐々(さっさ)は言い、陣幕を出る。



 しばらくしたあと、本陣を守る丹羽長秀にわながひでが、撤退の合図の狼煙のろしを上げる。全軍、引き上げの合図だ。その狼煙のろしを見た織田の面々は


「おいおい、なんだっていうんだ。撤退だと?」


 佐久間信盛さくまのぶもりは、つい、すっとんきょうな声をあげてしまった。


「伝令!武田家からの使者が到着し、双方、兵を引き上げろとのことです」


「ああああああ?武田の野郎。両家に恩でも売ったつもりか!」


 信盛のぶもりもこればかりは、怒り心頭である。斎藤家にも伝わったのか、あちらからも撤退を合図する狼煙(のろし)が上がる。


「ちっ、構わず攻撃しちまえばいいのによ!」


 あちらから戦闘を再度しかけてくれないかと待ってみたが、無駄のようだ。さっと兵を引き上げていく。仕方ない、こちらも退くとするか。納得いかない心をそのままに、部下たちに撤退の準備をさせる。



 攻撃をする意思はないとして、斎藤家より捕虜の返還を行う旨の使者がやってきた。織田家側も慣例にのっとり、捕虜とした兵を返すこととなる。捕虜交換の代表として、斎藤側は安藤守就(あんどうもりなり)、織田家側からは柴田勝家(しばたかついえ)が名乗りでる。


「そなたが鬼のような采配を取っていた将かね?名は?」


「ガハハッ!鬼とはまた勇ましい名をもらえたものでもうす。柴田勝家(しばたかついえ)ともうす」


「これからは鬼柴田と名乗るがよかろう。次は桃太郎として、きっちり退治させてもらう」


「鬼柴田に、桃太郎でござるか、ガハハッ!再戦が楽しみでもうす」


 斎藤家の捕虜となっていたものたちの中には、近江に向かって行った秀吉の部下たちが多数いた


「生きてるってすばらしいなあ。さすがに今度ばかりは駄目かと思ってた」


 飯村彦助(いいむらひこすけ)が捕虜から自由の身となったのである。


「しかも、こんなに早く織田家に帰ってこれるとは思わなかったよ」


 通常、敵側の捕虜となれば、合戦終了後に、奴隷市が開催され、そこで捕虜となったものたちを売り買いする。囚われたものの親族たちが金を出し、兵士たちや、家族を取り戻す。金を払えない場合は、奴隷として売られていく。将ともなると、莫大な身代金を取れるため、首級(くび)をとるよりは捕虜として、あとで奴隷市で売買されるケースも多い。奴隷市は戦国時代の一大ビジネスなのである。


「ガハハッ!命あっての物種でもうす。しかしながら臆さず、これからも任務にまい進せよ」


「ははっ、救っていただいた命、大事にしつつも、殿(との)のご命令あらば一身をささげます!」


 柴田勝家しばたかついえ飯村彦助いいむらひこすけにねぎらいの言葉をかける。彦助ひこすけは走って、隊長の木下秀吉きのしたひでよしのもとに向かって行った。柴田勝家しばたかついえはその背中を見ながら


「ああいう若人が、早死にしないよう、将はがんばらないといけないでもうすな」


 とひとり言うのであった。



 撤退準備を進める織田信長のもとに、伝令がやってきていた。彼が言うには斎藤側の将より言付けを任されたとのことである。


「んっんー。信長殿。今回は私たちの勝ちでした。いつでも再戦おまちしてます。馳走を用意して待っています」


 信長はくくくっと笑う。


「馳走というか、あやつめ。ならば次はその馳走、まるごと平らげてやらねばならぬな」


 今回のいくさの成果としては、浅井との同盟は成った。だが、肝心の大垣城を落とせなかった。城を取れなかった以上、今回のいくさは信長の負けである。将来的に織田家が武田家との同盟を考慮している以上、今は武田家の和議の申し出について、反故ほごにするのは有益なことではない。


