ー巨星の章13- 野田城、陥落
徳川領の野田城の抵抗は頑迷であった。城に残る者すべてが、武田家の猛攻にさらされながらも必死に耐えていた。この城を守っていたのは、鳥居元忠と菅沼親子である。彼らはまさに城を枕に討ち死にせんとばかりに戦い続けるのである。
「僕、もう限界でごわす。そろそろ、城から逃げていいでごわすか?」
そう言いだすのは鳥居元忠である。
「何を言っているのでござるか。ここまで来たのだから、城から討って出て、信玄の首級を叩き落とすのでござる。皆の者、突貫準備をするのでござる!」
菅沼は弱気な鳥居を叱り飛ばす。彼ら親子には家康の父である松平広忠の時代から仕えてきたと言う誇りがある。主君である家康が三方ヶ原の地で負けたと言う報を聞いても、彼らは決して逃げると言う選択肢を取ることはなかった。
その心意気に感化され、鳥居も奮戦しつづけてきたのだが、すでに野田城の備蓄は尽きかけていた。
「2月も半ばを過ぎようとしているのでごわす。ここまで粘れば、この野田城を落とされたところで、信玄の上洛計画はとん挫するのでごわす。自分たちはよくやったのでごわす。だから、もう逃げようなのでごわす」
だが、鳥居の言いに逆らうように菅沼は首を左右に振る。
「鳥居殿だけでも逃げてくれでござる。拙者ら親子はここで死ぬのでござる。なあに、鳥居殿を悪く言うものなど、ここには誰もおらぬでござる。なあ?お前ら」
周りの兵士たちは、首を縦に振り、こくこくと頷くのである。
「おぬしら、本当に誰一人、逃げる気はないでごわすか?いやあ、三河武士のかがみでごわすな。では、自分も付き合わせてもらうのでごわす」
鳥居が考えを改め、そう言いだす。だが、当の菅沼とその兵士たちは、にこりと笑い、手に縄を持ち、鳥居をふんじばるのである。
「おい!何をするのでごわす!僕を縛ったところで、良い声では鳴かぬでごわすよ?」
縄でぐるぐる巻きにされ、身動きできなくなった鳥居に対して、菅沼は言う。
「ここで死ぬのは拙者らの仕事でござる。鳥居殿はまた別の場所で、家康さまのために死んでほしいのでござる。おい、お前ら、鳥居殿を岡崎城までお送りしろでござる!」
鳥居が菅沼殿ーーー!菅沼殿ーーー!と叫ぶが、菅沼は無視し、鳥居を岡崎城に運びださせるのであった。
それから三日後、ついに野田城は武田家の手により、陥落する。城に残った者たちのほとんどは、今まで散々に手こずらせてくれたことに腹を立てた武田軍により、首級をはね飛ばされることになる。
そして、野田城陥落の報は、浜松城に籠る、家康の耳にも届いていた。家康は菅沼親子の訃報を聞くや否や、涙を流す。
「くうううう。済まぬでござるうううう。あと1週間あれば、浜松城から援軍を出せたのでござるううう。三方ヶ原での地の惨敗がこれほどまでに影響するとは思っていなかったのでござるううう!」
「菅沼殿、立派だったでござるぞ。拙者、菅沼殿を毛嫌いしていたでござるが、悪い奴ではないと知っていたでござる。この戦が終わったら、互いに盃を交わして、大いに飲もうと想っていたのに口惜しいのでござるっ!」
酒井忠次も涙していた。菅沼は野田城周辺の豪族であった。家康に代替わりしてからも、その代々からの土地の守り手であったため、菅沼は時には家康にもひとめもはばからず意見をしていた。その姿が気にくわぬと想っていた忠次であったが、彼のこの度の野田城防衛で、すごい奴だと心から感心していたのである。
「菅沼殿。極楽に辿り着けているかなのだぎゃ。今まで、殿に仕えてきてくれて、感謝するのだぎゃ。お前が大好きだった三河の遊女の世話は自分がしておくのだぎゃ」
榊原康政もまた、涙を流していた。菅沼は三河武士らしく武骨ものだったゆえ、遊女とイチャイチャすることはほとんどなかった。だが、榊原がそんなのではいけないのだぎゃ。遊女の御業はすばらしいのだぎゃ。一度は極楽を味わうのだぎゃ!と無理やり菅沼を誘い、岡崎の町でハッスルハッスルした夜があったのだ。
「おいら、お腹が空いてきたなのだ。家康さま。今夜は、家康さまの男体盛りが良いなのだ。遠江の海の幸を豪華に使って、寿司をたらふく喰いたいなのだ」
本多忠勝はお腹が空いてきたので、そう家康に懇願するのである。
「忠勝、お前、少しは空気を読むのでござるううう!みんな、菅沼殿の訃報で涙を流しているのでござるううう!お前、ひとりだけ、何を言い出しているのでござるううう」
「そんなこと言われても、おいらが読めるのは平仮名と片仮名までなのだ。空気を読めと言われても、見えないものまで読むことはできないなのだ!」
「まあ、忠勝殿では無理でござるな。殿。夕飯の支度でもするのでござる。浜松城の1番の戦力が力を出せぬとあっては一大事でござるぞ?」
