ー花嵐の章16- 秘策
利家と佐々の軍は大垣城からの急襲により、兵を大きく削られていた。最初にいたそれぞれ500の兵は、いまやまともに戦えるものは各々300にまで減らされていた。
揖斐川を渡河した信長は部下に鐘を叩かせる。その鐘の音を聞き、信長本隊は陣形を変えていく
「全軍、鋒矢の陣になりなさい!」
信長本隊は今や大きな矢の形に変わっていた。そして矢のごとく、前田利家と佐々成政の軍の真ん中を割り進む。利家と佐々の軍は両脇に回り、矢じりの両端部分に合流する。
信長軍2600。対して大垣城は、城に500、迎撃に1500であった。大垣城からの迎撃軍を指揮するのは、稲葉一鉄1000、竹中半兵衛500である。
「んっんー!鋒矢の陣ですか。それではこちらは斜陣にて、勢いを受け流します」
竹中半兵衛は、心底、この戦を楽しんでいる。陣を信長軍に対して陣の右側を前方に押し出し斜めから受ける。そして、斜陣の左側後方から弓を構えさせ敵本隊中央に向けて射かける。
「弓一斉斉射!敵中央を崩します」
信長側から見ると、斜陣前方は槍隊で固められ、敵後方の弓隊に手が届かない。ならばこれならどうだ
「鉄砲隊かまえ!敵後方の弓隊を狙え!」
信長本隊の中央にいた鉄砲隊100が、鋒矢の陣右側に突出し、片膝を地面につけ構える
「撃てええええ!」
そのまま、立て続けに敵弓隊に対して撃ち続け、矢の斉射を阻止する。
「んっんー!左側後方、前に出なさい。鶴翼にて敵を挟みます」
隊の左側を前方に押し出し、竹中の迎撃軍はVの字状になる。そのまま両端で挟み込むように信長軍を圧していく。
「ここは俺らの踏ん張りどころッス!槍構え、迎え撃てッス!」
信長軍、右側に位置していた利家隊が息を吹き返し、突っ込んできた稲葉一鉄と相対する
「先日はやられたが、今回は前のようにはいかぬぞ、覚悟しろ!」
稲葉一鉄が左端の軍を率い、槍を振るう。ガキーンとの音とともに1合、2合と合わせていくが突破できない。固い、しっかりと守ってやがる。
「ガチガチだな!これは骨がおれるわ!」
「織田家・赤母衣衆は、そう簡単には抜かせないッスよ!」
赤母衣衆は、信長の精鋭部隊である。黒母衣衆との2枚看板による、生え抜きの部隊だ。数は少数なれど、その軍としての強さは、織田軍でも折り紙付きである。
その利家を翻弄する竹中半兵衛の用兵ぶりは敵ながら見事である。
信長軍と竹中軍は一進一退の攻防を繰り広げていた。
一方、そのころ、秘策を任された本陣の秀吉とその部下100人は出立の準備を急ぐ。その中に合戦には似合わない、きれいな駕籠とその横に女性がひとりいた。
「秀吉殿。近江までの護衛頼みます。この戦、終わらせましょう」
「は、はいっ!お市さま、任せてください。秀吉、この身を賭けて、近江に届けます!」
お市が戦場にいた。戦場には似合わない可憐な花がそこに咲いていた。お市は駕籠に乗り込み、戸を閉める。目指すは近江、浅井長政のもと。同盟を成立させるためにいくのだ。
浅井側がこの戦に援軍を出す条件が、お市の浅井側による確保であった。担保がなければ援軍を出せないということである。
この戦場で戦う織田軍のすべての兵が命を懸けている。お市はひとり言う。
「武家の娘として、この命、つかいきってみせます」
秀吉は部下たちに宣言する
「このせ、戦場のど真ん中を突っ切り、近江に向かいま、す。死力を尽くし、お、お市さまを送り届けます!」
秀吉は、ほら貝を吹く。秀吉の手勢は100だ。この100人が今回の戦の流れを決定づける。失敗は許されない。
「ぜ、全員、出ます!わき目も振らず、近江に向かってくださ、い!」
ルートは佐久間信盛隊の左脇を通り、揖斐川沿いを北上し、渡河する。その後、西進し、関ヶ原を抜け、近江にはいる予定だ。
安藤守就は、柴田勝家と対峙しながら、全体の推移を眺めていた。斉藤龍興さまと対峙する信盛の脇を小勢が動きを見せている。
「龍興さまの横に回り、横腹を突く気か?だがそれにしては兵が少なすぎる」
一応、龍興さまに報告しておくかと思ったとき、安藤守就の野生の勘が告げる。あの小勢には何かある
「あの小勢を追うよう、龍興さまに進言しろ。伝令、急げ!」
秀吉の手勢は、ほぼ全員、農民あがりのため馬には乗れず、移動方法は、その足だけである。急げ急げと今や、揖斐川、北の渡河地点までやってきていた。
「こ、ここを渡り切れば、あとは近江までい、一直線です!」
軍にとって渡河の瞬間が一番危うい。身も守るものがほとんどなく、敵から丸見えであるからだ。少ない手勢を半分に分け、渡河を守る部隊とお市さまを運ぶ部隊になる。無事、全軍、渡河を終え、先を進もうとしたところ、後ろから粉塵が上がる。
「まてい!そこの織田の部隊、何をしておる!」
川の反対側から騎馬10と足軽90が迫ってきていた。秀吉は先ほどと同じように、部隊を半分に分け
