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ー花嵐の章 7- 織徳同盟

 元康とその一行は、清州きよす城の会合の間に通された。上座には2席設けられ、下座から向かって右側が元康側の席で、左側が信長側の席だ。上座の片方に元康が座り、下座の一方側にその家臣たちが2列に座る。対面にはまだ来ない信長以外の織田家の家臣たちが座る。


 目の前には膳が用意されており、白い飯、汁、そして色とりどりの天麩羅てんぷらに、酒が用意されていた。時刻はすでに夕刻にさしかかり、ちょうど腹も減っており、目の前の料理を見ているだけで腹の虫がなりそうだ。


「信長さまは準備があるため、少々遅れるそうです。先にお召し上がりくださいませ」


 そう、給仕のものが進言してくる。村井貞勝むらいさだかつが座を立ち、元康の前にきて正座し


「うっほん!客人を待たせて申し訳ないのじゃ。あの馬鹿にはあとできつく言っておくのじゃ!」


 いきなり、信長殿のことを馬鹿呼ばわりとは、このお方は重鎮なのであろうと元康は思う。


「わたしは、村井貞勝むらいさだかつともうす。まずは一献どうぞなのじゃ。あと、冷めぬうちにお食べになるのじゃ。天麩羅てんぷらが好みと聞いて早急に準備させたのじゃ!」


 抜け目なしでござるなと思う元康である。丹羽にわ殿たち護衛以外にきっと、監視者がいたのだろう。その者たちからの報せで、天麩羅てんぷらに舌鼓を打っていたことを織田側は知ったのであろう。さて、いくつほどの俺の情報が向こうにすでに握られているのか。少し怖さを感じる。


天麩羅てんぷらには、鹿肉、川魚、季節の野菜などを選ばせてもらっておるのじゃ」


 元康はごくっと喉を鳴らす。それにと貞勝さだかつは続ける


「少しは酒も飲んでおくのじゃ。会合は緊張するがゆえ、すこしは口が滑らかになるものじゃ」


 たしかにそうだと思った。元康は湯呑に注がれた熱燗をくいっと飲み、鹿肉の天麩羅てんぷらに箸をもっていく。鹿肉の天麩羅てんぷらは噛むと、歯ごたえが柔らかく、肉汁が噛んだ部分から飛び出てくる。1月現在の寒さのなかに、この肉汁の温かさは、何よりものご馳走である。元康ははふはふと歯で噛みながら、さらに熱燗を口に含む。

 鹿肉の獣くささが、熱燗により消されていき、口の中はさっぱりとしていく。旨い。こんなにうまいものをいただいていいのだろうかと思う、


「気にいってもらえましたかなのじゃ?調理方法を教えるので、三河でも試してみるといいのじゃ」


「はふはふ。はい、ありがとうでござる。是非、教えてほしいでござる」


 下座の者たちも、織田の者たちに、さあ一献とばかりに酒を勧められ、飲み食いを始めている。そうこうしているうちに、信長が遅れること15分後に会合の場にやってきた。



 織田家の家臣一同が立ち上がろうとしたところを、手で、そのままでよいと指図し、どかんと元康と同じ上座に座る。元康はつい、緊張してしまい、箸でつかんでいた野菜の天麩羅てんぷらをぽろりと床に落としてしまう。


