ー大乱の章13- 義昭の大切なもの
「まあ、持ちこたえたいのはやまやまなんですが、浅井・朝倉に比叡山が味方しましてねえ。比叡山に攻め込みたい気持ちはあるのですが、護国鎮守の総本山ですし、どうしたものかと思うのですよねえ」
「それは困った話でおじゃるな。いくら御父・信長殿でも、浅井・朝倉には手が出せぬと言うことでおじゃるな?」
「そうなのですよ。将軍さまからも一言、比叡山に言ってくれませんかね?浅井・朝倉に基地提供を止めろと」
「しかしでおじゃる。比叡の僧、賀茂川の水、サイコロの目は言うことを聞かぬと言うでおじゃるしなあ。まろが言うたところで、成果は期待できぬでおじゃるよ?」
義昭の言いに信長はふむと息をつく。
「では、将軍さまには、浅井・朝倉の方から撤退してもらうよう働きかけてもらいませんかね?」
「さきほども言ったように、帝はお忙しい時期なのでおじゃる。停戦と言えども、なかなかに話は聞いてもらえるとは思えないのでおじゃるよ」
義昭はまともに停戦の話を受ける気はなかった。それについては信長も予想通りである。だが、信長には策があった。義昭を乗り気にさせるための策が。
「ああ、そうそう、ひとつ言い忘れていました。実は、浅井・朝倉・六角・本願寺・比叡山だけではないのですよね。京の都を目指しているのは」
「ん?まだ他にも、足利の幕府に盾突くものがおるのでおじゃるか?」
義昭は不思議そうな顔をする。対して、信長はにやりとした顔になり
「三好三人衆が、摂津まできているのですよ。ですが、織田家は今、浅井・朝倉にかかりきりで、本隊は近江の比叡山のほうに行っています。今、藤孝くんと和田惟政くんが兵4000で必死に京の都への侵入を防いでくれていますが、いやはや、これは大ピンチと言ったところですね」
「なんと!三好三人衆はまだ、前代の将軍・足利義栄を返り咲かせようと戦っておるのでおじゃるか。ええい、浅井・朝倉のことなど、どうでもいいのおじゃる。信長殿、摂津の方へ兵を集中するのでおじゃる」
他の勢力が京の都に来るのは構わない。だが、三好三人衆が来るのは話が別なのである。しかも、織田家は浅井・朝倉と対峙しており、たった4000の兵で奴らを防げるわけがない。
「さらに困った話で、本願寺顕如くんも、三好三人衆に肩入れしているみたいなのですよね。これでは義昭さまの身を守ることは不可能ですねえ」
「な、なんとかならんのか、御父・信長殿!まろの天下がそこまで来ていると言うのに、三好三人衆が京の都に入れば、まろはここから追放されてしまうのでおじゃる!」
「さあ、どうでしょうかねえ。義昭さま、先生と一緒に都落ちしますか?なあに、ここで都落ちしても、先生が率いる織田家の精鋭部隊です。10年後には、また、京の都へ返り咲いてみせましょう」
義昭は喜色ばっていた顔色を蒼白のものと変えていく。
「10年後じゃと!10年も足利義栄に京の都を蹂躙させろと言うのでおじゃるか。そのような事態になれば、まろが京の都に戻ってきても、意味がないのでおじゃる」
義昭は顔面蒼白のまま、信長に対して激昂する。
「そもそもなのでおじゃる。何故、このような事態になる前に、まろに相談してくれなかったのでおじゃるか!ええい、まろの優雅な生活が終わってしまうのでおじゃる」
「そうは言われましてもねえ。一体、誰が、浅井家の反乱から、このような事態に陥ることを予想できたとでも言うのですかねえ。先生でも、そもそも、浅井長政くんが裏切ったこと自体が寝耳に水でしたから。雪崩を起こしたかのような、この流れです。ここまでひどいことになるなんて、予測できるはずがありません」
そもそもと信長が言い、話を続ける。
「顕如くんは、裏で動いていたみたいですね。三好三人衆に肩入れをしている以上、虎視眈々と義昭さまを将軍の座から引きずり降ろそうとして画策していたみたいですね?」
「なんじゃと!それでは、本願寺顕如は足利義栄派だと言うのでおじゃるか?」
「そう考えて、差支えないものと思いますよ?ああ、困りましたね。藤孝くん、惟政くんの4000では、2週間もつかどうか謎ですねえ?」
「何をのんびり構えておるのじゃ!比叡山を囲むのは止めて、三好三人衆をまず、どうにかするのでおじゃる。これは将軍の命令なのでおじゃる」
信長は、わざと真剣な顔付きになり
「将軍さま、落ち着いてください。織田本隊が、摂津に向かうには、まず、浅井・朝倉と停戦を結ばなければなりません」
義昭は信長の言いにうぐっと言葉を詰まらせる。織田家が京の都から追放されるだけならば良い。だが、三好三人衆が足利義栄を引き連れて、京の都に迫っている。
