ー放虎の将 5- 忠勝の努力
家康は考える。もし、この影武者・徳川家康ーズが全員、同じ顔であったならば?
「うーん?とりあえず、怪しむでござるなあ。そして、全員、斬ってしまうのでござる。まあ、10人中、9人ほど斬れば、さすがに本物に当たるはずでござる」
「でゅふ。その通りなのでもうす。同じ顔の者が10人もいたら、影武者とか関係なく、全員もれなく斬ってしまえばいいのでもうす。しかも、あちらは殿の顔を知っているわけではないのに、こちらから、わざわざ、殿と同じ顔の者を準備するのは馬鹿の極みなのでもうす」
家康は正信にそう言われ、ああああああ!と声をあげてしまう。
「言われてみれば、そうなのでござる。信玄が俺の顔を詳しく知っているわけでもないのに、陣の中に同じ顔が10人もいたら、そりゃあ、あの顔が家康だと宣伝しているようなものでござる!さすがにこれは眼から鱗でござるうううう」
「でゅふ。やっと、わかってくれたのでもうす。信長さまが義元を討ち取ったときも同じことをしたのでもうす。3人ほど、同じ顔の者をぶった切った後に、お歯黒かどうかを確認したのでもうす。義元は自分から、自分の顔を宣伝していたのでもうす」
「似ているのは、着ている鎧だけでいいでござるものな。あっちは本物かわからない影武者を相手にしているうちに、俺はまんまと逃げられるのでござる。いやあ、さすがは徳川家で一番の智将でござる。これは褒美をやらねばならないのでござるなあ!」
家康は満足そうな顔つきで、うんうんと頷く。対して、正信は、ぽっと頬を紅く染め
「では、この策が上手くいった暁には、自分を抱いてほしいのでもうす。あの晩の火照りがまだまだ冷めぬのでもうす」
「えっ?一度ならず、二度も正信を抱かなければならないでござるか?うーん、できるなら、それはやりたくないのでござるが」
「褒美を与えると言ったのは、家康さまなのだ。男が一度、約束をしたことは守るべきなのだ!」
「ちょっと、忠勝、今まで黙っていたくせに、急になんでござる?なんで、こういう話の時だけは喰いつきが良いのでござる?」
「おいらには政治の話とか、ましてや策の話なんてわからないなのだ!だから、今まで、眼を開けたまま寝ていただけなのだ。でも、正信が家康さまに抱かれるって話が聞こえたから、覚醒しただけなのだ」
「ちょっと、待つでござる。じゃあ、今回だけでなく、いつも、お前は寝ていたのでござるか?しかも、器用に眼を開けたままで。いっつも、会議の時は、やけに大人しいと思っていたら、そう言うことだったのでござるか!」
家康はたまらず、忠勝を叱責する。だが、忠勝は、えへへと笑い
「そんなに、褒めなくてもいいなのだ。照れてしまうのだ。良ければ家康さまにも眼を開けたまま寝る極意を教えるなのだ!」
「いらんでござるうううう。そんな特技を見に付ける前に、少しは政治に関心を持つのでござるううう。忠勝に与えた領地で綿花栽培が中々うまく行かないのは、そういう理由だったのでござるかあああ!」
「そんなことを言われても、困るなのだ。最近、やっと銭勘定ができるようになってきたなのだ。自分としては偉いと想える成果なのだ!」
「でゅふ。確かに、小遣いを与えれば、その日の内に全部使い切ってしまっていた忠勝殿が、最近は毎日、少しづつであるが貯金ができるようになったでもうす。忠勝殿、成長した証として、殿から褒美をもらうといいのでもうす」
「正信殿にそろばんを教えてもらったおかげなのだ!これで、おいらも家康さまからご褒美をもらえるなのだ」
うーん、そろばんってそんなに難しいものだったでござるか?と疑問に思う、家康であるが、会議をいつも眼を開けたまま、寝ているような男にしては、少しは政治を理解しようと努力をしているのはわかる。
「殿。忠勝殿はがんばっているのでもうす。昨年までは掛け算すらできなかった男が、九九を覚えたでござる。自分、頑張って教え込んだ甲斐があったのでもうす」
正信が何かに感動したのか、目尻にたまった涙を手ぬぐいで拭いている。
「そんなに大変だったでござるか。正信には苦労をかけっぱなしでござるなあ」
「いちいち罪人の首級を並べて、教え込むのは大変だったでもうす。九の段の時は、屋敷の庭にそれは恐ろしいほどの首級が転がっていたものでもうす」
「ちょっと、屋敷の庭になんてものを並べているのでござるか!罪人と言えども、罰を与えたら、丁重に扱うでござるよ」
しかし、その家康の言葉を聞いた、正信、忠勝、忠次が、こいつ、何を言っているんだ?と言う顔付きになる。
「殿。何を言っているのでござる?罪人は貴重なのでござるぞ?」
「でゅふ。忠次殿の言う通りなのでもうす。造った刀や槍の試し斬りに重宝するのでもうす」
