ー巨星の章 5- 村井貞勝(むらいさだかつ)の過去
「そう言えば、堀くんにこの前、神域に達する御業バージョン2を試してみたのですよ。そしたら、彼、襖を3枚突き破って、庭まで飛んで行ってしまいましたねえ」
「ふひっ。堀殿も災難なのでございます。彼はその後、どうなったのでございますか?」
「あれ以降、先生の前に現れないのですよね。うーん、先生としては吹っ飛ばす飛距離よりも、その場で崩れ落ちるように床につっぷす感じなのを目指しているわけですが、中々に難しいのですよ。力加減が」
「堀秀政からは休職願いが出されていたのは、そのせいかなのじゃ。傷病手当を出すから、田舎に引っ込むのはやめるのじゃと説得することになったのじゃ!」
貞勝がたまらず、信長に対して諫言を行う。
「貞勝くん。堀くん、どれくらいで復帰できそうですか?先生としては、もう2,3発、喰らわしてやろうかと想っているのですが?」
「だから、それをするなと言っているのじゃ!何か?殿は堀秀政が嫌いなのかじゃ?」
「いや、逆ですよ?将来性たっぷりなので、ついイジメたくなる女の子の気分なのですよ。いやあ、彼は将来、化けますよ?いいですねえ、信忠くんの代は。氏郷くんと良い、堀くんと良い、あと、勝家くんの親戚の佐久間盛政くんも将来が楽しみです」
「将来、楽しみなのは結構なのじゃが、織田家の将来を潰さぬためにも、殿には頑張ってもらわなくてはいけないのじゃ」
貞勝の言いに信長がふむと息をつく。
「では、真面目にお仕事の話をしましょう。光秀くん。岐阜城の東にある、鳥峰城と苗木城の防衛に向かってください。信玄くんのことですから、岩村城はそう簡単に落ちないでしょう。信玄くんが本国に戻ってから、取り戻す策を本格的に練りましょう。それまでの間、その2城が落とされぬよう、踏ん張ってください」
「ふひっ。来年の冬の到来を待つわけでございますね。信濃と岩村城は雪で道が閉ざされるのでございます。その機を狙えと言うことでございますね?」
「まあ、そう言うところです。さすが、光秀くん。察しが良くて助かります。次に、貞勝くん。氏郷くんと堀くんを光秀くんの代わりに宇佐山城へ入城するように通達を出してください」
「堀は殿が可愛がったせいで、しばらく、出仕できないのじゃ。何を言っているのじゃ」
「何を言っているかと言いたいのは、こちらのほうですよ。将たる者、戦で傷を負うことなど、日常茶飯事ですよ?怪我を押してでも仕事をするのが一流の将になるための条件とも言えます」
「ふひっ。信長さまは厳しいお方なのでございます。首に縄をつけて、氏郷殿にでも運んでもらえばいいのかと思うのでございます」
「怪我人に対しては、少しは優しくするのも、主君の務めではないかなのじゃ。まったく、堀は荷台にでも積んで、宇佐山城に運ぶよう、手筈を整えておくのじゃ」
貞勝は、やれやれと言った表情を顔に浮かべる。
「さすが、頼れる男、貞勝くんですね。先生は貞勝くんに出会えて、幸運でしたよ」
「出会いは最悪だった記憶があるのじゃ。仕官を嫌がる、わしの首に縄を巻いて、勝幡城に連行したのじゃ。少しはひとの話を聞く態度を持つのじゃ」
「だって、貞勝くんみたいに、数字の計算に強くて、さらに内政にも才能を持つ人物なんて、あの当時は織田家に居ませんでしたからね。なんで、貞勝くん、武家の出でもないのに、内政に強いんですか?」
「うーむ。そう言えば、殿には、織田家に仕官する前の話をしていなかったなのじゃ。あれは忌まわしき記憶ゆえ、あまり、ひとには話したことがなかったのじゃ」
「ふひっ?貞勝殿は武家の出ではないのでございますか?村井と言う苗字を名乗っている以上、そこそこの武家の出だと想っていたのでございます」
「ああ、貞勝くんの苗字は先生が召し抱えた時に、彼が名乗り出したのですよ。昔から先生に仕えてる将で、元々、苗字を持っているひとなんて、あまり居ませんよ?」
「そうなのでございますか。色々と噂には聞いていたのでございますが、信長さまが出自を気にせずに採用しまくっていたのは本当の話だったのでございますね」
「もう20年近く前になるんですねえ。先生の家がまだ、守護代の家老だったのが。それから、織田家は随分、大きくなったものです。で、貞勝くんの昔話に戻りましょうか」
「うっほん。殿に仕える前は、近江の地に居たのじゃ。商人の息子として生を受けたのはいいが、賊に家を襲われて、わしと愛娘だけが生き残ったのじゃ。このままでは暮らしていけぬと、新天地を求めて、尾張に流れ着いたと言うわけじゃ」
貞勝の言いに、信長と光秀が手ぬぐいで目尻を抑える。
「ううっ。貞勝くんの背中の傷は賊に襲われたときにできたものだったのですね」