ここで織田家が負ければ、連座で自分も、将軍の座から追い出される。それだけは何としてでも避けねばならない。
「ああ、将軍さまが都落ちをすれば、連れ立って逃げれるものも限られてきますね。将軍さまの身の廻りの者たちには自力でなんとかしてもらいましょうか」
信長の言いに義昭がぎょっとした顔つきになる。
「そ、それは、もしや、お竹ちゃんのことを言っているのでおじゃるか?」
信長はうん?と言う顔をし
「ああ、そう言えば、将軍さまが大事にされている、お竹さんがいましたね。彼女には悪いですが、将軍さまの命を優先しなければならないので、京の都に置いていかねばならないでしょう」
義昭は顔面がまたもや蒼白になっていく。自分が浅井・朝倉と織田家の停戦を拒めば、必然的にお竹ちゃんとの別れが待っている。将軍の座は大切であるが、それと等しく、お竹の身の安全も義昭にとっては重要事項となっていたのだ。
「御父・信長殿。まろはいやなのじゃ。お竹ちゃんと分かれ離れになるのは嫌なのじゃ」
懇願するように義昭は信長の胸元にしがみつく。信長はよしよしと、義昭の頭を撫でる。
「さて、将軍さまにも、自分の身が、お竹さんの身が危ないことがわかっていただけましたね?では、将軍さまがやらねばならないこともわかってくれたと思います」
義昭は今や、泣きそうな顔になり、信長の胸元に顔を沈めながら、うんうんと頷くのである。そこに書斎へ飛び込んでくる女性がいた。お竹である。
「義昭ちゃーん!お仕事の話は終わったー?」
お竹は満面の笑みを浮かべて、義昭の方へ近づいていく。だが、義昭が信長にしがみついて、今にも泣きだしそうな顔をしているので、お竹はまさかと思い、信長のほうをキッと強く、にらみつける。
「信長さま!私の義昭ちゃんに、何か言ったでしょ。ダメだよ、義昭ちゃんは、泣き虫なんだから、強く迫っちゃダーメ」
信長はバツの悪そうな顔をし、右手で頭をこりこりとかく。そして、お竹のほうに身を回し
「違いますよ。義昭さまが、先生に、御父・信長殿、素敵、抱いて!って言ってきたから、やんわり断っただけですよ」
「えー?義昭ちゃん、男にも興味あったのー?んー。じゃあ、この後、3人で楽しみましょ?」
義昭はお竹の言いに慌てる。
「ちょっと、待つでおじゃる!御父・信長殿。いつ、まろが素敵、抱いて!などと言ったのでおじゃるか。そもそも、3人で一緒にイチャイチャするなど、前代未聞なのでおじゃる」
「私が下でしょ?で、義昭ちゃんが上で、そして信長さまが後ろからで問題ないよねー?」
「絵面的には、なにやら怖い気がしますが、言っていることには間違いありませんね?」
「御父・信長殿。何を納得しかけておるのでおじゃるか!大体、話が全然、横道にそれているでおじゃるよ」
義昭は蒼白であった顔を怒りの炎で赤く染め上げる。
「おっほん。お竹ちゃん、まろは信長殿に大切なことを言われたのでおじゃる。それで少しばかり動揺してしまい、ふらついたところを御父・信長殿に支えてもらっただけでおじゃるよ」
義昭は先ほどの失態を見られて、少し気恥ずかしいが、威勢を張って、お竹にそう言うのである。お竹は、ふーんと言い
「義昭ちゃんが動揺するってことは、京の都に賊が迫っているってことなの?信長さま」
「はい、そうです。お竹さんは聡明な方ですね。三好三人衆が将軍さまの命を狙って、ここ京の都のすぐ近くまで迫っているのですよ」
「ええ!じゃあ、信長さま、なんとか頑張ってください。女の身である私は何もできませんが、信長さまなら出来るんでしょー?義昭さまを守ることが」
「それが、浅井・朝倉に東から攻められているので、なんともし難い状況なのですよ。そこで、将軍さまに織田家と浅井・朝倉との停戦の仲介をしてもらおうと、今日はここに尋ねてきたわけなのです」
「義昭ちゃん!あなた、将軍なんでしょ?ぱぱっと、信長さまと浅井・朝倉との停戦を呼び掛けてよー。義昭ちゃんの身にも危険が及んでるんだしー」
「わかっておるでおじゃる。御父・信長殿。必ず、まろが帝と話をつけてくるのでおじゃる!お竹ちゃんの身は、まろが守るのでおじゃる」
「私の身の安全?そんなこと、気にしなくていいのにー。義昭ちゃんは義昭ちゃん自身の身を守ることを優先していいのよー?だって、私はただの町娘なんだもん。義昭ちゃんは将軍さまなんだから、自分のことだけ考えておいてよー」
「そうは行かぬでおじゃる。まろとお竹ちゃんは一心同体でおじゃる。お竹ちゃんがいなくなったら、まろは生きていく価値などないのでおじゃる!」
義昭は思う。自分にとって一番、大切なものとは何であるかを。将軍職はもちろん大切だ。だが、それ以上に大切なものがあると、お竹をたぐりよせ、強く抱きしめるのであった。