ー大乱の章 5- ころんぶすの玉子
「じゃあ、何か?ころんぶすの玉子って言うのは、ころんぶすのおつむのしわが、玉子のようにつるりんとしているって言う、悪口なのか?」
「違いますよ。話はここからです。その暴動を起こそうとする乗組員に対して、ころんぶすは、この玉子を縦に立ててみろと言ったそうなんですね?」
「玉子を縦に立てろっていうのか?ううん?どうやったって、横にコロンって転がっちまうだろ」
頭を悩ませる信盛に対して、信長が小姓に玉子を持ってくるよう指示を出す。小姓は陣幕を飛び出し、5分後、再び戻ってきて、3個ほど玉子を信長に渡す。
それを信盛が手に取って、机の上で玉子を縦に立てようと、四苦八苦する。
「ああ、ダメだ。どうやっても縦に立てるなんて、無理すぎる」
信長は四苦八苦する信盛を見て、ふふっと笑う。
「これ、実は簡単に縦に立てれるんですよ」
「え?まじ?殿って、無駄にそんな妖力が使えるわけ?」
信盛がワクワクしながら、信長が手に持つ玉子に注視する。そして、おもむろに信長は玉子を縦にして、ガンッと強めに机に打ち付ける。
すると、玉子の底の部分がグシャッと砕け、いびつな形ながら、玉子は縦に立つことになる。
「ほら、縦に立ったでしょ?」
信長はドヤ顔で、信盛の顔を見るのであった。
「なんじゃそりゃ!そんなことすりゃ、玉子が縦に立って、当然だろが」
信長の行為に信盛が猛然と抗議する。だが、信長はどこ吹く風とばかりに、口笛をひゅうと鳴らす。
「のぶもりもり。きみが当然と思うのは、玉子が縦に立つことがわかったからです。きみは今の今まで、玉子が縦に立つなんて思っていなかったじゃないですか?」
信長の言いに、ううむと唸る信盛である。
「だけどよ。玉子の底を潰して立てるなんて、そんなの汚いだろ!割ってもいいなんて知ってたら、俺だって立てれたぜ」
「でも、のぶもりもりは知らなかったんでしょ?玉子を縦に立てる方法を。きみが言っていることは言い訳にしかすぎません。知ったあとなら、誰だって文句は言えますよ」
信盛は、そう言われ、はっとなる。
「ああ、そうか、ころんぶすの玉子って言うのはそう言うことか。普通の奴なら考えつかないようなことでも、頭のきれる奴はそうとは限らない。そして、普通の奴ってのは、そういう、発想に辿り着いた奴を小バカにするわけな」
「そういうことです。天才と言うものは時代の先駆者でもあります。常人には考えつかないことをやりとげます。ですが、常人はその天才が発明したことを、さも当然だと主張します」
「そうだよな。殿の関所撤廃とか、楽市楽座なんて、初めにお触れを出したときなんて、古い家臣連中は全員、反対をしていたんだったよな。今では、当たり前のように振る舞っちゃいるが、本当はそうじゃないんだよな」
「ころんぶすの玉子ということわざは、戒めなんですよ。人間と言うものは結果を知ったうえで、偉人の行いを馬鹿にします。できて当然だ、うまく行って当然だと。でも、そんなことは有りません。失敗を重ねてきた先駆者が必ずいるのです。それを当たり前だと思ってはいけないと言うことなんです」
「まさに、殿の行いのひとつひとつが、ころんぶすの玉子ってことになるわけだよな。俺みたいな凡人は、すぐ殿のやっていることを馬鹿だとか、アホだとか、文句をつけちまうけど、殿は、いっつも良いことをしちまうもんな」
信盛は感心するように、うんうんと首を縦に振る。
「まあ、のぶもりもりも、貞勝くんも文句は言いますが、先生のやることに関してはおおむね、賛成しているじゃないですか。頭ごなしに否定して、反感を募らせるようなことはしないだけ、ましってもんですよ」
「まあ、殿は結果をちゃんと作るからな。だから、突拍子がないことを言いだしても、きっと、うまくいくことなんだろうって、納得はしているぜ。貞勝殿も同じ気持ちなんだろうさ」
「それなら、もう少し、先生を敬う気持ちを持ってもらいたいものですがねえ。勝家くんのように、先生に足を向けて寝るのは失礼だと、いつも寝るときには、足の向きに注意しているらしいですよ?」
「本当かよ、その話。勝家殿も律儀すぎるだろ。そんなのいちいち気にしてたら、夜、寝れなくなっちまうわ」
「本当らしいですよ?勝家くんの奥方・香奈さんから、書状で愚痴が書かれていましたから。付き合わされて、枕の位置を変えなければならないのが、面倒くさいことこの上ないと」
「そりゃ、香奈さんも苦労が多いなあ。俺なら、平気で殿に足を向けて寝れるけどなあ」
「のぶもりもり、きみは少し、ずうずうしすぎるんですよ。一応、これでも先生、きみの雇い主ですよ?雇い主を敬う気持ちを持つ気はないんですか?」
「それなら、少しは、殿自身が威厳のある行動を取ってくれよ。戦のない平時なんて、いっつも町に出てきては、町民たちと相撲を取りだすわ、屋台で買い食いするわ、嫁さんたちをはべらして、人目でいちゃいちゃしだすわ。そんな姿を毎日、見せられて、尊敬しろってのが難しいだろ」
