ー放虎の将17- 散り逝く、影武者・徳川家康ーズ
徳川の本隊2000と酒井忠次が率いていた4000は、前から武田の本隊、そして、脇腹を山県昌景の300の騎馬軍団に蹂躙されていく。
徳川の兵士たちは手に持つものなら、なんでも投げた。弓で矢を放ち、槍を投げ、被っていた額当てを脱ぎ捨てぶん投げる。すでに崩壊の兆しを見せていただけあって、その必死の抵抗に武田の諸将は面喰らうことになる。
「必死に抗おうとするのは健気でござるなあ。しかし、抗えば抗うほど、死ぬまでに痛い眼を見るでござるぞ?」
馬場信春は自分が率いる騎馬軍団に突貫を命じる。自分から見て左翼に展開していた4000の兵に突っ込んでいく。
「僕にも手柄を残してほしいのでございます。あそこに立派な鎧兜姿の将が見えるのでございます。あいつの首級を取ってみせるのでございます!」
高坂昌信も馬場に遅れぬようにと、自分が率いる騎馬軍団に突貫を命じる。
「あそこに見える将はもしかしたら、家康本人なのかもしれないのでございます。多分、どちらかは影武者かも知れないので、2人とも斬ってしまうのでございます!」
影武者・徳川家康ーズの9号・10号は馬場と高坂相手に奮戦していた。彼らは武田四天王の2将を相手にし、次第に、身に着けていた鎧はぼろぼろになっていく。
「まだ、あと1分あるのですわ!皆さん、努力の9号に力を分け与えてほしいのですわ!」
「勝利の10号が、最後の力を見せつけてやるのでしゅ!死にたい者だけ俺についてくるでしゅ!」
影武者・徳川家康ーズの努力の9号、勝利の10号がわずか10名の志願者を引き連れて、迫りくる騎馬軍団に突っ込んでいく。
ある者は手に槍を持ち突貫していき、思いっきり、重装騎馬軍団にはね飛ばされる。
ある者はその騎馬軍団を止めようと、両手を大きく開き、正面から騎馬とぶつかり、吹き飛ばされる。
ある者は今まで鍛え上げた筋肉を解放し、つっぱりを騎馬に対して繰り出す。しかし、そのつっぱりを放った腕は騎馬とぶつかった瞬間にへしゃげ曲がり、その身ごと、宙に舞いあげられる。
「そこに見えるは徳川家の重臣と見えるでござる!拙者の功にさせてもらうでござる!」
馬場はそれが誰かも知らずに馬を走らせ、肉薄する。
「自分は家康なのですわ!この首級、見事、取って、後世への誉れとするのでいいのですわ!」
影武者9号がそう高らかに宣言する。馬場はほほうと、息を飲み、ついで、ニヤリと不敵な笑みを顔に浮かべるのである。
「家康め、こんなところに居たでござるか!逃げずにいたことは褒めておいてやるでござる!」
馬場は操る馬を家康と名乗る男の乗る馬に体当たりを喰らわす。思わず、影武者9号は衝撃により、乗っていた馬からはじき飛ばされて、地面にもんどり返ることになる。
馬場の騎馬に当てられたことと、地面に激突した衝撃で、影武者9号は全身のあちこちの骨を砕かれることとなる。ああ、自分はここまでなのですわ。家康さま、徳川家をよろしくお願いしますのですわ。
9号がそう思う。できるなら、一緒に家康さまとひのもとの国が平和になっていく姿を見たかった。だが、自分は影武者である。家康さまのために死ねることを誇りにも思うである。
馬場は馬から降り、刀を抜き出す。そして、地面に転がる男に近寄っていき、その喉元に手に持つ刀を突きさすのであった。
「敵の総大将、家康を討ち取ったり!この戦の最大の功労者は馬場信春であるぞ!」
馬場がそう高らかに宣言する。しかし、影武者10号は、ふっふっふ、あーはっはっは!と笑いだし
「そいつは影武者なのでしゅ!俺こそが本物の家康なのでしゅ!」
影武者10号はそう言うと赤い包み紙を取り出し、その中身を飲みこむ。そして、湧きだす力と共に
「皆の者、逃げるのでしゅ!ここからは撤退戦に移行するのでしゅ。俺が浜松城に辿り着くのを援護するのでしゅ!」
徳川の兵士たちは、陣笠や槍、そして弓を放り投げ、一斉に逃げ出すのである。影武者10号もまた、その混乱に紛れ込んで、一気に戦場から離脱し始める。
「何をやっているのでございますか、馬場さま。影武者を討ち取って、名乗りを上げるなんて恥も良いとこなのでございます」
高坂がやや呆れた感じで馬場にそう声をかける。馬場はすっかり頭に血が上り
「くそがっ!家康如きが拙者をたばかるとは笑止千万でござる!皆の者、今、逃げて行った家康を全力で追うでござる!」
馬場は自分が率いる騎馬軍団にそう命令する。部下たちは、はっ!と応え、隊列を直し、影武者10号の逃げて行った先へ突っ込んでいくのである。
「あーあ、馬場さま、行ってしまったのでございます。あの男も多分、家康の影武者なのでございます。みんなー!馬場さまの馬鹿は放っておくのでございます。僕たちは本物を探しにいくのでございまーす!」
高坂には、予感があった。今、この場に残っている家康らしき男たちは全部、影武者である気がしていた。山県さまと信玄さまがこちらから見て右翼の徳川2000へ突っ込んでいるが、あそこにも家康はいないだろうと。