「忠次、お前、さっきまで流していた涙はどこにいったでござるううう!今夜くらい、泣き通して、ご飯が喉を通らないとか、お前たちには無いのでござるかあああ?」
「涙を流せば流すほど、お腹が空いてしまうのは何でなんだぎゃかな?忠勝、寿司も良いが、肉もしっかり食べるのだぎゃ。殿の許しは自分がもらっておくのだぎゃ」
「榊原、お前、それって結局、いつものように俺に無断で勝手にやるということにならないでござるかあああ?俺、嫌でござるぞ?こんな寒い時期に男体盛りなんてやったら、腹がくだってしまうでござるううう!」
「何をやってはりますんや、皆さん方は。ここは影武者・徳川家康ーズの最後の生き残り、情けの5号こと、四さまが腕によりをかけて、美味いものをこしらえておくんやで?」
「おお、さすが、最後の生き残りなだけはあるなのだ。おいら、ブリ尽くしにしてほしいなのだ。家康さまのおっぱいの上にはブリの刺身、お腹の上にはブリの寿司、いちもつのところには、ブリのお頭を煮たものを乗せてほしいなのだ!」
「なんかとんでもない絵面でやんすな。まあ、この四さまにまかしとき?今朝、良いブリを魚市場で手にいれてきたんやで?もちろん、お代は家康さまのツケにしてきたんやで?」
「おお。さすがは秀吉殿の子飼いの将でござるな。拙者もブリを食べたくなったのでござる。寒い時期はやはり、ブリのあら汁をいただきながら、白いメシと三河大根の漬物を交互に口にかきこみ、ぐいっと三河特産の濁り酒でござる。いやあ、夕飯が楽しみでござる!」
「忠次殿、あまり飲みすぎるなだぎゃ?野田城が落ちた以上、次は岡崎城が危ないのだぎゃ。酔い潰れて、昼まで寝てしまったでござる。うへへ!じゃ、済まされないのだぎゃ」
こいつら、底抜けに肝が座っているでござるなあと思う、家康である。
「お前たちは信玄が怖くないのか?でござる。三方ヶ原の地で惨敗したあと、1週間もしたら、お前たち、ケロッとしているでござるしな?」
家康の問いに、忠次が、はははっ!と笑い
「何を言っているでござるか、殿。拙者だって、信玄は怖いでござるよ。でも、殿が生きているからこそ、それほど心配していないでござる」
「しかし、俺は大失敗をしてしまった主君でござるぞ?お前たち、俺を見限ってもおかしくないほどの惨敗だったでござるぞ?」
「何を心配しているのかわからないのだぎゃ。もしかして、殿はご自分の良き部分がわかっていないのだぎゃ?」
榊原に逆にそう問われ、家康はうん?と首を捻る。
「俺の良き部分でござるか?うーん。皆に毎度、おちょくられる俺の少年のような純粋な心のことでござるか?」
「まあ、当たらずも遠からずなのだ。家康さまは勉強熱心なのだ。それはもう、子供が何かを学ぶかの如くにたくさんのことを吸収できる点がすごいなのだ。普通、大人になったら、九九を覚えるのも難しいなのだ」
九九はさすがに元服前にひとかどの将なら誰でも覚えるものではないでござるか?と忠勝にツッコミを入れそうになるが、ここ最近になって、必死に勉強して覚えたと言うから、そっとしておくことにする家康である。
「うーむ。言われてみれば、そうでござるな。なぜか、俺は昔から勉強熱心でござったなあ。今川義元に養育されていた時も、毎日のように吾妻鏡や、太平記、それに源氏物語など、いろいろな書物で勉強をしていたでござる」
「殿の美点は、同じ失敗を繰り返さぬように、勉強を欠かさないことでござる。殿は、三方ヶ原の地で大敗を喫したかも知れぬでござるが、2度と同じ失敗をしないように、あの日から、夜の遅くまで、軍学について再勉強していると殿の妾たちから聞いているのでござる」
「あっ、ばれてしまったでござるか。いやあ、俺は信長殿のように軍才に恵まれ、華麗に戦うことができぬゆえ、最近、三方ヶ原の地での戦いを克明に書に記しているのでござる。そして、何が悪かったのかを、何をすれば良かったのかを考え続けているでござるよ」
家康はこっそり夜に勉強していることを忠次に指摘され、えへへと口から漏らし、頭を右手でぽりぽりかくのである。
「さすが、殿なのだぎゃ。おかげで殿の妾たちからは身体がほてってしょうがないから、殿が勤勉なのを止めさせてくれと陳情されているのだぎゃ。殿、夜の営みのほうも勤勉になるべきなのだぎゃ」
「う、うるさいでござる、榊原。女体の神秘を勉強する時間など今はないでござる。お前たちに苦渋を舐めさせないように俺なりに努力しているのでござる。信玄をこの手で討ち取ったあとに、女房たちの相手をゆっくりするのでござる」
「そんなこと言っていて良いなのだ?そこの影武者5号が、わいが本物の家康やで!と言って、夜にはイチャイチャしているようなのだ。このままでは、家康さまの奥方さまたちは、この男に心を奪われてしまうなのだ」