「半数は、あの部隊をとめてください!私たちはお市さまを運びます。みなさん、生き延びてください!」
残された兵士たちは、おう、まかせとけとの掛け声をあげる。みな、まだ若い。こんなところで死なれては困る。
「捕虜になってもいいので絶対に生き残ってください!あとで買い戻しは任せてください!」
部下のひとり、飯村彦助が言う
「隊長こそ、しっかり、お市さまを運んでくださいよ!一番手柄は、俺たち木下秀吉隊のものですからね!」
託し託され、秀吉は行く。振り向かずに前へと突き進む。
「よっし、お前ら、ここを生き延びれば給金あっぷ間違いなしだ。出来る限り足止めするぞ!」
彦助は激を飛ばす。こんなとこで死ねない。家には女房が待ってるんだ。槍を持つ手の震えが自然と止まる。
「槍持て、前に構え!」
1組25人、2列で敵の騎馬10に対して槍衾を行う。騎馬10のうち5人が落馬した。その落馬した兵に対して上から槍を叩きつける。槍の衝撃で落ちた兵たちは失神する。
「ええい。他の騎馬兵よ、先に進んだやつらを追うぞ。捨て置け!」
残りの騎馬5が秀吉の後を追う。彦助は追いたいが、まだ敵槍隊90がさし迫っている。こいつらを止めないといけない。
「隊長、あとは任せましたよ!」
彦助の絶叫が戦場にこだまする。
騎馬の突撃により、秀吉の兵は駕籠を落とす。その衝撃により、駕籠の棒が折れ、お市は駕籠から放り出された。
「むむ、これは、織田の姫ぞ!捕らえよ!」
お市は急ぎ立ち上がり、駆け出す。
「お市さま、お逃げください、ここはそれがしたちが!」
秀吉の兵たちが壁のように立ちふさがり、騎馬を抑える。お市は他の兵たちに手を取ってもらい、走りだす。ここで捕まってはいけない。わたしにはまだやるべきことがあるのです。
彦助が従える兵が、ひとりまたひとりと、倒れていく。数の上で敵は2倍と圧倒的に不利だ。敵兵がひとり、ふたりと自分たちの後方へ抜けていく。さらに敵は、陣形を崩し、ばらけて移動を開始する。秀吉本隊を追うことに目的をシフトしたのだ。
「くっ、こいつら、まともにやりあう気はねえってことか!全員、ひとりが一人を、組み伏せろ!」
彦助の兵たちは脇から飛び出していく敵兵たちをタックルで押し倒す。だが30の敵足軽たちを逃がしてしまった。やることはやった
「隊長。がんばってください!」
季節は巡り、風は西から空気をはこんできている。このひのもとの国に秋が終わり冬がやってくるのだ。木々の緑の葉は赤く色がつき、しばらくあとには山は紅葉で1色に変わり、やがて舞い落ちていくだろう
「お市さま、こちらです、早く!」
お市は少女というよりは、もう少し大人で気品漂う姫だ。今は幾人かの従者を連れて道を急いでいた。乗ってきた駕籠かごは身を隠すのに邪魔になると、しばらく前に捨ててきた。
「織田の姫は見つかったかーー!」
怒号が森の中にこだまする。10人程度の斉藤の兵たちが、お市を探していたのだ。お市達一向は、西へ西へとひた走る。ここで捕まるわけにはいかない。お市にはひのもとの国の未来を築くための使命がある。
「お市さま、乗ってください。おぶっていきます!」
秀吉達は3人1組になり、現代風に言うなれば体育祭の騎馬戦のアレに似た形状になり、お市を上に乗せる。ひとりで運ぶより3人で運んだ方が早い。秀吉の手勢はいつも徒歩で移動である。そのため、少しでも早く、足の負担がすくなくなる走り方を研究している。これもその研究の成果のひとつだ。
さらに言えば、織田家の早朝の訓練は、20キログラムの砂を詰め込んだ米俵を担いで5キロメートルのマラソンだ。それに比べれば、距離はあるものの重さとしては大分軽い。
秀吉の兵は、走るものは走り、残るものは敵兵の足をとめるため踏ん張る。目的をひとつにし、突き進む。
ついに秀吉達は関ヶ原に入り、ここを抜ければ、近江だ。だが、追手の手も緩まない。
「秀吉殿、あと少しです。頑張ってください!」
お市は必死に秀吉達を励ます。秀吉たちは、はあはあと息を荒げながら走り続ける。後ろから騎馬兵がひとり追ってくる。
「はははっ、ここまでだ、織田の姫さまよお!」
斉藤の騎馬兵が手を、お市にのばしてくる。ここまでですか、すいません、お兄様。
しかし、その騎馬兵の手は、お市を捕まえることはできなかった。
騎馬兵の顔に矢が一本突き刺さっている。そして気付けば、どこぞの兵の1団が目の前にいた。旗印をみるにそれは近江の大名家のものであった。
「よく当てた、海北綱親。褒美をとらすぞ」
ははっと名前を呼ばれた将はお辞儀をする。馬上には声の主の若武者が軍の指揮を執っているようだ。
「我は浅井長政ぞ。そちらに見えるは織田のお市さまでございますか?」
「は、はい。織田信長が妹、お市でございます」
それは戦国を彩る2人が出会った瞬間であった。