「ふひっ。貞勝さまは失われた家族のためにも、必死に生き延びたのでございますね」
「いや、背中の傷は、近江から尾張に向かう最中、関所を通りたくなかったから、山を抜けてきた時に、熊に襲われて、できた傷なのじゃ」
信長と光秀は、ずこっとコケそうになる。
「ちょっと、何、感動的な話を変なオチで落とそうとするのですか!先生、もらい泣きしたのが無駄になってしまったじゃないですか」
「知らんのじゃ。まったく、あの時は熊の子供が居たから、晩飯のオカズが増えるとワクワクしたのじゃ。だが、親熊が現れて、逆に熊の晩飯のオカズにされそうになったのじゃ」
「ふひっ。熊に襲われた時は死んだふりが良いと聞くのでございます。熊は死体を食べないと言われているのでございます」
「光秀くん。その知識は間違っていますよ?熊は生きたまま食べるのが好きみたいですけど、お腹が空いてたら、死体だって食べます。ですから、死んだふりはダメなのですよ。木に登るのが正解です」
光秀は、信長の言いにほっほうと感嘆の声をあげる。
「何を言っているのじゃ。熊に襲われたときは、死んだふりも木に登るのも悪手なのじゃ。一番、良いのはただひたすら逃げるのが1番なのじゃ。熊は登り坂は早く走れるのじゃが、下り坂が苦手なのじゃ」
貞勝の言いに信長と光秀が、ほっほうと感嘆の声をあげる。
「さすが、実際に熊に襲われた人間ですね。言葉の重みが全く違います。先生、何故か、山に入っても、ほとんど熊に出くわさないのですよね。最近、熊に出会ったのは、金ヶ崎から逃げるときに朽木砦を目指した時くらいですね。あの時は慶次くんが熊をふっとばしてしまいましたけど」
「それは、殿を恐れて出てこないだけなのじゃ。野生の獣は用心深いものなのじゃ。殿に出会えば、たちまち、熊鍋にされるのがわかっているだけなのじゃ」
「ああ!熊鍋が食べたいですね。猪鍋も美味しいですが、たまにはガツンと来る臭みたっぷりの熊肉が恋しくなりました。勝家くんに頼んで、京の都に送ってもらいましょうか」
「ふひっ。その時は僕もご相伴させていただたきたく思うのでございます。あっ、ダメなのでございます。僕は鳥峰城の防衛に行かないといけないのでございます。信長さまがうらやましいのでございます」
「勝家殿は、信玄対策に岐阜城に配置させたのではなかったかのじゃ。武田家が本国に帰るであろう、4月まで待つのじゃ」
貞勝は、はあやれやれと嘆息する。
「しょうがありませんねえ。じゃあ、貞勝くんに今から山に籠ってもらって、熊を1匹ほど、捕まえてきてもらいましょうか。それで、解決ですね」
「何をいっておるのじゃ!大体、わしが熊に勝てるわけがないのじゃ。適材適所と言う言葉を知らぬのかじゃ」
「さすがに貞勝くんに素手で熊と闘えなんて、先生、言いませんよ。槍、弓、鉄砲、刀、前田玄以くん、この中の好きなもの、ひとつを選んでください?」
「玄以は論外として、鉄砲を借りたいところじゃ。って、今は、そんな話はどうでもいいのじゃ。殿のせいでどこまで話したか、忘れてしまったのじゃ」
「ふひっ。近江から尾張に向かう途中に山道を通っていたら、熊に襲われて逃げたと言うところまででございます」
光秀が貞勝にそう言う。貞勝は、うっほんと咳払いをし
「でじゃ。命からがら、尾張までやってきたは良いが、路銀が底をついてしまったのじゃ。そこで、佐々の家に、なんでもするから下男として雇ってくれと頼んだわけなのじゃ」
貞勝の言いに、信長がほっほうと声を出す。
「では、佐々くんとその奥さんの梅さんとは、それがきっかけで出会ったわけなのですね?いやあ、佐々くんもいやらしいですねえ。その時から奥さんを仕込んでいたっていうわけですかあ」
信長がニヤニヤとした顔つきで言う。
「ん…。信長さま。それは間違っている。自分は純粋な気持ちで貞勝さまと梅ちゃんを助けたいと思っただけ。やましい気持ちは、その時は無かった」
「おおおおおおううう!佐々くん、いつの間に横に居たんですか!」
いきなりの佐々の登場に信長が大変、驚く。
「ん…。信長さまに相談したいことがあって、京の都に戻ってきた。そして、部屋にきたら、貞勝さまと光秀殿と殿が楽しそうに会話していたので、邪魔にならないように信長さまの横で聞いていた」
「まったく、佐々も来るなら一言、書状でも送ればいいものをじゃ。茶とせんべえくらいしか用意できないのじゃ」
「ん…。それで充分。貞勝さま、ありがとう。お茶とせんべえを早く持って来てください」
貞勝が離席し、5分後にまた戻ってきて、ちゃぶ台に佐々の分のお茶とせんべえを用意する。それを受け取った佐々が、ぽりぽりぽりぽりとせんべえにかじりつくのであった。