ー放虎の将16- 速さが通常の3倍 しかし
「死地に向かえと言われながら生き延びろと言うその命令を完遂できるかはわからないっす。でも、家康さまが生き延びれと言われるのであれば、ぼくちん、死んでも生き返ってみせるっす」
愛情の影武者6号がそう応える。
「んだんだ。家康さまは本当に優しい方でございます。わいらのことなんて、ほっとけば良いのでございます。でも、ご命令とあれば、死んでも生き返ってみせるのでございます」
友情の影武者7号がそう応える。
「だども、酒井忠次さまはどうするんだべ?あの方にも逃げてもらわねばならないだべ。きっとあの人のことだから、我輩もここで敵を食い止めるでござると言うに決まっているんだべ」
努力の影武者8号がそう応える。
「忠次殿ならとっくに逃げているんじゃないかなのだ。さっきから本隊の右翼がまったく動いてないなのだ。どう見ても指揮官不在としか思えないなのだ」
忠次がそう推測を言う。
「なんだとでござる!あいつ、旗色が悪いと見るや、逃げ出したでござるか!ええい、生きて浜松城に辿り着いたら、説教をしてやるでござるううう!」
「説教を喰らわせられるのは勘弁でござるよ、殿。大体、何も言わずに逃げるわけがないでござる。影武者・徳川家康ーズの9号と10号に後は任せて、殿の様子を見にきたのでござる」
いつの間にやら、忠次までもが、家康の元へと集まっていたのである。家康は想わず面喰らい、忠次の顔をまじまじと見るのである。
「言われてみれば影武者9号と10号の姿が見えぬと想ったら、そう言うことでござるか。いやあ。つい、忠勝の言いを信じて、忠次は先に逃げたと思っていたでござる」
「おい、忠勝。殿が不安になるようなことを言うでないでござる。おかげでこっそり、逃げることができないと想って、わざわざ弁明しにこざる得なくなってしまったでござる。忠勝を殿の副官にしていたことをすんでで想い出して良かったでござるよ」
「ちょっと待つでござる、忠次。その言いだと、忠勝が俺の副官をやっていなかったら、真っ先に逃げているつもりでござったのかあああ!」
「当然でござる。何、殿は存外しぶといので、拙者がいなくても生き延びると思っていたのでござる。いやあ、用心して、本隊の方に顔を出して、正解だったでござるよ」
忠次の悪びれない言葉に、ぐぬぬと唸る家康である。
「で?忠勝よ。殿にはとっておきの薬については説明をしてあるでござるか?」
「そこはばっちり説明をしてあるなのだ。あとは、家康さまが覚悟して薬を飲み干すだけで準備完了なのだ」
「ちょっと待つでござるううう。俺、この歳でうんこをぶりぶり出しながら走りたくないでござるううう!他の策を示せでござるううう!」
「なあに。殿だけが薬を飲むわけではないでござるぞ?拙者も、もちろん、忠勝もその薬を飲むでござる。皆で仲良く、うんこを漏らしながら、浜松城まで逃げるのでござる」
「これは、浜松城に着いたら、まずは皆でズボンとふんどしの洗濯になるなのだ。今日と明日は晴れることを願うなのだ」
忠次と忠勝が、互いの顔を見ながら、はははっと笑いあうのである。家康はその2人の笑い顔を見つめ、やれやれ仕方ないでござるか。背に腹は代えられぬと悟りの境地に至るのである。
「脱糞、みんなですれば怖くないでござるか。こと、ここに至っては仕方ないのでござる。でも、無事、浜松城に生きて戻れたら、信長殿には文句の書状のひとつでも送ってやらねば、気がすまないのでござる!」
「感謝状の間違いなのでござらぬか?うんこひとつで命が助かるのでござる。いやあ、拙者、昨晩から何も食べてないでござるから、それほど量が出ないと思うから安心でござるよ」
「忠次殿だけ、汚いなのだ。忠次殿は、ひょっとして、こうなることを予測済みだったのか?なのだ」
「いや?ただ単に、武田家が天竜川を渡ってから、胃がキリキリと痛みだして、喰うに喰えなかっただけでござる。いやあ。ここまで野戦でぼろぼろにされると、逆にすがすがしい気分になるでござるな。胃の痛みがどこかに飛んで行ってしまったでござる」
「そうなのかなのだ。これは要らぬ詮索をして、済まなかったなのだ。忠次殿でも胃が痛くなることがあるかなのだ。これは良いことを聞いたなのだ」
忠勝は頭を下げて、忠次に謝罪するのであった。
「よっし、疑いも晴れたことでござるから、みんなで、ぶりぶりと行くでござるか!」
忠次はそう言うと赤い包み紙を手にとり、その中身をごくりとひと飲みにするのである。
「おおおおおおおおおお!きたでござるぞおおおおおお!」
「忠次、それは便意でござるか?」
家康が冷静に忠次にツッコミを入れる。
「力が身体の奥底から湧いてくるでござるううううう。これはとてもいい気分でござるううう!」
