ー虎牙の章15- 織田家の将棋ルール
1572年11月20日。この日は信長にとって、生涯、忘れられない日となる。
「第六天魔王モード発動!これにより、先生の金将、銀将は、機動力が3マス上がります」
「むむ、ついに禁忌の技を発動したのかじゃ。しかしじゃ、わしは三河魂を発動させてもらうのじゃ!」
「くっ。織田家の兵より3倍、戦闘力が上がるという技ですか!すべての歩が成金に変わってしまいます」
「くっくっく。殿。切り札は最後まで取っておくものなのじゃ。さあ、わしの成金軍団が殿の陣を荒らしまわるのじゃ!」
信長と村井貞勝は二条の城の大屋敷で、将棋を打っていた。今回は双方、特殊ルールを用いて良いとのことで、試合は白熱の様相を見せていたのである。
「貴様らは、まろに会いに来たと思ったら、一体、何をしておるのでおじゃる。浅井・朝倉が迫ってきているのでおじゃろう?こんなところでのんびり将棋を打っていていいのかでおじゃる」
義昭はやれやれと言った感じで信長と貞勝の対局を見守っていた。
「いいんですよ。浅井・朝倉は丹羽くん、秀吉くん、光秀くん、それに磯野員昌くんが北近江との境を抑え込んでいます。東西から攻め込まれる可能性がある長政くんは下手に動くことなんて、できませんからね」
余裕しゃくしゃくでおじゃるなあと思う、義昭である。
「南の奈良では松永久秀が蜂起して、早、2カ月なのでおじゃる。余り放置していては信長殿の威信に関わるのではないかでおじゃる」
「うーん。三河魂は厄介ですねえ。しょうがありません。使いたくない手ではありましたが、先生もとっておきを見せましょうか。さあ、新兵器、3間半の槍を装着です!」
信長はそう言うと、自分の歩の前、全てに香車を配置する。
「それはさすがに汚いのじゃ!これではわしは攻めようがないのじゃ。大体、どこから、その大量の香車を持ってきたのじゃ」
「蘭丸くんに頼んで、先生専用の香車を作ってもらいました。いやあ、全て、蘭丸くんの手彫りなのですよ、これ」
「御父・信長殿。ひとの話を聞くのでおじゃる。松永久秀をどうするつもりでおじゃる?」
義昭がうろんそうな目つきで信長にそう尋ねる。信長は、ああと気の無い返事をし
「先生自ら行こうと思いましたけど、若い人たちにも戦に慣れてもらおうともらい、先生の嫡男の信忠くんと、蒲生氏郷くんを派遣しました。それぞれ5000を率いさせましたし、半年もすれば結果を出してくれるんじゃないです?」
「半年でおじゃるか。気の長い話なのでおじゃる。3万ほどの大軍で一気に攻め込んだほうが良かったのではないかでおじゃる」
「いいんですよ。夏まで久秀くんが城から動けぬようにするだけでいいんですから。春の田植えができなくなれば、奈良の民は飢餓に陥ります。そうなれば、久秀くんは奈良の民から見放されるでしょう。領民を喰わせることができない領主など、存在価値はありませんからね」
「まったく、殿は、ひどい策を考え付くものなのじゃ。信忠さまがトラウマを抱え込んだら、どうする気なのじゃ」
貞勝はやれやれと言った表情だ。信長はたいして気にした様子もなく
「久秀くんも馬鹿じゃないんですから、先生が考えていることもわかっていることでしょうし、さほどひどいことにはなりませんって。年をまたげば、久秀くんのほうから頭を下げてきますよ。きっと、多分、うーん?」
「御父・信長殿は恐ろしいのでおじゃる。民を大切にしているかと思えば、そう思えない時もあるのでおじゃる。御父・信長殿は慈愛に満ちているのか、冷酷なのかわからなくなる時があるのでおじゃる」
義昭の言いに、信長はふむと息をつく。
「先生、長政くんの裏切りで心を入れ替えました。優しさだけではダメだと言うことをよくよく思い知らされました。各地の大名が先生の敵に回るのであれば、それが敵国の民と言えども、徹底的に痛めつけます」
「それでは、御父・信長殿が築いてきた信望が一気に地に堕ちると言うものではないか?でおじゃる」
「将軍さまは何を勘違いされているか知りませんが、ひのもとの国の民たちは、侵略者に対して何かされても、さほどその侵略者に怒りを覚えることはありません。領民を守れぬ領主を恨むのですよ。ですから、話は簡単です。先生は先生の領民には神仏の如くに施しを行います。他国から侵略されれば、命を投げ出して守ります」
「義昭さまも覚えておくことじゃ。もう1度、言うが自分の領民を守ることこそが、領主の務めなのじゃ。真に民たちの信望が堕ちるのは、侵略者から領民を守れなかった時なのじゃ」
