ー虎牙の章 3- 信長、将軍に意見する
信長、貞勝、光秀、お竹が義昭の娘の吉祥について、ああでもないこうでもないと談笑を続けていた。しかし、話の内容としては、義昭を下げるものが多く、段々、義昭は辟易とした顔つきになるのであった。
「ああ、娘をダシにして、まろを非難するのはやめるのでおじゃる。大体、御父・信長殿は何しにきたのでおじゃる?」
義昭にそう言われ、信長はかすてーらを口に含みながら、あっ!という声をあげる。
「もぐもぐ。そうですよ。先生たち、将軍さまの娘を見にきたわけじゃないのですよ。まったく、貞勝くんと光秀くんはすぐに本来のこととは関係ないことをしだすのですから」
「もぐもぐ。何を言っているのじゃ。最初に吉祥殿をあやしはじめたのは殿なのじゃ。わしらの所為にされてはたまったものじゃないのじゃ」
「もぐもぐ。100歩譲って、僕たちにも責があったのは認めるのでございます。しかし、言わせてもらえば、信長さまが話を脱線させる場合が9割を占めているのでございます」
「もぐもぐ。ええ?先生、そんなに話を脱線させていますか?普段なら、のぶもりもりが5割を占めると思うんですけど?」
「もぐもぐ。その信盛殿がいないようなときは、ほとんど、殿が話を脱線させているのじゃ。2人合わせれば、10割なのじゃ。付き合わされるこちらの身にもなるのじゃ」
こいつら、食べるかしゃべるかのどっちかにするのでおじゃると思う義昭である。
「ああ、御父・信長殿。話が脱線しているのでおじゃる。さっさと用件を言ってほしいのでおじゃる。まろはまろとて、仕事があるのでおじゃる。ゆっくり談笑をしているほど暇ではないのでおじゃる」
義昭の言いに、信長があれ?っと言う疑惑の感覚を覚える。確か、お竹さんの言いでは、京極高吉が義昭に面会しにきているとの話だった。
何か引っかかるものを感じながらも、信長は先に話を進めようと思い、とりあえず、京極のことは脇に置いておくことにする。
「将軍さまの耳には痛い話を少ししたいのですが、いいでしょうかね?」
「ふむ。まろに何か諫言したいと言うのでおじゃるか?まろはやましいことなど、何もしていないでおじゃる」
義昭は信長の言いに対して、しれっとした顔をする。しかし、お竹はなにやら2人の間に不穏なもの感じ取るのである。
「ねーねー。信長くん。もし、義昭ちゃんが何かしでかしたと言うのなら、あたしが、義昭ちゃんにきつく言っておくよー?」
お竹が心配そうに信長を見ながら、そう告げるのである。
「いえ、お竹さんの身にも関わることなので、一緒に聞いてもらえませんか?事は先生が思っている以上に悪化していますので」
いつにもない真剣な顔で信長が言うので、お竹は、ごくりとつい喉を鳴らしてしまう。
「ちょっと、待ってね?娘の吉祥ちゃんを乳母に任せてくるからー」
お竹はそう言うと、側付きの者に乳母を呼んでくるよう頼む。そして、3分後、乳母がやってきて、吉祥を抱きかかえ、部屋から退出するのである。
静まり返った部屋の中、ちゃぶ台を義昭、お竹、光秀、信長、貞勝と言う並びで囲むことになる。静まり返った部屋の中で、信長が貞勝に手で合図する。
合図を送られた貞勝は、書状をひとつ、手に持ち、ちゃぶ台の上でばさっと広げるのである。
「御父・信長殿。これは一体、何の書状でござるか?また判を押せば良いものであるでおじゃるか?」
義昭がそう、信長に問いかける。しかし、信長は静かに顔を左右に振り
「ちがいます。これは市井並びに、朝廷からの将軍さまへの怒りの陳述書です。要は、京の都では、今、将軍さまに対する怒りが充満しているのです」
「ど、どういうことなのでおじゃる!まろは将軍であるぞ。京の都の民たちは、まろを崇め敬うのが当たり前ではないのかでおじゃる」
「うっほん。京の都の民たちは義昭さまが将軍職に就かれた後から、次々に起きる反乱に対して、恐怖におののいているのじゃ。将軍家に対して、浅井、朝倉、三好、六角、それに本願寺までものが、逆らっているのじゃ。民が足利の幕府に疑いの眼を向けるのは当然なのじゃ」
貞勝がそう、義昭に応える。しかし、義昭の眼から見れば、今、京の都を奪取せんと戦っている者たちは、織田家に対してだと思うのである。なぜ、まろが、足利の幕府が目の仇にされねばならぬとかと不思議で仕方がない。
「浅井、朝倉、三好、六角、それに本願寺は、織田家と敵対しているのでおじゃる。将軍家と争っているわけでもないのに、何故、まろが民から疑いの眼で見られなければならないのでおじゃるか!」
「あれれー?信長くんって、義昭ちゃんの家臣なんでしょー?織田家が狙われてるんじゃなくて、足利家が他国から攻められているってことになってるって思っていたけど、違うのー?」
