ー一向の章 1- 一時の休戦
信長たちは浅井・朝倉との停戦がなったと同時に京の都に迫った三好三人衆と一向宗どもを駆逐していったのであった。
その結果、三好三人衆は一旦、淡路まで兵を引き揚げさせる。協力者の居なくなった本願寺もまた、一向宗どもを退かざるえない状況になり、一度、矛を収めることになったのである。
畿内の状況も何とか平和を取り戻し、信長にとって悪夢である1570年が終わる。今は正月。場所は岐阜。信長は諸将たちのねぎらいのために宴席を開いたのであった。
「ふひっ。昨年は悪夢でございましたね、信長さま。今年は良い年になることを願っているのでございます」
光秀が信長に対して言う。
「本当、全てを諦めてしまいそうになるくらいの出来事ばかりでしたね。浅井長政くんの裏切りから始まり、金ケ崎でのまさかの敗戦です。そして、それに呼応するように、六角、三好、さらに本願寺までもが蜂起しましたからね。さすがの先生も曲直瀬くんの胃腸薬に頼らざる得ない状況になりましたよ」
「胃腸薬程度でよく済んだもんだよな。俺が殿と同じ立場だったら、首を吊ってたかもしれないぜ」
「信盛サマ。死のうとするのはやめてクダサイ!エレナは悲しくなってしまうのデス」
「大丈夫よ。信盛がその程度で自殺するわがないじゃない。信長さまより図太いんだから」
「ええ!?これでも俺は繊細なんだよ。いっつも殿の無茶ぶりに付き合わされて、胃腸薬は欠かせないんだからな!」
信盛とその奥方、小春とエレナがやんやと言いあう。
「何、言ってんのよ。そんなものより、精力剤でも、もらってきないさよ。最近、回数が減ってきてるじゃない」
「そうデスネ。せっかく、京の都から信盛サマが帰ってきたと言うのに、エレナを寝室に呼んでくださらないではないデスカ。信盛サマは、ワタシの身体に飽きてしまったのデスカ?」
「そうじゃないよ、エレナ。こいつは、一向宗たちにびびって、いちもつが萎えちゃってるのよ。まったく、だらしないったらありゃしないわ」
「こ、小春。それは言うなって。いくら刀で斬っても、槍で突いても決して、ひるむことなく向かってくるんだぜ?そりゃ、悪夢でも見ている気分になっちまうんだ。すこしくらい、萎えてもしょうがないってやつだぜ」
信盛の言い分に、小春は、ふーんと言った顔つきだ。
「信長さまの1番大将である、あんたが、そんなのでどうするのよ。皆の手本にならなきゃならないんでしょ?しっかりしなさいよ」
小春の言いにぐぬぬと信盛は唸る。
「小春さん。そうは言うけど、信盛さまがびびるのもしょうが無いッスよ。うちの泣く子も黙る赤母衣衆たちでさえ、一向宗には手を焼いている状況ッス。信盛さまだけ責められるのは酷ってもんッス」
そう、信盛に助け船を出すのは、赤母衣衆筆頭の前田利家だ。信長の親衛隊である彼らでさえ、一向宗の戦いぶりには嫌気がさすのである。
「信盛さまの隊は、新兵も預かっているッス。その新兵たちにとっては、一向宗はさながら、地獄の餓鬼どもッス。そいつら相手に、軍を瓦解させないだけでも、信盛さまはよくやっているッス」
「ふーん。そんなもんかねえ?まあ、うちの信盛が苦労しているのは、理解しているつもりだよ?私としても。だけど、それで夜の営みがおろそかになるのは違うと思わない?利家さん」
「うーん。小春さんの言うとおりッスね。夜の営みに関しては、信盛さまが全面的に悪いッス。こんな美人の奥さんを相手に、いちもつが萎えるのは良くないことッス」
「やだねえ。三十路の女を捕まえて、美人って言うのはよしておくれよ。そんなことばっかり言ってると、松さんが嫉妬しちゃうわよ?」
「本当、嫌になりますよね。この利家さんの軽口っぷりには。松は利家さんを一発、殴ったほうが良いと思うときがあります」
「ちょっと、松。いきなり、俺を非難するのはやめるッス。俺は信盛さまと違って、松一筋ッス。そこはわかってほしいッス」
「松が言いたいのはそう言うことではないのです。利家さんが他の女性と話すときはいつも口説いているように見えるところが悪いと言っているのです」
信盛と奥方同士の言い合いが、利家と松の言い合いに飛び火したのである。突然の松の攻勢に利家はとほほとした顔である。
「利家殿と松さんは、いつも、仲が良い、ですね。私も見習いたいの、です」
「本当、そうだよー。うちのときたら、眼を離すとすぐに遊女のとこに遊びに行っちゃうんだから。松がうらやましい限りだよ!」
そう言いだすのは、秀吉とその奥方ねねである。
「ねねさん。あれは、部下たちとの親睦なの、です。私の部下は独り身のものが多いので、たまに遊女とイチャイチャさせないと、戦で実力を発揮してくれないの、ですよ」
