ー虎牙の章 9- 松永久秀 蜂起
「ふははははっ。ついにこの時が来たのでござる。松永久秀は信長さまより、独立させていただくのでござる!」
松永久秀が10月に入ると同時に、信貴山城を根城に奈良で信長に対して反旗をひるがえす。かねてより、この土地は久秀の本拠地であり、信長はこの地を接収はしていたものの、米や税の取り立てくらいしかしておらず、実質の領国経営は久秀に任せっきりであったのだ。
そのため、奈良の地は親久秀派が多く存在し、まんまと信長から奈良の地を奪い返すことに成功する。
「うーん、困りましたねえ。久秀くんはすっかり牙を抜かれた狼だと思っていたのですが、所詮、狼は狼ですね。首輪をつけても、犬のようにはならないと言うことですか」
「どうするんッスか、信長さま。このまま放置してたら、せっかく、南近江で身を潜めていた六角がまたゲリラ活動を再開するッスよ。さっさと久秀の首級を取りにいこうッス」
利家がそう信長に進言する。だが、信長はあまり乗り気ではない様子であり、利家は不思議な顔つきになってしまう。
「どうしたんッスか?信長さま。昼飯になんか変なものでも混ざっていたッスか?だいぶ涼しくなってきたと言っても、やっぱり青魚の寿司に当たってしまったッスか?」
「いえ、それは先ほど、吐いてきたので大丈夫です。いやあ、青魚はダメですね。足が早いので、すぐダメになってしまいます。やはり、堺でいただくしかないですねえ」
「ん…。食中毒にならなくて良かった。信長さまがもう少しで寝込むことになっていた。毒見をした河尻さまは寝込んでしまったけど」
佐々がうんうんと頷きながら感想を述べる。
「ええ?河尻くん、寝込んじゃったんですか?美味い、美味いって言うから、先生も手を付けたと言うのに、毒見役になってないじゃないですか!」
「ん…。河尻さまはああ見えて、舌が馬鹿だから。信長さまは人選を間違っている」
「うーん、これからは毒見役を利家くんに任せますか。利家くんは美食家ですからね。変な味がすればすぐに気付いてくれるでしょう」
「何、言ってるんすか!そういう毒見役は小姓がやると相場が決まっているじゃないッスか。蘭丸に任せればいいッス」
利家が信長の発言に怒りの表情をあらわにしながら、信長に諫言するのである。
「利家くんは一体、何を言っているんですか?毒見役を蘭丸くんにさせて、蘭丸くんの命が無残に散ったら、どう責任を取ってくれるのですか!亡き森可成くんにあわせる顔がないじゃないですか!」
「信長さまこそ、蘭丸を溺愛しすぎッス!最近、信長さまは俺を寝所に呼んでくれないッス。そんなに若い男は好きなんッスか」
利家と信長は人目もはばからずに痴話喧嘩を始めだす。利家が鶴の構えをしだせば、信長が虎の構えをしだす始末である。
「殿、いい加減、馬鹿なことをするのはやめるのだ。そんなことより、久秀の奴をどうするか対策を練るのだ」
「あっ、河尻さま、お腹の調子はいいの?」
「ああ、佐々。腹の中に有ったものは全て厠で出してきたわ。しかし、こんなことでは殿の毒見役失格だ」
口に入れた時点で寿司がダメだと分からなかった時点で失格だと思うのは、自分の気のせいだろうかと思う佐々である。
「あっ、河尻くん、復活したのですね。河尻くんには申し訳ないですが、今度から毒見役を利家くんに変えますね?」
「そんな、無体なのだ。もう一度、挑戦させてほしいのだ。今度は胃に入ったところで気づいてみせる!」
だから、口の中に入れた時点で気づかなければいけないと思うのだが、佐々は口を慎む。一応、河尻さまは自分の上司だからだ。上司と波風立てぬのも処世術であろうと考えるのであった。
「ん…。次もダメそうだけど、それは置いといて、久秀のことはどうするの?信長さま」
佐々は信長に質問する。信長は、ふむと息をつき
「うーん。とりあえず、説得でもしましょうか。久秀くんは奈良1国を任せられるほどの器量を持っています。それに、奈良は元々、久秀くんの地元ですからね。下手に刺激をすれば、奈良の民たちが全員、先生の敵に回りそうですし、手出しをすると面倒くさいことになりそうです」
「そんな消極的ではダメであろう。1度、殴るのは交渉の基本だ。できるなら3度、殴ったほうがさらに有利に交渉につけるのだ!」
河尻が信長の消極策に対して諫言を行う。
「うーん。河尻くんの言うことは最もですね。先生、つい久秀くんの才能を惜しいと思い、間違った策を行おうとしていました。河尻くん。諫言してくれてありがとうございます」
「良いのだ。殿に意見するのは親衛隊隊長である自分の役目だ。殿が間違っていると思えば、ずけずけと言うのも肝心なのだ」
