ー大乱の章16- 和田惟政 落命
「惟政ああああ!しっかりしろおお。くっ、誰か薬を持ってくるでござる」
細川藤孝は和田惟政の身を抱いていた。惟政の腹には矢が2本、突き刺さっていたのである。
「ぐっ。藤孝。俺の傷は、どうなっているのだ」
惟政に言われ、藤孝が傷を確認する。1本の矢は浅いが、もう1本が深々と腹をえぐっている。これは相当に重症である。
「大丈夫でござる。傷は浅いでござる。気を確かに持つでござるぞ!」
藤孝は惟政に嘘をつく。
「ふっ、そうか。藤孝よ、今まですまなかったな」
惟政は気付いていた。自分は重症であることを。ドクドクと矢傷から血が流れ出ていることがわかる。これはもう助からぬ身であることを。
「藤孝、聞いてくれ。俺からの最後の言葉だ」
「何を臨終の際のような台詞を言っているでござるか!弱音を吐く気でござるか」
藤孝は惟政に激を飛ばす。だが、惟政は右手を藤孝の左頬にそえ
「自分の身のことくらい、自分でわかるのだ。藤孝よ、今まで義昭さまの隣を席巻して悪かったのだ。今こそ、その席を返すときが来たのだ」
「惟政よ、何を言っているのでござる。お前がいなくなれば、誰が義昭さまをお守りすると言うのでござるか!」
藤孝は惟政の右手をがしっと自分の左手で掴む。しかし、惟政の手には力がほとんどなく、軽く痙攣をおこしていたのである。
「ああ、思えば楽しい人生であった。奈良の寺から義昭さまを助け出し、北陸は越中まで逃げ、結局は越前で飼い殺されたものだったな。あの時は、もう、そこで義昭さま並びに、俺たちの命運は尽きたと思っていたものだ」
惟政は、次第に声にも力が無くなっていく。
「信長殿にはつらく当たってばかりだった。ひのもとの国、すべてを歩き回ったとしても、義昭さまを将軍につけてくれるお方は、信長殿、ただひとりであったのだろうな。今になって、ようやくそのことが実感できるのだ」
藤孝は必死に、惟政の左手を握る。
「藤孝よ。信長殿にすまなかったと、そしてありがとうと伝えてほしいのだ。そして、義昭さまにお先にお暇を頂くことを謝っていたと伝えてほしい」
「何を言っているのでござる。惟政殿はこれからではないかでござる。さあ、立つでござる。この程度の傷で死ぬわけがないのでござる!」
藤孝は必死に惟政に言葉を投げかける。だが、すでに惟政の目の焦点はずれはじめていたのだった。
「ああ、信盛殿。相撲の再戦ができなくなってしまったな。いつぞやの借りを返すことができなくて、悔しいのだぞ」
「悔しいのなら、生きてくれでござる!生きることを諦めてはいけないのでござる」
「ふ、藤孝。俺は生きたい。生きて、この国が平和になる姿を見たかったのだ」
惟政の両目から涙がこぼれ落ちる。それと同時に藤孝の眼からも涙がにじみ出るのであった。
「将軍さま。義昭さま。不忠者の惟政をお許しくだ、さい」
惟政の身体から急激に力が抜けた。ガクリと身は崩れ、顔が横に向く。
「惟政ああああああああああ!」
藤孝は号泣しながら、惟政の身を力強く抱きしめる。文官派の惟政と武官派の藤孝は幾度となくぶつかり合ってきた。だが、それは主君である、義昭の身を案じてのことであった。
「真の不忠者は私でござるよ、惟政」
藤孝の心はすでに義昭の下から離れている。忠誠を誓っている先は、信長であった。自分は監視のために義昭に仕えているフリをしているだけなのである。
「真の忠臣者として、惟政の名前は後世に残るでござる。今はゆっくり休むと言いでござる。小言は私が死んだあとにでも聞くのでござる」
藤孝は流れる涙を止めることはなく、惟政を抱きかかえたまま、立ち上がる。
「皆の者!惟政は将軍・足利義昭さまのために、その全ての命を使い切ったでござる。この真なる忠臣に恥じぬよう、三好三人衆を押し返すのでござる」
織田家の兵士たちは藤孝と同じく、涙を流す。例え、目的は違えども、共に戦った仲間である。その仲間の死に皆は涙を流す。
「惟政の仇を取るでござる。皆の者、弓を手に取れ、一斉に敵兵どもを駆逐するでござる!」
藤孝の号令の下、織田の兵たちは、矢の雨を敵に降らせる。その矢は尽きることがないかの如く、次々と三好三人衆の兵と一向宗たちを死に追いやる。矢が尽きたものたちは、手に槍を持ち、それを敵に向かって投げつける。
