ー花嵐の章 5- 肉体言語
たーたーたらーんと、丹羽長秀は鼻歌を歌っている。警護のものがこんな感じでいいのかなあと、松平元康は思いそうになるが、悪魔の企画を考える男だ。ひょっとしたらすごい人間なのかもしれない。
「丹羽殿。警護に携わる丹羽殿は腕におぼえがおありなのでござるか?」
「ん?にわちゃんですか。うーんとですね」
丹羽は腕組をしながら考える。
「中の下くらいでしょうか。織田家の個人的武勇に関してならなのです」
ふむふむと松平元康が頷く。丹羽のほかに20人くらいの警護のものが元康の周りをまもっている。
「にわちゃんは戦闘指揮のほうが得意なのです。まあ、個人的武勇も、戦闘指揮もすごい、しゃべって歩く筋肉が織田家にはいるので自慢にもならないのです」
「しゃべって歩く筋肉とは一体、どんな生物なのでござる?」
「那古野に着けば、わかるのです」
一抹の不安を胸に抱える元康である。一体、この尾張には何があるというのか。この目の前の男以上に危険なものが存在するのかと。
「ところで、20人もの警護をつけてもらえるのはありがたいのでござるが、そんなに尾張は物騒なのでござるか?」
「んー。いくら、和睦の書状をこちらからだしたとはいえ、三河は代々、織田家の宿敵だったのです。信長さまが良いとおっしゃられても、反感をつのらせるものは出てくるのです」
「それで20人もの警護が必要なのでござるか。まこと、信長殿にはかたじけない。こちらも三河の兵を多く出すと刺激を与えるものとして出せなかったでござる」
松平のお供は、服部半蔵を含め、10人である。10人といっても精強な三河の兵の中から選んだ精鋭の10人である。もし、倍する数に囲まれようが、元康を無事に逃し切るであろうものたちである。
「さぞかし、織田家の警護の方がたも精強な人選なのでござろう」
「いえ。単に、松平さまが、服部半蔵という忍者オブ忍者を連れてくるであろうというのが肝心なのです」
え、と元康が言う。
「にわちゃん的にはっきり言うと、松平さまより、服部半蔵さまのほうが知名度が高いなのです。それで、厳選なる抽選で決まった20人なのです」
え、ともう一度、元康が言う。そして後ろを振り向くと、服部半蔵が織田の警護から受け取った厚めの和紙に「はっとりはんぞう推参」と墨で書いて、返している。
「ありがとうございます。半蔵さま!家宝にいたします」
「あなたが噂の鬼の半蔵さまかあ。僕にも直筆ください!」
「まあ、慌てなさるな。順番に書いていくでもうす」
半蔵は生真面目に全員分の直筆を書くつもりのようだ。俺の直筆は欲しくないのかなあと元康は、ちょっとうらやましそうに半蔵を見る。
「ん?殿もほしいでもうすか?皆の分が書き終わるまでまってほしいでもうす」
ああ、うん。なんか変に不安になっていて損をした。尾張の兵は馬鹿なんだ、そうなんだと、元康は納得しようとした。
1時間ほどしたあと、那古野の町にやってきたのである。ここを抜ければいよいよ、織田信長が待つ、清州である。しかし、元康一行の道をふさぐように大きな男が往来に立っていた。
「ガハハッ!やあやあ、よくやって着てくれたでもうす。我輩、那古野城・城代、柴田勝家ともうす。那古野の町を案内せよと、信長さまより承っているでもうす」
「おお、あなたが、かの勇名な柴田殿でござるか。瓶割り柴田の名は、三河にも聞こえているでござる」
元康はこんな織田家の大物に出迎えられて、こころがはずむ。内心、丹羽殿に何をされるのかびくびくしていたでござる。
「勝家さまあ。にわちゃんの企画書は読んでもらえたのですか?」
「ガハハッ!丹羽殿、まこと面白き内容でござった。よって、こちらで準備を済ませておいたでもうす」
え、と元康は思う。もしかして、丹羽殿の危険度はまだ低かったのかと。
