ー放虎の将10- 男泣き
「あれ?なんで敵は浜松城を包囲するわけでもなく、あんな天竜川を背にしたまま、待機しているのでござる?もうかれこれ1週間は経とうとしているでござるぞ?」
家康はそう疑問を家臣たちに言う。
「うーむ、皆目、見当がつかないでござる。何かを待っているつもりなのでござるか?さらなる増援部隊を本拠地の甲斐から集めるつもりなのかもしれないでござる」
酒井忠次がそう、家康に回答する。
「でも、おかしくないかだぎゃ?ここ浜松城を攻めるにしろ、西進するにしろ、あんなところで信玄が立ち止まる理由がわからないのだぎゃ。それに、甲斐、信濃、駿河、上野の一部を手中に収めているからといって、2万4千もの大軍をねん出しているのだぎゃ。これ以上は上杉対策のために本国からは増援は見込めないはずなのだぎゃ」
榊原康政がさらに疑問を呈す。
「信玄は天竜川を渡るときに、たらふく川の水を飲んで、腹でも下したんじゃないのかなのだ。あそこの川はいろいろなものが浮いているなのだ。赤子のおしめから、おじいちゃんまでもが流れてくるなのだ」
忠勝の言いに、はああああと長いため息をつく、家康、忠次、榊原である。
「赤子のおしめが流れてくるのはわかるでござるが、おじいちゃんが流れてくるってなんでござる。いくら忠勝が馬鹿だからと言って、そんなもの流れてくるわけがないでござる」
「家康さま、そうは言っても、本当のことなのだ。おじいちゃんが熊と鮭の取り合いをしていたなのだ。おじいちゃんはあえなく熊に打ちのめされて、しくしくと涙を流しながら、川下に流れていったなのだ」
「ちょっと待つでござる。忠勝、お前、そのおじいちゃんを助けなかったでござるか?蜻蛉切バージョン2の試し斬りだと普段なら喜んで、おじいちゃんの加勢をするでござるよな?」
忠次がそう忠勝に質問をする。
「男たちが獲物を取り合うために戦っているなのだ。何故、それを横から邪魔する権利がおいらにあるなのだ。忠次殿だって、おいらが忠次殿が狙っている敵将の首級をおいらにとられたら嫌な気分になるなのだ」
「うーむ、そうでござるな。これは、拙者が間違っているのでござる。やはり熊相手と言えども男たちの真剣勝負でござる。それの邪魔をしてはいけないでござったな」
忠次がうんうんと頷く。何か言っていることがおかしくないかと思う家康である。
「まったく、何を言っているのだぎゃ。忠勝、お前はその熊がオスかメスかちゃんと確認したのだぎゃ?熊がメスなら男たちの真剣勝負と言う前提が覆るのだぎゃ」
「2人の勝負が終わったあとに、熊をぶちのめして熊鍋を堪能したなのだ。その時に確認したけれど、ちゃんといちもつがついていたなのだ。だから、おいらは間違っていないなのだ」
「おお、これは失礼なことを言ったのだぎゃ。それなら、正真正銘、男たちの一騎打ちなのだぎゃ。いやあ、忠勝も最近はまともなことを言うようになったのだぎゃ」
榊原がぺこりと忠勝にお詫びとして頭を下げる。忠勝のほうはまったくなのだ、はやとちりはいけないなのだと返している。
「そうではないでござるううううう!結局、熊鍋を行うつもりだったなら、おじいちゃんを助けてやるのでござるうううう。そのおじいちゃん、熊に打ちのめされるだけ、損だったでござるうううう」
家康がたまりかねて、忠勝につっこみを入れる。しかし、忠次、榊原、忠勝が何言ってんだこいつと言う顔をする。
「殿、お言葉でござるが、そのおじいちゃんの目的は鮭でござる。それゆえ、熊と戦わなければならなかったでござる。忠勝は男たちの真剣勝負を見守ったのでござる。何故、忠勝が叱責されねばならぬでござるか!」
「ひどい主君も居たものだぎゃ。いくら一騎打ちなど古臭いと言われる時代になったと言えども、往々にして、男と言う生き物は挑まれれば、受けざるえないなのだぎゃ。ここは、おじいちゃんと熊の戦いに決して手をださなかった、忠勝の美学こそ、褒めたたえるべきなのだぎゃ!」
「殿は一騎打ちもできないヘタレだから、おいらたちの美学なんかわかるわけがないなのだ。こんなのがおいらたちの主君をやっていられるのが甚だ疑問なのだ!」
「俺が一騎打ちを挑まれて、もし負けたら、どうするでござるうううう!そこで戦は終了でござるうううう。そんな馬鹿が総大将だったら、お前ら、嫌にならないかでござるかああああ!」
家康が魂の叫びをあげる。だが、しかし、忠次、榊原、忠勝が本当に何言ってんだこいつと言う顔をする。
「殿、何を言っているのでござる。上杉謙信と武田信玄は川中島で一騎打ちを行ったでござる。今川義元も、信長さまの言いでは、死の間際まで、信長さまの兵を斬り続けたそうでござる」