「何を言っているのでおじゃる、お竹ちゃん。まろは御父・信長殿のおかげで将軍職について、足利の幕府の長になっただけでおじゃる。まろと御父・信長殿とは、それ以外、なんの関わりもないのでおじゃる!」
「えー?でも、義昭ちゃんは、信長くんを幕府の家老職か何かに任命していると思っていたよー?だって、義昭ちゃん、幕府の仕事のほとんどを、信長くんに任せているじゃないー?誰がどう見たって、信長くんは義昭ちゃんの家臣にしか見えないよー?」
お竹の言いに、義昭が、くっと口から漏らす。義昭自身から言わせれば、信長は足利の幕府の執政を自分から奪う簒奪者にしか見えてなかったのである。
だが、お竹ちゃんのような言っては悪いが、一般人から見れば、義昭との考えとは全然違い、信長は将軍の家老職に見えているのである。
どういうことだ?と疑問をぬぐえない義昭である。そこに信長がお竹の言葉に続けるように言う。
「お竹さんの言う通りですよ?先生たち織田家は足利家を守るために日夜、汗を流し、血を流しています。家老職と言うのはあれですね。まさに先生と将軍さまは一心同体と言って、過言ではないですね」
信長がにこやかな顔をしながら、お竹にそう告げるのである。
「義昭ちゃん、ひどいなー!信長くんがいつも義昭ちゃんのために汗水流して働いてくれているって言うのに、義昭ちゃんは、将軍職に就けてもらっただけなんてー。義昭ちゃんがいくら、あたしの旦那さまだからと言っても、注意させてもらうよー?」
お竹が頬を膨らませて、ぷんぷんと怒りの表情である。しかし、義昭にとっては、信長はただの不忠者なのだ。義昭自身から政治を行う権限を制限した男なのだ。
仕事をまかせっきりにしたくて任せているわけではない。殿中御掟で、仕事をすべて信長に任せると無理やり約束させられたからだ。自分は今ではただ、信長が持ってきた書類に判子を押すだけの存在しか許されてないのである。
それのどこが、足利の幕府の長であろうか。ただの傀儡である。しかし、お竹にはそれがわかっていない。下手をすれば、信長は義昭にとって1番の忠臣とうつっているのではないかと疑問が湧いてくるのであった。
「京の都に賊徒が入ってこないのは、どう見たって、信長くんのおかげじゃないー。あたしたちが二条の城で食べていくのも、寝る場所も困らずに生きていけてるのは、信長くんたちが頑張って、外敵を排除してくれているおかげだよー?」
「お竹さん、そんなに褒めないでくださいよ。先生、照れてしまいます。いくら事実だからって、そんなによいしょされたら、赤面してしまいますよ」
信長の言いに、義昭はくっと唸る。そうではないのでおじゃる!と叫びたい気分であるが、そんなことをすれば、お竹ちゃんに叱責されるのは火を見るより明らかだ。
「う、うむ。御父・信長殿は頑張っているのでおじゃる。感謝してもしきれないのでおじゃる」
義昭ははらわた煮え切りそうな気分であるが、ここはいらぬ波風を起たせぬように顔をひきつらせながら、信長に感謝の念を伝える。
対して、信長が満足そうな顔でうんうんとうなづくので、余計に義昭は腹ただしい気分である。
「で、信長殿はまろが京の民から帝から文句を言われているのを伝えにきたのでおじゃるか?」
「それを踏まえての話をしにきたのですよ。この陳述書を見てもらえばわかりますが、義昭さまの立場は非常にまずいことになっています。将軍さま、帝と朝廷からの仕事をしっかりこなしてくれていますか?聞いたところ、酒と女に溺れて、帝をないがしろにしていると、ご立腹ですよ?」
「何度も言っているのでおじゃるが、何故、将軍である、まろが帝や朝廷のやつらに頭を下げなければならないのでおじゃる!やつらはただ歌を唄い、それ以外、何もしていないのでおじゃる!」
義昭は激昂する。将軍職と言うものは、帝からこの国の政治や収税の権限を奪うための存在だ。何故、あやつらに頭を下げて、やつらの行事に付き合わねばならなぬのか。何もしないやつらなのだ。頭を下げなければならないのはあちらのほうだと言う想いである。
「いい加減にしてください!そんなんだから、義昭さまは、帝からの信頼を失墜させているのです。それでもこのひのもとの国の為政者ですか。将軍さまの権威を保障しているのはあくまでも帝なのです。将軍さま、いい加減、その大事な大事な将軍職をはく奪されてしまいますよ?」
「はく奪?帝ごときが、まろの将軍職をはく奪でおじゃるか?何を言っておるのでおじゃる。やつらに何ができるのでおじゃる。まろにものもうすこともできずに、御父・信長殿に告げ口しかできぬ帝に何ができるのでおじゃる!」
義昭は自分で言っていて、気付かない。帝が義昭を通さずに、直接、信長に苦情を伝えていることをだ。




