ー猛虎の章10- 幼名の由来
皆がわいわいと酒を飲み、机に並べられた料理に舌鼓を打ちながらたわいのない話をしながら、宴席は続くのであった。
「そういえば、お竹さん。随分、お腹が目立つようになってきましたけど、子供の名前はもう決めたのですか?」
信長がそうお竹に尋ねるのである。
「うーん。それがまだなのよねー。出産予定日は1月から2月だって、曲直瀬ちゃんに言われているんだけど、あと3,4カ月もあるからねー。どういった名前をつけるか考えちゃうのよねー」
「そうですねえ。幼名と元服した時用の名前の2つを考えなければなりませんからねえ。うちは奇妙丸とか茶筅丸とか幼名につけちゃいましたけど、普通の家ではそう言う風には行きませんからねえ」
「殿のセンスの良さには脱帽するけど、そもそも、殿自体の幼名が吉法師だったっけ?殿の家では、何か変わった幼名をつけなきゃダメって言う風習でもあるわけ?」
「言われてみればそうですよね。幼名なんて、下手すれば、三郎、四朗、五郎でも良いわけですから、先生の家は少々、特殊だと言っても良いですねえ?」
「まあ、真面目に幼名をつけられるのは次男までッスね。俺なんて、犬千代ッスよ。千代の部分はまだわかるッス。長息してほしいとか息災であれとか、そんな意味ッスからね。でも、犬をつける必要はどこにもないッスよ!」
利家が相当、酔っ払っているのか、机の上にガンッ!と酒の入った湯飲みを置く。
「まあ、落ち着いて、ください。利家殿。私なんて、今でこそ秀吉と名乗っています、けど、幼いころは【ひえよし】って母からは言われていました、から」
「【ひえよし】ってなんッスか?意味が良くわからないッスけど」
「漢字で書くと【稗良し】なん、ですよ。せめて稗だけでもお腹いっぱい食べれるようになってほしいとの母の願いだったそう、です」
その秀吉の話を聞いて、大の大人である信盛と勝家が大粒の涙を流して号泣しだすのである。
「えぐっえぐっ。秀吉。お前にはそんないきさつがあったんだなああああ。俺、秀吉のことをたまに猿って言ってしまうけど、お前はそんなことも気にせず、立派な城持ちまで出世したんだなああああ!」
「我輩、感動したのでもうす。猿が出世にがむしゃらなのは、自分の名を上げるためだと勘違いしていたのでもうす。きっと、母親に楽をさせたくて、頑張っていたのでもうすなああああ。猿よ、すまなかったのでもうすううううう!」
わんわん泣く2人を、秀吉はおろおろしながら、必死になだめようとする。
「い、いえ。私が出世できたのは、すべて信長さまのおかげ、です。私にはおふたりほどの武名を上げるほどの腕前もありませんが、少しは回る知恵を信長さまが買ってくださったの、ですから。今の私があるのは、すべて、信長さまのおかげ、です」
「くうううううう。こいつはこんな時にでも俺と勝家殿を持ち上げることは忘れないんだなああああ。なんて、良い奴なんだ、秀吉って奴はああああ!」
「我輩、これから猿と呼ぶのは止めるのでもうす。猿よ、もっともっと頑張って、我輩らに追いついてくるでもうすよ?約束でもうすよ、猿うううう!」
どこが猿と呼ぶのを止めた形跡があるのだろうかと、秀吉は思うが、このひとたちはきっと、酔い過ぎているのであろう。酔いが冷めたころには、ケロっと今、言ったことを忘れるんじゃあ?と疑問に思うが、つっこみは止めておく秀吉である。
「まあ、少し、話が脱線しましたが、基本的には幼名には縁起の良いものを名前に含ませるわけですよ、お竹さん」
信長の言いにふむふむと頷くお竹である。
「じゃあ、もし女の子だったら、私は吉祥とか千歳って付けちゃおうかなー。女の子は幼名とか考えなくていいんでしょー?」
「そうですねえ。女の子で幼名をつけるひとはほどんどいませんねえ。産まれた時につけた名前をそのまま、使いますし。そうですよね?帰蝶さん」
「はい、そうですわ。私も父・道三に産まれた時から帰蝶と呼ばれてましたわ。大名の姫でもそこは変わりませんわ。でも、他国のひとが私の名を呼ぶときは濃姫と呼びますけどね」
「えー?それってどういうことー?じゃあ、私も将軍家以外からは、これからは足利姫とか京姫って呼ばれる可能性があるわけー?」
「その可能性は否定できませんわ。そもそも、このひのもとの国でひとさまの女性の本名を言うのは、はばかれるという風習があるのです。例えばですけど、本来なら、信盛さんの嫁の椿さんだって、佐久間夫人と呼ぶのが正しいのですわ」
「へー。そうなんだ。たまに私のことをそう呼ぶひとがいると思ったら、そういう風習があったわけね。私は農家生まれだから、なんだかこそばゆい感じがして、やめておくれっていつも言ってるんだけど、頑として聞かないひともいるわね」
椿がそう感想をもらすのであった。
「まあ、農家ではあまり見られない風習だと思いますわ。でも、昔からの武家とか、貴族などになると何々夫人とか、何々姫と呼ぶのが一般的ですわ」
「じゃあ、私も気をつけなきゃならないのかねえ。ああ、やだやだ。かしこまって言うのは肩がこっちゃうのよね、私」
