ー虎牙の章17- 死ねと同義の命令
「そうか、そうだよな。信玄は兵農分離をしているわけじゃなかったぜ。じゃあ、4月になるまで信玄を放っておけば良いってわけか!」
「違いますよ、逆ですよ。タイムリミットがあると言うことは、信玄くんは何を捨て置いても、ここ、京の都に辿りつかなくてはならないと言うことです。少なくとも、岐阜で信玄くんとの一大決戦を行う必要があるということですよ」
「しかし、岐阜で一大決戦を行うと言っても、相手は信玄率いる戦国最強の騎馬軍団でもうすぞ?北条氏康が小田原を攻められたときには、一切、野戦を行わなかったほどでもうす!」
「最悪、畿内のほとんどの守りを捨てでも、岐阜に兵力を集中させる必要があるかもしれませんね。それでも足りないかも知れません。なんたって、最強騎馬軍団ですからね」
信長、信盛、勝家が腕組みをしながら、うむむと唸る。
「うっほん。思うのじゃが、上杉謙信殿を動かせないのかじゃ?2万以上もの兵力を東海道に集中しているのじゃ。本国の守りはおろそかになっているはずなのじゃ。謙信殿を信濃に侵攻させれば、信玄殿は退くしかなくなると思うのじゃ」
貞勝がそう信長に進言する。だが、信長は険しい表情のまま
「いいえ。今は11月も終わりなのです。これから雪が本格的に降るシーズンに入ります。いくら謙信くんが信濃を手に入れる好機と言えども動けるわけがないのです。それに謙信くんだって、今から兵力を集めるのには時間がかかるでしょう」
「くそっ。信玄の野郎。謙信殿が動けないのも計算に入れての、この時期の西進なのかよ!あの野郎、相当、前から織田家と同盟を切る腹積もりだったってわけか。そうじゃなきゃ、こんなタイミング良く動けるわけがねえ!」
信盛がチッと大きく舌打ちをする。
「ですが、貞勝くんの言う通り、謙信くんには信玄くんの裏切りについては連絡しておくことにしましょう。今すぐにどうにかならないとしても、これからのことを考えれば、できる手は増やしておいて損はありません」
「わかったのじゃ。では、すぐに墨と紙を用意するのじゃ。おい、蘭丸。聞いていた通りなのじゃ。机も持ってくるのじゃ!」
蘭丸は、はいでち!と応え、部屋から飛び出していく。いくら、蘭丸は10歳ほどと言えども、事の重大さはわかるようで、小姓たちを引き連れ、屋敷中を走り回るのであった。
「さて、岐阜で一大決戦を行う前に、家康くんに援軍を送りましょう。1万2千程度では籠城もままならないでしょう。のぶもりもり、行ってくれますか?」
「ああ、良いぜ?ところで、兵はどれほど持たせてくれるんだ?」
「3000です」
「へっ?」
信盛は思わず、信長に聞き返してしまう。
「もう一度、聞くぞ?殿、俺には兵をどれほど持たせてくれるんだ?」
「3000です」
「へっ?」
信盛は思わず、余りの兵の少なさにすっとんきょうな声を出し、さらに信長に聞き直してしまう。
「だから、3000って言ってるでしょう?のぶもりもりの耳は腐っているんですか?」
「いや、3000って。いくら何でも、殿は俺に死ねって言うの?もっと兵を与えてくれても罰が当たらないと思うんですよ?ねえ?」
しかし、信長の顔は真剣そのものである。信盛はつい、その殿の顔付きにごくりと唾を飲みこむのである。
「本当に、のぶもりもりには申し訳ないんですが、今、きみに預けられるのは3000しか余裕がありません。勝家くんには岐阜で総指揮を執ってもらうため、勝家くんを貸しだすわけにもいかないのです」
信長の言いに、信盛はぽりぽりと右手で頭をかくのである。
「しょうがねえなあ。殿の頼みだし、3000で家康殿の救援に行ってくるわ。小春とエレナのことは任せたぜ。多分、俺は遠江から帰ってこれないだろうし」
「ガハハッ。信盛殿。もし、お主が死んでしまったら、小春とエレナ殿のことは任せてほしいのでもうす。我輩が布団の中で可愛がっておくでもうす!」
「ちょっと、待てや!勝家殿、何で小春とエレナを妾にしようとしてんだよ。あいつらは俺の女なの。俺が死んだからと言って、勝家殿に抱かせるつもりは無いわ」
「ガハハッ。それなら、生きて帰ってくるでもうすよ。自分の女が他の男に組み伏せられるのは嫌なのでもうすよな?それなら、自分で抱くが良いでもうす」
勝家が笑いながら信盛にそう告げるのである。信盛はチッと舌打ちし
「こりゃあ、意地でも生きて帰らないとダメだな。勝家殿に抱かれたら、小春たちの下の口がガバガバになっちまうわ。あの世でゆっくりしてるわけにもいかなくなっちまうぜ」
勝家と信盛がいつものように軽口を叩きあう。そんな2人を見て、信長もまた、つい顔がほころんでしまうのである。
「まったく、きみたちときたら、減らず口が尽きませんね。織田家の存亡の危機と言うのに、たいした肝っ玉ですよ。でもおかげで、頭が冷えました。武田家に対して戦略を変えます」
