ー花嵐の章10- 竹中半兵衛
さてと、と竹中半兵衛は考える。手筈通り、織田信清が犬山城をのっとり兵を挙げた。それに呼応する形で斎藤側から兵を出したかったが、当主の斉藤龍興さまが兵を出し渋り、そのため我が領兵500を緊急で招集しやってきたわけだが。
「んっんー。あと1千、兵があれば犬山城を斎藤家で乗っ取れたんですがねえ」
龍興さまは慎重すぎて困る。勝てるとみたら兵を惜しんではいけない。兵は拙速を尊ぶものだ。まあ、まだ若いですし、成長への伸びしろを期待しますか。さて、そろそろ、敵の将を討ち取るころでしょうか。
河尻秀隆は、動かぬ左腕を太紐で胴に固定し、右手のみで槍を振り回し、奮戦していた。
「馬が来るぞ!槍を前方に集中させろ、槍衾!」
50の兵が三間半ある槍を斜め前に突き出し、騎馬兵10人を止める。織田家の槍は長い。通常、他国なら2メートル半のところ、その倍の6メートル以上ある。その槍を剣山のように突き立てることを槍衾という。騎馬の突進といえども、なんとか持ちこたえることができる。
この時代の騎馬は現代のすらっとしたサラブレットとは違い、寸胴のポニーのような体形であった。だが、馬力と持久力はすさまじく、その突進力は、軽自動車に時速20~40kmで轢かれるのと同等だ。あなどることなかれ。その突進を槍衾で止めるのである。止めるほうも命がけだ。
騎馬兵の勢いが止まる。すかさず槍兵たちは、槍を上に振りかぶり、敵兵に向けて叩きつける。三間槍の利点のもうひとつは、長さにより、叩きつけのエネルギーが増すという点だ。
「槍隊、せいれーーーつ!50人ずつ、3組、2列となり、敵を押し返せええええ!」
河尻の鬼気迫る指揮のおかげで、軍の混乱は徐々に収まり、竹中の槍隊と拮抗していく。だが負傷兵は増えていく一方だ。まともに動けるものは200もいないと思われる。
不意に敵兵の槍隊が後退し、距離を開ける。やばい。
「後続の弓隊で一斉射撃をするつもりか!全軍、身を守れ!」
河尻はここまでかと覚悟した。矢が一斉に放たれる。兵がつぎつぎと倒れていく。河尻は思わずぎゅっと目を閉じていた。そして再び目を開いたそこにあったのは
「おまたせッス!河尻さま、生きてるッスか?」
矢を放ったのは、前田利家の軍であった。勝利を確信していた敵兵に奇襲になる形でカウンターに矢を浴びせたのだ。倒れたのは敵の兵たちである。利家の軍は鬨の声をあげる。つられて、河尻の兵も同じく、鬨の声を上げる。負傷兵たちも力を振り絞り、声を上げる。
竹中は驚きを隠さずに、しかもやや興奮気味に
「んっんー!持ちこたえますか、これを!織田の兵は思った以上に精強ですねえ!」
相手が体勢を整え直した以上、勢いに乗っているとはいえ、こちらは500。これ以上は無理はさせられない。
「んっんー。しょうがありませんね。一度、後退しますか。合図を出してください」
竹中の軍は黄色の狼煙をあげた。撤退の合図である。弓隊と槍隊の一部が殿軍となり、竹中の軍は、さっと後退していく。よく統制のとれた軍だ。同じころ佐々と接敵していた犬山城の守備兵300も城へ戻っていった。織田信長の軍は、なんとか猛攻をしのぎ切ったのである。
「ん…。なんとかなったの、かな?」
犬山城からの猛攻を佐々はしのぎ、軍への打撃を最小限に抑え持ちこたえたのだった。
河尻隊は、500の内、300を超える負傷者を出し、大打撃を被っている。指揮官の河尻自体も左腕を脱臼するという大けがであった。信長軍は再編を余儀なくされた。犬山城を佐久間信盛の軍1千で包囲しつつ、佐々成政300と、利家300の軍で川向こうからの襲撃にそなえるように配置転換が行われた。
「佐々、利家、後は頼む」
河尻の軍は信盛の後方に下がり、信盛の後詰めをしつつ、負傷兵の手当てと軍の再編を行うこととなった。
竹中の奇襲から5日間、戦線は小康状態を続けた。犬山城の士気は、斉藤軍の援軍により、ますます士気が上がっている。信盛の予想していた開城までの1週間はすでにすぎていた。開戦から10日後、それぞれの側で事態が動く。
「援軍にまいったぞ、よくもちこたえた。拙者と池田殿がきたのだ、もう大丈夫」
信長側の援軍に、森可成500と池田恒興500の計1千が到着した。二人はそれぞれ、佐々と、利家の後詰に入る。
対して、斎藤側は、斉藤龍興率いる2千が木曽川を挟んで陣を敷いた。
「んっんー。援軍はありがたいのですが、遅すぎですね」
竹中の言う通りだ。相手も万全の構えを見せており、戦線は完全に膠着を迎えた。現在の戦力比は斎藤側2500と犬山城500対、信長軍2800である。あと、川も挟んでいる。攻めるも守るもしがたいのである。
「しょうがありません。略奪でもして今回の戦費にでも充てますか」
