ー一向の章 3- 元美濃3人衆の戦い
「氏家くん、良い出だしですね。たぶん、一鉄くんは焦って、無理やり攻勢に出てくるでしょう。そこでこの策です」
信長が手ぬぐいで汗を拭く氏家に対して、皆に聞こえぬように小さな声で耳打ちする。信長の策を聞いた氏家はニヤリと笑うのである。
一方、一鉄側には、利家と信盛が一鉄に熱いお茶を出したり、肩を揉みしだいたりしていた。
「一鉄さん。1ラウンド目の採点は、こちらの不利ッス。ここは是が非でも、次のラウンドでダウンを取りたいところッス!」
「とにかく手を出すんだ、一鉄殿。消極的な戦い方じゃ、審判の評価が低くなっちまう!被弾してもいいから、積極的に前に出るんだ」
一鉄は荒れる呼吸を整えながら、利家と信盛の意見に耳を傾ける。そして、1分間の休憩が終わり、勝家が再び、手に持ったゴングを、カーーーン!と鳴り響かせる。
それと同時に、氏家と一鉄は椅子から立ち上がり、勝負の会場の真ん中へと挑み出るのであった。
2ラウンド目の最初も、氏家は左のジャブを細かく放ち、一鉄を近づかせようとはしない。
「一鉄さん、下がっちゃダメッス、相手の思うつぼッス!」
「一鉄殿、前だ、前に出ろおおお!」
利家と信盛の言いに一鉄が意を固め、氏家の左ジャブを被弾しながらも前に前にと出ていく。一鉄の重圧に耐えかねた氏家が思わず、後ろに下がる。
一鉄は好機と見て、腰を落とし、一気に氏家のふところへ入り込む。そして、その腹めがけて、思いっきり右フックを放つ。
しかし、これは氏家と信長の作戦であったのだ。わざと一鉄をふところに飛びいれさせ、氏家は右アッパーを一鉄のあごめがけて繰り出すのである。
氏家の右アッパーはきれいに一鉄のあごに突き刺さる。右こぶしの感触から言っても、十二分なダメージを与えたと氏家は思った。
「頑固一徹でござるうううう!」
一鉄はあごを打ち抜かれたままに、自分が放った右フックを止めようとはせず、それが氏家の左脇腹に突き刺したのである。両者の攻撃は相討ちであったのだ。
ぐふうううとの声とともに、氏家が痛む左脇腹を抑え込む。
「くっ、やってくれますね、一鉄くん。まさか、相討ち覚悟で攻撃をしかけてくるとは思いませんでしたよ」
氏家の応援者である信長が、氏家の様子を見て、そう呻きをこぼす。
あごを打ち抜かれた一鉄もまた、すぐには氏家に対して追い打ちをかけることはできなかった。今頃、あごへの衝撃で昏倒し、床につっぷしていてもおかしくなかったのである。
氏家は、はあはあと荒い息をし、呼吸をするたびに脇腹に鈍痛がくるのを感じる。対して、一鉄は脳にダメージが入ったのか、頭を左右にぶんぶんと振り回す。
「氏家くん。きみのアッパーは効いています。畳みかけるなら今の内ですよ!」
信長の言いに氏家は脇腹の痛みを抑え、両こぶしを胸の前に構え、一鉄との距離を縮めるべく突進していく。そして、渾身の右ストレートを一鉄の左頬に向けて放つのであった。
一鉄はくらくらする頭を左右に振っていたため、氏家の初動を見逃してしまった。油断した。そう思う一鉄である。氏家の放った右ストレートが自分の顔面に吸い込まれるようにやってくる。
一鉄は観念した。
負けることに対してではない。氏家の右ストレートを回避することをだ。一鉄は左こぶしを弧を描くように外側から内側にえぐるように放つ。左のフックで氏家の右ストレートを迎撃しようとしたのである。
結果はまたしても、相討ちであった。氏家の右こぶしが一鉄の左頬に。一鉄の左こぶしが氏家の右脇腹に突き刺さったのである。
2度の相討ちにより、氏家と一鉄は同時に床に倒れ込む。氏家は両脇腹を打たれた痛みで、呼吸が困難になっていた。対して、一鉄は2度の頭へのダメージにより、意識が混濁することになる。
審判役である、勝家がカウントを数える。ダウンしてから10数え終わる前に、両の足のみで立ち上がらねば、そこで試合終了である。氏家は呼吸を整えながら、立ち上がろうとする。だが、腹の痛みは足にも影響を及ぼしていた。
氏家の両の足が、産まれたての小鹿のようにぷるぷると震えているのである。上手く動かぬ両の足の太ももを両手のひらでばんばんと激しく叩く。
「1、2、3!」
氏家はなんとか、中腰の形まで身を上げる。
「4、5、6!」
しかし、それ以上、足に力が入らず、崩れ落ちるように、またもや地面につっぷすことになる氏家であった。
「7、8、9!」
一鉄は意識が混濁し、まどろみの中にいた。誰かが遠くで自分に呼びかけてくるものがいる。どこかで聞いたことのある声であった。
「ふぁいとおおおおッス!」
「いってつうううう!」
「頑固一徹でござるうううう!」
跳ね上がるように、一鉄が身を起こす。
「10でもうす、勝者、稲葉一鉄でもうす!」
勝家が手に持ったゴングをカーンカーンカーン!と3度、打ち鳴らす。しかし、一鉄は未だ、ちゃんと目が覚めておらず、きょろきょろと回りを見渡す始末である。
勝家は勝者となった一鉄の右手首を捕まえて、天高く突き上げさせる。一鉄は何が起きたのかと理解ができなかった。
「やったッス。一鉄さんの勝利ッス。もうダメだと思っていたッスけど、さすがは我慢強い、一鉄さんッス!」
「被弾しても前に出ろとは言ったけど、まさか、相討ち狙いで殴りに行くもんな。俺なら、あんな真似、できないぜ!」
勝利者となった一鉄の元に、利家と信盛が駆け寄っていく。そして、信盛は一鉄の首根っこを右腕で捕まえ、左手で一鉄の胸を叩く。
信盛に寄りかかれ、床にひざを折り、へたり込む氏家を見て、ようやく一鉄に自分が勝ったことが実感として湧いてくる。
「うおおおおおおお!」
一鉄は両腕を天に突きあげ、勝利の雄たけびを発する。元・美濃3人衆の筆頭の座をこの手に掴んだのだ。俺は3人衆の中で一番、強いのだ!どうだ、見ろ、皆。俺のこの雄姿を!
