ー大乱の章14- 義昭の結婚観
「貞勝くん。書斎に入ってきてください」
信長は書斎の外で待っていた貞勝を呼び出す。
「やっと、わしの出番なのかじゃ?義昭さまの説得は上手くいったようで、よかったのじゃ」
「ええ、難儀しましたが、最終的には快諾してもらいましたよ。さて、貞勝くん。わかっているとは思いますが、帝ならびに貴族の方々への献金および屋敷の修理をお願いしますね?」
「うっほん。盛大に最大限にやれと言う話なのじゃな?義昭さまが帝へたどり着くまでの最短距離を作ればいいのじゃな?」
「はい、その通りです。やれやれ、将軍さまを動かすのは口でなんとかなりますが、帝となれば話は別ですからねえ。金が物を言う世界とは厄介なところです」
「まろは何をすれば良いのでおじゃるか?まろにもできることがあれば手伝わせてもらうのでおじゃる」
義昭は最初の渋々な応答から打って変わって、今は自ら進んで、信長と浅井・朝倉との停戦に乗り気である。信長としては、将軍の座の危うさのみを強調するつもりであったが、お竹の存在がこうも効果的であることに驚く。
最初は誰の手のものかわからぬ、町娘であったが、お竹は非常に良い女性である。心から義昭を愛し、そして、義昭に愛されている。しかも、義昭とは違い、聡明だ。
「そうですね。貞勝くんと共に貴族たちに挨拶回りと言ったところでしょうか。将軍さまが一緒ならば、話もスムーズに進むと思いますからね」
「むむ。一足跳びに帝の下へと行けないのが口惜しいでおじゃる。御父・信長殿。まろが帝から停戦の約束を取り付けてくるまで、なにとぞ、三好三人衆共を京の都へ近づけさせないよう、頑張ってほしいのでおじゃる」
「わかりました。先生としても出来る限りのことはさせてもらいます。宇佐山城からもう2000ほど兵をもってこれるよう手配をしておきますね?」
三好三人衆に対して2000の兵を追加したところで、焼石に水である。ここはやる気になった義昭に頼るしか術はない信長である。
「まさか、将軍さまに頼る日が来るとは思いませんでしたね」
信長がひとり、ぼそりと呟く。それを耳で拾ったのか、義昭は
「御父・信長殿の悪い癖でおじゃるよ?なんでも1人でこなそうとするのは。まろになんでも相談してくれるといいでおじゃる」
信長はやれやれといった顔つきになる。最初から頼めるような立場であれば、苦労もしないのですがねと思うのである。信長は義昭を傀儡にするのが目的である。将軍の力をできるなら発揮してほしくないのである。それは義昭の権力を強める可能性を秘めているからだ。
「目的は違えども、利用するしか術はないのですよね。もし、先生が将軍で、義昭くんが家臣であったならば、気がねもないところなんでしょうが」
しかし、義昭は足利家の血を引く尊きお方である。自分とは生まれも身分も違うのだ。今度は聞かれぬように小声でつぶやくのであった。
「さて、やることも決まりましたし、先生は退出させてもらいますかね。将軍さま、貞勝くん、後のことは任せました。先生はまた、戦場にいってきます」
信長はそう言うと、深々と礼をし書斎から退出する。その後ろ姿を見た義昭がぼそりと言う。
「御父・信長殿は、まろに頭を下げるのは嫌でおじゃろうな。せっかく、まろを人形に仕立てたと言うのに、この包囲網。身から出た錆とは言え、いささか、同情の念を持ってしまうのでおじゃる」
「義昭ちゃん。ひとにはそれぞれ天から与えられた使命があるんだよー。私で言うと、義昭ちゃんを幸せにすることかなー?」
お竹の言いに義昭がふむと息をつく。
「御父・信長殿は、まろに全てを任せてくれれば良いものを。あんなに生き急いで、一体、どこに向かおうと言うのでおじゃるかのう」
「うっほん。お言葉ながら、義昭さま。うちの殿は馬鹿なのじゃ。このひのもとの民、すべての夢を叶えようとしているのじゃ」
「ほっほっほ。そんな世の中、果たして、やってくるものなのでおじゃろうかのう。自分の身の丈にあった生活をしていれば良いと思うのでおじゃる。将軍は将軍。大名は大名。幕臣は幕臣。それぞれがそれぞれの、身の丈を知ることこそが、平和につながる道だと思うのでおじゃる」
「んー?信長さまなら、きっと、そんな世の中を作れるんじゃないかなー?少なくとも私はそう思うよー?だって、義昭ちゃんは将軍なのに、ただの町娘の私とイチャイチャできてるんだもん」
「お竹ちゃんはただ、他人より、幸運だっただけだと思うのでおじゃる。本来なら、まろと一緒の寝室に入ることすらできなかったのでおじゃるよ?」
「えー?そんなこと言うんだー。じゃあ、今夜はお預けだねー?」
お竹の言いに、義昭は、はっとした顔になり、しどろもどろになりながら弁明を行う。
「ま、待つでおじゃる!まろは、そんなつもりで話を言ったわけではないのでおじゃる。ただ、一般的な話をしただけでおじゃる」
義昭の言いに、お竹はつーんとした表情になり
