ー花嵐の章 1- 金は回る
季節は巡り、風は西から空気をはこんできている。このひのもとの国に秋が終わり冬がやってくるのだ。木々の緑の葉は赤く色がつき、しばらくあとには山は紅葉で1色に変わり、やがて舞い落ちていくだろう。
「姫、こちらです、早く!」
姫と呼ばれた、少女というよりは、もう少し大人で気品漂う、その女性は幾人かの従者を連れて道を急いでいた。乗ってきた駕籠は身を隠すのに邪魔になると、しばらく前に捨ててきた。
「織田の姫は見つかったかーー!」
怒号が森の中にこだまする。10人程度の見回りのものたちが、姫を探していたのだ。姫達一向は、西へ西へとひた走る。ここで捕まるわけにはいかない。姫には未来を築くための使命があったのだった。
「困りましたねえ」
開口一番、信長は家臣達の前でそうこぼした。
「だ、第3回となった、合婚は、う、うまくいったと思うのですが、至らぬ点が、あ、ありました?」
木下秀吉は、下座からおそるおそる、信長に尋ねた。
「合婚は今回も大成功です。移住者もどんどん増えていますし」
それはよかったと、秀吉は胸をなでおろす。
「皆さんの頑張りのおかげで、動員できる兵士も去年に比べたら倍近くになってますね」
時は1561年、秋。無事に第3回、合婚企画も終わり、清州、那古野の家族用、独身用長屋ともに大盛況だ。去年、今川義元が攻めてきた際、織田家では、約4千の兵士しか動員できなかったのが、たった1年で、倍の8千まで動員できるようになったのである。しかもこれすべて、いつでも戦闘可能な常備兵である。
「ガハハ!兵が増えるのはいいことでもうす!訓練のしがいがあるというもの!」
柴田勝家は部屋の中で槍を回すなと、信長に注意されたのをきっかけに、会合の部屋すぐ横の庭で、槍を振るいつつ鍛錬をしている。織田家随一の武を誇るだけあって、その槍を振るう姿は、舞のようである。ただし
「白夜一閃!むむ、すこしちがうでもうすな、ならば。業火一閃!ふむ、これだ」
武将にとどめを取る際の決め台詞を考えているようだ。彼の槍さばきなら、相手の身体のどこにあたろうが、骨ごと粉砕するであろう。
勝家は、手斧も扱えるのだが、冬の節分の時期に、勝家が鬼役で、手斧を両手に1本づつもって鬼に扮したところ、町の子供たちがガチ泣きし、大人たちからは地獄の閻魔大王のごとく恐れられ、豆ではなく、石をぶつけられた。以来、勝家は敵より、味方がびびるので手斧を封印したのである。
「では、増え続ける兵士たちに対して、給金をはらうことが難しくなったのか?」
そう言い出したのは、織田家の精鋭部隊、黒母衣衆の筆頭を務める、河尻秀隆であった。織田家は一般兵士すべてに給金を支払っている。それによって、いついかなる時でも戦える常備兵ではあるが、その分、高いコストが生じる。そこを懸念しての発言であった。
「うっほん!兵士たちの給金に関して、困ってるということは今のとこないのじゃ。さらに商売繁盛、税収は右肩あがりなのじゃ」
対して、織田家の内政における官僚第1位の村井貞勝がそう答える。
「織田家では、商人たちを手厚く保護しているのじゃ。商人たちの座を認めるかわりに、税を上乗せしておるのじゃ」
織田家では、歴史書に有名な楽市楽座の政策を採用している。だが、座を撤廃しているわけではない。ちなみに座とは、現代用語に直せばカルテルであり、同じ生産分野の企業同士が価格の下落を抑えるため、値段の操作を行っている。簡単に言えばそういう利益確保の集団であるということだ。
「それでは、かけた税の分だけ物価が上がって、織田家の財政が圧迫されるのでは?」
武畑の河尻は、素直に疑問点を殿と貞勝にぶつける。
「良い質問ですね。河尻くん。では、貞勝くん、少し織田家の税収事情について、説明をおねがいします」
貞勝は内政話なのじゃ、まってましたのじゃとばかりに、うっほんと咳払いをひとつし
「確かに、河尻殿の言うように、普通はそうなのじゃ。他国なら税をあげれば、その分、物価が上昇しすぎて、民に圧迫がかかる」
しかしじゃと、貞勝が続ける。
「織田家の場合、殿の鶴のひと声で決まった、関所撤廃が効いてくるのじゃ」