「おっかしいですねえ?先生、そんなことばかりしてましたっけ?京の都に上って来てからは、自分でも過労ぎみに仕事をしているはずなんですけど?」
「仕事は真面目にしているのは知っているさ。それ以外のことでの話だよ。為政者って言うのは、普段の行動でもしっかりしてないとダメなもんじゃね?そうじゃないと、周りで見ている奴らが、うさんくさそうな眼で見るのも仕方ないんじゃねえの?」
信長は、ふむと息をつく。
「仕事が出来るできないと、私生活のだらしなさって、関係ないと思いませんか?秀吉くんを見てくださいよ。彼なんて、仕事が終われば、飲みに行くか、遊郭に遊びにいくかのどっちかなんですよ?」
「んん?言われてみれば、そうだな。仕事が出来るやつほど、私生活がだらしない奴だらけじゃねえか、織田家は。きっちりやってる奴なんて、もしかして、貞勝殿だけだったりするのか?」
「貞勝くんは、仕事中毒者で、私生活まで仕事を持ち込んでいるようですからね。そりゃあ、曲直瀬くんからの胃腸薬の新薬に頼りっぱなしだそうで、いい加減、織田家の医療費が高くついて、困っているくらいなんですから」
「為政者が、普段、私生活でだらしないのは仕事中毒にならないための自然な行動ってわけか。じゃあ、俺も殿の私生活にまでとやかく言うのは筋違いってことかあ。これは気をつけとかないとな」
「その通りですよ。まったく、私生活まできっちりしなきゃならないなんて、一体、誰得なんですか。どうせ、京の都の悪しき風習なんじゃないですか?」
「いやあ、さすがに京の都の人たちの性格と関係ないんじゃね?なんとなく染みついてる、固定観念って言うのが正しい気がするぞ、これ」
信盛の言いに、信長がふむと息をつく。
「じゃあ、この為政者は、私生活までしっかりとしていないといけないってのは、誰が言い出したのでしょうかね?意外と根深い問題のような気がしますよ、これ」
信長と信盛が、ううんと頭を捻る。そこに、くしゅんくしゅんと、くしゃみをしながらある人物が陣幕にやってくる。
「うっほん。寒いのじゃ。まだ11月と言うのに、今年は冷えるのじゃ。これは大雪になりそうなのじゃ」
やってきたのは貞勝である。
「あれ?貞勝くん、京の都の警備はどうしたんですか?きみ、わざわざ宇佐山城まで何をしにきたのですか?」
「くしゅんくしゅん。ああ、くしゃみが止まらないのじゃ。義昭に風邪をうつしてはいけないと、前田玄以に二条の城のことは任せてきたのじゃ。藤孝殿にも兵の指揮を任せているから、そこは安心するのじゃ」
貞勝はくしゃみをしながら、少し熱をもった赤い顔でそう告げる。
「それよりもじゃ、比叡山は殿との交渉を打ち切ると言ってきたのじゃ。それを伝えにきたのじゃ」
「ああ、そんなことですか。それなら配下の者にでも頼んでおけばいいじゃないですか」
「屋敷で養生していては、手がぷるぷると震えてくるのじゃ。仕事をしてないと、落ち着かないのじゃ」
信長は、なんとまあという顔をする。そして、信盛のほうに振り向き
「やはり仕事中毒になってはいけませんね。風邪をひいても仕事をするようになっては人間、おしまいです」
「そうだな。俺も、こんな風にはなりたくないなあ」
信長と信盛はうんうんと頷きあう。
「なにを言っておるのじゃ。人間、仕事をすることこそ、誉れと言うものじゃ。仕事が無くなってしまっては、自分は何をして生きていけば、わからなくなってしまうのじゃ。くしゅんくしゅん」
貞勝の言いにあきれ顔をする、信長と信盛である。
「いっつも仕事をさぼろうとしている、俺が言うことじゃないかもしれんが、貞勝殿。少しは仕事以外の趣味を持ったほうが良いぜ?私生活にまで仕事を持ち込んだら、いつ休むつもりなんだよ?」
「そうですよ。きっちりしているのは、七三分けのその髪型だけで充分です。貞勝くんは手を抜くことも覚えたほうがいいですよ?」
「自分が休んでいたら、誰が京の都の仕事をするのじゃ。皆、戦働きで忙しいというのに、自分だけ休んでいられないのじゃ」
「言われてみれば、越前の戦いから、今まで、光秀くんも秀吉くんも、京の都で仕事をしている時間は取れていませんね。京の都は貞勝くんに一任しぱなしでした」
「まあ、貞勝殿の言う通りと言えば、そうなんだけど、それでも、風邪ひいてまでやることじゃないだろうが」
「ご忠告、ありがたく頂戴するのじゃ。少し、休ませてもらうのじゃ。殿にまで風邪をうつしては大変なのじゃ。くしゅんくしゅん」
貞勝はしんどそうな顔をしたまま、言うことは言ったとばかりに、陣幕から出ようとする。そこに信長がさきほどの疑問を貞勝に問いただす。
「そういえば、貞勝くん。為政者が私生活でも、きっちり七三分けのような清廉潔白で過ごすのが良いって言うのは、どういった経緯から言われるようになったか知っていますか?」
「ん?君主は聖人たれと言うことを聞きたいのかじゃ?」