「あ、そう。一般論なんだ。世の中ってのは、嫌な感じなのねー。ああ、これじゃ、義昭ちゃんと結婚できないやー」
結婚と言う単語を聞き、義昭は驚きの表情を作る。
「い、いまなんと言ったのでおじゃる。お竹ちゃん」
おそるおそる義昭がお竹に対して、そう尋ねる。
「んっんー。私はー、義昭ちゃんとー、身分差があるけど、結婚したいって思ってるよー?でも、義昭ちゃんがそんな考えだと、価値感の不一致で無理だねー?」
お竹は、つーんとした面持でそっぽを向きながら義昭にそう応える。
「ま、待つのでおじゃる!まろだって、お竹ちゃんとは結婚したいのでおじゃる。でも、御父・信長殿がとやかく言うから、難しいというかなんというか」
「うっほん。将軍さまとお竹さんのことで殿は何も指示は出ていないのじゃ。殿曰く、別にお2人の問題なので、結婚うんぬんについては自由にしてもらっていいのですよ?と言っていたのじゃ」
「え?そうなのでおじゃるか?まろにはまろのふさわしい格式の家からでないとダメだと言っておったでないでおじゃるか」
貞勝の言いに義昭は驚きの表情を作る。
「確かに最初はそうは言っておったのじゃ。でも、将軍さまの身分にふさわしい女性なんて、探しても中々見つからなかったのじゃ。それなら、いっそ、将軍さまが好きな女性なら、別段、構わないかなと殿は言っておったのじゃ。おや?この話、殿から将軍さまは何も聞いてないのかじゃ?」
「聞いてないのでおじゃる。そういう大切なことは、まろに話しておいてほしいでおじゃる!」
義昭が憤慨している所に信長が書斎に再び、やってくる。
「ああ、貞勝くん。言い忘れてましたよ。朝廷から浅井長政くんに官位のひとつでも与えるように便宜を計らっておいてください、って、どうしたのですか?将軍さま、先生をにらみつけて?」
貞勝が、これまでの話の経緯を信長に説明する。それを聞いた信長はふむと息をつき
「お竹さんの出自は調べましたし、どこぞの他家からの刺客でもないことも判明しています。先生としては、お2人が結婚することに反対はしませんよ?まあ、外野がとやかく言ってくるかもしれませんが、そこは将軍さまが毅然とした態度を取れば問題ないでしょう」
信長はしれっとした顔で義昭に言う。
「てか、この話は、お竹さんには話していた記憶があるんですけど?将軍さま、もしかして、お竹さんから何も聞いてなかったんですか?」
信長の言いにお竹がニヒヒと笑顔を作る。
「だって、当人同士の問題なんでしょー?そう言った、前情報なしのほうが、義昭ちゃんの本音が聞けるじゃないー?」
「やれやれ、お竹さんは存外、策士なんですね。将軍さまのお竹さんの溺愛ぶりから見れば、心配はないかなと思っていましたが」
「だって、義昭ちゃんは、結婚のことについては、はぐらかすことが多いのよー。もしかしたら、私とは嫌なのかなー?って思っちゃうわけー」
「お、お竹ちゃん。まろは、お竹ちゃんがどのような身分であれ、卑下することはないのでおじゃるよ!」
だが、お竹は、ふーん、あっそうと言い
「さっきは嫌そうだったじゃないー?」
「あ、あれは一般論でおじゃる。まろとの考えとは違うのでおじゃる!」
義昭はしどろもどろになりながら、お竹に対して弁解する。信長はやれやれと思いながら、助け船でも出して、恩でも売っておこうかと思うのである。
「お竹さん?将軍さまをいじめるのは、その辺で終わりにしといたほうがいいですよ?いくらからかいのつもりでも、意固地になって、話がもつれる場合がありますからね」
信長の言いに、お竹は、はーいと返事をする。
「じゃあ、義昭ちゃん。今回はこれくらいで許しておくけど、あんまり、身分のことでとやかく言うのは感心できないからねー?将軍さまだからこそ、下々の民たちのために頭を低くしないと、愛想つかれちゃんだからー」
「わ、わかっておるのでおじゃる。なるべく、まろも気をつけるのでおじゃる。民に愛されてこその将軍でおじゃるからな」
お竹は、うむっと息をつき、胸を張る。
「じゃあ、義昭ちゃん。結婚式では、私、2回はお色直ししたいから、義昭ちゃんも一緒に着物屋に見に行こうね?」
「さ、2回もお色直しをすると言うのでおじゃるか?それはさすがにやり過ぎだと思うのでおじゃるが?」
「えー?そう?ねーねー。信長さま。信長さまのときの結婚式って、奥さんはお色直しを何回やったのー?」
「え?先生のところですか?そうですね。確か、正妻の帰蝶のときは4回、お色直しをしてましたね。尾張は、結婚式に関しては金をつぎ込むという特色がありますので、身分が高いものほど、結婚式は派手でしたね」
「すごーい。4回もお色直しをするんだー?やっぱり、信長さまの治めている尾張は景気がいいんだねー?」
「いや、そういうのとは関係ありませんよ?先生が結婚したときは、先生の父上が存命の頃でしたからね?お金を管理していたのは父だったので、今の先生の領地の好景気とはあまり関係ないですよ?」