「理屈では理解できるのでおじゃる。でも、実際に被害を受けるのは浅井の民たちなのでおじゃる。民たちの恨みは伝播していくものでおじゃる。もし、御父・信長殿が北近江の地を手にいれても、北近江の民たちは信長殿を信用しなくなるかもなのでおじゃる」
義昭の言いに、信長がふむと息をつく。
「別に略奪行為をしているわけでもありませんし、手当たり次第、斬り殺しているわけでもありません。まあ、北近江の民を扇動している一向宗どもは拷問のすえにぶっ殺していますけど、他の民たちの場合は、多少、家に火をつけさせてもらっているだけです」
「殿は優しいのじゃ。ちょっと、家財道具と一緒に家を丸焼きしているだけなのじゃ。その家の家族や牛さんたちには手を出していないのじゃ」
「やっぱり、牛さんは家族の一員ですからね。さすがに先生も牛さんに手を出すことはできませんよ。北近江の民たちから恨みを買ってしまいますからね」
信長と貞勝の言いの一体、どこに優しさがあるのかと思う、義昭である。
「織田家の優しさの基準がわからないのでおじゃる。家から焼き出されてしまっては、生きるのもつらいのでおじゃるよ、普通は」
「家が焼かれたら、どうにかするのは長政くんの仕事ですし、先生の知ったことじゃありません。大体、家を焼かれるのも、長政くんがだらしないからですよ」
「冷たい言いなのでおじゃる。一昔前の御父・信長殿なら、敵国の民たちと言えども決して、そのようなことはしてこなかったのでおじゃる。御父・信長殿は変わってしまったのでおじゃる」
義昭は少し、残念な想いでそう告げる。しかし、その義昭の気持ちを察してか、貞勝が言い出す。
「うっほん。うちの殿はこう言っているのじゃが、焼き出された家族たちを南近江に招き入れているのじゃ。先ほども言ったのじゃが、殿が痛めつけるのはあくまでも、【敵国の民】なのじゃ。家から焼き出されたものたちを南近江で受け入れれば、その者たちは、殿の愛すべき民になるわけなのじゃ」
貞勝の言いに、義昭が眼を丸くする。そして、信長の方を向き
「なんだでおじゃる。結局、御父・信長殿は民たちに優しいのでおじゃる。まろは安心したのでおじゃる。御父・信長殿は、冷たいフリをしているだけでおじゃる」
義昭はにこやかな顔になり、信長の左肩を右手でバンバンと叩く。
「痛いですよ、将軍さま。結局、何が言いたいかと言いますと、お前たちの信じる大名はお前たちを守ってくれない。守ってくれるのは信長だけであると言う、宣伝が必要なわけです。実際にその大名の手足となり動くのは民たちなのです。大名たちが喚き散らそうが、その民たちが皆で、もうお前のことなんて聞けないと思わせることこそが、この国から戦を無くすことになるのです」
「回りくどいのでおじゃるな、御父・信長殿は。そんなこと、立て札でも立てて、宣伝すればいいのでおじゃる。それで全てが丸く収まるのでおじゃる」
義昭がそう言うと、信長はふううううと長いため息をつく。
「人間、困ったことに一度、痛い眼を見ない限り、生まれついてからの領主には逆らおうとは思わないものなのです。例えて言うなら、武士にとって、将軍は代えがたき存在だと言うことと同じなのです」
その割には御父・信長殿は、まろの扱いはかなりぞんざいない気がするのでおじゃると言いかけて、口を慎む義昭である。
「うっほん。そう言うものでおじゃるよな。散々、痛い眼を見ない限りは、人間、生まれ変わらないものでおじゃる。中々にうまいこと、行かない世なのでおじゃる」
「そういうことです。さて、貞勝くん、長考は済みましたか?いい加減、先生、待ちくたびれてしまいました。貞勝くんが駒を進めないなら、先生が動きますけど?」
貞勝はうむむ、うむむと唸りながら盤上を眺めていた。香車を総ての歩の前に置かれては動きようがない。何か逆転策はないのかと貞勝は考えるのである。そう。相手は所詮、3間半の槍を持った部隊なのだ。
「うっほん。次の手が決まったのじゃ。殿が3間半の槍で攻めると言うのであれば、わしは騎馬隊で対抗させてもらうのじゃ!」
貞勝の言いに信長が何事かと思う。貞勝はパンパン!と手を叩き、信長の小姓をそばに寄らせ、その者に耳打ちする。はっと短く小姓は返事をすると、将棋の駒が入った箱を20個用意し、貞勝に渡すのである。
「ふっふっふ。武田最強騎馬軍団の恐ろしさを見るのじゃ!」
貞勝はそう言うと、将棋の駒が入った箱から、桂馬だけを20個取り出し、将棋の盤上に2列、ずらっと並べ始めるのである。
「ちょ、ちょっと。何をしているんですか。いくら何でも、それは反則でしょう!」
「戦に反則もくそもないのじゃ。足軽部隊に対抗するなら、やはり騎馬軍団に決まっているのじゃ。さあ、武田最強騎馬軍団のそろい踏みなのじゃ!」