竹中は龍興の軍から20人ずつ5組の国境沿いの村を襲うための部隊を編成した。成功するもよし、失敗するもよし、相手の動揺を誘えればいいのだ。
略奪軍に志願した斎藤の兵士たちは目の色を輝かせている。織田家以外の兵は給金を払われていない。そのかわり、敵国を略奪して潤うのである。
「金だ、金目のものをうばえ!」
「俺は、米だな、米!」
「人さらいして、奴隷市で売りさばくぜえ!」
朝の早い時間に斎藤の略奪軍は、木曽川を渡り、周辺の村々を襲おうとした。
「敵がきたぞ。一斉に矢を放て!」
この村の防衛を任された、木下秀吉配下の飯村彦助が20名の部下に号令をかける。秀吉が略奪を憂慮して、各村に兵を配置させていたのである。
「ひいいい!兵がいるなんて聞いてないぞおおお」
「おれの米が、おれの米があああ」
「奴隷はーれむの夢があああ」
ひとりおかしいやつがいるが、みんなまとめて地獄行きだ。略奪するやつらを生かして逃すつもりはない。
飯村彦助は、1年半前の秋、信長さまに合婚を直訴したときの下級兵士代表者だ。見事、合婚を勝ち取り、開催されたその席で、馴染みの女の子とお付き合いすることになり、交際歴半年を経て、結婚したばかりのまだまだ新婚さんである。
この村にはその嫁さんの生家がある。この村の防衛は、進んで買ってでた。ゆえに彦助の士気は高い。
「絶対、この村は焼かせないからな!」
秀吉は別の村で略奪からの防衛指示を出している。他の村には、昨年、織田家に仕官した弟の秀長も配置させてある。
「む、村のみなさん、安心してください!りゃ、略奪からは、わたしたちがしっかり守ります!」
戦が起きれば、略奪が起きるのが常だ。信長さまに無理を言って、手勢100を率いて、それを各村に分けて配備させておいた。憂慮していた通りだ。やはり略奪の兵はやってきたのである。
火付けの被害は数件あったが、幸い、命をとられたり、さらわれたりしたものはいなかった。略奪からの防衛はうまくいったのである。
「み、みなさん!第1陣は防ぎましたが、ひ、引き続き、警戒をおねがいします!」
おおと兵たちが声を上げる。尾張を守る心は皆おなじなのだ。
「んっんー。略奪まで防ぎましたかあ。これはまいったなあ」
と言いつつも、竹中は嬉しそうだ。まるで絶好の遊び相手を見つけたかごとくの笑みである。
竹中半兵衛は、勉強熱心で、古今東西の計略について、研究を行っている。だが、斉藤義龍は計は好まず、力技を行使する人間だった。そのため、竹中とは反りが合わず、重用されてはなかった。
斉藤龍興の代になり、軍はある程度任せられたが、龍興自身が若いためか、竹中を使いきれておらず、大軍は任せられてはいない。そのため、自分の領土の民から手勢500を率い、拙速を持って、奇襲をしかけたのだ。最初から2千の兵を任せられていたら、結果は違っていたかもしれない。
「まあ、今回はここまでですか。3月に入るまで、このまま対峙したまま、春を待ちましょう。そうすれば田植えの準備に入らざるおえず、両軍退くでしょう」
戦線は膠着したまま、3月に入り、各国は田植えのための苗作りにはいった。斎藤家の兵は農民兵であり軍を退かせた。当然、織田家も同じだろうと竹中が思っていたのがそもそもの失敗だった。
織田家の軍隊は3男以下の部屋住みのものに給金を与えた常備軍である。農繁期に囚われることなく動くことができる。
斎藤家が退いたことにより、犬山城の包囲は完全になり、斎藤家が去った3日後には、開城をしたのである。城主の織田信清は捕らえられ、清州に送られた。
「まあ、よくて切腹かなあ」
信盛はだれに言うのでもなく、ひとり言う。同じ死罪でも、切腹か斬首かは違うのである。切腹は名誉の戦死を認められたもので、斬首は犯罪人としての死罪だ。謀反を起こしたからと言っても武将なら切腹による名誉の死を選びたいものである。
「もちろん、斬首です。斎藤家の介入を招いた犯罪人ですからね」
信長はきっぱりと言い放つ。従兄弟といえども、他家を巻き込む形となった、今回の戦なら仕方ないのであろう。刑の執行は清州城内で行われ、1週間、清州の町で首級を晒すことになった。
信清は晒し首となったあと、丁重に葬られた。罪びとと言えども刑は終わっている。死体に鞭打つことはしない。それは戦国時代という乱世においても変わらない、日本人としてのルールである。
「信清さまを抑えきれなかったなあ」
「あなたのせいではありません、そんなに気にしないように」
池田恒興は犬山城の城主であった。信清はその城代だった。反逆心をわかってやれなかったことに少し後悔が残る。信長さまは、自分の責ではないと言ってくれてはいるが。
「斎藤家に対して、一手うちますか」
そう、信長はつぶやく。春が始まる。各国は田植えの準備に入り、短い間ではあるがひのもとの国に平穏が訪れる。その短い間に、信長はやらねばならぬことができた。