ー猛虎の章 5- あなたはお尻を愛せますか?
「僕の眼から見れば、信長さまは甘いように思えるのでございます。逆らうものは根本から、根絶やしにしたほうが世の中は平和になると思うのでございます」
光秀の強い語気に、信長はやれやれと言った表情を作る。
「何度も言いますが、先生はこの国の全てを灰塵に帰するために戦っているのではありません。間違っているものを間違っていると指摘し、それを正すために戦っているのです。この世が間違っているからと言って、全てを破壊する者は、それは征服者ではありません。ただの馬鹿です。大馬鹿者です」
「信長さまは昔から民のために、民が幸せに暮らせていける世の中を作るために、戦っています、もんね。信長さまのそう言った根っこの部分は20年近く経っても変わらないの、ですね。私としては安心、します」
「そう言えば、秀吉くんが織田家に仕官してから、もうそんなに時間が経っているんでしたっけ?月日が流れるのは早いものですね。尾張は勝幡城から旗揚げしましたが、その頃は秀吉くんはただの一兵卒でしたね。よくもまあ、今まで、大きな怪我もなく生き延びてきたものですよ」
信長の言いに秀吉が気恥ずかしいのか、顔をほんのり赤く染めて、右手で頭をぽりぽりとかく。
「あの頃から必死に信長さまの役に立とうと頑張ってきました。その想いは今も変わり、せん。信長さまがこの国の未来を明るいものにしようと頑張ってくださる、ように、私も信長さまのために粉骨砕身の想い、です!」
「ふひっ。なんだか、秀吉殿は、信長さまを口説いているかのように見えるのでございます。見ているこちらが恥ずかしい想いになってしまうのでございます」
秀吉はほんのり赤かった顔を、まるでぼっと火がついたかのようにさらに真っ赤に染めるのであった。
「そ、そんなことはありま、せんよ。確かに私は信長さまに心底、惚れている面はあり、ます。ですが、それは男女のそう言ったものではなくて、主君と家臣の愛だと思って、います!」
秀吉はしどろもどろになりながら、必死に弁明するが、自分でも何を言っているのだろうと思い、余計にしどろもどろになっていくのである。
「そうですか。秀吉くんは先生を愛してくれているのですか。それは気付かずに申し訳ありませんでした。どうです?今夜、先生の寝所に来ますか?」
「い、い、いえ。滅相もございま、せん!信長さまに抱いてもらおうとか、そんなやましいことを考えているわけでは、あわわわわわ」
「秀吉殿。おちついてほしいのでございます。信長さまは冗談で言っているのでございます。大体、信長さまは男でもきれいどころが好みなのでございます。秀吉殿のような猿顔や、ぼくのようなねずみ顔では、夜伽の相手として選んでくれるわけがないのでございます」
「そ、そうですか。それは嬉しいのか、残念なのか、判断がつかないの、です」
秀吉の言いに、信長と光秀がおおいに笑う。ひでよしは、顔を真っ赤にしながら、うつむき加減で、手ぬぐいで顔からあふれ出る汗を拭くのであった。
「あれ?信長さま。まだ、こんなとこにいたッスか?そろそろ、京の都に向かわないと、義昭さまとお竹さんの結婚式に間に合わなくなってしまうッスよ?」
信長、秀吉、光秀の3人が談笑しているところに、ひょっこり利家がやってきて、そう告げるのであった。
「あれ?利家くん。将軍さまの結婚式に出席するつもりだったのですか?てっきり、先生、利家くんが参加しないと思っていて、比叡山と睨み合ってる、浅井長政くんに威嚇行動を利家くんに取ってもらおうと思っていたのですが?」
「何を言っているッスか。義昭さまの結婚式と言えば、京の都がごったかえしになるほどの大騒ぎになるッス。商売で稼げるチャンスッスよ?みすみす逃すわけがないじゃないッスか!」
「あーらら。じゃあ、比叡山の1件、どうしましょうかね?丹羽くんと貞勝くんは将軍さまの結婚式のぷろでゅーすを担当していますから、こっちに連れてくるわけにも行きませんし。光秀くんと秀吉くんは将軍さまが世話になった礼だと言って、連れてこいとのことですし」
信長がうーんと考え込んでいると、利家が助言をする。
「塙直政とか、金森長近に任せたらいいんじゃないッスか?あの2人なら、威嚇行動くらい、こなして見せるッスよ。それに何か事が起きたとしても、大規模な戦には発展しなさそうッスから、問題はないッスよ」
利家の言いに信長がふむと息をつく。
「まあ、塙くんは黒母衣衆、金森くんは赤母衣衆ですからね。利家くん、佐々くん、河尻秀隆くんの影に隠れて目立たないですが、副将として優秀な彼らです。1軍を任せて見るのも悪くは無い選択肢ですね」
「そうッス。そうッス。隊長が忙しい時は、副隊長が責任を持つのが当たり前ッス。いやあ、俺は頼れる部下を持てて幸せ者ッスよ」