「小春さん。気にしなくても良いですよ?先生は、そう言ったどうでもいい風習を打ち破るために戦っているのですからね?だって、そんなの気にしてたら、生活しづらいじゃないですか。そんなかたっくるしい世の中を変えていくのが先生たち、織田家なのですからね?」
「ほえー。信長ちゃんってすごいなー。うちの義昭ちゃんとは全然ちがうよー。義昭ちゃんは自分がずぼらな癖に、家臣たちには昔ながらの風習を守るのでおじゃる!って口うるさい時があるのよねー」
「将軍さまはある意味、仕方ない部分がありますからねえ。帝と同じく、将軍職と言うものは武家の代表ですから、どうしても、武家たちの模範となる必要が出てきます。それ故、旧態依然のことを守らなければならないと考えてしまうのも仕方ないわけですよ」
「なんだか私、面倒くさいとこに嫁いじゃったのかなー。これからはやれ礼儀だ、作法だと叩きこまれることになっちゃうのかなー?そんなの嫌だなー。私は別に義昭ちゃんが将軍だから嫁いだわけじゃないのになー」
「お竹さんにとっては少々、窮屈な思いをさせてしまうかもしれませんねえ。ですが、先生たちが近い将来、お竹さんが自由に振る舞えるよう努力はしますので、少しの間、辛抱してくださいね?」
「本当ー?それは楽しみだなー。義昭ちゃんに調教されるのは本意じゃないからねー。あっ、夜のほうで調教されるのはいいよー?義昭ちゃんが求めてくれるなら、なんでも応えちゃうもんねー!」
お竹がほがらかな顔になりながら、信長にそう言うのであった。しかし、エレナは聞きなれない言葉を聞いたとばかりに不思議な顔になり信盛に尋ねるのである。
「アノー。信盛サマ。チョウキョウとは何デショウカ?聞きなれない言葉なので、エレナにはわからないのデス」
突然、エレナから話を振られた信盛が不意をつかれたせいか、盛大に口に含んだヤモリの黒焼きを吹き出すことになる。
「ちょっと、のぶもりもり、汚いじゃないですか!」
「げほっげほっ!すまねえ、殿。いや、いきなりエレナが調教とか言い出すから、ついびっくりしちまってよお」
信盛は信長に謝りながら、机の上を手ぬぐいできれいに拭いていく。
「す、すいマセン。おかしなことを聞いてしまいマシタ?」
エレナがすまそうな顔になりながら信盛に謝るのである。
「まあ、信盛は変態だけど、調教プレイはしないもんね。そりゃ、エレナにはわからないわ。てか、エレナにしてるなら、信盛を私がぶん殴っているところだけど!」
小春は湯飲みを口につけながら、ちびちびと飲み、キッとした目つきで信盛の方を見る。
「た、確かにそうだな。俺って、変態って自覚は多少はあるけど、調教プレイはやってないな。結婚する前に遊女とそういった疑似調教プレイを試そうとしたことはあるけど、自分には、その性癖がないって思ったなあ」
「へえ。のぶもりもりみたいな歩く性の伝道者みたいな、きみが調教プレイは好まないってのが不思議でたまりませんね?」
「いや、だってよ。女を無理やり手籠めにするような、あんなの、純愛プレイ主義の俺には、全くもって理解できないんだよなあ。なあ、この中で嫁さんに調教プレイしている奴って、いるの?逆に俺が知りたいわ。どんなことしてんのか」
「ガハハッ。我輩は清純派と思いきや淫乱だったプレイが主でござるが、調教プレイはしていないでもうすな。うちの香奈はああ見えて、夜の営みでは、彼女が主導権を握るでもうすよ?」
「うっわ、それ、すっごく意外ッスね。あの香奈さんが乱れに乱れるんッスか。全然、想像がつかないッス」
「そういう利家んとこは、どんなプレイしているんだ?まあ、なんか普通のプレイしかしてなさそうな雰囲気するから、期待はしてないけど」
「うちッスか?うーん、ひとさまと比べたことないからわからないッスけど、体位は3つ程度しか試したことはないッスね。松があんまり変なのを嫌がるッスから、無理に言えないんッスよ」
利家の言いに皆が耳を傾け、ふむふむと頷く。やはり、誰もが余所の家での夜の営みには関心はあるものの、中々、聞けないものであるからだ。
「体位の種類かー。俺は【本当は気持ちいい夜伽 特別号by松永久秀】に載ってるやつはちょいちょい試してみてはいるが、やっぱり小春やエレナは基本の3種類の体位が一番、興奮するみたいだしなあ」
「そうねえ。普段やらないような体位は、少しは新鮮味を感じるけど、それだけだわ。まんねり化しそうだけど、やっぱり基本の3種類が好きね、私は」
普段の小春なら、こんな会話をしようものなら、信盛が鉄拳制裁を喰らうはずだが、相当、酔っているせいもあるのか、舌のすべりが良い感じになっていたのである。
「私のところは、嫁のねねさんとは子づくりに良いと言われる体位をいろいろ試してはいますけど、気持ちよさとは別、ですからね。やはり基本に忠実なところで収まり、ます。ちなみにうちも調教プレイはしま、せんね」
「あっれー?秀吉くんなら、やってそうなイメージだったんですが、違うんですね。じゃあ、織田家は皆、清純系と純愛系ばっかりなんでしょうか?うーん。これでは織田家の名前が泣いてしまいますよ?」