いきなりの織田側の攻勢に驚いた三好三人衆は一旦、兵を下がらせることになるのであった。京の都を守る摂津戦線は残された藤孝の指揮の下、維持されることとなるのであった。
和田惟政の落命はすぐさま、将軍・足利義昭にも伝わる。義昭は突然の惟政の訃報に涙を流すことになる。
「惟政、惟政、惟政あああああ。ああああああ!」
「義昭ちゃん、落ち着いて!だれか、義昭ちゃんを抑えて」
お竹は義昭が激しく動揺する姿を見て、いても居られず、医者を呼ぼうとする。だが、信長の施策により、医者を通されることは無く、仕方なく、置き薬箱から薬を取り出し、側付きの者に押さえつけられた義昭の口にそれを放り込み、無理やり水を流し込む。
「むっほげっほげっほ!なんでおじゃる。一体、まろに何を飲ませたでおじゃる」
「え?そこにあった薬箱から適当に飲ませてみちゃった!ダメだった?」
その薬箱の裏には、触るな危険・曲直瀬作と張り紙がされていたのだ。
「それは曲直瀬の薬でおじゃる!ああ、身体がゾクゾクしてきたのでおじゃる、肉体美いいいいいい」
義昭は身体に流れる血が沸騰する感覚を感じるのである。そして、次の瞬間、ビリッビリリッ!と衣服が裂けていく音が聞こえる。次いで、パーーーン!と何かがはじける音が部屋に響き渡り、義昭が身に着けていたものがちり芥と化すのである。
「きゃあああ!義昭ちゃん、その筋肉はなんなのー?」
お竹が驚くのも無理もない。義昭は布一枚も覆っていない、あられもない姿になったのだ。しかも、たるんだ腹が6つに分かれ、胸筋がせり上がり、二の腕と太ももは丸太のように膨れ上がっていたのだった。
そして、同時に、義昭のいちもつも天を衝くかのようにそそり立ち、お竹はあまりの雄々しさに思わず、両手で自分の顔を隠してしまうのである。
「義昭ちゃん!筋肉もそうだけど、いちもつがすごいことになってるよー」
お竹は思う。あんなモノで自分が貫かれたら、壊れてしまうのではないかと内心ドキドキである。
「お・た・け・ちゃん。まろはどうなってしまったのでおじゃる?」
薬の副作用のためか、義昭は片言でしゃべり始める。自分の眼に映る胸板、二の腕、太ももを見て、自分の身体がおかしくなってしまったことに気付くのである。
「まろは、筋肉を、力を手に入れたので、おじゃる。ああ、筋肉とはこれほどまでに素晴らしいものでおじゃるのか」
突然、手に入れた筋肉に酔いしれる義昭である。何か大切なことがあったような気がしたが、どうでも良い。この筋肉さえあれば、まろは生きていけるのでおじゃる。そう思えるようになったのだ、義昭は。
「突然、医者を呼んでくれと、どうしたのじゃ?お竹殿。義昭さまの身に何か起こったのでおじゃるか?」
二条の大屋敷に駆けつけた村井貞勝が部屋に飛び込んでくる。しかし、貞勝の眼に映るのは、筋肉の悪魔であった。貞勝は無意識にガクガクブルブルと身が震えだし、死の到来が頭の片隅をよぎるのであった。
「あ、貞勝ちゃん。義昭ちゃんに薬箱に入っていた薬を飲ませたら、とんでもないことになっちゃった!」
お竹が貞勝を見ると、薬箱を持って、貞勝に見せる。貞勝はその薬箱の中身が、曲直瀬作だと言うことに気付き、すべてを把握する。
「まさか、お竹殿が飲ませたのは赤い包み紙のものなのかじゃ?」
貞勝がそう、お竹に尋ねる。
「うん、そうだよー?私、何かまずいことをしちゃったー?」
お竹は自分のしたことに後悔している。義昭が体中から湯気を立ちあげ、ふごご、ふごごと呼吸をしているからだ。
「あの薬は10年に1度、富士の山で咲く花の蜜を使っているのじゃ。その花の蜜は不老不死の薬になるとも言われているのじゃ。義昭さまが万が一の場合にのみ、処方してくだされと曲直瀬殿に言われておったのじゃが、まさか、その薬を飲ませたのかじゃ」
「どうしようー。義昭ちゃんが死んじゃうよー」
お竹は今や、泣きそうな顔である。だが、貞勝は、お竹の肩に手を置き
「安心するのじゃ。命に別状はないのじゃ。だが、ああなってしまっては、目の前の全てを破壊しくさねば元の姿に戻らぬのじゃ」
義昭は、のっそりのっそり動き出す。歩くたびに畳が歪む。
「逃げるのじゃ、お竹殿。ここに居てはダメなのじゃ!」
「嫌だよー。義昭ちゃんを放っていくわけにはいかないよー!」
「この屋敷を破壊しつくす頃には、薬の効果は切れるはずなのじゃ。それまで、近づいてはならぬのじゃ!」