今、必死に抵抗を続けていた徳川の兵士のほとんどが、隊列を乱し、軍としては崩壊している。散り散りに逃げるように見えるが、じっくりとその様子をみれば、大きな流れとしては、浜松城へと集合を目指しているように想える。
「うーん。これは、かなり前に家康は逃げてしまった可能性があるのでございます。でも、それを馬場さまと信玄さまが気づいてないと言うことは、少数で、さらに下馬して徒歩で目立たぬように逃げている可能性が高いのでございます」
しかしと高坂は想う。
「確かに、下馬していれば、この混乱の中、本物の家康を探すのは困難なのでございます。でも、先行して逃げてしまったのは失敗だったのでございます。きっと、いの1番に逃げている者たちの中に、家康は居るはずなのでございます」
馬場は影武者だと思われる男を追って、浜松城とは全然違う、あさっての方向へと向かって行ってしまった。しかも頭に血が上っている様子だったので、引き戻そうとしても無駄でございますねと高坂は想う。では、自由に動けるのは今、自分のみだ。ここで、家康を逃がせば、何のために三方ヶ原で戦ったのか、その意味自体を失ってしまう可能性がある。
「僕の部下の皆さん、散り散りに逃げる敵兵を追うのは禁止なのでございます!目指すは浜松城でございます。まっすぐ、ただまっすぐ、浜松城へと向かうのでございます。きっと、その途上に怪しげな集団がいるのでございます!」
高坂は素早く動く。自分の率いる300の騎馬隊に散り散りに逃げる敵兵を討って、功を上げることを禁じさせる。
「その怪し気な集団にこそ、大魚が潜んでいるのでございます。小さな功など捨ておくのでございます。徳川家の首領の首級をあげるのでございます。全員、馬に喝を入れるのでございます!目指すは家康の首級、ただひとつなのでございます!」
武田軍2万4千において、高坂率いる300の騎馬軍団だけが、浜松城へ向けて、駆け抜けていくのであった。
「ひいひいひいひい。浜松城はまだでござるか?いい加減、ズボンのお尻の部分がもっこりしてきたのでござる。これは相当な量が尻の穴から出てしまったのでござる。ああ、走りにくいのでござるううう」
家康が浜松城へと向けて、100人の兵たちに守られながら、走っていた。
「家康さま。浜松城の天守が見えるのでやんす!あと2キロメートルほど走れば、逃げ切れるのでやんす。やったでやんす。これで影武者としてのフラグをへし折ったのでやんす!」
情けの影武者5号がそう喜びの声をあげる。だが、その喜びの声はすぐに絶望の悲鳴へと変わるのである。高坂率いる300の騎馬軍団がまっすぐ突っ込んでくるのである。
「来たでござるううう!悪魔がやってきたでござるううう。5号、6号、100の内、半分の50人を連れて、北東へ進路を変えるでござるうう!」
「えええええ!ここまで来て、死ぬのは嫌でやんすううう!家康さま、自分の代わりに死んでくれでやんすううう」
「おい、情けの5号。お前の使命を忘れたっすか!ぼくちんたちは家康さまのために命を捨てると、影武者になった時点で決めていたじゃないっすか!眼を覚ませっす!」
愛情の6号が情けの5号の顔に思いっきり拳を叩きこむ。
「はっ!つい忘れていたでやんす。自分は家康さまのために、この命を使うとあの時、決めたでやんす。愛情の6号、すまないでやんす。自分が間違っていたでやんす」
情けの5号と愛情の6号が、がしっとしがみ合う。そして、涙をハラハラとハラハラと流すのである。家康はそんな2人を見つめながら、そんなことは今、しなくていいから、さっさと行ってほしいでござると思っていたが、今生の別れとなる可能性が大なので、好きなようにさせておくのであった。
「家康さま、ご武運をでやんす。きっと、自分は生きて帰ってくるでやんす。その時は、お膳いっぱいの天麩羅の山で出迎えてほしいでやんす!」
「敵が自分たちのほうに来るようにひきつけとくっす。家康さま、早く行ってくださいっす!」
「すまないでござる。すまないでござる。お前たちの忠義、ありがたいのでござる。情けの5号の墓前には、山盛りの天麩羅を供えさせてもらうでござる!」
家康は流れる涙をそのままに、ここまでついてきた50人の兵士と、影武者5号、6号と別れを告げる。そして、また再び、家康は浜松城に向けて、走り出すのであった。
高坂は冷静に前方を見る。敵は100ばかりの兵であったが、冷浜松城に向かう50と北東へ進路を変える50に集団を分けていっている。
「北東に進路を変えたのはフェイクの可能性が高いのでございます。ですが、あれに見える鎧兜の姿の2人は捨て置けぬのでございます。もしものことを考えて、300の内、150を追わせるのでございます。縄無理之助、北東に向かった敵兵を150で追うのでございます!」
縄無理之助と呼ばれた男は、はっ!と威勢よく応え、すぐさま半分の150を率いて、北東へ逃げた徳川の兵50を追いかけるのであった。