ー虎牙の章 2- 赤子は泣くのが仕事
「何が子供の世話は得意なのじゃ。盛大に泣かせおってからになのじゃ。よーしよーし、おじちゃんがあやしてあげますようなのじゃ」
貞勝が信長から赤ん坊を取り上げ、抱きあげ、あやし始める。だが、お竹の娘は一向に泣きやむこともなく、あーんあーんと声をあげるのであった。
「ふひっ。ふたりともダメでございますなあ。どれ、僕が女性の扱い方を見せてしんぜようなのでございます。貞勝さま、その子を手渡してくださいなのでございます」
くっと貞勝が唸りながら、腕に抱いた赤ん坊をそっと光秀に渡す。
「よーしよーし、怖かったでちゅねー。こんなむさいおっさん連中に囲まれて、かわいそうでちゅねー。僕がかわいがってあげるのでちゅねー」
しかし、お竹の娘は泣きやむどころか、この3人の中で1番の勢いで泣きだすのである。
「ふ、ふひっ?どういうことでございますか?僕は、嫁をあひんあひん言わせて鳴かすのは得意でも、赤ん坊にここまで泣かれることはないのでございますよ?」
「たぶん、身の危険を赤ん坊ながらも敏感に感じ取っているんでしょうね?光秀くんって、闇が深い部分がありますから。子供ってそのへん勘が良いといいますからね。きっと、光秀くんが怖くて怖くて仕方ないのでしょうね」
「うっほん。年頃の女性をあひんあひん言わせるのは、まあ、かまわないのじゃ。だが、赤子を泣かすのは感心しないのじゃ!」
「ちょっと待ってくださいでございます!僕を犯罪者に仕立てるのはやめてほしいのでございます。14歳を越えぬものに手を出すようなことはしないのでございます」
そんな彼らとは別に義昭と京極高吉は書斎にて打ち合わせをしていたのである。
「して、高吉よ。久秀との連絡は密にしているのでおじゃるか?」
「はっ。久秀が言うには、すでに信玄さまが軍を動かしているとのことでがんす。信長に動きを悟られぬよう、軍事演習と題して、ゆっくりと甲斐から駿河に入るとの話でがんす」
「ほっほっほ。ついに、信玄が動いてくれたかでおじゃる。して、こちらの準備はどうなっているのでおじゃる?信玄と歩調を合わせ、こちらも信長から独立をしなければならないのでおじゃる」
「兵についてですが、久秀殿から3000の兵を借り入れる約束をしているのでがんす」
「3000?たった3000だと言うのでおじゃるか?それでは、少なすぎるのではないのかでおじゃる」
「しかし、信長に怪しまれずに京の都に久秀の軍を入れるにはその程度が限界でがんす。必要ならば、本願寺より一向宗どもを二条の城に入れることも考えているのでがんす」
義昭はううむと唸る。一向宗どもの略奪のひどさは信長から聞き及んでいる。あの者たちを京の都にいれれば、どうなるかなど見なくてもわかる。応仁の乱の再来、いや、それ以上の被害が京の都に起きる可能性が否定できない。
「一向宗どもを京の都に入れるのは、最後の手とするのでおじゃる。まろが支配せし土地が荒らされては、目も当てられないのでおじゃる」
「そうがんすか。では、久秀からの3000でやりくりするしかないでがんす。幸い、この二条の城は信長が建てた城でがんす。平城と言えども、水堀もあり、鉄砲もそろっているのでがんす。信玄さまが上洛するまでには持ちこたえることは充分に可能でがんす」
「くふっくふっ。信長の奴め。まさか、自らが造った城を奪われ、その城を落とさねばならぬとは業が深い男なのでおじゃる。まろが二条の城を有意義に使ってみせるのでおじゃる」
ここまで話しを進めていると、なにやら屋敷の一室から赤子が泣く声が聞こえてくるではないか。最初はふええん、ふええん程度であったが、いまいには、ぎゃああああ、ぎゃああああと盛大に泣きだす始末である。
一体、何事かと義昭は思う。もしや、我が娘に何か起きたのではないかとさえだ。最近、お竹が妊娠中のため、遊女とばかりいちゃいちゃしていたために、お竹が育児のいろーぜにかかり、娘に手をあげているのではないかと危惧するのである。
「ちょっと、わが娘が泣いているのでおじゃる。高吉、ここで待っておれでおじゃる。様子を見てくるのでおじゃる!」
義昭は高吉にそう言い残し、書斎から飛び出していくのであった。
義昭が屋敷のひとつの部屋に飛び込むと、そこにはわが娘を奪い合うかのように、3人の男たちが何やら言い争いをしているではないか。
「だから、光秀くんの抱き方がいやらしんですよ。そんなんだから、赤ん坊が泣いてしまうのですよ!」
「何を言うのでございますか。それを言うのなら、信長さまこそ、女たらしの雰囲気を醸し出しているのでございます!その雰囲気に危険を察して泣いているのでございます」
「ほーれほーれ、でんでん太鼓でちゅよー。泣かない泣かないなのじゃ。って、2人とも、うるさいのじゃ。赤ん坊が怖がって、泣きやまないのじゃ!」
「うるさいのは貞勝くんのほうでしょう!あなたが大声を張り上げるから赤ん坊が泣きやまないんですよ。ほーら、信長ちゃんですよおおお。ミルクの時間でちゅよおおお」
