ー一向の章12- 情報の隠匿 足利義栄の死
義昭の彼女が身ごもったということなので、信長は言祝ぎを告げに軍を引き連れて、京の都へとやってきていた。季節は7月に入り、いよいよ、畿内で動き始める勢力がいたのであった。
6月の農繁期も終わると、南近江の甲賀で潜伏していた六角家がまず動いたのである。その討伐も兼ねての信長の上洛だったのである。
信長は利家、佐々に甲賀討伐の任を与える。
「うッス。信長さま。六角義賢は殺してしまっても構わないッスよね?」
「まあ、出来るならそうしてほしいところなのですが、甲賀は森深き場所なので、今のところは撃退だけでいいですよ?」
「ん…。信長さまにしては消極的作戦。何か考えがあってのこと?」
「消極的と言うよりは、敵が散発的すぎるのですよ。まとまった軍隊であれば蹴散らすことはするかもしれませんが、嫌がらせ程度ですからねえ。周辺の村々を守ることくらいで、深追いは止めておいてください」
「深追いすれば、あちらが得意な戦い方をされるのは必定ってことッスね。しかし、せこいッスね、義賢は。男なら正々堂々と戦えって言うッス」
「ん…。別に向こうはどこかの大名と言うわけでもない。そもそも、まともに戦うわけがない。それに甲賀の住民全員を殺すわけにもいかないから、こちらから手の打ちようもない」
「まあ、長政くんと義景くんを先にどうにかしないと、佐々くんの言う通り本格的には手の打ちようがないのが現状です。秀吉くん、光秀くん、丹羽くん、それに昨年、降ってきた磯野員昌くんで、北近江は包囲していますが、必ずなにかしらの行動はしてくるでしょうね」
信長の言いに利家と佐々がうーんと唸る。
「さっさと小谷城を落としてしまえばいいんじゃないッスか?」
「帝の詔による停戦なのです。こちらから仕掛けると、帝をないがしろにしているのは織田家と言うことになりますからねえ。とりあえず、南近江に兵を集めてみて、あちらから何かしら行動を取ってもらったほうが好都合なのですよ」
「ん…。信長さまが義昭を追い出そうと考えている以上、帝を立てるのはしょうがないってことか。なんだか面倒くさい」
利家と佐々は言いたいことは山ほどとあるが、とりあえずは、六角義賢の攻撃に対して、防衛線を張ることとする。
織田家の二枚看板である、信盛と勝家は岐阜で兵たちの訓練と軍の再編中だ。5月での長島での戦いで傷を負った勝家も順調に回復してきている。信長は浅井・朝倉との決戦を近いうちにと想定していた。
信長は貞勝を連れて、二条の城に行く。その2人を出迎えたのは、義昭とお竹である。
「信長ちゃん、お久しぶりー。私と義昭ちゃんの結婚式の日取りがついに決まったのー?」
「やあ、お竹さん、お久しぶりです。そうですね。夏が終わって秋に入りましたら、結婚式でも執り行おうと思っています。でも、その前に盛大な花火大会になりそうですけどね」
「御父・信長殿、お久しぶりなのじゃ。勝家殿は大丈夫でおじゃったか?なんでも、5月の長島の一向宗たちに傷を負わされたと聞いているのでおじゃる」
「ええ、運よく致命傷はありませんでしたので、順調に回復しているみたいですね。完治したら、義昭さまを相撲で吹っ飛ばすと言っていました。将軍さま、何か勝家くんの機嫌を損ねるようなことをしました?」
「な、何もしてないでおじゃるよ!まろはお竹ちゃんと子作りに励んでいただけでおじゃる。何も後ろめたいことはないのでおじゃるよ」
慌てる義昭を見ながら信長は、ふむと息をつく。まあ、勝家くんが腹を立てているのは、長政くんの反乱に義昭が絡んでいることは明白なことからでしょうねと思う。自分も一発、この男の顔面を殴ってやりたいのだが、時期尚早と思い、今はまだ、手は出していない。
「そ、それよりも、足利の幕府に刃向かった、浅井長政と朝倉義景はどうするのでおじゃるか?それに、一向宗どもも、5月から活動を再開しているのでおじゃる。御父・信長殿の考えを聞きたいのでおじゃる」
義昭は話を逸らそうと、別の話題を切り出すことにする。
「そうですねえ。顕如くんの一方的な講和の破談にはもちろん、腹は立っています。ですが、あちらもこちらが容易に手を出せないと分かっているところが憎々しいところですね」
「まろとしても、一向宗と三好三人衆が再び手を組み、京の都へちょっかいをかけられるのは困るのでおじゃる。浅井・朝倉よりも、三好三人衆をどうにかしてほしいのでおじゃる」
「そう言えば、殿、噂で聞いたのでじゃが、三好三人衆が奉っていた足利義栄が亡くなったらしいのじゃ。御輿を失くした三好三人衆は、しばらく動けないと思うのじゃ」
