ー一向の章 9- 第1次長島の戦い 撤退戦
「勝家さまが負傷したってまじッスか!」
利家のもとに伝令が飛び込んでくる。勝家さまが負傷したことと、氏家卜全殿が討ち死にしたという報告だ。
「やばいッス。勝家さまほどのひとが負傷ってことは、本陣のほうはどうなっているッスか。一向宗の奇襲を受けたってことッスか!」
利家は伝令の者を怒鳴りちらす。
「い、いえ。勝家さまの奮闘のおかげで本陣は無事とのことです。信長さまの言いでは、すぐに兵を引き揚げ、大垣城に入れとのご命令です」
「まじッスか。ということは全軍引き上げッスか。ううん、勝家さまが負傷するなんて誰も思っていなかったッスからね。信長さまは方針転換をするつもりッスか」
信長の命により、利家と佐々は大垣城へと兵を退かせることとなる。野営地に火をつけ、夜の暗がりを使い、一気に北上を開始する。このまま、支城ひとつに構っていれば、今度は自分たちが危ないと見ての信長の撤退命令であろうと。
次に動いたのは信長本隊である。勝家が負傷したことにより、勝家の隊は統率がとれない状況である。信長は信盛に殿を任せることにする。
「のぶもりもり、わかっているかと思いますが、わが軍は崩壊一歩手前です。のぶもりもりにはしんどい戦いになるかもしれませんが、決して敵を勝家くんの隊に近づけさせないでください」
「おう、わかってるぜ、殿。それよりも、殿も早く逃げてくれよ。最悪、勝家殿のところの兵は自分らでばらばらに逃げてもらうことになるが、殿のところは、きっちり逃げてもらわないとな」
「はい、そうですね。河尻くん、撤退を開始しましょう。行き先は那古野城です。そこで体勢を整え直します!」
「はっ。承知した。黒母衣衆、全軍、殿をお守りしろ!那古野までの道、決して楽に帰れると思うな」
河尻は黒母衣衆に号令をかける。尾張に入れば安全と言うことはない。どこに一向宗が潜んでいるか、わからないからだ。民に紛れ込み、殿の命を狙っているかもしれない。河尻の心に油断はなかったのである。
奇襲を受けた勝家は全身を包帯でまかれ、荷車に乗せられていた。信盛は馬に乗ったまま、勝家のもとへと近づく。
勝家は信盛の接近に気付き、右手をあげて信盛に合図をする。
「ガハハッ。我輩としたことが、大層、傷を負ってしまったのでもうす。信盛殿、すまぬが殿の件、任せたのでもうす」
「なあに、気にすんなって、勝家殿。それよりも、命があって良かったぜ。勝家殿が運び込まれたときは、まさか、死んじまったのかと目を疑ったほどだったわ」
「ふっ。氏家殿を守ることはできなかったでもうすがな。我輩もまだまだ、修行が足りぬでもうすよ」
「ああ、氏家殿は残念だったな。しっかし、一向宗の奴ら、ひととしての原型をとどめないくらいに死体を損かいさせるなんて、あいつら、とんでもないな。本当に同じ人間なのか?」
「うーむ。氏家殿の亡骸の損かいは、我輩が一役買っているでもうすからなあ。我輩も人間として間違っているのかもしれないでもうす」
「一体、あの場で何があったっていうんだ?勝家殿が我を忘れて戦うこと自体が滅多にないだろ。それほどまでに激昂したのは、なんだったんだ?」
勝家がふむと息をつく。そして、荷車の上で上半身を起こし、あの時、起こったことを思い出す。
「一向宗ども1000に囲まれたときに、我輩が槍を振るって、活路を開いていたのでもうす。氏家殿は必死に我輩の後ろをついてきていたのでもうすが、途中で見失ってしまったのでもうす」
信盛がふむふむと勝家の話を聞く。
「次に氏家殿の姿を見た時は、腹から臓腑を引き出され、全身を鈍器のようなものでめった打ちされていた姿でもうす」
「うへえええ。えげつないな、一向宗の奴らは。俺らでもそんなことしないぜ?」
「その姿を見た瞬間、我輩の中でぶつりと言う音が聞こえたでもうす。あとは、一向宗どもを屠ることしか考えていなかったでもうす。気付けば、肩に担いでいた氏家殿が、ずたぼろになっていたでもうす」
信盛は想像する。きっと、勝家殿が生き残るために、氏家殿の亡骸を武器に盾に戦っていたのだろうと。
「まあ、なんというか、氏家殿も勝家殿のために戦えて、満足だったんじゃねえの?あんな姿になってまで勝家殿を守ろうとしてくれたんだぜ、きっと」
信盛の言いに勝家がふうとため息をつく。
「そうでもうすかな?きっと、我輩のことを恨んでいるかもしれないでもうす。死者に鞭打つのは我輩としても心が痛む思いでもうす」
