ー猛虎の章13- 信忠と松姫
月日は進み、1571年11月も半ばを過ぎ、そろそろ12月に入ろうとしていた。信長たちは散発的に動く浅井家、朝倉家、六角義賢のゲリラ、そして、一向宗たちとの戦闘に明け暮れていたのである。
そんな彼らを尻目に岐阜に珍客がやってくるのである。
「まあ、ここが噂に聞く岐阜でございますか。冬も間近と言うのに、町に屋台があふれているのでございますわ。わたくし、天麩羅と言うものを一度、味わってみたかったのでございますわ!」
姫、はしたないですぞとお供の者が注意を促す。
「ええ?だって、あんなに美味しそうなものを売っている店が並んでいるのでございますわ。ひとつくらい、いいのでございませんかですわ?」
姫のお供がやれやれと言った顔つきで屋台の店主に天麩羅をいくつか注文するのである。
「おう、毎度!って、あんたら、見た感じ、どこかからの旅行客かい?」
店主がそう、買い物客である一行に声をかけるのである。
「はい。甲斐の国からやってきまのでございますわ。ゆっくり物見遊山をしていたら、すっかり季節がうつろいでしまいましたのでございますわ。紅葉がきれいだと思い、信濃を抜けてきたのは失敗だったのでございますわ」
「ああ、東海道を通らずに信濃を通ってきたのかい。そりゃあ、女性の足だと大変だろうよ。しっかし、もの好きもいたもんだ。好んで山道を通ってくるたあな」
「各地の温泉を巡ってきましたのでございますわ。おかげで路銀が尽きそうになりましたので、お兄様のお城でお金をもらいましたのでございますわ」
お供に姫と呼ばれた女性は、うふふと笑いながら、天麩羅をはむはむと味わうのである。
「あららー。本当、初めて天麩羅を食べましたけど、噂どうりに美味しいのでございますわ。中はこれ、海老なのかでございますわ?」
「おう、そうだぜ。魚やエビ、それに野菜の天麩羅など色々、取り揃えてあるから、もっと買ってくれていいんだぜ?」
店主が笑いながら、その女性に話しかける。
「では、貝の天麩羅が欲しいのでございますわ。山生まれのために海の生き物を食べたことがありませんのでございますわ」
「残念だなあ、お嬢さん。貝はさすがに天麩羅にはしないなあ。海の魚で我慢してくれないか?」
「海魚の天麩羅でございますか。それはさぞかし美味しそうでございますわ。お勧めはどれでございますか?」
天麩羅屋の店主が3本ほど海魚を天麩羅にして、女性に渡す。女性はその天麩羅を渡され、もぐもぐと食べ、非常に満足そうな顔をするのである。
「ごほん。姫、そろそろ、城の方に行きましょう。ここで買い食いをしているわけにはいきませぬぞ」
姫のお供がそう進言するのである。
「あらあら、そうでございましたわ。わたくしったら、つい、天麩羅の美味しさに酔いしれてしまって、大事なことを忘れてしまいましたわ。店主さん、美味しい天麩羅をありがとうございましたわ」
「いやいや、そこまで美味しそうに食べてくれるなら、作ってるこっちとしても嬉しい限りだ。お嬢さん、名前は何て言うんだい?」
「わたくしでございますか?松と皆からは呼ばれていますのでございますわ」
信忠は朝起きてから、ずっとそわそわしていた。武田家からの書状で松姫が岐阜に向かっているので、そろそろ着くころだと連絡を受けていたからだ。
書状を受け取ったのは1週間ほど前であったが、予定日であるはずの日からすでに3日も経っていたからである。
「ううむ。松姫がこちらに向かっているという情報を手にいれたはいいが、物見からの報せでは、とっくに岐阜には入っているというのに、姿を見ることができないのでござる」
信忠は落ち着かないのか、屋敷の部屋の中をぐるぐると歩きまわったいたのである。
「はっ!まさか、道中で賊に襲われたのでござるか。ええい、物見の人数を10倍に増やしておけばよかったのでござる」
「何を言っているのですか。いくら愛しい者のためとは言え、そんなに心配するのはどうなのです?」
信忠の側に控える帰蝶がそう信忠に言う。まわりの信長の女房連中も、おかしいのかくすくすと笑いだすのである。信忠は笑われたことにより、顔を真っ赤に染め上げるのである。
「し、しかし、自分は心配なのでござる。まさか、道中で知らぬ若い男に声をかけられる事案が発生しているのかもしれないでござる。ええい。岐阜の警護の兵を10倍に増やしておけば良かったのでござる!」
「岐阜で戦でも起こすつもりですか。まったく、少しは父のようにじっくり待つことはできないのですか?」
帰蝶は、はあああと深いため息をつく。信忠の普段のふるまいは父・信長と同じであるのに、どうしてこう心配性に育ってしまったのかと不思議でならないのである。自分は信忠の産みの母ではないが、我が子のように育ててきたつもりだ。