貞勝がそう信長に告げる。信長は、その報告にびっくりと言った感じで
「え?本当ですか?てか、それ、結構、重大事件じゃないですか!なんで、今まで先生に報告してくれなかったのですか」
「うっほん。風の噂なのじゃ。真偽のほどは今、調査中なので殿に報告するのが遅れていたのじゃ。すまないと思うのじゃ」
「ちょっと、貞勝くん、早急に調査結果を出せるように尽力をお願いします。事によっては、この包囲網から三好三人衆が脱落する可能性があるのですからね」
「わかったのじゃ。1週間以内には、確かな情報を手にいれるのじゃ」
信長と貞勝の言い合いに、きょとんとした顔になる義昭である。自分の一番の敵である先代将軍・足利義栄が亡くなったと言う情報を、偶然、手にいれたからである。
「御父・信長殿、貞勝殿、一体、どういうことでおじゃる?足利義栄が亡くなったと言うのは本当なのでおじゃるか?」
「噂でそう聞いておるのじゃ。はっきりしたことはわからないのじゃ。だから調査をするのじゃ」
「まろは聞かされておらかったのでおじゃるよ!足利義栄のことは」
「将軍さま。落ち着いてください。先生だって、今、聞いたことなんです。事前からわかっていたなら、将軍さまにいちにも早く伝えていましたよ」
だが、信長は足利義栄が病で床に臥せている状態なのは、昨年末には情報を仕入れていたのだ。わざと、義昭に伝えてなかっただけである。
義昭が足利義栄が病だと言うことを知っていれば、帝に停戦の詔を発するよう促すことはしなかったであろう。だからこその情報の隠匿を行っていたのだ。
本当なら、足利義栄が亡くなった情報も伏せておきたかった。だが、今更、知られたからと言って、別状、支障はないと信長はこのとき思っていた。包囲網は実質、起きたときより比べれば、明らかに統率を失っていたからだ。
対して義昭は苦々しい気持ちである。自分が帝に働きかけていなければ、今頃、織田家は畿内から駆逐されていた可能性が高かったのである。みすみす自分の手で、包囲網を瓦解させてしまったのだ。
ことここに至って、義昭は武田信玄の誘いに乗ることを心の中に決める。信玄を中核として、もう1度、信長包囲網を構築せねばならないと。今度は失敗できない。そのためにも、信玄との連絡網を構築せねばと思うのであった。
「おっほん。足利義栄が亡くなったことは僥倖なのでおじゃる。これで、まろが将軍の座を追われることは、ほぼなくなったと言っていいでおじゃるな。そう言えば、信玄が上洛をしたいと言っておったのじゃが、いつ頃になるのでおじゃるかなあ」
「そういえば、将軍さま宛てに信玄くんから、書状が届いていたのでしたっけ。先生も拝見させてもらいましたが、北条氏康くんとは、近いうちにでも決着をつけるつもりなんですかね?」
「うっほん。北条氏康は病で床に臥せているという噂なのじゃ。武田家はその混乱に乗じて、北条家を駆逐するつもりなのかじゃ?」
「どうですかねえ。第一、北条家の現当主は北条氏政くんです。彼は中々に利発な男だと聞いています。氏康くんが病にかかろうが、北条家の屋台骨が揺らぐとは思えませんね」
「なんと。ならば、信玄のやつは北条と決着をつけねば、動けないと言うことになるのでおじゃるな?ううむ、まろとは口約束だったのおじゃろうか?」
義昭は思う。信玄が動けないなら、やつが上洛の意思を示そうが、まったく意味の無いことではないかと。あの書状は結局、口約束でしかなかったと言うことでおじゃるかと。
「将軍さま、どうされました?さっきから、顔の表情がころころよく変わっていますけど?」
信長に言われ、義昭は、しまったと思う。万が一にも、信玄の上洛の真意を御父・信長殿に知られてはいけないと。義昭は努めて、平静を決め込もうと、顔の筋肉に力を込める。
「お、おっほん。なんでもないのでおじゃる。さて、信玄のことで何か他にも情報がないのか?でおじゃる」
義昭は出来るうる限りの武田家の内情について、信長から探ろうと思う。少しでも武田家が西進できるように自分ができることが無いかと探りを入れていくのであった。
「武田家の他のことですか?うーん、何かありまったけ、貞勝くん」
「うっほん。そろそろ、武田家と上杉家の停戦協定の期限が迫っていることなのじゃ。武田家より織田家に書状が届いていなかったかじゃ」
「ああ、そう言えば、そんなことについて、信玄くんから書状が届いていましたね。先生、畿内のことが忙しくて、すっかり忘れていましたよ」
「忘れていたではすまないのでおじゃる!上杉が動いたら、武田家が上洛できないのでおじゃる」