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ー巨星の章15- 信玄、倒れる

 信玄は咳をするたびに大量の血を口から噴き出す。両手で咳を止めようとしても、止まることはない。ついには、椅子から転げ落ち、地面に突っ伏した状態で、血を吐き続けるのである。


「信玄さまあああああ!信玄さまああああ!」


 高坂は信玄の姿を見て、激しく動揺する。信玄の側に駆け寄り、咳を続ける彼の背中をさする。


「おい!誰か医者を呼んでくるでござる!殿とのの一大事でござる。ええい、この時がついに来てしまったと言うことでござるかっ!」


「どういうことでごじゃる!馬場殿は殿とのの容態について知っていたのでごじゃるか?」


 馬場の胸ぐらを掴み、内藤が問い詰める。馬場は、くっと唸り、内藤から視線を逸らす。


労咳ろうがいでござる。殿とのの咳はぜんそくとか風邪と言ったものではないのでござる。不治の病にかかっていたのでござる」


労咳ろうがいそうろう?馬場殿、一体、どういうことでそうろう!いつもの殿とのの持病だとばかり思っていたでそうろう労咳ろうがいは不治の病でそうろう。それなのに殿とのは病気の身体を押して、京の都へのぼろうとしていたのでそうろうか!」


 山県やまがたまでも聞いていないとばかりに馬場に詰め寄る。馬場はすまないでござると言い


殿とのの上洛は殿との自身の悲願でござる!武田家をこのひのもとの国のてっぺんへと導きたいと言っていたのでござる。それを止めることなど拙者にはできないのでござる!」


「それでも、殿とのあってこその武田家なのでごじゃる!いつもはおちょくって、からかってはいるでごじゃるが、殿とのなくして、ひのもと最強騎馬軍団は成立しないのでごじゃる!」


「わかっているのでござる。自分でも、そんなことくらいはっ!でも、殿とのが自分の命を削ってでも信長を倒したいと言われたのでござる!それなら、何も意見せず、ただただ、殿とののやりたいことに力を注ぐのが忠臣たる役目なのでござるっ!」


 馬場は泣いていた。叫びながら両目からとめどめなく涙を流していた。内藤と山県やまがたは、くっと唸り、それ以上、何も言えなくなる。胸ぐらを掴んでいた手を離した内藤は


労咳ろうがいと言っても、すぐに死ぬわけではないでごじゃる。最近の殿とのの姿を見ていても、あと2、3年は長生きするように思えるでごじゃる。ここは一旦、本国に戻って、殿とのの身体の調子が良くなったときにでも、また上洛を目指すのでごじゃる」


「ならぬのだわい。今、本国に戻ることだけは決して、してはならぬことだわい。義昭よしあきさまが京の都で待っているのだわい。わしが義昭よしあきさまを信長の手から救わずにして、誰が、義昭よしあきさまを守れると言うのだわい。げふごふっ!」


「信玄さまああああ!これ以上、しゃべってはいけないのでございます!」


 高坂が信玄の背中をさすり続けていた。信玄が血だけではなく、夕飯に食べたものも全て吐きだしていた。高坂は想う。これは本当に労咳ろうがいだけなのでございますか?と。


「馬場さま!信玄さまは本当に労咳ろうがいで血を吐いているのでございますか?僕にはそう想えないのでございます。信玄さまの侍医じいに詳しく、信玄さまの症状を見てもらいたいと思うのでございます!」


 高坂は必死な形相でそう馬場に訴えかける。だが、馬場も殿との侍医じいからは労咳ろうがいだと言う診断結果しか聞かされていない。だが、高坂の形相を見るにそうではないのでござるか?と何か予感めいたものを感じるのである。


「わかったのでござる。殿との侍医じい永田徳本ながたとくほんを本国から呼び寄せるのでござる。殿との永田徳本ながたとくほん殿が来れば、本当は何が原因かわかるのでござる!」


 信玄はようやく止まりかけてきた咳の後に、はあはあと荒い息遣いをしていた。眼はうつろなものとなっており、家臣たちは信玄のために寝床と布団を用意することになる。信玄は家臣たちに鎧を脱がされ、風邪を引かないよう、手厚く看護されることになる。


 それから1週間後、甲斐の国から永田徳本ながたとくほんが野田城に呼ばれ、信玄の病状を確認する。


「誰か、信玄さまの親族をおよびクダサイ。信玄さまの病状を親族にだけ説明シマス」


「永田殿、ちょっと待つでござる!我らは殿とのとは家族同然で過ごしてきたでござる。何故に我らには殿とのの症状を知ることができないのでござるか!」


 馬場がそう吼える。だが、永田はふうヤレヤレナノデスと嘆息し


「医者には患者の症状を他人に聞かせてはならないと言う決まりがあるのデス。いくら信玄さまの家臣と言えども、言えないのデス!」


「こいつ、要らぬところで強情なのでごじゃる。医者としては立派な姿勢かも知れないでごじゃるが、これは武田家全体の問題でごじゃる。永田殿、どうか、その医者の信条を曲げてでも、ぼくちんたちに教えてほしいのでごじゃる!」