「それ、皆の者、アレをもってくるのだ!」
言われた部下たちは、永楽通宝の焼き印と、真っ赤に燃えるたき火の準備をしはじめた。
「あ、あの柴田殿、一体なにをなさるつもりでござる?」
「あー、北伊勢から収奪にきてた者で捕虜にとらえた者たち約50人と相撲をとるのでござる」
「あの、相撲と焼き印の関係は」
「なーに、ルールは簡単でござる。我輩を一歩でも後退させれば勝ちでもうす。そのものは無罪放免で北伊勢に帰すでもうす」
「ま、負けたら?」
「なーに、奴隷の焼き印を押して、奴隷市に流して、尾張の経済が潤うのでござる」
「勝家さまは、慈悲深いのです。そんな勝家さまに、ぴったりの捕虜救済企画なのです」
勝家と丹羽はさも、当然の如く、しゃべる。そして、乗り気ではない元康のほうを逆に不思議な顔で見てくる。もしかして三河には相撲という文化がないのかと聞いてくる始末。あれ、相撲ってこんなルールだったっけと自問自答する、元康である。とりあえず、自分を喜ばせようとしての企画なのである。表面上だけでも喜んでおこう。
「い、いや。相撲はわが三河でも行われてるでござる。織田家の相撲が、ぱわふるだっただめ、少々、面喰らってしまったのでござる」
「そうでござったか。相撲は、殿がおおいに推奨しているため、特にここ尾張では盛んなのでござるよ。さて見物客も集まってきたことだし、そろそろ始めるでもうす」
勝家はおもむろに着物を脱ぎだし、ふんどし一丁になった。元康は、その勝家の肉体美に見惚れてしまった。
勝家のそれは、肉体というより分厚い筋肉であった。敵をただ屠る、筋肉の塊であった。男なら一度でもこの筋肉に触れたいと思うのは至極、当然と思えてしまう。そんな魔力が、勝家の筋肉にはあった。
相撲の取り組みがはじまった。変則ルールとして、勝家1人対、北伊勢の捕虜3人で執り行われる。
土俵上の男たち3人が一斉に勝家に襲い掛かる。あるものは右腕に。あるものは左腕に。あるものは真正面から、勝家に絡みつく。しかし、勝家はびくともしない。
「それだけか。ならば、次は我輩の番ぞ。業火一閃!」
勝家は単純に右足を前に踏み込み、身を左に振ったのである。だが、それが恐ろしい衝撃を生み、組みついていた3人は場外に吹き飛ばされる。
元康は感動のあまり、椅子から立ち上がり、涙を流しながら惜しみない拍手を送った。人間の筋肉には、まだこれほどの可能性があったのかと。俺も一から鍛え直さねばなるまいと心に固く誓うのであった。
勝家が51人目を場外に吹き飛ばしたあたりで、捕虜がつきたのか、取り組みは終わってしまった。
「最後は少々、きつかったでもうす。まだまだ鍛錬が足らぬでもうすわ」
「いやあ、お見事でござる。俺にも、あなたのような筋肉がほしいでござるよ」
「ガハハッ!我輩と一丁、組んでみるでもうすか?殿の大事な客人ゆえ、手加減はするでもうすよ」
「おお、そんなこと言って、いいのでござるか?油断していると足元をすくわれるでござるよ!」
元康は着物を脱ぎ捨て、ふんどし一丁になった。観客から声援が飛び交う。那古野の町は活気にあふれている。いい町だ。三河とちがって、皆、笑顔である。俺の国もこんな幸せそうな民を増やしたいものだ。そう、信長殿との会合で、三河の独立を勝ち取るのだ。
行司の丹羽が掛け声をあげる
「ふたりとも、見合ってみあって、はっけよい、のこったなのです!」
元康は笑顔で、勝家にがっつりよっつに組み合う。途端、元康の顔から笑みが消えた。例えるなら、兎が虎に捕獲された瞬間といえばいいのだろうか。腕が、足がいうことを聞かない。がくがくと震えだす。忠次、半蔵。すまない。俺はここまでかもしれない。
元康が意識を取り戻すのは、30分後であった。元康が、勇気と無謀をはき違えてはいけないと、胸にきざんだ日であった。