ー虎牙の章 5- たわけ
「義昭ちゃん。ひとさまから無料で土地をもらおうって言うのはダメだと思うよー?そもそも、お金を払っても土地を譲ってくれるひとなんていないと思うけどー?」
「お竹さんの言う通りです。皆、汗と血を流して土地を手に入れて、畑を耕し、町を作っているのです。誰が金なんかでゆずってやるものですか。そして、停戦を指示したのは将軍さまではありません。帝が詔を出してくれたおかげです。将軍さまは帝を動かしたと言う功績はありますが、謙信くんから土地をもらえるほどのことではありません」
「しかしでおじゃる。まろだって、少しくらい自分の土地が欲しいのでおじゃる。畑を耕したいのでおじゃる!」
義昭はまるで子供のように駄々をこね始めるのである。それに対して信長は冷たくあしらう。
「土地ならあるじゃないですか。ほら、ここ、二条の城が。ここの庭にでも畑を作ってください?胡瓜でも茄子でも好きなのを植えたらいいじゃないですか?」
「こんな手狭な土地だけではいやなのでおじゃる。まろの幕臣たちは土地を少なからず御父・信長殿からもらっているのでおじゃる。なんで、まろだけ土地をもらえないのでおじゃる!」
「そりゃあ、細川くんなどは三好家との戦いで頑張ってもらっていますからね。槍働きに対して恩賞を与えるのは当たり前ですよ」
大体ですねと信長は続けて話をする。
「将軍さまが自分の土地を持っていないんです。先生が代わりに将軍さまの幕臣たちに土地を譲っているんですよ?殿中御掟にそう書いて、将軍さまに判をもらった話ではないですか。あとどこから持ってきたかわからないような証文を持ち出すのも禁止していますが、功の無い将軍さまの幕臣にあげる土地なんてありませんからね?」
「まろは知らぬのでおじゃる。くっ、まだ、出どころ不明の証文を持ち出してくる不忠のやからがいるのでおじゃるか。一体、どこの誰なのでおじゃる!」
「うっほん。お言葉ながら、そう言った者たちは義昭さまから認可を受けたと言い張ってくるのじゃ。この前、秀吉がキレて、その者をぶん殴っていたのじゃ」
「ああ、秀吉くん、殴ったあとにさらに布団ですまきにして、五条河原に埋めてきたって言ってましたね、そういえば。さすがに死なれては困るので、あとでのぶもりもりに回収を頼みましたけど、秀吉をキレさせるってどういうことなの?ってのぶもりもりが驚いていましたねえ」
「まったくなのじゃ。普段は温厚な者ほどキレると始末に負えないのじゃ。今度は五条河原に埋められるだけでは済まされないのじゃ。いくら、義昭さまの可愛い幕臣と言えども、わしには何とも言えないのじゃ」
貞勝がうんうんと頷く。
「本当、困った話なのでおじゃる。まろもそう言うことはするなと再三、幕臣たちには言っているのでおじゃるが、一向に反省する気がないのでおじゃる。いっそ、信長殿は土地が欲しいと言っている、まろの幕臣たちに分け与えれば良いのではないかでおじゃる」
義昭の言いに、信長は、あははははははっと爆笑する。
「何を言っているんですか?ひょっとして今のは将軍家に伝わる秘伝のギャグか何かですか?何も役に立ってないひとたちに土地を与えろなんて、たわけも良いところですよ!」
「ふひっ。ちなみに【たわけ】の語源は【田分け】なのでございます。自分の田んぼを赤の他人に譲るような阿呆のことを、【たわけ】と馬鹿にするようになったのでございます」
「へーーー。たわけにそんな由来があったんだねー。あたし、知らなかったよー」
「お竹さんは町民出身ですからね。知らないのも仕方がないかもしれません。まあ、要するに、理由もなく自分の土地を与えるものなんて、世間から見れば阿呆の極みなんですよ。ですが、将軍家は違うようですよ?何の功もなくても土地がもらえて当たり前だと思っているようですから」
「さすがに義昭さまと言えども、先ほどの発言は将軍家ギャグなのじゃ。殿もそこまで笑う必要はないのじゃ!ふはははははははっ」
「そう言って、貞勝くんも笑っているじゃないですか!あははははははっ」
義昭は信長と貞勝に笑われたことにより、顔面に火がついたかのように真っ赤に染める。
「うっ、うるさいのおじゃる!そんなに笑うことはないのでおじゃる。いくら、まろがギャグで言ったからと言って、そこまで笑われる言われはないのでおじゃる」
なかなか笑いやまぬ信長と貞勝であったが、光秀が2人の前にある湯飲みにお茶のおかわりを入れて、お茶を飲むように促すのである。
「ひーひっひっひ。すいません、光秀くん。笑いすぎたため、ちょうど喉が渇いていたのです」
信長が湯飲みを手に取り、一気にその中身を飲み干そうとぐいっと湯飲みを傾けた瞬間
「まろの幕臣に土地を与えてはいかがでございます」