 内藤の懇願に永田は仕方ナイデスネと言い


「では、ここから交渉に入りたいと思うのデス。信玄さまの症状を知りたい方は、徳本とくほんに賄賂をくださいなのデス。そうデスネ、1貫以上からスタートなのデス。さあ、存分に徳本とくほんの袖の下へ銭を投げ込んでくださいなのデス!」


「おい。こいつ、殴っていいでそうろう?いくら、殿との侍医じいと言えども、賄賂をせがむとはやりすぎなのでそうろう。いっそ、首級くびをはねて、三条河原に晒してやるでそうろうか?」


 山県やまがたが脅すように永田に言う。だが、永田はわるびれた様子もなく


「ハハハッ!【医は仁術なり】とでも言いたいのデスカ?バカバカしくて反吐が出るのデス!良いですか?徳本とくほんたちが日夜、ひのもとの国で医療を続けるためには、莫大な金が必要なのデス。最近はからの国からだけでなく、南蛮人たちが持ち込んだ医書で研究をしなければならないのデス。それがどれほどの価格になるか知っているのデスカ!」


 逆に永田に一喝される山県やまがたである。山県やまがたは腰に帯びた刀を抜こうとするが、高坂がそれを止めさせる。


「永田さま。事情も知らずに山県やまがたさまがあなたを脅してしまって申し訳ないと思うのでございます。ですが、僕たち、いくさに来ているので余計な銭はほとんど持って来ていないのでございます。本国に戻った時にはこぶし大の金塊を5,6個あげますので、それで許してほしいのでございます」


 高坂の言いにふむと息をつく永田である。


「わかりましたのデス。高坂サマがそこまで言うとならば、山県やまがたサマからの脅しは忘れるのデス。では、徳本とくほんのふところが暖かくなることもわかりましたノデ、いよいよ、信玄さまの症状を言うのデス!」


 馬場、内藤、山県やまがた、高坂の4人はごくりと唾を飲みこむ。


「胃がんデス」


 えっ?と4人は、ついすっとんきょうな声をあげる。


「おい。どういうことでござる!永田殿、お前、この前は労咳ろうがいだと言っていたでござるよな?それが、何故、胃がんになるでござるっ!」


「そんなこと徳本とくほんに言われても困るのデス。南蛮人からこの前、購入した医書から判断するに胃がんの症状に酷似しているのデス。だから、胃がんだと言ったのデス」


「胃がんって非常にまずいんじゃないかでごじゃる。なんで、がんにかかりながら、今まで症状がほとんど身体に見られなかったのでごじゃる?」


 内藤がそう永田に疑問を呈する。


「がんと言うものはなかなか身体の表面にありありとわかるようになるまで時間がかかるものもあるのデス。まあ、はっきりと周りからもわかるほどになっているころには大体は手遅れになっていますケドネ」


「じゃあ、信玄さまはもう助からないのでございますか?何か、がんを治す治療薬はないのでございますか?」


 高坂が泣きそうな顔で永田に懇願するのである。しかし、永田は眼と口を閉じ、首を左右に振る。


「お前、ふざけるなでそうろう!西の曲直瀬道三まなせどうさん、東の永田徳本ながたとくほんと呼ばれるほどの医者でそうろう!ならば、殿とのを死の淵から救うすべがないのでそうろうか!」


「確かに徳本とくほん曲直瀬まなせさまに匹敵すると言われているのデスガ、彼とは資金力が違うのデス。曲直瀬まなせさまは信長さまから湯水の如く、研究費をいただいているようデスガ、徳本とくほんはスズメの涙しか信玄さまにお給金をもらっていないので、南蛮人の医書を1冊買うのがやっとなのデス」


「で、では、今からでも永田徳本ながたとくほん殿に腐るほど金塊を渡せば、殿とのの胃がんを治す方法を見つけられるのでござるか?」


「信玄さまがあと1年、長生きしてくれれば治療薬が作れる可能性はあるのデス」


 でもと続けて、永田は話を止める。


殿とのの胃がんの進行はそれほど進んでいるのでござるか?あと、どれほど殿とのは生きていられるのでござるか?」


 馬場はたまらず、永田の胸ぐらを掴む。永田は馬場に睨みつけられ萎縮する。


「おい、馬場殿、落ち着くのでごじゃる。胸ぐらを掴まれては永田殿も、しゃべりにくいだけでごじゃる。永田殿、何を言われてもぼくちんたちは驚かないのでごじゃる。本当のことを言ってほしいのでごじゃる」


 馬場は永田から手を離す。永田はハアハアと呼吸をし、意を直し言う。


「本当に言いにくいことなのデスガ、今、信玄さまが生きていること自体が奇跡なのデス。何故、ここまで症状が身体にくっきりと出ていると言うのに、誰も気づかなかったこと自体が不思議なくらいデス」


 信玄の顔は土色に変化しており、唇も紫色になっている。頬はげっそりコケ落ち、眼玉だけが浮き出ているようにも見える。


 信玄が倒れてから1週間のあいだににみるみるうちに変化したのだ。つい最近まで元気一杯で顔色も良く、冗談交じりで女子おなごを喰いたいのだわい!などと言っていたとは今の姿からは到底、思えないのである。


殿とのの身に一体、何が起きていたのでござる。がんになると身体中がかきむしられるように痛いと聞いたことがあるでござる。でも、殿とのは咳はひどくても、身体が痛いとぼやいていたことはなかったのでござるぞ?」

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