ー巨星の章 6- 謎の沢庵(たくあん)和尚
「で?佐々くんの家に下男として雇われたあとは、どうなったのですか?先生が貞勝くんの首に縄を巻き付けた時は、確か、貞勝くん、銭湯で働いていたときですよね?」
「ふむ。佐々の家でやっかいになっていたのじゃが、なにぶん、この佐々の親父が道楽ものだったのじゃ。ある時、佐々家の帳簿をちらりと見る機会が訪れたのじゃ。もう、年貢の取り立てから税金の収支表までもが、しっちゃかめっちゃかだったのじゃ。それで、居ても居られなくなり、わしがつい、手を出してしまったのじゃ」
「ん…。父は武辺者でさらに道楽者だったから、その辺、すごく疎かった。で、貞勝さまが帳簿の管理をするようになってから、家計が火の車状態だったのが、なんとか救われた」
「その時についでに佐々にも、帳簿のつけ方、領民の管理、農民への指示の仕方を教えていたわけなのじゃ」
貞勝の言いに信長がほうほうと感心する。
「なるほど。佐々くんが武辺一辺倒ではなく、そつなく政務もこなせるようになったのは、貞勝くんの指導のおかげだったわけですね。あれ?佐々くんの家では、貞勝くん、めっちゃ恩人じゃないですか。なんで、そこから銭湯の番台になったんですか?おかしくないですか?」
「ん…。貞勝さまが有能すぎたのがだめだった。父が貞勝さまに恩を感じるどころか、危険な人物だと判断して、佐々家から追い出した」
「ふひっ。出る杭は打たれるという好例でございますね。僕も朝倉家で世話になっていたころはひどい扱いを受けていましたのでございます。下手に能力のある人間は疎まれやすいのでございます」
「まあ、喰うに困っていた、わしを雇ってくれただけでもありがたいと想っているのじゃ。わし自身は疎まれたが、娘はかわいがってくれたので恨みはないのじゃ」
貞勝の言いに、信長が手ぬぐいを目尻に当てて、うううっと泣きだす。
「貞勝くんは、賊に襲われて、熊に襲われて、佐々くんの父親にも追い出されると言う、苦難の日々の連続だったのですね。貞勝くんは喰うに困って、次は銭湯の番台になったのですか」
「いや、銭湯の番台になったのは、合法的に女湯が覗けるからやっていただけじゃ。まったく、丹羽には困ったものなのじゃ。わざわざ、男湯と女湯を分けなくても良かったなのじゃ」
貞勝の言いに信長がずこっとこけそうになる。
「貞勝くん?せっかく良い話だなあと想っているところに水を差すのは、本当にやめてくれませんかね?先生、また、無駄に身体の水分を消費してしまったじゃないですか!」
「知らんのじゃ。そもそも、殿の関所撤廃のおかげで、無駄に税金を取られることはなかったなのじゃ。だから、佐々家から追い出されたあとは、あちこちの武家や商家の家庭教師を適当にこなしているだけで暮らすのに不便はなかったのじゃ」
「確かに、貞勝くんほどの知識の持主なら、家庭教師として、どこからも引っ張りだこでしょうね。でも、その知識の数々は一体、どこから学んだのですか?貞勝くんには師がいてもおかしくないような気がするのですが?」
「うっほん。幼少の折に、沢庵和尚と言うお方が近所の寺におったのじゃ。大変、変わり者だったために、あまり、ひとから好かれてなかったのじゃが、わしはあのお方の話が大好きじゃった。家の手伝いをほっぽらかしては、毎日のように、沢庵和尚の元へと通ったものだったのじゃ」
貞勝の言いに、信長がうん?と不可思議な顔をする。
「貞勝くんの師匠となるような有能な人物であれば、先生、首に縄を巻き付けてでも他国から引っ張ってくるはずなんですけど、先生の記憶の中には、その沢庵和尚くんの名前なんて、該当しないのですが?」
「ふむ。殿のような有能大好き人間でも知らぬのかじゃ。これは意外なのじゃ。さぞかし高名なお方だと想っていたのじゃったが、違うのかじゃ?」
「ふひっ。僕も諸国を渡り歩いていた時期が多少ありましたのでございますが、件の御仁の名前は聞いたことがないのでございます。貞勝さま。名前を間違えて覚えているのではございませんか?」
光秀の問いに、貞勝がうーん?と首をかしげる。
「いや。確かに、沢庵和尚で間違ってないはずなのじゃ。しかし、おかしいのじゃ。殿や光秀にツッコミをもらえばもらうほど、わしも、その和尚の存在自体が疑わしく想えてきたなのじゃ」
「え?存在自体が疑わしいって、どういうことです?貞勝くんはその沢庵和尚くんに師事されたんでしょ?その貞勝くんが疑問に思うのはおかしくありませんか?」
信長の問いかけに貞勝が腕を身体の前に組み、ますます、うーーーん?と首をかしげるのである。
