ー崩壊の章 9- 朝倉軍崩壊
「伝令!朝倉景鏡さま、後方の1万を引き連れて、撤退を開始した模様!」
朝倉義景は自分の耳を疑った。いきなりの報告に、この伝令の者は何を言っているのか全くもって理解できなかったからである。
「それは何かの間違いではないかで候?陣を少し後方に下げただけではないのかで候?」
「違います!これは明らかに戦場からの撤退でございます!皆、槍、鎧を脱ぎ捨てて、一路、越前へと逃げ帰っているのでございます!」
「どういうことで候!戦はまだ始まってすらいないので候!何故、景鏡はそんなことをしたので候!」
「わ、わからないのでございます。ですが、このまま、ここに居ては、義景さまの身にまで危険が及ぶのでございます!義景さまも早く逃げてくださいなのでございます!景鏡さまの撤退により、軍は崩壊しようとしているのでございます!」
伝令は必死な形相でそう義景に訴えかける。だが、まだ信じられぬと義景は本陣の陣幕をバサッと開き、自分の居る場所から後方を見るのである。そして、想わず、手に持っていた軍配をポトリと地面に落とすのであった。
「し、信じられないので候。一体、何が起きているので候。こんなことが起きていいはずがないので候!」
わなわなと震える義景の元にもう一人の伝令が駆け寄り
「伝令!ここより西10キロ地点で敵を確認しました!旗印を見るに織田軍の別動隊と想われます!奴ら、森に兵を伏していたようです!」
「な、な、なんだとで候!数はいかほどで候!」
「正確な数はわかりませんが、およそ、3000から5000は、いそうです!このままでは西と南東からの織田軍により、挟撃を受けることになります!」
伝令その2の報告により、義景は、両ひざを折り、へなへなと地面に倒れ込む。
「何でこんなことになったので候。我らは小谷城への救援にやってきたので候。それなのに、これでは浅井家が滅びる前に、朝倉家が滅びるので候」
「お逃げくだされでございます!まだ、朝倉家は滅びたわけではございませぬ!一乗谷に戻れば、織田軍は追撃の手を緩めるはずなのでございます!そして、再起を図るのでございます!」
「し、しかし、そのようなことをすれば浅井家は孤立無援になるので候。3年前、朝倉家を救ってくれた長政殿を見殺しにすることになるので候」
義景は力なくそう言う。
「そんなことを言っている場合ではありませぬ!浅井家の前に、義景さまの命が危ぶまれる事態なのです!浅井長政さまも、恨みはせぬはずです!それよりもここから一刻も早く、逃げてください!」
「出来ぬ、出来ぬで候。そんな不義理なことは、自分には出来ぬで候!」
義景は、四つん這いになりながら、涙を流して、そう叫ぶ。しかし、義景の側付きの者たちが、義景の側に馬を持って来て、その上に無理やり乗せる。
「な、なにをするので候!この自分に逃げろと言うので候か?」
「言ってくれなのでございます!朝倉家は義景さまあっての朝倉家なのでございます!逆臣、景鏡を討って、一乗谷で再起を図ってほしいのでございます!」
義景の家臣たちは必死に主君を説得する。義景はその圧に押され、うううと呻き
「わかったので候。自分は一乗谷にて再起を図らせてもらうので候。逆臣・景鏡の首級を取るので候!」
「やっと決心しれくれましたかでございます!では、拙者たちはここに残り、少しでも義景さまの撤退を支援するのでございます!」
「すまないので候。お前たちの亡骸は、戦が終わったあとに必ず拾い集めて、供養させてもらうので候。この恩、決して忘れないので候!」
義景は側付きの者たちにそう告げて、馬を走らせる。側付きの者たちはただただ、義景の後ろ姿を笑顔で見送るのであった。
朝倉軍は崩壊していく。小谷城の救援にやってきたと言うのに、織田軍と1度も槍合わせもせずに、ただただ、崩壊していく。そして、それを止めれる者など誰も居ないのであった。
「おおお、すごいッスね。ここまで見事な崩壊なんて見たことがないッス。と言うより、ここまで信長さまの策が大ハマりしたなんて、桶狭間以来なんじゃないッスか?」