光秀が義昭の声真似をして、さきほどの義昭の台詞を言うのである。その言い方があまりにもそっくりなため、信長は口に含んだお茶をぶっふうううううう!と吹き出すのである。
「ぶほっげほっげっほおおおお!ちょっと、光秀くん、ひとがお茶を飲もうとしているときに、きみ、何をしでかすんですか!思い出し笑いしちゃったじゃないですか」
「光秀くん、そちは中々に悪よのー。あたしもそう来るとは思わなかったよー」
「ふひっ。お竹殿。策と言うものは相手の虚をつくのが最上なのでございます。戦ではよくこう言うのでございます。戦と言うものは策を用いるのが当たり前。騙されるほうが悪いのでございますと」
「なるほどー。あたしなら、騙されたら、騙す側を恨んじゃうもんねー。でも、武将の人たちはそうじゃないんだねー。やっぱり前線で戦う光秀くんの言うことは重みが違うねー」
お竹が光秀の言いに感心するのである。だが、義昭は違った。頭から湯気が立ち上るほどに怒り心頭である。先ほどの信長が盛大に吹き出したお茶をまともに正面から、ぶっかけられたからである。
「御父・信長殿!まろにお茶をぶっかけるとはどういう神経なのでおじゃる。いくら、お世話になっている信長殿と言えども、こればかりは許さないのでおじゃる!」
「何を怒っているのですか。お茶をぶっかけることくらい日常茶飯事でしょ?将軍さまは闘茶を知らないんですか?」
信長が怒る義昭に対して、さぞ相手をするのが面倒くさそうに言う。
「ねえねえー。闘茶って何ー?」
そう聞くのはお竹である。
「ふひっ。闘茶と言うのは、古今東西のお茶の目利きをして遊ぶことでございます。約150年前から武士たちの間でもてはやされてきた遊戯のひとつなのでございます。お茶の目利きをし、間違えた相手にお茶をぶっかけるルールなのでございます」
光秀の解説にお竹がへえーーーと納得するのである。
「何をうちの嫁に嘘を吹き込んでおじゃる。お茶の目利きは合っているでおじゃるが、相手にお茶をぶっかけることはしないのでおじゃる。金を賭け合う博打のひとつでおじゃる!」
「あっれーーー?でも、お釈迦さまの像にはお茶をぶっかけるっていう行事がありましたよね?てっきり、先生はお釈迦さまも闘茶をやっているものと思っていたんですが?」
「うっほん。それは、お釈迦さまの誕生日を祝う花祭りのことじゃ。確かにその日はお釈迦さまの像にお茶をぶっかけるが、闘茶とは無関係なのじゃ」
信長の問いに貞勝が応える。
「なーんだ。じゃあ、闘茶といういいわけがダメなら、今日は将軍さまの誕生日ってことにしましょうか。将軍さま、喜んでください。お茶をぶっかけられるには良い日ですよ?」
「何をわけのわからぬことをぬかしておるのでおじゃる!ええい、誰か、刀を持ってくるのでおじゃる。今日こそは、この不忠者を叩き切ってくれるでおじゃる」
「義昭ちゃん、落ち着きなよー。大体、信長くんがわざと義昭ちゃんの顔面に向かってお茶をぶっかけたわけじゃないんだしー。それくらい許すのが、将軍としての器の大きさを示すことになるんじゃないのー?」
「お竹ちゃん。そうは言うでおじゃるが、今日の御父・信長殿の態度は行きすぎなのでおじゃる。大体、将軍であるまろにいちいち意見を言うのは如何なのでおじゃる!」
「そりゃあ、将軍さまに諫言できるのは先生だけですからねえ。将軍さまときたら、帝は尊重しない、民は下劣だと見下す。そして、自分の幕臣はあごで使うんですし。じゃあ、誰がそんな横暴な将軍さまに意見するかと言えば、先生が身を挺してやるしかないわけです」
信長がしれっとした顔つきで、義昭に言うのである。それでもだと義昭は思う。今日の信長の言いにはいちいち棘がある。自分をわざわざ怒らせるためだけに言っているのではないかとさえ、疑ってしまうのである。
「諫言してくれる者がいてくれるのはありがたいのでおじゃる。だが、御父・信長殿は結局、何が言いたいのでおじゃるか。まるで、まろを追い詰めているように聞こえるのでおじゃる」
義昭が信長を睨みながら、ふうふうと荒い息を吐く。だが、信長は涼しい顔をしながら次の言葉を言いのけるのである。
「将軍さまには、しばらく表舞台に立つのは控えてほしいのですよ」
「何じゃと?まろに将軍職を辞退しろと言うのでおじゃるか!」
「いえ、そのようなことを言っているのではありません。将軍さまは各方面から恨みを買っていますので、しばらく、政務においても、行事で都の者たちに顔を出すことも控えてほしいんですよ」
「それが、将軍引退ではないと言えるのでおじゃるか!まろから一切の仕事を奪うつもりなのかでおじゃる」
「はい。将軍さまには一切、仕事をしてもらうのは辞めてもらいます。まあ、帝と朝廷とのお仕事くらいはしてもらいますけどね。信玄くんと謙信くんの停戦の詔をまた、発給してほしいので」