「たまにー?本当に、たまにー?しょっちゅうの間違いじゃないの?」
ねねの言いに秀吉が、言葉を詰まらせる。
「秀吉は、ねねさんに相変わらず、頭が上がらないッスね。これで横山城の城主ッスから、信じられないッスよ」
秀吉は今までの功を評価され、浅井長政との最前線である、北近江と南近江の国境近くである横山城の城主に任命されていたのだ。隣の佐和山城の城主である丹羽と匹敵する扱いである。
「がははっ。出世と言えば、光秀も負けていないでもうす。森可成の後釜に最前線は最前線、宇佐山城の城主でもうすからなあ!」
「ふひっ。勝家さま。そんなに持ち上げないでほしいのでございます。たまたま、ひとが足りなかっただけでございます」
「何を言っておるでもうすか。うちの殿がそんなつまらぬ理由であそこの地を任せるわけがないのでもうす。もっと、堂々とせぬかでもうす!」
「勝家くんの言う通りですね。光秀くんには一軍を率いる軍才があります。それに今までの功を考えれば、然るべき褒賞だと考えています」
「ありがたい話でございますが、僕に森さまの代わりになれと言われるのは少々、荷が重く感じてしまうのでございます。果たして、僕にそれを為すだけの力量があるのか、心配なのでございます」
光秀は何も謙遜して言っているわけではない。宇佐山城を守り切った兵たちから、森可成さまの壮絶なる最後を聞かされていたからだ。あれほどの苛烈な死にざま、一体、僕にはできるのであろうかと、戸惑いを覚えるからである。
「誰も、光秀くんが森くんのようになれとは言っていません。光秀くんは光秀くんなりにできることをやればいいのですよ」
信長は光秀の心情を察してか、そう言葉を送る。
「信長さまあ。俺も重要拠点の城主になりたいッスよー。いくら、信長さまに前田家当主に推してもらっても、これじゃ、松に自慢できないッス」
「ん…。信長さま。自分も重要拠点の城主になりたい。なんなら、秀吉と交代でもいい」
利家と佐々が自分たちも城主になりたいと駄々をこねはじめる。
「利家くん、佐々くん。きみたちは先生の親衛隊じゃないですか。きみたちには各地を転戦してもらうので、城に縛られる時間はありませんよ?」
「功を上げれば、その分、給料は上がるから、その点には文句は無いッス。でも、やっぱり、城主にはあこがれてしまうッス」
「ん…。こればかりは利家と同意。信長さま、城をください」
利家と佐々の言いに、信長はやれやれとため息をつく。
「長政くんの離反さえなければ、今頃、越前は先生のものになっていたので、好きなだけ、越前の城を与えられたんですけどねえ。長政くんを屈服させるまで、しばらく、最前線の城主の話は、お預けになってしまいましたねえ」
「本当、長政さまは何を考えて、信長さまに反攻する気になったんッスか。不思議でたまらないッス!」
利家は、分け与えられるはずの城を手にできなかったことも含めて、長政に対して憤慨する。
「それは長政さま本人にしかわからぬことだろう。彼は若い。唯々諾々と言われるままに、殿の下につくつもりがなかったのかもしれん」
「それは的を得た意見かも知れませんね、河尻くん。長政くんから見たら、自分と変わらぬような身分の出の者が、将軍を傀儡化し、天下を牛耳ろうとしているのです。嫉妬や羨望の心が渦巻いていたのかもしれませんね」
「きっと、自分にも同じことができると思ったのであろう。長政さまはなまじ軍事も政治も商売のセンスも良い方であったからな」
「長政さまは、信長さまに成り代わろうとしているってことッスか?それは比べるだけ、無謀ってもんッス。第一、信長さまは長い間の積み重ねがあったから、こうして、義昭を傀儡化できたッス。仮に長政さまが、京の都を手に入れたとしても、同じことはできないはずッス」
「ん…。そもそも、同じことをしようとしなかったらいいんじゃないの?」
利家の言いに佐々がそう問いかける。
「ん?どう言うことッスか?佐々」
「ん…。だから、信長さまのように民のために天下をとるつもりは無いってこと。自分の、しいては浅井家の栄華のみを考えている気がする」
「佐々くんの考えが正しいとしたら、厄介な話ですね。長政くんがもし、先生と同じく、民のために、ひのもとの国を平和にしようと言うのであれば、先生の役目を譲ってもいいと思います。でも、そうでないのであれば、先生は、長政くんと同じ道を歩めないと言うことになりますね」
「ん?殿はもしかして、今回の長政さまの裏切りに関しては、降伏するつもりなら、許す気でいたわけ?」
信盛がそう、信長に尋ねるのであった。