「わしはその沢庵和尚に話だけではなく、古今東西の書物を貸してもらったのじゃ。それこそ、唐の国の書物までもじゃ。今更、想えば、いくら寺の住職と言えども、あれだけの蔵書を持っていること自体がおかしいなのじゃ」
「不可思議なひとでございますね。坊主と言えば、インテリの代表者みたいなものでございますが、比叡山の高僧でもないのでございますよね?ちなみに宗派は何だったのでございますか?」
「わしの記憶に間違いなければ、奈良の東大寺に連なる宗派だったはずなのじゃ。そんな御仁がなぜ、近江の寺で住職をやっていたかはわからぬのじゃが、確かにわしは沢庵和尚から内政のイロハについて教え込まれたなのじゃ」
貞勝の言いに信長がふむと息をつく。
「ちなみにその沢庵和尚くんは、今、ご存命なのですか?できるなら、先生も貞勝くんのお師匠に色々とお話を聞きたいところですが。もし叶うなら、織田家に招きたいと思うところです」
「それは無理ではないのかじゃ。わしが沢庵和尚に出会ったときにはすでに齢90を数えていたのじゃ。あれから30年以上、経っているのじゃ。普通、70まで生きているだけでも稀だと言うのにあの方は90歳だったのじゃ。出会ってから10年近く、色々と教えこまれたものじゃ」
貞勝の言いに光秀がえ?と疑問符を口から出す。
「その沢庵和尚は100歳まで生きたのでございますか?それで、貞勝さまは10年、師事を受けて、沢庵和尚はあの世に旅立ってしまったのでございますか?」
「いや。それが、もう教えることはない。これからは、その身に着けた知識を世のために使ってくれれば本望だ。と言って、沢庵和尚は全国行脚の旅に出ると言い出して、寺をあとにしたのじゃ。死に別れと言うわけではないのじゃ」
「100歳で全国行脚の旅に出るとは、これまた元気なお爺ちゃんですねえ。不謹慎な話、旅に出て1時間で賊に襲われそうなんですが?」
「若い僧を2人ばかり一緒についていったのじゃ。まあ、それでも無事にはすまなそうなのじゃ」
貞勝がふと何かに想いを馳せるように天井を見上げる。
「どちらにしろ、長く生きていたのじゃ。今頃、どこかの墓の下かも知れぬのじゃ。墓参りをしたいものじゃが、その墓の場所すらわからないのは寂しい想いなのじゃ」
「100歳と言えば思い出しのですが、確か北条家に100歳近くまで生きた将がいたはずですね。北条幻庵でしたっけ?貞勝くん」
「確か、その名で間違いないのじゃ。もしかして、北条幻庵殿が近江までやってきて、沢庵和尚と名乗っていたのかもしれないのじゃ」
「それはさすがにないんじゃないですか?彼ほどの高名な方なら、旅に出れば、そこら中でひっぱりだこになるでしょうから。彼が関東から尾張を抜け、近江に行ったという話は聞いてませんねえ」
信長の言いに貞勝がふむと息をつく。
「そうなのかじゃ。結局、沢庵和尚は何者だったのかじゃ。浅井長政との決着がつき次第、北近江で彼の行方を調べてみるのも悪いことではないのじゃ」
「沢庵和尚の足跡が見つかるといいですね、貞勝くん。貞勝くんの師はいわば、先生の師と言っても過言ではありません。彼の墓に抹香をぶちまけるのは、先生に任せてくださいね?」
信長の言いに、貞勝がふうやれやれと言う顔付きになり
「それを他人の家の墓にするのはやめろと常々、言っているのじゃ。掃除が大変なのじゃ。いらぬ仕事を増やすななのじゃ」
「ええ?ダメですか?うーん、織田家の代々伝わる供養なんですけどねえ?」
「いつから、墓に抹香をぶちまけるのが殿の家の代々伝わる作法になったのじゃ!少なくとも、わしが知っている限りでは殿が最初なのじゃ!」
「ええっ?先生が墓に抹香をぶちまけるのが始祖であり、信忠くんが引き継いでいくのですよ。だから、代々に伝わる作法で間違いありません」
信長が貞勝の抗議に対して、きっぱりと言い放つ。貞勝はまたもややれやれと言う顔付きで
「わかったのじゃ。殿の家だけでやってくれなのじゃ。だから、他人の家の墓にはやめるのじゃ。それさえ守れば、何も言わないのじゃ」
「ふひっ。明智家にも何か特別な作法がほしいところなのでございます。抹香をぶちまけるのは信長さまのオリジナルなので、真似をするのは面白味がないのでございます」
「光秀くん。それなら、お供えもののまんじゅうでも、力いっぱい、墓にぶち当てたらいいんじゃないですか?」
「やめておくのじゃ。食べ物を粗末にするのは感心しないのじゃ。ろうそくを100本立てて、全てに火をつけてみるのはどうなのじゃ?」
「ろうそくを100本でございますか。それはそれは、墓がまるで燃えているかのようでございますね。貞勝さま、その案、採用させてもらうのでございます」




