ー放虎の将19- 家康の負け姿
徳川家の皆が仲良く便意に襲われ、垂れ流しの刑にあっているところに、ひとり、男が浜松城へと帰還を果たす。
「いやー。まいったんやで。死にもの狂いで浜松城に帰ってきてみたら、こんなうんこ臭漂う大参事になっているとは思わなかったんやで」
その男とは影武者・徳川家康ーズの情けの5号であった。彼は運が良いことに地獄の戦場から無事に逃げ出すことに成功を果たしているのであった。
家康は自分の影武者が生き残ったことにおおいに喜ぶことになる。
「お前は確か、情けの5号でござったな。いやあ、俺の影武者は全員、死んでしまったとばかり思っていたでござる」
家康は、両手で情けの5号の両肩をばんばんと叩いて、がしっと抱きしめる。
「家康さま、痛いんやで?わいは、家康さまとの約束を果たすために生き延びてやったんでやんす!」
「確か、山盛りの天麩羅を食べたいと言っていたでござるな?後で用意させるから、楽しみに待っているでござる」
「やったんやで!これで、久しぶりのご馳走にありつけるんやで!いやあ、ひでよしくんから家康さまを助けてきてくれと言い渡された時は、どうしたものかと思っていたでやんすが、捨てる神あれば拾う神有りと言うでやんすねえ。よっしゃ、家康さま、女もつけてくれえや。今夜は酒池肉林やで!」
情けの5号の言いに、えっ?と言う顔つきになる家康である。
「なんと、織田家の出世頭の秀吉殿の配下でござるのか?情けの5号は。何故、そのような男が、俺の影武者をやっているのでござる?」
「いやあ。ひでよしくんが、四殿なら絶対に役に立つはずだと、わいをこっそり送りこんでいたんやで。わいはこう見えても48の寝技と52の得意技があるんやで!その得意技のひとつに釣り野伏せと死んだふりがあるんや。敵さん、わいの反撃に大層、おどろいておったわいや!」
ひとつじゃなくて、ふたつじゃないのでござるか?とツッコミを入れたい家康である。だが、そんなことはどうでもいい。秀吉殿がまさかこっそり、俺の命を救うために策を実行していたことに驚きを隠せないのである。
「秀吉殿には感謝してもしきれないでござるな。情けの5号よ、大義であったのでござる。今は武田家と戦中のために、秀吉殿の元へ送り返せないでござるが、出来る限りのもてなしをさせてもらうでござる」
「いやあ。ひでよしくんからは、特に生きて帰ってこれなくても良いですよ?と言われていたんやで。わい、このまま、家康さまの影武者をずっと続けていこうかと思ってしまうんやで!」
えっ?秀吉殿。一体、どういうつもりでこの男を送ってくれたのでござる?
「もしかして、秀吉殿はお前に死んででも俺を守るようにと言っていたのでござるか?」
「うーん?どうなんやろうな?わい、悪運だけは強いから、どんなことになっても死なないとでも思って、ここに送りだしてくれたんやと思うんやけどなあ?わいの悪運を家康さまに分け与えろってことじゃないでやんすかねえ?」
あれ?もしかして、特に秀吉殿は何かを期待して、この男を俺の元へと送ったわけではないのでござるか?
「つかぬことを聞くでござるが、お前は秀吉殿の何なのでござる?」
「わいでやんすか?聞いて驚くんじゃないんやで?わいの名前は椿四十郎なんやで!ひでよしくんの今までの活躍の裏では、全て、わいが暗躍していたと言って、過言ではないんやで!」
あかん。これはただの厄介払いでござる。秀吉殿はこの四十郎と名乗る男を合法的に始末する気だったのでござるな。すまないでござる。この男、自分で言うように悪運がすごいでござる。
んっんーと家康は咳払いをする。
「ところで、四十郎殿と一緒にさせていた、6号はどうしたでござる?四十郎殿が無事なら6号も無事の可能性が高いのでござる」
「四十郎なんて水臭い言い方は無しやで。四と気軽に呼んでくれやで。で、わいと一緒に居た影武者6号くんは、馬にひかれて善光寺なんやで。惜しい奴を亡くしたもんやで」
馬にひかれて善光寺?牛にひかれてではないかでござるか?と思う家康であるが、いちいちツッコミを入れるのも馬鹿らしくなってきたのでスルーを決め込むことにする。
「そうでござるか。影武者6号の墓前に何か供えてやらねばならないでござるな。彼の遺体は見つかるでござるかなあ」
「無理とちゃいます?影武者と言っても、あちらはんは本物か偽物か、わからないでやんす。遺体は首級を取られて、信玄くんの元に持っていかれるはずやで。それに、死体剥ぎも出てくる頃やろうやし、首級のない死体なんて、ごろごろしているはずやから、判別つかないんやで」
四の言いに、家康ががっくりと肩を落とす。遺体を丁重に弔うことすら許されぬのかと、落胆するのである。
「みんな、俺のために死んでいくのでござるな。きっと、四殿以外の影武者は全員、討ち取られているのでござろう。いくら、俺の代わりに死ぬのが役目と言えども、俺は俺が許せないのでござる」
「そんなに気にするのならば、今回の失敗を忘れないようにしておくんやで。せや。わいの52の得意技のひとつに絵描きがあるんやで。家康さまが今回の失敗をいつでも振り返れるように、わいが、今の家康さまを描いてやるんやで!」
家康はふーむと息をつく。なるほど、この男、存外、秀吉殿が家臣にしているだけのことはあるのではないかでござると想う。
「四殿。その提案、喜んで受けるでござる。ちょっと、今、ウンコがお尻ですごいことになっているでござるから、風呂に入ってくるでござる」
「何を言っているんやで?そのウンコがすごいことになっている姿を残すことこそが大事なんやで?屈辱にまみれた姿を残さないで、何を反省するんやで!」
家康は四の言いに思わず、くっと唸る。確かに、この男の言っていることはもっともだ。何を綺麗さっぱりとした姿で自分の絵を残そうとしているでござる!このぼろ負けして、ウンコを漏らした姿にこそ、価値があるのでござる!