「しかも、おいらが掛け算を覚えるために、たくさん、罪人を斬り過ぎたせいで、最近は治安が良くなってしまったなのだ。おかげで、試し斬りが難しくなってしまったなのだ。家康さま、1文の窃盗でも打ち首になるように罰を重くしてほしいなのだ」
「何を言いだしているのでござるうううううう!信長殿みたいに1銭斬りでもしろと言うのでござるかああああ」
家康は大声を出し、3人を怒鳴り散らす。だが、それでも、けろっとした顔の3人である。
「罪に対して、罰を与えるのは当然でござるのに、この殿は何をとち狂ったことを言いだしているのでござるか?」
「でゅふ。意外と殿は政治が得意ではないのでもうす。これは1から鍛え直した方がいいのかもしれないのでもうす」
「じゃあ、家康さまは、おいらと一緒に政治の勉強をするなのだ。そうすれば、そろばんや読み書きくらいできるようになるなのだ!」
「そろばんも読み書きも、忠勝よりはできるのでござる!そう言うことでござらぬ。罰則を厳しくしすぎるのは、民をいたずらに疲弊させるのでござるううううう!」
しかし、またしても、3人は本当にこいつは何を言っているんだ?と言う顔付きで
「別に年貢の取り立てや、税金を重くするわけではないと言うのに、本当に、殿は何を言っているのでござる?おい、正信、こいつ、もしかして、影武者か何かでござらぬか?」
「でゅふ。民と言うものは、税を軽くするだけで喜ぶものでもうす。さらに罰則に対しては、民は厳罰化うんぬんよりも、不公平に対してこそ、怒りを覚えるものでもうすよ?こんなこともわからぬ殿は、もしかして、僕の知らぬ間に影武者と入れ替わってしまったのかもしれないのでもうす」
「じゃあ、おいらたちを騙した罪として、こいつを打ち首にするなのだ!やい、お前、本物の家康さまをどこに隠したなのだ?今、白状すれば、切腹で済ませてやるなのだ!」
忠次と、正信が家康の両腕を捕まえ、頭をぐいっと畳にこすりつけさせる。そして、忠勝はどこからか持ち出したのか、蜻蛉切を両手に握り、今にも斬りかかろうと身構えるのである。
「ちょっと待つでござるよおおおおお!お前ら、本当に俺の家臣でござるか?ほら、ちゃんとじっくり顔を見てくれでござるうううう」
忠勝が蜻蛉切の石突き部分で、家康のあごをぐいっと押す。そして、家康の横顔を忠次と正信がじっくりとねっとりと舐めるように本物かどうか確認をする。
「うーむ。顔だけではわからないのでござる。おい、正信。何か殿の身体には特徴的な何かがないかでござる。一発で殿とわかるような何かでござる」
「でゅふ。殿の胸には、ほくろがあるのでもうす。右胸に3つ、左胸に1つでもうす」
「おいらもそのほくろの存在を知っているなのだ!裸にひんむけば、本物の家康さまかどうかわかるなのだ」
3人はさっそくとばかりに、家康の上着を強引にひっぺがす。そして、家康の胸が見えるように、ひっくりかえし、またもや、じっくりねっとりと舐めるように胸のほくろを確認しだすのである。
「お、お前ら、そんなに俺の胸を凝視するではないでござる。俺、いくら、そっちの気が無いと言っても、そんなに見られるのは嫌なのでござる。って、おい、正信、お前、何、俺の胸を揉んでいるでござるううう!」
「でゅふ。この感触、肌触り、そして、弾力。まさに殿本人なのでもうす。忠次殿、忠勝殿、この方は家康さま本人でもうす」
「うーむ。正信がそこまで言うのなら間違いないのでござろう。殿、これは失礼をしたのでござる。これからは影武者と間違われないように注意するのでござるぞ?」
「なーんだ、本物だったなのか。せっかく、蜻蛉切バージョン2の試し切りをしたいと思っていたのに残念なのだ。家康さま、今から遅くないから、実は影武者でしたと言うなのだ。そしたら、おいらは遠慮なく、ぶっ刺してやるなのだ!」
家康は身の潔白をなんとか証明することができ、忠次、正信の拘束より解放される。だが、胸を蹂躙されたショックにより、およよと涙を流すのであった。
「うう。俺、正信に胸を汚されてしまったのでござる。これでは婿に行けないのでござる」
「家康さまたちは一体、何をしているのだぎゃ?いい加減、軍議に戻るのだぎゃ。殿の胸の操なんて、忠勝にでも喰わせておくのだぎゃ。そんなことより、武田家の最強騎馬軍団をどうにかする策を練るのだぎゃ」
榊原康政が、4人のやりとりをうんざりだとばかりの態度を示しながら、4人を叱責するのであった。
「そうだったなのだ。影武者って、結局、負けるときに必要になるんであって、まずは勝つことを考えなければならなかったなのだ。これは、おいら、1本、取られたなのだ!」