ー大乱の章10- 信長と貞勝(さだかつ)の勝負
「おっほん。将軍さま。仲が良いのは結構ですけど、今はそのいちもつを起たせる前にやってほしいことがあるのですよ」
義昭は慌てて、自分のいきり立つ愚息を両手で隠そうとする。
「ちょ、ちょっと、待ってくれでおじゃる?おさまりがつかなくなってしまったのでおじゃる。もう1戦。もう1戦、終わるまで仕事の話は勘弁してほしいのでおじゃる?」
義昭がバツの悪いといった顔で信長に懇願する。信長は、はあああと長いため息をつき
「わかりました。待ちましょう。1時間ですか30分ですか?あ、3分でいけますよね?」
「3分はさすがに無理なのでおじゃる!30分。30分ほしいのでおじゃる。それですっきりさわやか仕事をするのでおじゃる。な、な?」
「ええ?30分だけなのお?私は義昭ちゃんと1時間でも2時間でも楽しみたいのにい」
お竹の言いに信長がギロリと視線を飛ばす。その威圧にお竹は、びくりと心臓が飛び出そうになる気がするのであった。
「す、すいません、信長さま。30分で我慢します」
消え入りそうな声で返す、お竹である。
「御父・信長殿!お竹ちゃんを睨みつけるのは、やめるのでおじゃる。ああ、お竹ちゃん、怖くなかったかのでおじゃる?」
「ふえええん。信長さまが怒ってるう。義昭ちゃん、慰めて?」
「よしよし、お竹ちゃん、怖いの怖いの、飛んでいけ!なのでおじゃる。さあ、笑顔になるでおじゃるよ?」
お竹は義昭に慰められたのが嬉しいのか、泣きそうな顔から、再び、笑みを顔中に浮かべるのであった。
「えへへ。義昭ちゃんが優しいから、元気でてきた!さあ、時間もないことだし、続きしよ?」
お竹はねだるような顔つきで、義昭の瞳を見つめ、義昭もまた、お竹の瞳を見つめ返すのであった。
「うっほん。ああ、では、先生は30分後にまた来ますので、ちゃっちゃと済ませてくださいね?時間延長は認めませんので、30分以内に出すだけ出しておいてください?」
そう言うと、信長は一旦、義昭の寝室から退出することになる。その後ろ姿を確認した義昭とお竹は、何事もなかったかのように、また、布団の中に潜り込み、互いの身体の隅々の感触を確かめあうのである。
「やれやれ、馬鹿将軍には困ったものですよ。誰ですか?あんなふうに育てたのは?」
「うっほん。それは殿の教育のおかげというか、そのようにしろと、わしらに命じたからなのじゃ。しかし、殿が大変だと言うのに、あの馬鹿ときたら、全くもって理解してないようで、逆に器のでかさに感心してしまうのじゃ」
「まあ、おかげで少し頭が冷えました。怒り心頭のまま、義昭に頼み事をしていたら、もしもの場合、斬り捨てていた可能性もありますからね」
やはり、もしもの場合であれば、そう考えていたのかじゃと思う貞勝である。義昭が心底、腑抜けに成り代わっていたことに、今では感謝の念を感じずにはいられないとさえ思えてしまう。
「さて、事は急いては仕損じると言いますし、30分ほど時間を潰しましょうか?貞勝くん、久しぶりに、将棋か囲碁を楽しみませんか?」
「ほう。殿から言い出すとは珍しいこともあったものなのじゃ。どうせなら、何かを賭けたほうがいいのではないのかじゃ?」
「そうですね。では、負けたほうは獅子屋の羊かんを店先にまで並んで買ってくるって言うのは、どうでしょう?この寒空の中、行列に並ぶのは身に応えるでしょうからね?」
信長が、ふふっふふっと悪い笑顔を浮かべて、貞勝に言う。
「殿独自の特殊ルールは一切、禁じさせてもらうのじゃ」
「ほう、言いますね?貞勝くんはどうやら、本気で先生に勝つつもりなんですね?」
「もちろんじゃ。さて、将棋か囲碁か、好きなほうを殿が選んでくれなのじゃ。なんなら、飛車・角抜きでもかまわんのじゃ?」
「ほっほおおお!言ってくれますねえ。では、将棋といきましょうか?もちろん、飛車・角抜きなんてしなくていいですよ?その代り、貞勝くんの玉以外の駒全て、奪わせてもらいますからね?」
「無理はしないほうが禁物なのじゃ?特殊ルールのない殿など、殿では無いのじゃ。逆にこちらが殿の王以外の駒全てを奪ってみせるのじゃ?」
信長と貞勝は、火花が飛び散るのかと錯覚させるほどに視線を交差させる。
信長は義昭の側付きのものに、将棋盤と駒を持ってくるよう、指示し、2人は義昭の寝室の襖の前でどかっと座り込む。慌てた側付きは、すぐさま、将棋盤と駒を用意し、座る2人の間に、おそるおそる置く。
「さあ、真剣勝負の始まりです。厠に行くなら、今のうちに済ませてくださいね?」
