ー崩壊の章13- 最後の小谷城攻め
長政と秀吉の交渉が終わり、30分後、市は娘3人を引き連れて、秀吉の前にやってくる。市は憂いの色を顔に浮かべていた。
「長政さま。お市は、長政さまと別れ離れになるのがつらいのですわ?長政さまは約束を守ってくださらなかったのですわ?」
「市よ、すまないのだぞ。やはり、俺は市に生きてほしいのだぞ。浅井の血を後世に残してほしいのだぞ。俺は数多くの罪を積み重ねてしまったのだぞ。だが、その罪を息子や娘たち、そして、市にまで背負わせるつもりはないのだぞ」
長政とお市は抱き合うのであった。今生の別れを惜しむかのように、その身を重ねあわせる。長政はお市の唇に優しく接吻をする。お市はハラハラと涙を流す。そして、長政がお市の身を自分から剥がし、秀吉に対して、頭を深々と下げる。
「秀吉殿。お市を娘を、そして息子を任せたのたのだぞ。長政、最後の頼みを聞いてくれなのだぞ!」
「はいっ!わかり、ました。長政さまの願いを、この不肖・秀吉がきっと叶えてみせ、ます!長政さま。次はあの世で会い、ましょう!」
秀吉もまた、長政に頭を下げる。
秀吉は市とその娘、そして長政の息子の影武者を連れて、小谷城から退城する。長政は市たちが見えなくなるまで、その後ろ姿を見送るのであった。
「行ってしまったのでござるな、長政さま。地獄へのお供は自分に任せてほしいのでござる。地獄の閻魔大王に長政さまの罪が軽くなるように弁明するのでござる」
「ははっ。綱親が一緒だと想うと、気持ちを強く持てるのだぞ。さあ、最後の時まで、決して、義兄・信長殿に逆らってみせるのだぞ!浅井家の最後の雄姿を、義兄・信長の脳裏に焼けつけるのだぞ!」
長政は小谷城の城門を固く閉じさせる。この城門は地獄の1丁目なのだぞ。義兄・信長よ。この城門を乗り越えて、見事、俺の命を奪ってみるが良いのだぞ!
長政に心残りは何もなかったのであった。市の命は救われた。あとは闘うのみだと、長政の心は晴れやかなのであった。
秀吉が市たちを小谷城から救いだしてから1週間後、信長は越前から4万の軍勢を引き連れて戻ってきていた。時は1573年9月25日であった。
信長は、市の確保を確認したのち、次の日、9月26日から全力を持って、小谷城攻略に乗り出すのであった。小谷城から正面へ3万5千の軍勢を、そして、西の急峻な山肌からへの侵攻を5千の軍勢に任せるのである。
「ふひっふひっ。こんな急峻な山肌を攻めろとは、信長さまも酷な命令をだしてくれるものでございます。僕はここで死んでしまうのかもしれないのでございます」
「はあはあっ。私もここを攻めれば、正門の方の防御が少しは緩やかになるとは、信長さまに進言してみたものの、突破しろとまで言われるとは想いま、せんでした。光秀殿。私の部隊の代わりに死んで、ください!」
「嫌なのでございます!僕には妻のひろ子と可愛い娘・珠がいるのでございます!秀吉殿こそ、僕の代わりに死んでほしいのでございます!」
光秀と秀吉は、言い争いながらも、この山肌からの侵攻を成功させれば、小谷城攻めにおいて、勲功1番になるのは確実なのである。彼ら2将は、われこそがとばかりに、多数の兵を犠牲にしながらも、攻撃の手を緩めることはなかったのである。
「矢を射かけるのでおさる!ここを登らせるわけにはいかないのでおさる!」
光秀たちが攻略しようとしているところに三の丸があった。ここを守るのは浅井家の海赤雨3将のひとり、雨森弥兵衛であった。彼は、油、矢、そして、石を次々と降らせ、必死の抵抗を見せる。
「ここ、三の丸に侵入されれば、すなわち、小谷城が堕ちたと同じでおさる!絶対に、乗り越えさせてはならないのでおさる!浅井家の全てを持って、敵を押し返せなのでおさる!」
だが、雨森弥兵衛に与えられた兵はたった1000であった。というよりは、小谷城で籠る兵は、すでに5000を割っていたのである。朝倉家が滅亡したと言う報せが小谷城に持たされたとき、1万居た兵の内、その半分が夜の闇に紛れて、小谷城から逃げ出したのである。
「くっ。いくら小谷城が堅城と言われていても、総勢5000では、10倍の敵を押し返すのはつらいのじゃ!」
そうぼやくのは浅井3将の1人、赤尾清綱である。
「何をぶつくさ文句を言っているのでござる!こちらはまだ4000の兵を任せられているだけマシなのでござる!弥兵衛は1000で、西の三の丸を守っているのでござる!我らが正門を守り切らなくてどうするのでござる!」