「利家くんが仕事をさぼりたいのは、別の目的のためだと思うのですが、そこはつっこんだら負けなんですかね、先生の?まあ、良いでしょう。比叡山攻めの仕事も、こなしてもらったのです。ここらで利家くんに一息入れさせるのも、上司である先生の仕事ですかね」
「部下の心情をくみ取れる主君で、本当にありがたいことッス。これは、今夜は、信長さまの寝所に忍び込まなきゃならないッスね!」
「ふひっ。利家殿。今夜の信長さまの夜伽の相手は、秀吉殿が約束をしているのでございます。さきほど、秀吉殿が信長さまに猛烈らぶらぶあたっくをして、信長さま、素敵、抱いて!と宣言をしていたところでございます」
光秀の言いに、利家は眼を白黒させながら、口をぱくぱくさせる。
「の、信長さまが猿に浮気したッス。これは一大事ッス。俺のお尻は飽きてしまったッスね。さんざん、もてあそんでおいて、用済みになれば、ぽいっなんて、ひどすぎるッス」
利家は力なく、よれよれとひざを折り、部屋の天井を仰ぎながら涙をハラハラと流しはじめる。
「信長さまは面食いだと思っていたのに、実は猿面食いにもなろうとしているッス。ここは俺が止めなくちゃならないッス」
「あ、あの、信長さま?利家殿が何か物騒なことを言いだしたの、ですが、そろそろ止めたほうが良いと思うの、ですが?」
「おもしろそうだから、もう少し待ってみませんか?先生の予想としては刀を抜いて、秀吉くんに襲い掛かると思うのですよ」
信長の言いに秀吉が頭を左右にブンブンと振って、利家を止めに入る。
「利家殿。しっかりしてくだ、さい!光秀殿の冗談を真に受けないでくだ、さい」
だが、利家は聞く耳持たず、腰に結わえた太刀の柄に手をかけるのである。
「こうなれば、猿を斬って、俺も腹を切るッス。そうすれば、永遠に信長さまの心の中に俺は住むことができるッス」
秀吉はこれはダメだと思い、一目散に部屋から飛び出していく。利家は過去、痴情のもつれで信長付きの茶坊主を斬り捨てた経緯があるのだ。こうなった利家を止めることは難しいと判断し、秀吉は逃げ出したのである。
「あ、あれ?秀吉はどこに行ったッスか?俺の信長さまを盗ろうとした泥棒ネコは、全部、俺が斬るッス」
利家はスラリと鞘から太刀を抜き出し、両手に構えて、きょろきょろと辺りを見回していた。肝心の秀吉の姿が見えないからである。
「秀吉くんなら、用があると言って、先に京の都に出発してしまいましたよ?というか、今までの話は冗談なのに、何、太刀を抜いているんですか。まったく、利家くんはいくつになっても、先生のこととなると、すぐに頭に血が昇ってしまいますねえ」
「あ、あれ?冗談だったんすか?てっきり、俺は信長さまがゲテモノ喰いになってしまったのかと思ってしまっていたッス。って、なんで、俺、信長さまの前で太刀を抜いているッスか!これは何かの間違いッス」
利家は慌てて、太刀を元の鞘に戻す。信長はその利家の姿を見ながら、やれやれと言った顔つきだ。
「ふひっ。利家殿は心底、信長さまを愛しているのでございますな。僕も信長さまのことは愛しているのでございますが、利家殿ほどには至らないのでございます」
利家を煽った張本人・光秀がしれっと言う。それに気付かぬ利家は困り顔になりながら
「最近、信長さまが森可成さまの息子をまるで蛇が獲物を見つけたかのように、いやらしい眼で見ていたッス。あれ以来、俺は気が気でならないッス」
「森可成さまのご子息でございますか?あのやんちゃそうな森長可を信長さまは狙っているのでございますか?」
光秀がどういうことだろうと利家に尋ねるのである。
「そっちのほうじゃないッス。長可の弟、蘭丸のほうッス。信長さまはどちらにも一角の将として期待は充分持てるとは言っているッスけど、蘭丸を見つめる眼は、まるで俺を布団の上で組み伏せている時の眼ッス」
「ほほう。それで、利家殿の心中、穏やかではなかったと言うことでございますね。これは、利家殿をからかうのはよしたほうが身のためでございますね」
「信長さまの性欲は無限大ッス。たとえ、成人してない男でも喰っちまうんだぜ?と言ったところッス。しかも蘭丸の可愛さは、俺でも生唾をごくりと飲みこむほどッス。信長さまが手を出さないわけがないッス!」
利家の力説に、信長が、んんんっと咳払いをする。
「利家くん?良いですか?蘭丸くんが、先生にお尻を掘られるのは、彼にとっては栄達の近道です。先生だって、だれかれ構わず、男なら尻を掘るわけではありません。将として素質があり、なおかつ、美男子であることが条件なのです」
「それなら、俺がまさにそうだったってことッスね。でも、俺は信長さまに尻を愛されるとか関係なく、信長さまを愛しているッス」
「そうですね。利家くんは先生にとって、貴重な財産です。利家くんは先生の眼が確かだと言う、生き証人でもありますからね?」
「もったいないお言葉ッス。この利家、これからも、信長さまに忠誠とお尻を誓うッス」
信長がふふふっと笑い、利家がへへへっと笑う。光秀はこの2人の仲を心底、うらやましく思うのである。