勝家の両の眼から涙が流れていた。いくら、自分が生き残るためとは言え、氏家の亡骸を使ってしまったことに後悔の念が心に押し寄せる。
別の荷車に、かつて氏家殿だったものに布が覆われていた。胴から下はちぎれ飛び、上半身だけが残されていた。勝家は、くっと唸り、溢れる涙を止めることはしなかった。
「さて、勝家殿。そろそろ、行ってくれないか?ここはまたじきに戦場になる。怪我人は大人しく、荷台で揺られて傷でも癒してくれ。あとは、俺がなんとかしておくぜ」
「すまぬでもうす、信盛殿」
勝家の言いに信盛がへっとこぼす。勝家は荷車に乗せられたまま、那古野城への帰路につくのであった。
信盛は右手で兜を撫でながら長島の方を見る。一向宗の兵たちが隙を覗うようにこちらのほうを見てくる。信盛は、はあやれやれと息をつき
「おい、お前ら。気合いれていけよ!ただし、死ぬんじゃねえ。殿って言うのは、味方を逃がすために戦うが自分も死んだらダメだ。お前らが死ねば、今、逃げている殿の命が危ない。だから、決して死ぬな、逃げるな、戦って生き残れ」
信盛は言っていることに矛盾だなあと我ながら思うのである。殿の軍は仲間を逃がすために死ぬことではない。決して崩壊してはいけない軍なのである。
信盛が率いる軍は今回、3割近くが新人の兵で構成されている。彼らを抱えたまま殿を務めねばならない。
「へっ。神さま仏さまってのは試練を与えるのが大好きなもんだぜ。俺にこいつらを死なせるなってことだもんな。いいぜ、やれって言うならやってやるぜ。おい、後列、弓を構えろ。ひとりでも多く敵兵に当たるように上手く距離を測れ!」
信盛の号令一閃、信盛の隊の最後列の兵たちが次々と矢を放つ。矢を放ち終わったものは、一旦退き、その後ろで弓を構えていた兵が次の矢を放つ。
それを5度ほど繰り返し、放たれた矢は2000を超すものとなる。まさに矢の豪雨が一向宗の兵の頭に降り注ぐ。しかし、頭や急所を外れて絶命を免れた一向宗の兵は、身体のあちこちを射抜かれたままの状態で突っ込んでくる。
「ちっ。わかっちゃいたが、頭に当たらない限りは止まる気はねえか!おい、次は足を狙え。足を射抜かれたら、さすがに動きは鈍るだろ」
信盛の隊の第2陣が弓を斜め上の空に向かって向けるのではなく、地面に矢が水平になるように構える。そして、信盛の号令の下、次々と矢を射かける。
放たれた矢は、一向宗の兵の胴より下にぶち当たる。足を穿たれ、次々と一向宗の隊の前列が地面に突っ伏す。だが、後ろに続く兵たちは、倒れた仲間を気にすることなく踏みつぶしながら前進を続けるのであった。
「まじかよ。自分の仲間を踏みつぶして突っ込んでくるのかよ!くっそ、こうなりゃ奥の手だ。油を持ってこい」
信盛の隊の兵は油が詰まった瓶を持ってくる。瓶の中身をぶちまけながら、後退していく。一向宗の隊は地面が油でぎらつくために足を滑らせて、次々とすっころぶ。
信盛は油をまいた地帯に一向宗の兵が1000ほど侵入したのを確認すると、自分の兵たちに火をつけるよう指示をする。季節は梅雨明けの5月中旬であり、さらに芽吹いた雑草の存在のおかげもあって、火は野原を焼き尽くすが如く、業火へと生まれ変わっていく。
「よおし、今だ。もう一度、矢を放て!」
この業火の中、まさかとは思うが、念のため、信盛は燃えていく一向宗の兵たちに矢を射かけるように命じる。
野原のそこかしこから、あぎゃああああ、うぎゃああああと火に焼かれる一向宗の兵たちの悲鳴がこだまする。だが、信盛は油断することなく、自分の兵たちに矢を射かけ続けるように命じるのである。
「なむあみだぶつ、なむあみだぶつ!」
数人が火の壁を、火だるまになりながらも突っ切ってくる。やはり、こいつらは血だるまになろうが火だるまになろうが、前進を止めるつもりはなかったかと信盛は思った。
「槍隊、前へ!火の壁を突っ切ってきたやつの止めをとれ」
信盛の兵たちは槍を手に持ち、火の壁を突っ切ってきた一向宗たちを押し出し、また火の壁の中へと押し返す。うぎゃぎゃぎゃぎゃ、おぎゃぎゃぎゃぎゃと叫びながら一向宗の兵たちは絶命していくのであった。
一向宗の隊の後続が来ないことを確認すると、信盛は一気に自分の兵たちを退かせる。そして、また、油を地面にまき散らしておく。こいつらは焼いたほうが手っ取り早い。そう考える信盛であった。
幾度かの火攻めにより、一向宗たちの追撃の手は緩やかなものとなる。ここが好機とばかりに信盛は反撃に転じる。この攻撃により、迫りくる一向宗の隊はついに瓦解し、四散していくのであった。
信盛の隊は見事、殿の務めを果たすのである。