ぼやく赤尾を叱責するのは海北綱親である。彼は、自ら、油の入った壺を小谷城の正門に張り付く織田家の兵たちに投げつける。そして、松明を投げ込み、正門前を火の海にするのであった。
だが、織田家の勢いは衰えることを知らなかった。怪我を負った者を素早く後退させて、新たな兵を投入する。さすがは総勢5万を抱える織田家である。決して、浅井家を休ませぬとばかりに攻めて、攻めて、攻めまくる。
「第2陣!10分後に第3陣と交代なのでござる!第3陣は大槌を構えて待機しておくでござる!矢盾隊は大槌隊の援護を忘れるなでござる!」
小谷の正門攻めの大将は、信長の嫡男である信忠が務めていた。信忠にとっては、1国の居城を力攻めするのは初めての体験だったのである。父・信長から教わったことを忠実に守ろうとしていた。
城を力攻めすることにおいて1番大事なことは、成果を出すことだ。少しでも、自分たちが優位に戦を進めていることを兵の心に刻まなければならない。
成果を出せない事、すなわち、兵の士気はがた落ちする。通常、落とせぬ城は力攻めなどしない。ゆっくりと包囲をし、敵が根を上げるのを待つのが正しい城攻めである。だが、信長には時間がない。今年中に小谷城を落とし、浅井家を滅ぼさなければならない。
この後、信長にとって取り除くべき、最大の障害が待っているのだ。その障害を取り除くのは早ければ早いほど良い。逆に時間をかければかけるほど、信長の今まで培ってきた権威は、瞬く間に失墜していく。
それを信長の子である信忠もまた理解していたのであった。だからこそ、信忠は、自分の兵の損害も顧みずに、延々と小谷城を正面から攻撃し続けたのである。
「敵城門、突破しました!続けて第2の門の攻略にかかります!」
信忠の側付きの者がそう、信忠に報告を行う。信忠は、さらに攻めたてよ!と命令をする。1日でも早く、1時間でも早く、1分1秒でも早くと、決して手を緩めることはなかったのであった。
「いやあ。信忠さまの苛烈な攻めっぷりはすげえなあ?こりゃあ、軍神でも宿ったのかと想えちまうくらいだぜ」
「まったく、のぶもりもりは、何をしているんですか?あなた、信忠くんの補佐でしょ?信忠くんの側に居てくださいよ」
「殿。そうは言うけどさあ。信忠さまのあの鬼気迫る指揮は、俺があれこれ助言するより、想っていることをそのまま、させておいたほうが良い結果になりそうなわけよ。だから、俺は信忠さまの邪魔にならないようにと想って、ちょっと、休憩にきただけなの」
信盛の言いに信長がはあああと深いため息をつく。
「はいはい。わかりました。好きなだけ、ゆっくりしてください。そして、手柄を全部、信忠くんに譲ってやってください。代わりにのぶもりもりの領地を取り上げますんで」
「えええ?俺の収入源がなくなっちまうじゃん!くっそ、殿、覚えてろよ!ちょっくら、今から、敵将の首級を取ってくるから!」
信盛はそう言うと、急いで自分の配置に戻って行くのだった。信長はふむと息をつく。
「良かったのか?信盛殿のことだから、何か殿に進言しようとしていたのではないか?」
「ああ、河尻くん。良いんですよ。どうせ、長政くんへ一度、降伏勧告をしたらどう?とか言い出すつもりだったんでしょう。いまさら、降伏勧告を受けるくらいなら、あそこまで必死に抵抗なんかしませんよ。腹を切って、それでおしまいです」
「うむ。そうだな。長政さまが腹を召されれば、そこで戦は終了だな。これ以上、こちらの損害が増えなくて良いなのだ」
河尻秀隆の言いに信長が、はっ!と気付くことになる。
「そうですよ。ここまで追い詰めれば、降る気が無い以上は、腹を切るに決まっているじゃないですか!ったく、のぶもりもりは前置きが長くてダメですね。先生に直接、義弟を処刑させないための進言をしようとしてくれたわけですね」
信長は、あごさきを自分の右手の指でこりこりとかく。
「信忠くんに1時間ほど、攻撃を停止しろと命令を伝えてください。そして、小谷城には同時に降伏勧告の使者を送ってください。長政くんには知らせるだけで良いです。使者が戻ってきて1時間後にきっちり、攻撃を再開するよう、信忠くんに伝えてください!」
信長は矢継ぎ早に伝令たちに指示を言う。伝令たちは、はっと返事をし、各地の将たちに主君の意思を伝えるべく馬に乗り、駆けていく。
「さて。長政くん。お別れです。この信長に最後の最後まで逆らい続けてきたこと、褒めてつかわします。きっと、来世では、義兄弟として、また、盃をかわしましょう」
信長はそう言いながら、本陣で椅子にどかりと座り、ふうううと息を吐くのであった。




