ー千客万来の章13- さよなら涙
ほどなくして、酒屋の大旦那の死体は処理され、会場から運び出され、佐久間信盛の縛は解かれた。信盛は立ち上がり、両手を宙に向けて上げ、ガッツポーズの構えをしている。会場からは、大きなどよめきが起きている。悪人の処刑劇にみな、興奮さめやらぬ雰囲気である。
信長は壇上から会場の様子を見わたし
「やれやれ、うまくいってよかったのです。のぶもりもり、しばらくは無茶は控えるように」
「へへ。やったじゃねえか、殿。一体どんな魔法を使いやがった!」
信盛も興奮気味だ。未だ熱い斧を、なにか仕掛があるのだろうと手に取ろうとする
「のぶもりもり、やめなさい!」
ん?と、斧の鉄がむき出しの取っ手部分に手が触れた瞬間
「あっつあっつああああああつう!おい、なんだよこれ、あっついじゃねえかよ!!」
罪人として縛られたときに、薄手の革袋を両手に着けていたのが幸いした。そうでなければ大やけどだったはずだ。次の瞬間はっとして
「お前、馬鹿だろ!なんでこんなもの、素手でもちやがった!」
そう言って、信盛は、信長が斧をもっていた、右腕をつかみ、その手を凝視した。
不思議なことに火傷ひとつ負わずにきれいな手なのである。
「おい、なんだよこれ。なんで火傷してねえんだよ。この馬鹿」
「なんででしょうねー。先生もよくわかりません」
舞台のほうに丹羽長秀たちが集まってくる。
「さっすが信長さまなのです。にわちゃんは信じていたのです」
「でも、無謀すぎっす。殿っち、なにかあったらどうするつもりだったすか」
滝川一益は心配そうに信長のほうを見る。
「一見、無謀そうに見えますけど、先生、自信があったんです。火起請。昔、ある盗人をさばくために、これやったんですが、そのときも無傷で斧をつかめたので」
「にわちゃんの分析では、信長さまは、神仏を信じて敬ってるのです。その信心が、奇跡を生んでるのです」
「そんな、いくら神仏を敬っているからって、そうそう、ぽんぽん奇跡なんておきるわけがないだろ!」
信盛は激昂する。一歩まちがえれば、殿の右手は一生つかいものにならなくなっていたかもしれない。そんな危険な火起請を俺のために敢行してくれたのだ。怒り反面、感謝の気持ちで一杯だ。
「くっそ。おい馬鹿。2度と火起請なんてやるんじゃねえぞ!2回うまくいったからって、3度目の正直ってやつがある。絶対やるなよ?」
「絶対とか言われたら、やりたくなっちゃいませんか?」
うおおおいとの怒声を、馬鹿は、はははと笑いとばす
「まあ、これは本当に奥の手なので、次、使うことはないでしょう」
家臣一同、胸をなでおろす。
「さて、のぶもりもり、無事、裁判に勝てておめでとうございます。一歩まちがえれば死罪でしたよ」
「やっぱ、殿が失敗してたら、そうなってたよなー、火起請の結果が流罪で済むわけがないもんなー」
舞台上のぬぐいきれない血のあとが、火起請の凄惨さを物語る。
しかし、これで、信盛も小春も、無事、無罪放免だ。酒屋の息子との結婚も、大旦那が処刑されたことにより、虐待が有罪となったのだ。離婚協議も円滑に進もう。もし、酒屋がごねるようであるなら、連座で斬ってしまう手もある。
「さてと、先生、つかれました。吉乃さんに、なでなでしてもらいに行きます」
舞台脇で、火起請の顛末を見ていた吉乃は、いまにも泣きそうな顔で、こちらを見ていた。
「おい、馬鹿。吉乃ちゃん、泣かしてんじゃねえよ」
信盛はちょっと本気で怒っている。さっそく泣かしてんじゃねえよと
「馬鹿はお互いさまでしょうが。やれやれ。あなたも小春さんの様子を見にいってあげてはどうですか?」
「お、そうだな。うまくいったことを報告しないとな。ちょっとあいつの泊まってる宿屋まで行ってくるわ」
「信盛っち、今夜はもどってこなくてもいいっすよ」
「ん…。信盛さまの分まで食べておく」
「なっちゃん、そういうことじゃないでしょお、にぶいんだからー」
一益、佐々成政、梅が、信盛に話しかけてくる。余計なお世話だ、俺と小春はまだそんな仲ではない。
「わたしも、一豊さんに、毎晩なでなでしてもらってますのでーす。信盛さまも、小春さんをいっぱいなでなでするのでーす」
「ちょ、ちょっと!千代さん、あ、あなた、みんなの前でなんてことを!」