戦国時代の関所は、江戸時代の関所とは全く違う。通行管理を行うものではなく、その関所を通過するものから関賎といって、税金を巻き上げるものであった。この関賎をとるための関所が、寺社や、豪族、果ては大名までもが率先して、各村々や、川辺に配置されていたのである。この関賎のせいで、さらに他国では物価が高い。
「関所による通行税が、織田家では、皆無なので、自然と物価は安いのじゃ」
「だが、物価が安すぎては、商人たちの収入が下がって、返って税収が下がるのではないか?」
河尻は、武辺ものといえども、少しは内政に明るい。もてる知識を総動員して、貞勝に喰ってかかる。
「そこは座があるから極端には下がり過ぎないのじゃ。物価が上がり過ぎず、さがり過ぎず、ちょうどいいのじゃ」
河尻は、ほうほうとうなずく。それにと貞勝が続ける。
「もし寺社のように自分たちの利益だけを優先し、なおかつ、私兵をもって、まつりごとに口出すようであるなら、話は別なのじゃ」
「先生、そういう、民をいじめる人たちをいじめかえすのは、大好きです」
信長が笑っている。ただし、目は笑っていない。河尻は信長に畏怖を感じた。
「殿の政策の根本にあるのは、民のためでござるか」
「はい、そうです、民のためですね」
信長は、にっこり笑っている。今度は、目も笑っている。どれほどに民のことが好きなのか、わが殿は。
「うっほん!最低価格が下がり過ぎないように、商人の座が機能しておる。そして、ここ尾張では、座に属してなくても、だれでも商売が可能なのじゃ。小売業者を寺社の座から守ることにより、商業がさらに発展するのじゃ」
河尻は、わかったようなわからないような顔をしている。
「小売業者からも、もちろん、少なからず税はとるのじゃ。そして、大商人、小売業者のもっとも大切なお客様と言えば」
貞勝は、もったいぶるかのように、一度、咳払いをする
「それは、織田家の兵士たちなのじゃ」
河尻は頭にハテナマークが3個ほど浮かんで、回っている。
「うっほん。織田家の兵士たちは、お給金で、商人や小売業者から、米やものを買うのじゃ」
河尻は頭を整理しつつ、貞勝の話を聞く
「しかも織田家は、兵士8千人を雇っておるのじゃ。その兵士8千人が、そのまま商人や、小売業者のお得意さまになるのじゃ」
貞勝はなるべく、皆がわかるようにかみ砕いて説明していく。
「これが商売の、金の大きな流れを生み、織田家に未曾有の好景気を呼んでおるのじゃ」
信長が河尻のために補足説明をいれる。
「織田家が兵士に支払った給料で、兵士がものを買い、商売が繁盛する。商売繁盛すれば、税収があがる。座からも座の保護費としての税収も上がるのです」
河尻にも段々、理屈がわかってきた。
「織田家は好景気だから、他国からも商人がやってくる。商人が増えれば増えるほど税収があがる。よって、織田家に入る金が増え、ますます、雇える兵も増えるのじゃ」
河尻は納得がいった。
「金は天下のまわりものということでござるか」
信長が鼻を高くして、扇子をあおぐ。
「まあ、そういうことです。関所撤廃で、金、物、ひとの流通を良くして、楽市楽座で、商売をしやすくする。その商品を兵農分離で獲得した兵士たちが買うんです。織田家は、そこに税をかけて総分捕りです」
このシステムを考えだしたのは、信長である。関所撤廃など、関賎が取れなくなって税収が下がると言われ、散々、信長はかつての重臣や親族から叩かれた。それでも、民のためだと強行した。
そして、楽市楽座は、寺社の税収を削る政策である。寺社は僧兵を集い、信長に対抗してきた。だが、信長はすべてを叩き潰したのである。一方、信長に同調する姿勢を見せる寺社には、座の保障を行う。アメと鞭だ。尾張の寺社勢力は信長の政策に飲み込まれていき、やがて、その牙をまで抜かれていったのであった。
「じゃあ、殿、何が問題なんッスか?」
声を上げたのは、謹慎を解かれた、前田利家であった。
「まさに、織田家が好景気なのが問題なのです」
河尻への経済政策の説明でご満悦だった信長の顔が、だんだん苦渋を伴うものに変わっていったのだった。