「うっほん。それなら先ほど、済ませておいたのじゃ。さあ、時間もないことなのじゃ。さっさと勝負を始めるのじゃ!」
信長と貞勝がそれぞれ、将棋盤に自分の手駒を並べていく。信長が王将を並べれば、対するよに貞勝が玉を並べる。そして、全ての手駒を並べ終えたあと
「よろしくおねがいします」
「こちらこそおねがいしますのじゃ」
2人は礼をする。真剣勝負が今、始まったのだ。信長はまず、角の斜め前の歩を1つ前に出す。対して、貞勝は銀を動かす。信長はふむと息をつき、自分の銀を動かす。
お互い、10手ほど差し、貞勝がほうと息を飲む。自分は守りを固めきったあとに攻めるのが常套手段なのであるが、対して、信長は攻守のバランスを整えていくような配置である。
「殿。本気と言う言葉はどうやら、本当のようであるのじゃな。これほどまでに正道な将棋を打つこと自体、珍しい話なのじゃ」
「ふふっふふっ。貞勝くんは守り一辺倒で玉を固めるつもりですか?所詮、戦を知らぬものの打ち筋ですね?そんなことでは、先生の王将を取ることはできませんよ?」
信長の言いに貞勝はふむと息をつく。そして、右手で持つ扇子の先で頭をぽりぽりとかく。これは殿の誘いであると言うのはわかっている。守りをガチガチに固めるのではなく、正面からぶつかり合おうという、信長のメッセージであった。
貞勝は、にやりと笑う。そして、うっほんとひとつ咳払いをし
「その誘い、乗ってやるのじゃ!守りだけがわしの将棋ではないところを見せてやるのじゃ」
対して、信長は、くくっと笑い
「さあ、楽しい奪い合いの始まりです!互いに盤上で踊ろうではありませんか。今日は勝負がつくまで、寝かせませんからね」
信長と貞勝が力強く、バチッバチッと駒を盤上に叩いていく。互いに互いの手を読みつつ、将棋盤の上では多様な配置へと駒を進めていくのであった。
「御父・信長殿。お待たせしたのでおじゃる。まろはすっきりさわやかな気分なのでおじゃる。仕事の話をしてくれなのでおじゃる」
義昭はお竹との情事を済ませ、襖を開き、将棋を指している信長たちに声をかける。だが、信長と貞勝はぶつぶつと小声で何かを言いながら、自分の駒を進めていた。
「御父・信長殿?情事は終わったのでおじゃる。将棋など止めて、仕事の話をしてくれでおじゃる」
だが、信長は聞き耳持たぬとばかりに、歩を手にもち、バチッと進める。義昭は、うん?と思いながら、さらに信長に声をかける。だが、それでも信長は義昭のほうを見ずに、将棋を止めることはない。
お竹はそんな信長と貞勝の真剣な打ち合いを見ながら、これはもしやとばかりに小声で義昭に耳打ちする。
「義昭ちゃん。多分、2人は真剣勝負をしているんだよ!ここは邪魔をしちゃダメだよ」
義昭は返すようにお竹の耳元でささやく。
「そうでおじゃるな。これは邪魔をしてはいけない雰囲気なのでおじゃる」
「勝負が決まるまで、そっとしておこうよ、義昭ちゃん!」
お竹がそう義昭に耳打ちする。しかし、お竹の言いに義昭はええ?と言う顔付きになる。
「しかしでおじゃる。御父・信長殿は、まろに大事な話をしにきたのでおじゃるよ?約束していた30分はとうに過ぎているのでおじゃる」
義昭は意外やまじめに時間を守っていたのであった。しかし、お竹は義昭の右手を両手でにぎる。義昭はお竹に手を握られ、ぎょっとした顔になる。
「ちょっと、お竹ちゃん!手が濡れておるのじゃ。どうしたのでおじゃる」
「えへへ。また濡れてきちゃった。だって、考えてみて?2人のお邪魔をしないってことは、また義昭ちゃんに可愛がってもらう時間ができたってことじゃない」
お竹の手が濡れているのは、自分の身体から流れる女汁を手ですくったからだ。その濡れた手を義昭の右手をつかむことによって、塗りたくっていたのである。
お竹の眼の光は恍惚の色に代わっていく。そして、吐息もまた熱を帯び、それを義昭の右耳にふうっと吹きかけ、かぷりとその右耳を上唇と下唇で挟み込む。そして、はむはむと力を込めたり、抜いたりする。
義昭の顔は、とろんとしていく。だが、ここで情念に負けてはいけぬとばかりに、顔をきりりっとさせる。
「お竹ちゃん、やめるのでおじゃる。さきほどの御父・信長殿の様子を見るに、すごく大事な話だとおもうのでおじゃる。ここは情念に押し流されてはいけないのでおじゃる」
「まあ、義昭ちゃんは真面目なのね。そんなの義昭ちゃんらしくないよー?」
そういうと、お竹はいたずらをしたくなり、右手を自分のふとももとふとももの間に持っていき、ごそごそとまさぐりだす。義昭は、お竹が一体、何をしているのでおじゃる?と不思議そうな顔になる。