千代と山内一豊が夫婦漫才をしている。だから、まだそんな仲じゃないんだよお。
信長はすでに、舞台脇の吉乃の下にいる。吉乃は、涙を流しながら、信長の胸をこぶしでポカポカと叩く。信長は、よしよしと吉乃を抱き寄せ、背中をポンポン叩く。そして、吉乃の唇を手繰り寄せ、口吸いをしはじめた。
「うっほん!こんなとこで盛るなといっておるのじゃ。宿でやるのじゃ!」
村井貞勝が、舞台の信盛の一団のほうにやってくる
「なにか特別な企画をおもいついたとか言って、やらせてみれば、とんでもないことしおったのじゃ」
「にわちゃんは、最高のえんたーてぃめんとを企画する天才でぃれくたーなのです」
「くっ。こやつが絡んでると知っておれば!」
ぐぬぬと、貞勝は、手ぬぐいを噛んでいる。にわちゃんはどこふく風と言った感じで
「でも、信長さまはすごいのです。なんで、大やけどしないのか、天才でぃれくたーのにわちゃんにもわからないのです」
「うっほん!わからないことを殿にやらせてはならないのじゃ!」
確かに、なぜ無事なのかと言われたら、それこそ、神仏に守られているとしか言いようがない。桶狭間の奇襲のときも、膠着状態になりかけたときに、突然、雷雨が降り注いだのだ。信盛は言い知れぬ、怖気を感じた。一体、殿には何が憑いているのかと。
「にわちゃん、思うのです。一度、有名な霊媒師や、占い師に信長さまのことを見てもらうのです」
「ん…。信長さまは、動物占いとか誕生日占いとか好きだから、はまりそう」
佐々は知っている。殿は現実主義な部分が多々あるくせに、これで、超常現象ものが大好きなので困る。それこそ、側付きの占い師でも雇いそうだ。ちなみに信長さまは、動物占いで、西洋の空飛ぶ馬らしい。
「まあ、深く考えてもしかたないす。神仏っちの導きは到底、常人にはわかるわけないす」
一益は自分のなかで納得を作るかのように、うんと2回うなずいている。
「とりあえず、俺は、宿に行ってくる。いいな、やましい関係じゃなんだぞ!」
信盛は皆に念押しをする。皆は、はいはい、早く行けと促す。
信盛は宿につき、小春が寝ている部屋の襖をそっと開ける。立てつけが悪いのかガタッと音がする。なんだよ、この襖。空気よめよと、襖相手に悪態をつく。
「んん、なんだい?」
小春が音で目を覚ます。信盛はごくっと、つばを飲み込み、落ち着け俺と念じながら言葉を返す
「お、お、お、おう!身体の加減は、ど、どうだ?」
第一声がうらがえってしまった
「あ、ああ、ああああ、おかげさまで、い、いいよ?」
小春も、猛烈に動揺している。
「そ、それはよかった。あ、医者からもらった、く、くしりもあるから、のんどけよな!」
噛んでしまった
「あ、ああ、わかった。あ、ありがと」
小春は、どもりながらぶっきらぼうに応える。
先ほど、祭の会場で、信盛の裁判が行われたこと。信長の機転で、無罪放免になったこと。酒屋の大旦那が死罪になったことを伝えた。小春はそれを聞き、そうかと言う。その瞳からは涙がながれる。ひとしきり泣いたあと、まだ熱があるのか、顔が紅潮して身体が火照る。
信盛は思う。なんだ、こいつ、こんなに色っぽかったっけ。再び、ごくりとつばを飲み込み、のどを鳴らす。この音が相手に聞こえているのではないかとどぎまぎしてしまう。
「あのさ」
「あのさ」
「す、すまねえ、先に言ってくれ」
「あ、ああ。あのさ、わたしさ。信盛には感謝してる。こんなわたしのために、自分の身を危険にさらしてまで助けてくれて」
小春は、再び泣きそうな目で言う。
「なんで、こんな農家の生まれのわたしにこんなにやさしくしてくれるんだい?返せるものなんてなにもないのに」
小春は、心底、馬鹿を見る目つきで言う。
「なんで、あんたは、そんなにお人よしの馬鹿なんだい?一文の得にもなりゃしないのに」
小春は心の奥から絞り出すよう目を閉じて言う
「なんで、救ってくれたんだよ!こんなわたしを!」
信盛は、つられて言い返す。
「う、うるせえ!好きでやってんだよ!」
心が求めるままに、言い返す。
「す、好きだから、やってんだよ!」
真に求めるもののために言い返す
「お、俺は、小春のことが好きなんだよ!」
信盛はついに言う
「小春、好きだ!おれの嫁になってくれ!!」
小春は盛大に大きな声で泣き、大きな涙の粒を流したのだった。