 痛いところを突かれたのである。竹中半兵衛め、武田家と織田家うちの同盟を読んでの策なのか、これは。それとも偶然なのか。どちらにしろ、武田家に対して、報告、連絡、相談のほうれんそうを怠っていたのは確かだ。これを機に、ほうれんそうを徹底しなければならないと信長は改めるのであった。


 武田家からの書状が届いてから3日後、織田軍が美濃みのの地から撤退完了し、主なる将たちが小牧山城にて、今回の合戦の論功行賞を行うことになった。


 信長は開口一番


「負けたんで、みんな、報奨ゼロでいいでしょうか」


「ちょ、ちょっと、それはないッスよお。やれるだけ、がんばったッスからあ」


 前田利家まえだとしいえが慌てる。勝てなかったとはいえ、敵兵を数多くたおしている。その点は評価がほしいとこである。


「では、今回の合戦をふりかえってみましょう。勝家かついえくんは兵1千で敵3千を圧倒する働きを見せてくれました。負けいくさといえども、これは大層な成果です。勝家かついえくんには金子きんす5枚進呈です」


「ガハハッ!少々、振る舞い過ぎではござらぬか」


「では、金子きんす4枚にします」


 勝家かついえはちょっとまってくれでもうすと言ったが、だめであった。


「次に、佐々(さっさ)利家としいえですが、大垣城の先鋒を務めきったとして、金子きんす2枚に永楽通宝すたんぷ5個あげます」


 永楽通宝すたんぷとは、織田家が感状のかわりに発行しているものだ。すたんぷ50個ためると茶器と交換できる仕組みである。いくら織田家が裕福だからといって、いや、織田家に限らずだが、無限に金を支払えるわけではない。そのため、感状という大名からの感謝状の紙切れで恩賞がわりにする家が多い。


 織田家ではその感状のかわりに永楽通宝のすたんぷで茶器と交換できる。茶器はもともと土をこねて焼いたものであり、元の原価は安い。しかし、信長がその茶器にお墨付きを与えることにより、茶器の価格は何千倍にもなる。茶器はものによっては化ける。要は安い原価の茶器を武将に恩として高く売りつけられる、そんな便利アイテムなのだ。