「利家くん。いやあ、先生もこれは驚きを隠せませんね?景鏡くんは優柔不断な面を持ち合わせているため、どうなることかと想っていましたけど、あんな絶妙なタイミングで動いてくれましたからねえ?これ、景鏡くんにでかい褒賞を与えなきゃならなくなりましたよ?」
「うむ。これでは殿が難癖つけて、朝倉一門衆として連座で腹を斬らせると言う計画がおじゃんだな。いやあ、もう少し、ためらってほしかったな!」
黒母衣衆筆頭の河尻秀隆が上機嫌に笑いながら、そう信長に告げる。
「まったく、ひとの気苦労も知らずによく言ってくれますよ、河尻くんは。まあ、あとでいくらでも難癖なんてつけれます。景鏡くんの処遇はあとで決めましょう。さて、全軍に通達をお願いします。将と思わしき者以外の討ち取りは基本禁止。そして、越前にある砦・支城全てを落とします!」
「義景の首級を、俺が取ってしまっても良いッスよね?」
「はい。もちろんです。功は早い者勝ちにします。でも、くれぐれも、義景を逃がすことは許しません!義景を討ち損じた場合は、全員、鞭打ち3発の刑に処します!」
信長の言いにうええええええ!と言う非難の声を皆があげる。
「あなたたち、わかっています?義景くんに逃げられたら、まったく意味がない戦になるんですよ?じゃあ、失敗したら、皆、仲よく罰を受けるのは当たり前なんです。さあ、うだうだ言っている暇があったら、さっさと出発、出発!」
信長に発破をかけられ、織田軍の本陣はあわただしく動き始める。そして、待機を命じられた部隊だけ残し、総勢約5万の織田軍が朝倉義景を捕らえるべく、一丸となって、越前へと侵攻していくのである。
「よおおおし!雑兵は放って置け!将だけ狙え!ああん?どれが将かわからない?そんなの金のかかってそうな鎧を着ている奴を適当に首級だけにしちまえば良いんだよ!そんなことより、急げ急げ!朝倉義景を討ち取れば、一番手柄だぞ!そのへんの将なんか放って置け!」
佐久間盛政の言いに、どっちだよと想う兵たちであるが、まあ、とりあえず、殺しまくれば良いと言うことだけは理解できる。戦場はまさに狩場に代わっていた。越前への道は、朝倉軍の兵士たちの血により紅く染まっていくのであった。
織田軍の朝倉軍追撃の手が緩まることはなく、3年前に信長が屈辱を味わった土地である金ケ崎も数刻で落ち、信長はその土地を省みず、さらにここで軍を三つに分ける。海岸沿いを伝って北上する2万、まっすぐ一乗谷城へと向かう2万、そして、越前のど真ん中へと迂回し、奥の大野郡へと続く道を封鎖する1万に分けるのである。
逃亡を続ける義景は一乗谷城へ逃げ込む経路を選択していた。だが、ここで大誤算が起きる。一乗谷城は山あいに作った町と城であり、防御の面で優れていたのだが、景鏡の手により、城の門は固く閉ざされ、義景は入城することすら、出来なかったのである。
「な、な、なんたることで候。なぜ、裏切り者の景鏡の言うことを聞くので候!越前の支配者は誰だと想っているので候!」
義景は閉ざされた一乗谷の城門の前で、力のあらん限り、わめき散らす。その声を聞いた景鏡が城門の上から、義景に大声で告げる。
「お前のような民への負担も考えぬ馬鹿が治めて良い土地ではないでござる!貴様は越前の民全てをすでに敵に回しているのでござる!どこにもお前のような馬鹿を許す民は居ないのでござる!」
義景は、わなわなと身体を震わせ叫ぶ
「あの不忠者を捕らえるので候!景鏡の首級を取った者には褒美は想いのままで候!」
だが、義景の声に反応する者は一乗谷城を守る兵士の中にはだれも居なかった。ただ、弓を手にとり、それに矢をつがえ、いつでも発射するぞとの意思を見せつける。
その兵士たちの意思を感じ取った義景は、ぐぬぬっ!と唸る。
「さあ、どこまでも逃げるが良いでござる!だが、誰も、お前なんぞに救いの手を差し出すものなどいないのでござる!どこでも、好きなところでのたれ死にするが良いでござる!」
景鏡は右腕をまっすぐ上にあげる。そして、いつでも弓兵たちは、お前なぞ射れるのだぞと脅しをかける。義景はついに、一乗谷城への入場を諦め、わずかなお供を引き連れ、越前の大野へ向けて、逃亡していくのであった。
「この恨み、死んでも晴らしてくれるので候!朝倉家の全てが滅ぶよう、呪いをかけてやるので候!」