信長がほころんだ顔をまた真剣なものに戻す。そして、勝家、信盛もまた真剣な顔付きになる。
「岐阜での一大決戦を行う予定でしたが、これを白紙に戻します」
「えっ?それじゃあ、信玄の野郎を、ここ、京の都まで素通りさせるわけ?そんなことしたら、いくら何でもダメだと思うぞ?」
信盛がそう信長に質問をする。
「信玄くんにはタイムリミットがあります。先ほども言いましたが、4月に入るころには兵を本国に一度、戻さなければなりません。信玄くんの兵は農民なんです。田植えのために絶対、必要な者たちですからね」
「と言うことは、信玄を4月まで京の都に入れなければ、我輩たちの勝ちと言うことでもうすな?しかし、どのようにして武田家の進軍を止めるつもりでもうす?岐阜でやぶれかぶれの一か八かで決戦を行ったほうが良いと思えるのでもうす」
「いえ、ダメです。よくよく考えれば、もしかしたら、その一大決戦で信玄くんを退かせることは可能になるでしょうが、それによって、織田家の戦力がガタ落ちするほうが怖いですからね。そうなれば、三好や本願寺が動いて京の都を支配する可能性がでてきます」
「くそっ。浅井・朝倉は丹羽、秀吉、光秀で抑えていられるが、三好・本願寺のことをすっかり忘れていたぜ。決戦もままならないって言うのかよ!」
信盛はつい、足元にあった将棋盤をガンッと蹴っ飛ばす。
「ああっ!何をするんですか。ああ、ああ、ああ。盤上の駒が全部、吹き飛んじゃったじゃないですか。これでは再開をすることができません」
「そんなもん、どうでも良いのじゃ!何を今更、将棋の続きをしようとしているのじゃ。信玄をどうにかしたあとにでも、また再戦するから、そんなもん、どこかに片づけておくのじゃ」
貞勝はそう言うと、邪魔だとばかりにさらに将棋盤に蹴りを入れて、将棋盤を部屋の隅へと飛ばすのである。信長は口惜しそうにその将棋盤の行方を見つめるのである。
「もう。貞勝くんとゆっくり将棋を指せるのも、中々、時間が取れないんですよ?まあ、いいでしょう。で、信玄くんの対処ですが、勝家くん、尾張と岐阜の各所に兵を伏せておいてくれませんか?彼らは道に明るくないため、基本的には大きな街道を西進してくるはずです。横腹を突くのは簡単なはずです」
「なるほど。六角義賢が得意とするゲリラ戦法をするわけでもうすな?」
勝家が信長の意を得たりとばかりに、ニヤリと顔を作る。
「ええ、そうです。ゲリラ戦法です。あれはいやらしいですからねえ。あと、逃げ込むなら清州の城や、岐阜の城にしてください。そうすれば、腹を立てた信玄の兵たちが城へと攻め込むでしょう。そうすればさらに信玄くんの時間を浪費させれます」
「では、我輩、そのように動こうというものでもうす。ガハハッ。尾張・岐阜での大立ち回りでもうす。それで我輩にはいくら兵を預けてもらえるでもうす?」
「3000です」
「えっ?」
勝家は思わず、余りの兵の少なさにすっとんきょうな声を出し、信長に聞き直してしまう。
「だから、3000ですって。何度も言わせないでください。そもそも、のぶもりもりに3000与えるのだって、ぎりぎりなんです。勝家くん、先生のために死んでくれますか?」
「うーむ、仕方ないのでもうすなあ。まあ、そもそもゲリラでもうすし、大人数でやることではないでもうすな。わかりもうした。見事、兵3000で信玄めをかき回してくれるでもうす」
勝家はこくりと頷く。信長もまた、こくりと少し、あごを下げる。
「さて、それじゃあ、大体の戦略も決まったことだし、勝家殿、一緒に華々しく散ってこようぜ?もし、うまく信玄の野郎を撃退できたら、俺ら、歴史家に後世からすげえ色男に描かれるんじゃねえの?」
「ガハハッ。できるなら女性にモテモテの2枚目として、語り継がれてほしいものでもうす。さて、殿、行ってくるでもうす」
「きみたち2人が女性にモテモテとして後世に語り継がれる気がまったくしない気がするんですけど、まあ、それは置いておきましょう。のぶもりもり、遠江へ向かう途中で、一益くんを一緒に同行させてください。一益くんなら、のぶもりもりの右腕として、役に立つはずです」
「まじでー?一益まで遠江に連れていっちゃっていいのー?だって、俺と勝家殿に何かあれば、代役は一益になるんだぜ?一益は万が一のために残しておいたほうが良いと思うんだけどよー?」
「一益くんなら大丈夫ですよ。進むも退くも滝川って言われるような男です。退きの佐久間の2倍、期待できますよ?」
「げっ。なんだよ、一益の奴、いつの間に、そんなかっこいい言われ方されるようになったんだよお。世の中、不公平だなあ」
「まあ、のぶもりもりはのらりくらりとかわすのが戦い方の信条ですからねえ。で、そんなのぶもりもりに言っておきますが、その信条を家康くんにも徹底させてください。決して、遠江の城から出ないようにと言付けてください」