「その割には寿司が痛んでいたのには気付かなかったッスけどね。おかげで、毒見役を俺がやらされそうッス。河尻さまにはしっかりしてほしいッス」
利家の嫌味に河尻がふむと息をつく。
「そうであるな。では、今度からは食道に食べ物が通過している間に、危険だとわかるように努力する。だから、殿、引き続き毒見役はこの河尻に任せてほしい」
だから、口の中に入れた時点でわからなければダメだと思うのだが、そろそろツッコミを入れるべきなのではと思う佐々である。
「ん…。河尻さま、お言葉ですが、毒見役は口の中に食べ物を入れた時点でわからないとダメだと思う」
「何?そうなのか?しかし、口の中でというのは少々、厳しいのではないか?噛まずに飲むことができなくなってしまうではないか」
「ん…。食べ物はよく噛んでから胃に流し込むほうがいい。そのほうが消化に良いと曲直瀬殿が言っていた」
河尻はううむと唸っている。ああ、今度の毒見もダメそうだなと思う佐々であった。
「さて、河尻さまのことは放っておいて、信長さま、どうするッスか?南近江も警戒しないといけないッスし、もちろん、奈良で蜂起されたなら、三好と本願寺にも注意しなければならないッス」
「先生が奈良に行きますかあ。利家くんと佐々くんは南近江で2000づつ任せますので、六角の動きに注意してください。河尻くんのお腹の調子が戻りしだい、出発します」
「自分はだいじょう、うううううう!」
ぎゅるるるるるるるる。河尻の腹が豪快に鳴りだす。河尻は腹を両手で抑え、うずくまる。
「あーあ、河尻さま、大丈夫ッスか?厠に行ったほうがいいッスよ?」
「なんのこれしきいいいいいい!」
ぶべぶぼぶびいびびびびびび。河尻の尻の穴から怪しげな音が鳴る。それと同時に河尻は部屋を飛び出し厠へとすっ飛んでいくのであった。
信長たちはやれやれと言った顔付きである。
「さて、河尻くんが動けない以上、先生、動けませんね。まあ、3日もすれば河尻くんも復調するでしょうし、それまでに兵の編成でもしておきますか」
「じゃあ、信長さま、俺と佐々は南近江に行ってくるッス。あとは任せたッス」
「ん…。信長さま、行ってきます。お土産は六角義賢の首級で良い?」
「まあ、警戒だけでいいですよ?毎度のことですが、追えばすぐ逃げる相手です。相手の得意なゲリラ戦法に付き合う必要はないので、深く追わないように注意してくださいね?」
利家がウッスと佐々がわかったと返事し、部屋から退出していく。信長はふうと息をつき、独り
「いくら、織田家が各方面から包囲を受けていると言っても、流れは徐々に先生たちが握りつつあるというのに、久秀くんは、なぜ蜂起をしたんでしょう?大規模な本願寺の侵攻が起きると見て、それに合わせてなんでしょうか?」
信長は腕組みをしながら、うーんと唸る。
「まあ、考えても仕方のないことですかねえ?しかし、頭の痛い話です。のぶもりもりと勝家くんを早めに岐阜から呼び出しますかあ」
「殿。忙しいところ悪いのじゃが、信玄さまより書状が届いているのじゃ」
信長が思案にくれているところに貞勝が部屋にやってくる。貞勝は信玄からと言う書状を携え、信長の前にやってくる。
信長は貞勝から書状を受け取ると、ばっと、その書状を広げ、ふむふむと読み始める。
「東は北条家との同盟により、甲斐と駿河の情勢は安定してきたと。それに駿河で軍事演習をしているが、徳川家を刺激するつもりはないとのことを家康殿に伝えてほしいと。あと、駿河を手に入れたばかりで領国経営に集中したいので、上杉家と事を構える余裕はない。そこで停戦条約を上杉が守るように注意を促してほしいと。ふーん。報告・連絡・相談ってやつですね」
「信玄さまは筆まめなのじゃ。殿も大概じゃが、信玄さまもなかなかなのじゃ」
「まあ、こちらからこまめに書状を送っていますからねえ。信玄くんは返信をしないと気が気ではなくなる性格なんじゃないですか?謙信くんなんて、5通に1通、返事がきたら良い方なんですもん」
「うーむ、謙信さまの書状は、義、義、ぎぎぎぎぎいいいい!だらけなのじゃ。解読役もなかなかに骨が折れると嘆いているのじゃ」
「たぬきならぬ、ぎぬきで書状を清書しないと、まともに読めませんからね、謙信くんの書状。あれ、なんですか?暗号文のつもりなんでしょうか?」
「まあ、お家ごとの慣わしではないかじゃ?信玄さまの書状はふちを金箔であしらえておるのじゃ。一発で信玄さまからの書状だとわかるのじゃ」
「整理整頓するときは便利ですよね、信玄くんからの書状は。先生の書状にも何か一工夫したほうがいいんでしょうか?」
「あまり、変なことをするのはやめるのじゃ。天下布武印を使っている時点でわかりやすいのじゃ。人間、突き詰めればシンプルが一番なのじゃ」