「あっ、もしかして、父と母が豪胆すぎて、逆に子が心配性に育ってしまったのかしら?ううん、子育てと言うものは難しいのですわ」
そうこうしていると、信忠の側付きの者が部屋に入ってきて、信忠に松姫が到着したことを告げるのである。それを聞いた信忠は飛んでいくかのような勢いで、部屋から飛び出していくのである。
「殿もあれくらい、帰蝶が尋ねた時には飛んできてほしいものですが、本当、いらぬところは似て、似てほしいところは似ないものですわ」
帰蝶はやれやれと言った表情を作るのであった。
信忠は屋敷の入り口にくると、きょろきょろと周りを見渡す。男どもが数人、そして、それにまじって女が3人いるのである。信忠は松姫とは頻繁に文をやりとりしていたが、実際には顔を見たことがあるわけではない。なので、どの女性が松姫なのかわからずにいた。
「い、いや、だから拙者は信忠さまではありませぬ。松姫殿、おちついてくだされ」
「何を言っているのでございますわ!わたくしの想像通り、3枚目の殿方なのでございますわ。まったく、嘘を言われるのはやめてほしいのでございますわ」
信忠の側付きの男が、ある女性に抱き着かれている。あ、あれ?もしかして、あの女性が松姫なのか?なんで、自分ではなく、他の男に抱き着いているのでござるか?と疑問に思う、信忠である。
「や、やめてくだされ。こんなところを信忠さまに見られたら、拙者、切腹を命じられてしまいます。とにかく落ち着いてくだされ!」
「まあまあまあ、あなたが信忠さまなのに何を慌てていらっしゃるのでございますわ。男はどっしりと構えているのがいいのでございますわ!」
そう、松姫が言うと信忠の側付きをもっと強く抱きしめている。
「あ、あの?もしかして、松姫でござるか?」
おそるおそる信忠が松姫に声をかける。信忠の側付きは信忠さまの登場におおいに驚き、必死に松姫を引きはがそうとする。だが、強く抱きしめられているため、なかなか、身を離すことができない。
「そうですわ。今、信忠さまと仲を深めているのでございますわ。申し訳ありませんが、少し、気を利かせてほしいのでございますわ!」
「い、いや、そいつは自分の側付きの者でござる。松姫、落ち着いて、自分の顔を見るでござる。自分が織田信長の息子、信忠でござる」
信忠の言いにきょとんとした顔をする松姫である。そして、今、抱き着いている男と信忠とのたまう男の顔を見比べて言う。
「あらあらでございますわ?でも、わたくし、信忠さまの顔を知らないのでございますわ。まさか、あなた、嘘をついて、わたくしに抱き着いてほしいのでございますかわ?」
「い、いや、だから、自分が信忠でござる。松姫は勘違いをしているのでござる。信じてほしいでござる!」
「そうは言われましても、わたくしはこちらの方が信忠さまだと思っていますのでございますわ。あなたが信忠さまと言う証拠を見せてほしいのですわ」
松姫の主張に、ううんと唸る信忠である。
「あなたが信忠さまなら、わたくしとの文のやりとりの内容が言えるはずですわ。信忠さまが書いておられたのですわ。もし、わたくしが信忠さまの元に来たときとは、信忠さまはアレで迎えいれてくれると言っていたのでございますわ!」
「え?アレでござるか?確かに文で書いたでござるが、まさか、アレをしろと言うのでござるか?」
「ええ、そうですわ。それをしてもらわなければ、わたくしはあなたが信忠さまだと信じられないのでございますわ!」
アレか。確かにかっこつけて、アレをすると文には書いたがまさか本当にやらされるのかと、信忠は思う。あんなこと、ここでやれば岐阜の城の皆にのちのち語り草になるのは間違いない。
うーん?と考えこんでいると、松姫が信忠の側付きの腕をぐいぐちと引っ張り、どこかに連れていこうとする。
「さあ、信忠さま?さっそく、子をつくりましょうなのでございますわ!わたくし、3人、子供がほしいのでございますわ」
「ちょ、ちょっとまつでござる!やるから、少し時間をくれなのでござる。おい、自分の兜と甲冑、それに槍を持ってくるでござる。こうなれば仕方ないのでござる」
信忠は意を決し、松姫との約束のアレをすることにする。はああああ、なんでこんなことになってしまったのでござるかと、ため息をつくことになる。
屋敷の入り口が騒がしいので、何事かと、帰蝶を始め、信長の女房連中がぞろぞろと奥から現れる。そこで見たのは、戦時でもないのに、鎧姿の信忠であり、さらには背中につけた旗印には【ラブ松姫】と墨で書かれている。
「ちょっと、信忠さん?あなた、何をやっているんですわ?」
「とめないでくださいなのでござる。これをやらねば、松姫が他の男と子供を作ってしまうのでござる。自分、それは絶対に阻止をしなければならないのでござる!」




