ー巨星の章 9- 密教の呪術
「ほう。光秀くん、なかなか興味深いことを言いますね?光秀くんは密教について、何か知っていることはありませんか?」
信長がそう光秀に問いかける。光秀は眼鏡のレンズをくいっと触り
「ふひっ。僕の知る限りでは、人間の最大生命力の2から3割を削りとる呪術や、死人が生き返ってこないように黒い縄で縛る呪術があると聞いたことがあるのでございます」
光秀の応えに信長たちがほっほうと感嘆の声をあげる。
「すごいですね。さすが密教!最澄くんが、密教教えてくれなきゃ死んじゃう!ぎぎぎっ!って悔しがるのも納得なのですよ。で、直接、信玄くんを死にいたらしめる呪術はないのですか?」
「ふひっ。残念ながら、じわじわと苦しめるものはあるみたいなのでございますが、即効性を期待できるものは聞いたことがないのでございます」
光秀の応えに、信長がふーむと息をつく。
「じわじわと苦しめる系ですかあ。胃に穴をあけるとか、水虫が両足にびっしりぎっしりになるような奴とかあれば、いいんですがねえ?」
「それ、嫌がらせにしては、ちょっとしょぼくないか?殿。どうせなら、魚の目、たこの目が足の甲に3,4個出来上がるやつとかさあ?」
「信盛殿、それもしょぼいと言えばしょぼいのじゃ。もっと、こう、真綿で首級を締めるようにじわじわとなぶり殺しにしていくような呪術が良いと思うのじゃ」
「ん…。じゃあ、食事中に味噌汁が飛び跳ねて、目に入るっていうのはどうかな?」
佐々の提案に信長、信盛、貞勝が、おおおおっと感嘆の声をあげる。
「いいですね!目つぶしですか。これは信玄くんが戦闘不能になるに間違いがありません。できるならなめこ汁あたりだと、なかなか戦闘復帰できなくて、ついには本国に戻ることになりますよ!」
「さすが、次代を担う佐々だぜ。こりゃ、そろそろ俺も引退を考えなきゃならない時期になっちまったかなあ?」
「うむ。さすがは我が愛娘の夫なのじゃ。織田家の将来は安心だと言っていいのじゃ!」
信長、信盛、貞勝の3名が手放しに佐々を褒めたたえるのである。
「ふひっ。盛り上がっているところ、申し訳ございませんが、密教には味噌汁が飛び跳ねて、目に入るっていうのはないと思うのでございます」
光秀がそう言った瞬間、他の4人はがくがくぶるぶると身体を振るわせ、ひざを折り、両手を畳みの上につき、四つん這いになる。
「うううっ。高野山の密教には期待したと言うのに、これでは武田家に織田家は蹂躙されてしまいます。ああっ、帰蝶さん、亡き父君、そして、信忠くん。先生が先立つ不孝をお許しください」
「くそっ。高野山がこんなに役立たずなんて知ってたら、最初から期待なんかさせるなよっ!俺、密教の呪術で信玄の野郎が苦しんで悶え死ぬことだけが、余生の楽しみだったのに」
「無念なのじゃ。殿との夢は今、ここで潰えたのじゃ。すまぬ、皆、すまぬなのじゃっ!」
「ん…。今日の夕飯はブリの照り焼きを梅ちゃんに頼もうかな。あっ、でも、ブリを入手するには堺まで行かないとダメか。うーん、残念」
「ふひっ。ひとりだけ、特に悲しんでいるようには見えないひとがいるように見えるのでございます」
「ん…。皆の真似をしただけ。光秀殿、皆に合わせるのは世間と円滑に生活するための知恵。光秀殿も悲しんだほうが良い」
「ふひっ。ご助言、ありがたく頂戴しますのでございます。では、僕も涙を流して、四つん這いになるのでございます」
光秀はそう言うと、両目からハラハラと涙を流し、両手を合わせ、ひざを折り、畳の上に五体投地を行うのである。
「光秀くん、なかなか、今の悲しみ方は良いですね。先生も今度、光秀くんのを真似してみましょうか。そうすれば、皆さんの同情も引きやすそうですし」
「うーん?殿が光秀のやり方を真似るとさすがに嘘くさくならないか?やっぱり、最初からうさんくさい光秀がやるから効果てきめんなんだろうしさあ」
「そうじゃな。信盛殿の言う通りじゃな。いつもオーバーアクション芸人の光秀がやるからこその五体投地なのじゃ。殿はインテリ芸人なのじゃ。殿がやると計算高いと見られてしまうのじゃ」
「うーん。ダメですかあ。まあ、それは置いといて、貞勝くん。密教の呪術で信玄くんに効果がありそうなものを調べておいてくれませんか?魚の小骨が喉に刺さって、本国に戻らなければならないような何かを期待したいところです」
「まあ、片手間になってしまうかもじゃが、高野山のほうには聞くだけ聞いてみるのじゃ。わしも何かと忙しい身なのじゃ」
貞勝の含みをもたせた言いに信長がうん?と不可思議な顔つきになる。