「ん…。すたんぷ、だいぶ貯まってきた。あと少し」


 佐々(さっさ)の集印帳はすたんぷが30個以上押されている。


「お、佐々(さっさ)、結構たまってるッスね。俺はこれで38個目ッス」


「ん…。負けないから。次もがんばる」


 佐々(さっさ)は槍働きだけでなく、近頃は、内政のほうでも腕を磨いている。利家としいえの功績を抜く日も近いかもしれない。


「2人とも、がんばってください。槍働きだけでなく、内政もですよ」


「えええッス。内政はごちゃごちゃしてて苦手ッスよ」


「あなた、出世頭なんですから、ちゃんとしてもらわないと、困りますよ。佐々(さっさ)は、前田玄以まえだげんいに師事してもらって、めきめき腕をあげているのです」


佐々(さっさ)はずるいッスよ。ああ、俺にも内政の先生が欲しいッス」


「ガハハッ!なら、我輩が教えてあげるでもうすよ」


 勝家かついえが話に割り込んでくる。筋肉だるまに見えて、勝家かついえは内政もそつなくこなす。


「内政をおぼえる前に、筋肉がつきそうっすね。勝家かついえさまの教えだと」


「内政には筋肉も必要でもうす。ついてこまるものではないでもうすよ」


勝家かついえは右腕を折り曲げ、力瘤を作る。小牧山城では土木担当だったのだ。その筋肉は大いに役立ったことだろう。


利家としいえくんは、佐々(さっさ)くんと勝家かついえくんの爪の垢をせんじてのむつもりで頑張ってくださいね」


「へいッス。頑張らせていただきますッス」


 利家としいえ不承不承ふしょうぶしょう、返事をする。


 さてと信長は言う。


「今回の一番の功労者、秀吉くん。こちらへ」


「は、はい!」


 秀吉は、うきうきしながら信長の前に立つ


金子きんす5枚に、茶器をひとつ、ぷれぜんとします。あとで選ばせてあげるので待っていてくださいね」


「ははあ!あ、ありがたきしあわせ」


「おお、茶器もらえるッスか、いいッスね」


 茶器をいきなりもらえた武将は今までにほとんど例がない。それほど、今回の浅井家との同盟成立は大きいものであったのだ。秀吉は何をもらおうかわくわくしていた。


「あ、あの。茶入や、釜を選んでもいいんですか?」


「ええ、もちろんです。コレクションの中から選ばせますので、楽しみにしていてくださいね」



 さてと、と信長が言う。


「最後に、のぶもりもり。わかっていますよね?」


「う、うっす」


 佐久間信盛さくまのぶもりはバツの悪そうな顔をする。


「いくら竹中半兵衛相手とはいえ、やられ過ぎです。もっとがんばりま賞のすたんぷ3個だけです」


「すたんぷ3個もらえるだけマシかあ。てか叱責くらうかと思ってたけど」


「別にあなたのせいで負けたわけではありませんから、叱責はないです。むしろ叱責されるのは先生自身ですからね」


「そうかね?あそこで武田信玄が介入してくるなんて、織田家の誰も想像できなかっただろ」


「それでも、先生は、織田家の総大将です。わからなかったで済ませるほど、人命がかかっている以上、そんな言い訳は通りません」


 殿とのは自分に厳しすぎるぜと思う。


「気持ちはわかるが、そんなに思い詰めてもしょうがないだろ。勝敗は兵家へいかの常だしさ」


「そういうことではありません」


「というと?」


 信盛のぶもりは疑問を投げかける。


「先生は、力技で勝敗をつけようとしました。しかし竹中半兵衛は、策で勝敗をつけました」


 ふむふむと信盛のぶもりは頷く


「兵を用いるは下策。策をもっていくさをおさめるのが上策。孫子の兵法です」


 ああ、なるほどと信盛のぶもり殿とのは何が言いたいかがわかった気がする


「そもそもとして人命をかけるような力技自体が今回、だめだったと言いたいわけだな」


「はい、そうです。そして急ぎ過ぎたために、武田の介入という最悪な手をつかわれました」


 ふうと一息、信長はため息をつく。


「もし、急がず、武田と手を結び、斎藤側の調略をしっかりしていれば、相手が竹中半兵衛と言えども遅れを取ることはなかったでしょう」


「しょっぱなから兵を用いて戦った時点で、俺らは下策を用いていたってことか」


 うーんと唸りながら信盛のぶもりは天を仰ぐ


「まあ、いいじゃないか。次、やれるようになればいいんだしよ」


「あなたの能天気さには、救われますよ。結婚してからさらに能天気になったんじゃないですか?」


 信盛のぶもりは、うっせえと返す


「世の中ってのは広いな。すげえやつがごろごろしてやがる」


「ええ、広いですね。先生が完敗だと思ったのは、初めてです」


「でも、後には引かないんだろ?」


「ええ、そうです。まだ始まったばかりですよ。天下取りに困難はつきものです」


 織田信長は向き直し、論功行賞に集まった兵、全員に届く声で言う


「今回は先生の完敗です。ですが、先生は戦いつづけます。この手に天下をつかむまで」


 気にすんなあ、負けることだってあるよおっと声があがる


「今回のように負けることもあると思います。ですが負けをかてとして、次は勝つ。己につ」


 信長はこぶしを握りしめ、目を閉じる。そして再び目を開けると、そこには強い意思が宿っていた。


「あなたたちは強い。それを生かすも殺すも先生自身です」


 その目の力を感じた兵たちは、心が躍り出す。


「先生を信じてください。最強のあなたたちと一緒に天下をつかみましょう!」


 おおおおと、兵たちから歓声が上がる。信長はこの歓声に応えるために、己に喝をいれるのであった。


 1562年、秋は終わりを告げようとしていた。今川義元を屠ってから早2年。


 天下に向け、信長は心あらたに美濃みの攻略に突き進むのである。

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