一鉄が勝利のガッツポーズを披露している姿を見て、勝家が言う。
「さて、3人衆の1番が決まったでもうすし、そろそろ、織田1番を決めようでもうす!」
勝家が槍を手に持ち、ゆらりと動き出す。その言葉に面喰らったのは一鉄であった。
「ちょっと、待つでござる!ここからさらに勝家殿とやり合えと言うのでござるか。俺に死ねと言うのでござるか」
「元々は、3人衆と我輩の戦いでもうす。死なぬ程度には手加減するでもうすよ?」
勝家がまとう気が徐々に膨れ上がる。そして、同時に彼の筋肉もまた盛り上がっていくのであった。
「せめて、槍は無しにしてほしいでござる!」
一鉄は、体中からあふれだす嫌な汗を感じながら、勝家にそう訴えかける。
「うん?槍を手放せと言うのでもうすか。ふむ。まあ、手負いの者に槍で止めを刺すのは、我輩でも心苦しいでもうすし。では、素手でお相手つかまつるでもうす!」
勝家はそう言うと、右手に持った槍を利家に放り投げる。いきなり、槍を投げつけられた利家は、慌てて、その槍を受け取る。
「ちょっと、勝家さま。いきなり、槍を投げてこないでほしいッス!刺さったら、どうするつもりッスか」
「ガハハッ!それほど、どんくさい利家ではないでもうすよな?なあに、少しくらいさきっちょが刺さったところで、問題はなかろうでもうす」
勝家は笑いながら、利家の方を向いていた。一鉄は思う。この油断している隙をつけば、自分にも勝機が見えると。一鉄は素早く動いた。いくら筋肉の悪魔と言えども、油断して、力がこもっていない筋肉になら、自分の鉄拳ならダメージを与えられると。
一鉄は一気に、勝家のふところに入り込み、渾身の左フックを勝家の脇腹に突き刺す。氏家から勝利を奪った、必殺の左フックだ。これで、ダウンを取れるとは思っていないが、いくらかのダメージを稼げる。そう思う、一鉄である。
だが、左こぶしの感触は異様なものに触れたと言ったところである。柔らかいのだ。例えるなら、そう、夏の陽気をたっぷり含ませた掛布団のようにふっくらとしたものに、拳を突き立てている感覚なのである。
違和感を感じるが、今は攻め時だと、自分の心を律し、右こぶしでフックを勝家の左脇腹に突き刺す。だが、こちらも同じ感触を得るだけである。
おかしい。何かがおかしい。この男の筋肉が柔らかすぎるのである。一鉄はもう一度、必殺の左フックを勝家の右脇腹に繰り出す。しかし、今度は突き刺した左こぶしが勝家の筋肉に包まれるかのように抜くことができなくなってしまったのだ。
一鉄は左こぶしを引き戻そうと必死に力を込めるが、無理であった。
「お、おい。殿。一鉄殿の左こぶしが勝家殿の腹にめり込んだまま、抜けなくなっちまってるみたいだが、ありゃ一体、何だ?」
「どうやら、勝家くんの強さは次のステージへと昇ったみたいですね。のぶもりもり。強大な筋肉と言うとどんなものを連想しますか?」
「そりゃあ、硬くて太くて、大きいって感じ?」
信長はふふっと笑みを浮かべ、自分の袖をまくり上げ、右腕の二の腕をさらす。そして、信盛に触ってみろとばかりに促すのである。信盛は促されるままに、信長の二の腕を揉んでみると、驚きの表情になる。
「こりゃあ、なんだよ!もっちもっちのすべすべじゃねえか」
驚く信盛の姿を、小春とエレナが不思議そうな顔をする。
「小春さん、エレナさん。きみたちも、先生の筋肉を触ってみますか?」
信長に促され、小春とエレナも信長の二の腕を触ってみることにする。
「え、え?何、これ?まるで生まれたての赤ん坊を触っているかのような感触だよ!」
「小春サンの言う通りデスネ。信盛さまの筋肉は金属を触っているかのような鋭さを感じマスガ、信長さまのは信盛さまとは正反対なのデス!」
小春とエレナの言いに、信長がふっふっふっと笑う。
「至高の筋肉と言うものは、柔らかいのですよ。そして、筋肉が最大限に力を発揮するには、一瞬、ただ一瞬、力を込めるときでいいのです。ここに湯飲みがありますよね。これで試して見せましょうか」
机の上に酒が入った湯飲みがあった。その湯飲みを信長は右手で掴む。
「なんだ、殿?湯飲みを砕こうって言うのか?」
信盛がそう信長に問いかける。信長はニヤリと笑い顔になり、次の瞬間、両目をカッと見開く。
なんと、湯飲みはそのままに、中身の酒だけが消えてなくなったのである。