「貞勝くん。何か、あったのですか?もしかして、ついに奴が動いてくれたのですか?」
信長の問いかけにコクリとひとつ頷く貞勝である。
「殿の予想通りだったのじゃ。義昭が蔵に納めていた金品を米や武器・防具に変えておるのじゃ。そして、京極高吉には兵を集めるように指示を出しているようじゃ」
「えっ?どういうことだよ、殿、貞勝殿。まるで、義昭が蜂起の準備をしているように聞こえるじゃんか!」
「のぶもりもりの言う通りですよ?義昭は今、虎視眈々(こしたんたん)と、この信長の手から飛び立とうとしているのです。信玄くんが動き出した以上、義昭にとっても最大にして最後と言っていい機会ですからね。それで、貞勝くんに、極秘に調査をお願いしていたわけですよ」
「でも、極秘も何も、そんな二条の城に武器や防具、それに米を運びこんでいたら、さすがに誰でも、義昭が近々、蜂起するってわかるもんじゃんか?義昭は馬鹿か何かなの?」
「何を言っているんですか。さすがに二条の城に直接、物資を運び込むわけがないじゃないですか。ほら、義昭を奉戴して京の都にのぼったときに、将軍家の御所が焼けて何もなかったから、本圀寺を仮住まいとしていたじゃないですか」
「ああ、あそこなあ。でも、あそこって、三好三人衆に義昭が攻め込まれた時に、ボロボロになったまま、放置してたじゃん。隠れ蓑としては絶好の場所だろうけど、二条の城には近すぎる気がするんだよなあ?」
「そうでもありませんよ?物資は二条の城から遠すぎてはダメですし。じゃあ、いっそのこと、近すぎたほうが敵の眼を欺けると考えてのことなんでしょう。義昭くんにしては中々の考えです。ですが、こちらは戦と謀略で長年メシを喰ってるんです。義昭くん如きに裏をかかれるようなことはありませんよ」
「じゃあ、もしかして、信玄が織田家を裏切った時に、俺や一益に3000しか兵を預けなかったのって、殿が最初から義昭がこの信玄が西上する期を狙って、謀反を起こすって考えてたってことなのか?」
「いいえ?そこまで考えての、のぶもりもりたちへの3000の兵を貸与ではありませんよ?そもそも、信玄くんが西進してきているからって、京の都から兵を引き上げることが一番の悪手なんですから」
「ん…。じゃあ、義昭は、信長さまがきっと、信玄への対処で京の都を留守にするのを期待しての蜂起の準備ってこと?」
佐々がそう、信長に問いかけるのである。
「まあ、佐々くんの考えが妥当と言ったところでしょうね。うーん、信玄くんが本国に帰ったら、わざと京の都を手薄にしてみましょうか?そして、義昭を放棄させたあとで、信玄くんが再び西進を開始する前に、義昭を叩いてしまいましょう」
「じゃあ、義昭の役目もついに終わりを迎えるってわけかあ。あの男のねちっこい自慢話を聞けるのも、なくなるかと思うと少し寂しい気持ちになっちまうなあ」
「ふひっ。来世では、あの性格が少しでも直っていることを期待したいところでございます。義昭さまの葬儀はどこの寺で行う予定でございますか?」
「ちょっと、ひと聞きが悪いことを言わないでくださいよ、光秀くん。先生、将軍殺しの汚名を被る気はありませんよ?京の都から追い出すだけですよ。そりゃ、腕の骨の1本くらいは折るかも知れませんが、命は保証します、多分」
多分かよ!とすかさず信長にツッコミを入れる信盛である。
「でも、どうすんだ?いくらダメダメな義昭と言っても、京の都から追い出したら、織田家の権威が失墜するじゃん?その辺はどう考えてるわけなの?殿は」
「簡単な話ですよ。織田家の権威が失墜する以上に、義昭の権威を3倍、失墜させればいいだけの話です。京の都の民や帝が義昭が京の都に居たら、非常に困ると言う状況を作ればいいだけです」
「さすが、あくどいことを考えさせたら、ひのもとの国に殿の右に出る者はいないと言わしめるだけはあるのじゃ。で、実際にはどのような策をとるのじゃ?」
貞勝の言いに、信長がふふふっと不気味な笑みを作る。
「京の都の半分くらいを焼いてしまいましょう。そうですね、南は伏見から北は下京の全てを灰塵に帰しましょうか。いやあ、これは比叡山の大花火大会よりも派手なことになりますよ?」
「おいおい、良いのかよ。そんなことしたら、さすがに織田家だって悪名で名を馳せてしまうことになっちまうぞ?」
「いえいえ?義昭には散々、勧告しますよ?そりゃあ、ひのもとの国中に大宣伝するくらいに義昭からの返答をばらまきます。さて、先生の名が地に堕ちるのが先か、義昭の名が地に堕ちる先か、最後の勝負と言ったところですね?」