忠次はそう言うと、一目散に逃げ出すのである。しかも、その足の速さは説明を受けた通り、通常の3倍になっている。そして、ドドドドドドッと地面を揺らし、瞬く間に浜松城へと走っていくのである。
「おお、本当に足の速さが通常の3倍になっているでござる。これで、うんこがだだ漏れにならなければ完璧だったのでござる」
「じゃあ、おいらも薬を飲ませてもらうなのだ。家康さま、浜松城で会おうなのだ!」
忠勝がそう言うと同じく、赤い包み紙の中身をごくりとひと飲みにする。
「おおおおおおおおお!これは忠次殿の言う通りなのだ。力が全身にあふれてくるなのだ!」
「忠勝、誠でござるか!では、俺も薬を飲むでござるううう!」
家康が続いて、赤い包み紙の中身をごくりとひと飲みにする。
「ううん?別段、力なぞ湧いてこないでござるぞ?」
家康がそう疑問した瞬間に
「おおおおおおおおお!便意が急激に迫ってきたでござるううう。これ、俺だけ、違う薬を飲まされたのではないかでござるううう?うぐおおおお、我慢ができなのでござるううう!」
家康が腹を両手で抑えて必死に便意に抗おうとする。だが、その抵抗むなしく、ぶりぶりっと尻の穴かから何かが出てくる感触に襲われ、お尻が生暖かく感じてしまうのである。
「ううううう。この歳になって、うんこを漏らしてしまったでござる。これでは、ただ、うんこを漏らしただけのくたびれ儲けでござる」
家康が地面に横たわりながら、しくしくと涙を流す。
「おかしいなのだ?皆、同じ薬を配っているはずなのだ?なんで、家康さまだけ、効果が違うなのだ?」
忠次がそう疑問を口にするのであった。家康はただただ、しくしくと涙を流す。しかし、尻の穴から何かが漏れ出ると同時に、力が身体から湧きだすのである。
「あれ?なんでござる?尻の穴から出せば出すほど、身体が熱くなっていくでござる。これは、なんでござる?ひょっとして、俺の場合は順番が逆なだけでござるのか?」
家康は立ち上がり、軽く走ってみる。するとどうだろう。眼に映る景色が流れるように自分の後ろへ後ろへと移動していく。
「おおおおおおお!これは新世界を垣間見ている気分なのでござるううう。これは最高に気分がハイなのでござるううう!」
「心配したなのだ。これで、逃げる準備はばっちりなのだ。それじゃ、おいらは浜松城に先に帰るから、家康さま、あとで会おうなのだ!」
忠勝はそう言うと、一目散に浜松城へと走っていく。その姿はみるみると小さくなっていき、やがて見えなくなってしまうのである。
家康は残された兵士たちと影武者・徳川家康ーズに命令を出す。
「あと10分だけ、粘ってほしいでござる!そしたら、あとは各自、自由に逃げてほしいでござる。決して、武田軍とまともにやり合わないようにするでござる。手に持っているものは全て、敵に投げつけてでも時間を稼いでほしいでござる」
あと10分。5分もせずに本隊との別動隊である2000は敵の騎馬軍団により全滅するであろう。実質5分を戦わなければならない。だが、その10分で自分の主君が助かる見込みが出てくる。徳川の兵士たちは最後の踏ん張りどころだと意を決し、うおおおおおおお!と声をあげる。
「影武者・徳川家康ーズの3号・4号、本隊の残り2000を任せたでござる!5号から8号は俺と一緒に逃げるでござる。すまないでござるが、3号・4号、俺の代わりに死んでくれでござる!」
「家康さま、ここでお別れでなんだぶう。速さの3号、ここに眠るぶう。辞世の句は、【あの世で一杯 酒池肉林】とでも墓石に刻んでほしいんだぶう」
「おいどん、知恵の4号、その賢さはかの今孔明、竹中半兵衛殿と匹敵すると後世に残してほしんでごんす。可愛い男の子を布団に招き入れる策なら、100はとっさに思いつくのでごんす」
こいつらに後を任せて大丈夫でござるかなあと思う、家康であるが、ここは贅沢を言っている時間はない。
「5号から8号、赤い包み紙の薬を飲むでござる!なあに、すこし、うんこが漏れるだけでござる。決して、俺から遅れないようについてくるでござる!」
「生きて浜松城に帰れたら、情けの5号の僕は鹿肉の天麩羅を所望するでやんす。もちろん、ひとつの天麩羅を家康さまとはふはふと食べるのでやんす!」
「5号は何を言っているっす。ぼくちんたちは家康さまの最期の盾っす。愛情の6号と呼ばれたぼくちんが、家康さま守り切ってみせるっす。浜松城までの道を切り開いてみせるっす!」
家康は頭が下がる想いだ。影武者たちが生き残れる可能性は圧倒的に低い。いの1番で狙われるであろう、自分についてきているのだ。しかも自分と同じ格好をしている。果たして、この影武者・徳川家康ーズで生き残れるものは居るのだろうか?だが、そんな心配をしている暇はない。
「では、俺は逃げるでござるううう!あとは、任せたでござるううう!」
家康の絶叫が三方ヶ原の地にて、こだまする。彼は全てを捨ててでも生き残る決意をしたのであった。