「ああ、すまない。松平元康殿。いま、替えの天麩羅てんぷらを持たせるゆえ」


 ぱんぱんと信長は手を叩き、元康の皿に追加の天麩羅てんぷらを盛るように給仕に指示を出す。


「元康殿、楽しんでもらえていますかね?」


 信長殿がやさしい目でこちらに声をかけてくる。元康はわらしのように応える


「は、はい!こんなうまいもの、初めて食べたでござる。このような調理方法、いかにお知りになったのでござるか」


「堺からやってきている伴天連ばてれんたちから教えてもらいました。鉄砲の火薬を仕入れる際にサービスとばかりにです」


「はは、サービスに天麩羅てんぷらの調理方法ですか。伴天連ばてれんどもは商売がうまいでござるな」


「笑ってばかりはいられませんよ、元康殿。あなたも近いうちに伴天連ばてれんたちと商売をすることになるのですから」


 元康の胸をドキンと音がひとつ打つ。


「そのときは、信長殿に、伴天連ばてれんどもの扱い方を教えてもらわねばでござる」


「高くつきますがそれでもいいなら、教えますよ」


 はははと信長殿が笑っておられる。気分は上々のようだ。元康はほっと、胸をなでおろす。ところでと、信長は言う


「先日、三河に送った金500と、米5千は役に立ちましたでしょうか?」


 元康の胸をまたひとつドキンと音が打つ


「おかげさまで、今年の冬は難なく越せそうでござる。これも信長殿のご支援のおかげでござる」


「なら、よかった。織田から物資をもらったと知ったら、今川殿がだまっておられぬと思って心配でしたが、喜んでもらえてるようで安心します」


 その今川氏真いまがわうじざねを焚き付けた張本人がのうのうと元康に言い放つ。これは参ったでござるなと内心おもいつつも元康は


「なーに、今までの忠心を忘れての始末。ほとほと今川殿にはあきれ果ててもうす」


 実際に、遠江の城で務めていた元康の家臣が、あらぬ罪を着せられ、死罪にされている。元康自身に類が及ぶまで時間は残されていない。


「では、元康殿、しいては三河はどうなさるのかな?」


 平然を装い、元康は追加で皿に盛られた天麩羅てんぷらに箸をつけながら言う


「はふはふ。この鹿肉の天麩羅てんぷらはどんだけでも胃にはいるでござるな」


 内心の鼓動の早さを見透かされぬようにわらしのように言う


「おっと失礼。三河は対等のものを探しているところでござる」


 元康は答えあわせをするかのように注意深く発言する


「いっしょに手をとり、このひのもとの国を平和に導いてくれる国を探しているでござる」


「ほう、それは興味深い話です。この信長に教えてくれませんか?」



 元康は道中を振り返る。この三河から尾張おわり清州きよす城までは信長が用意した試験会場であったのだ。


「いまはまだ、三河、しいてはこの元康の名は知れられていないのかもしれないでござる」


 丹羽長秀にわながひで殿の警護からは、知名度は部下より低いと教えられた。


「この元康の武勇はまだまだ下から数えたほうが早いでござろう」


 柴田勝家しばたかついえ殿からは、個人の武勇では立ち行かぬ存在を教えられた。


「三河には笑顔が足りませぬ。そして、笑顔を増やすためにやらなければならないことをついさっき知ったばかりでござる」


 そして、丹羽にわ自身からは、三河の足りなさ、おのれ自身の足りなさを教えられた。


「足りぬものばかりでござる。しかし、それでも今はいいと言ってくれる家臣や兵に恵まれているでござる」


 だがそれでも、服部半蔵は支えてくれると言ってくれた。足りぬ俺を認めてくれる。


「三河の、松平の将来さきを信じてくれる友を俺は欲しているのでござる」


 足りないながらでも、足りうる存在になるための指針を教えられた。



 信長は野菜の天麩羅てんぷらを箸でつかみ、ひと口で放り込み、むしゃむしゃと食べる。そして湯呑の熱燗をくいっと飲み


「冬野菜の天麩羅てんぷらは、夏とは違ってまたおもむきがありますね」


 信長は口に食べ物を含みながらしゃべる。


「織田家は未だ、弱小国です。他国が合力ごうりきすれば、吹いて飛ぶ国です」


 その奥にあるものを含みながらしゃべる。


「織田家は尾張おわり1国をなんとか治める弱小国なのに、天下を狙っています。他国からは馬鹿だとあざけられるでしょう」


 皿の上を平らげるように食べながらしゃべる。


「織田家は苛烈な施策のため、内乱が起きる可能性が高いのです。ワシの考えに同調できないものは謀反を起こすでしょう」


 天下を平らげるように信長はしゃべる。


「織田家は他国より富んでいるため、格好の餌食となるでしょう。天下を語るまえに富を求める国から攻め滅ばされるかもしれません」


 熱燗を再びあおり、口の中をさっぱりさせ、しゃべる。


「そんな危険な織田家を友と呼んでくれる国をワシは欲しているのです」



「お互い、足らぬばかりでござるな」


「はい、足らないのです。人間ですので、足らぬばかりです」


 ですがと、信長は言う


「足らぬ身ですが、ワシは、民が笑ってほしいと願っています」


「俺もでござる。今は足りませぬが笑って暮らせる、ひのもとの国がほしいでござる」


 信長は遠くを見る。


「対等になれるでしょうか?」


「対等になりたいと思ってるのでござる」


 元康も同じ方を向き、遠くを見る。


「覚えていますか、昔、あなたが尾張おわりで人質としてやってきていたころ」


「ああ、覚えてござる。そして思い出したでござる」


 元康は、湯呑をくいっとあおり、中身を飲み干す。


「あの頃から、吉法師きっぽうしさまは天下を狙っておいででござった」


「そうですね。そして、あなたは、わたしの友となり一緒についてくると言ってくれました。今でもその気持ちは変わりませんか?」


 元康は、空となった湯呑の底を見る。


「俺は、この清州きよすまでの道中、幾度も心が折れかけたでござる」


 元康は湯呑を回す。


「そのたびに励まされ、立ち直り、ここまでやってきたでござる」


 元康は、手酌で湯呑に熱燗を注ぐ


吉法師きっぽうしさまに認められたくて」


 なみなみと注ぐ


「自分を認めたくて」


 その湯呑を手に取る


「俺は、吉法師きっぽうしさまの友でありつづけたい。信長殿の横に並び立ちたいのでござる!」


 元康の両の眼から涙がこぼれおちる。その涙を飲み干すかのように湯呑の熱燗を飲む。



「では、松平の今川からの独立、ならび織田家はその支援を行い、対等の同盟者となる。これで異論はありませんね?」


「格別の扱い、痛みいるでござる。すぐにでも、織田家に追いついて、追い越して見せるでござる」


 涙をながすそのままで、信長から差し出された手を、元康は両の手で握りしめる。ああ、俺はこの方の友として、まだ認められているのであるのかと。そして、対等のものであり続けようと。


 宴は夜遅くまで続いた。信長と元康、二人の邂逅を祝うかのように、会合の席は盛り上がりを増していったのだった。


 明けて次の日の正午、信長と元康は、同盟締結の証文にサインを書き、手形を押した。ここにのちの世で言われる、織徳しょくとく同盟は成ったのである。

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