「ふひっ。信長さま。残念ながら、男のおっぱいからはミルクはでないのでございます。何でございますか?この後に及んで、まさか、下のミルクとか言う鉄板ネタを言うつもりでございますか?」
「ちょっと、待ってくださいよ。光秀くん、正気ですか?赤ん坊に向かって、下のミルクなんて言葉、使っちゃだめでしょうが!いくら、義昭の娘と言えども、半分はお竹さんの血が混じっているんですよ?この娘さんには、将来の可能性が充分あるんです。義昭みたいな馬鹿に育たない確率が半分もあるんですよ?」
「そうなのじゃ。半分もあるという点がすごいことなのじゃ。義昭の血をお竹殿の血が浄化している可能性が半分もあるということなのじゃ。これぞ、生命の神秘なのじゃ!」
「ふひっ。僕としたことが、大事なことを失念していましたのでございます。つい、あの義昭の娘なので、将来はずっ魂ばっ魂な娘に育つとばかり思っていたのでございます。それで、今のうちに信長さまが下のミルクで教育を施すのかと思ってしまったのでございます」
「本当、光秀くんは失礼ですね。先生が14歳以下に手を出すのは、可愛い男の子だけですよ。ああ、蘭丸くんの味は最高でした。やはり若い男のエキスは最高ですね。先生、10歳は若返った気分になりましたよ」
こいつら、一体、何を我が愛娘の前で言っているのでおじゃるか。全員、この場でぶった斬ってしまったほうが、世の中のためになるのではないのかさえ思ってしまう、義昭である。
「おっほん。そなたたち、何をしているのでおじゃる。まったく、我が娘を泣かせおってからにでおじゃる」
義昭は信長たちから我が子を奪い、よーしよしよしとあやし始める。するとどういうことだろう。
「ふぎゃあああああああああ、ふぎゃああああああああ!」
ここ一番の大声で泣き出すではないか。慌てた義昭がおろおろとなっているところに、お竹がお盆にカステーラとお茶をもってきて現れる。
「すっごい泣き声がすると思ったら、やっぱり義昭ちゃんなのねー?いつも言ってるじゃないー。義昭ちゃんには子供をあやす才能が無いってー」
「くっ。才能が無いと言うのはどういうことでおじゃる。子供は泣くのが仕事でおじゃる。まろは我が娘に仕事をさせているだけでおじゃる!」
「はいはい。いいわけはよしこさんですよー。ほーら、吉祥ちゃん、お母さんですよー?怖くないから、泣きやんでねー?」
さすが母である。お竹は義昭から娘の吉祥を奪い取ると、吉祥はまたたくままに泣きやみ、きゃっきゃっと笑いだすのである。
「さすが、母親ですねえ。さっきまで泣きっぱなしだったのが、魔術を使ったかのように笑いだしましたよ。この娘、本当に将軍さまの娘なのですか?」
「信長くんは失礼だなー。れっきとした、あたしと義昭ちゃんの娘だよー。ほら、目元がなんとなく義昭ちゃんに似ているでしょー?」
信長、貞勝、光秀がお竹にそう言われ、吉祥の目元に注目する。そして、義昭との顔を交互に見ながら
「うーん。似ていると言われれば似ていますが、どちらかと言うと全体的にお竹さんに似ていますねえ。吉祥ちゃんは幸運ですよ。目元だけ義昭さまに似ていて」
「そうなのじゃ。もし、顔全体が義昭さまそっくりだったら、将来が心配になるところなのじゃ。お竹殿も安心なのじゃ」
「ふひっ。うちの娘の珠は顔は、ひろ子似ですが、性格は僕に似ている部分が多いのでございます。さて、吉祥殿は将来、どちらの性格に似るのでございましょうか?」
信長、貞勝、光秀がそれぞれに感想を言う。対してお竹は
「顔がどちらかに似ていると、性格はその一方に似るって、よく言われているよねー。じゃあ、吉祥ちゃんの性格は義昭ちゃんに似るのかなー?」
「なんだか憎たらしい性格になりそうですねって、おっと、お竹さんに失礼なことを言ってしましました。すいません」
信長が口が過ぎたとばかりに、お竹に謝罪の言葉を伝え、頭を下げる。
「殿、言っていいことと悪いことがあるのじゃ。性格についてはお竹殿が一番心配しているのじゃ。不安を煽るようなことを言うのはやめるのじゃ」
「ふひっ。せめて、性格もお竹殿に似ることを期待するしかないのでございます。なんなら僕が神社に言って、願掛けでもしてこようなのかでございます」
「あれ?貞勝くん、光秀くん。そう言えば、織田家に良い例と言ってはなんですけど、帰蝶さんがいるではないですか?帰蝶さんって、義父の道三と顔は似ても似つかないわりには、性格は義父譲りだと帰蝶が漏らしていたことがありましたよ?」
「だから、そういう不安を煽るようなことを言うなと言っておるのじゃ。殿は思ったことを素直に言えば、許されると思っている所を改善すべきなのじゃ」
貞勝が堪らず、信長に諫言を行う。
「あー、信長さまの正妻の帰蝶ちゃんかー。確かにきりっとした男前な感じがするねー。似るにしても、しっかりしたお父さんに似てくれたらいいんだけど、うちのところは義昭ちゃんだからねー」