「そうなのだぎゃ。大将が戦で一騎打ちしたり、先駆けするのは有りえることなのだぎゃ。だからこそ、殿も刀の修練を欠かさずやっているのだぎゃ」
「家康さまもたまには徳川家の軍の先駆けをするなのだ。いつも後方に居られたら、士気が下がってしまうなのだ。信長さまを見習うなのだ。あのお方はいつも、戦では先駆けをやっているなのだ」
「あれ?言われてみれば、おかしいのは俺のほうでござるか?うーん?総大将は討ち取られてはいけないものとばかり考えて、いつも後方で指揮を執っていたでござるなあ」
家康が首を右に捻って、うーんと唸っている。
「確かに、総大将が討ち取られるのは大失態でござるぞ。信長さまだって、先駆けはするが、いつの間にかこっそり、本陣に戻っているでござる。要は、士気を上げるためにも戦の最初だけは軍の1番前で演説を行いつつ、先駆けを行い、こっそり、後ろに下がる。これこそ、戦の妙なのでござる」
忠次がそう家康をさとす。家康はコクコクと首を縦に振り、話を聞くのであった。
「優勢なときに敵将からの一騎打ちを引き受ける理由なんて全くもってないものだぎゃ。だけど、乱戦になればそうは言ってられないのだぎゃ。殿は運動神経は優れているのだから、もっと果敢に勝負を挑んでもいいのだぎゃ」
「総大将が逃げるのは恥ではないくらい理解しているなのだ。でも、最初から弱腰で挑まれるのは、家康さまの1軍を率いる身としては、少々つらいものがあるなのだ。おいらたちが敵将を瀕死にしておくから、その瀕死の奴を家康さま自ら、首級をはねてほしいと思うときも多々あるなのだ」
「うーん?瀕死の者をわざわざ、総大将の俺が討ち取るのはどうかと思うでござるぞ?」
「それくらいの非情さを持てと言う意味でござるよ、殿。殿は優しすぎるのでござる。勝っている時は威勢よく振る舞い、逆らうものに対しては非情さを見せるでござる。戦が終わったあとにだけ、殿は優しさを見せればいいのでござる」
「それに瀕死の敵将と言えども、総大将、自らが相手をしてもらえると思えば、その敵将だって、浮かばれるものだぎゃ。殿は優しさと甘さを勘違いしているのだぎゃ。しっかりしてほしいのだぎゃ」
「家康さまは信長さまのどこを見ているなのだ。あのお方ほど、優しさと非情さと甘さと厳しさの違いをわかっているなのだ。家康さまはしっかり、信長さまから学ぶべきことを学んでほしいなのだ!」
「なんか、忠勝の信長殿押しがすごいのでござる。もしかして、忠勝は俺より、信長殿のほうが好きなのでござるか?」
家康がそう忠勝に問いかける。
「この馬鹿あああああああああああああああああああ!」
すると忠勝が右手で拳を作り、ばきいいいいいい!と家康の左頬をぶん殴るのである。家康は何が起こったのか理解できず、ぽかーんと左頬に左手を添えたまま、忠勝を呆然と見つめる。
「家康さま、何を情けないことを言っているなのだ!おいらが惚れているのは家康さま、ただ1人なのだ。この世で尻を掘りたいと思っているのも、家康さま1人なのだ。自分の惚れた男が立派になってほしいなんて、男なら誰でも願うことなのだ!」
家康は忠勝の言いにどきりとしてしまう。
「確かに、信長さまは何でもできる御人なのだ。でも、そうだからと言って、おいらがそのひとが出来るできないで惚れるわけではないなのだ。優しくて、甘ったれで、すぐちびってしまうヘタレな家康さまのほうがよっぽど人間らしいなのだ。おいらが惚れてしまったのは、家康さまなのだ!」
忠勝が大粒の涙をぽろぽろと流している。ああ、俺はこれほどまでの男に惚れられているのでござるか。これはしっかりしないといけないでござるなと想う、家康である。
「忠勝、すまなかったのでござる。いつもヘタレなことを言ってしまって、俺は情けない男でござる。忠勝が惚れこんだ男が立派になる姿を見てほしいのでござる!」
忠勝は家康にがしっとしがみつく。家康も忠勝をただ抱きしめるのである。
「って、いたたたたたたた!痛いでござるうううう。忠勝、力を込めすぎでござるうううう。俺、立派な男になる前に死んでしまうでござるううううう」
「良い話でござるな。この忠次もつい、もらい泣きをしてしまったでござる。いやあ、歳をとると涙もろくなるでござるな」
「はははっ、何を老人めいたことを言っているのだぎゃ。まだ、40になったばかりなのだぎゃ」
「何を言っているでござる。榊原、お前も涙を流しているでござるではないか」
「おっと、これは埃が目に入っただけなのだぎゃ。決して、涙ではないのだぎゃ」
「お前ら、何、良い話でしめようとしているでござるかああああ。いい加減、忠勝を引きはがすでござるううう。痛くて本当に死にそうでござるううう。着ている鎧がへしゃげ曲がりそうでござるうううう!」