「四殿。俺が間違っていたのでござる。さあ、このウンコを漏らしたままの情けない俺の姿を特と男前に描いてくれでござる!」
「よっしゃ、その意気やで。さすが、1国の大名やで。それくらいの気概が無ければ、徳川家の首領とは言えないんやで。でも、男前に描けるかどうかはちょっと難しいんやで。家康さまは、今、すごい顔をしているんやで?」
四にそう言われ、家康は側付きに手鏡を持ってこさせる。そして、自分の顔を確認するやいなや
「うおおおおおお!なんと言うことでござる。三河1と言われた美青年の俺の顔がああああ。頬がこけて、眼玉が飛び出さんばかりになっているでござるううう。こんなの俺の顔じゃないでござるううう!」
「まあ、そこまで追い詰められたと言う証拠なんやで?だからこそ、絵に描いて残す価値があるとわいは考えるんやで。さて、絵の具と筆の準備が出来たやで。家康さま、そこでポーズを取ってほしいでやんす」
家康は男前に描いてもらうことを諦めて、せめて、恰好だけは良くしようと両腕を広げ、肘を曲げ、力瘤をぐぬぬと四に見せつける。
「何をやっているでやんすか。そんなポーズ、誰も頼んでいまへんわ。もっと、敗者らしいポーズをお願いするんやで」
四が半ばあきれ顔でそう言うのである。
「ダメでござるか?うーん、意外と難しい要求でござるなあ。敗者らしい姿と言えば、どんな姿が良いのでござるかなあ?」
「厠できばってる姿を描いてもったほうがいいと思うなのだ」
忠勝が出す物、出してすっきりした顔で家康たちの前に現れる。
「忠勝、それはちょっとどうかと思うでござるぞ?そんなもの絵に残したら、さすがに俺の子孫だって嫌にきまっているでござる」
「だめなのかだ。うーん、良い案だと思うのに残念なのだ。忠次殿はどんな姿が良いと思うか?なのだ」
だが、忠次はまだ便意が収まらないのか、腹を抑えたまま、ぶりぶりぶり!と豪快に音を立てている。
「うう。うっ!また波がやってきたのでござる。これ以上、生き恥を晒すのは嫌なのでござる。いっそ、武田の騎馬軍団に殺されていたほうがましだったのでござる」
苦痛の表情で忠次が、身もだえしている。家康と忠勝は人間としての尊厳をかけて闘っている忠次を放っておくことにした。
「で?一体、どんな姿が良いのでござるか?やはり、皆が絵を見た時に、俺の雄姿が再確認できるようなものが良いのでござらぬか?」
「そうでやんすねえ。雄姿はこの際、諦めるのがいいんやで?こう、何と言うか、負けて負けて負けまくって、それでも生き延びてしまった自分を許せない。そんなのが絵からあふれだすようなのが良いんやで!」
四の言いに家康がふーむ?と息をつく。
「自分を許せない姿でござるか。例えば、こういうのはどうでござるか?」
家康が体中に力を込めて、ふぬぬぬと唸りだす。肌には血管が浮き上がり、筋肉が膨張していくのである。そして、両目から血涙を拭き出させるのだ。
「おお。さすが家康さまやで!でも、もうちょっとひねりが欲しいんやで?せやなあ?椅子に座って、貧乏ゆすりをするって言うのはどないや?」
これでも足らぬでござるか。芸術の世界とは厳しいものでござるなあと思いながら、家康は側付きの者に椅子を用意させる。そして、持ってこられた椅子にどかりと座り、ふぬぬぬと唸り、再び、体中に力を込めて、全身全霊で貧乏ゆすりをしだす。
「おお、いいんやで、いいんやで!まさに、わいの思い描く敗残の大将やで!そこで、さらに右手の親指の爪を噛むんや。好いた女を親友に寝取られるところを想像するんや!」
家康は四に言われるままに、手袋を外し、右手の親指の爪をがじがじと噛み始める。
「いいんやで。いいんやで!わいの芸術心が揺さぶられるんやで。ほな、そのままの姿勢で1時間、止まっていてほしいんやで。おっとこまえに描きあげてみせるんやで!」
「ちょっと力を入れすぎて、お腹がまた痛くなってきたでござる。1時間と言わずに5分で済ませてほしいでござるううう!」
「いいんやで。いいんやで!そこでウンコを漏らしてしまおうか。画竜点睛とはまさにこのことや。ウンコ成分が足りなかったんや!」
結局、四が家康を描き終わるまでに、延べ、3回ほど達してしまうのである。この時に描かれた家康の絵は「家康のしかめ像」として、後世に残っていくことを、彼はまだ知らないのであった。