ー千客万来の章12- 神に祈れ
「あらあら、のぶもりもりったら、本当に連れてきちゃいましたかあ」
信長は佐久間信盛の行動に、あっけにとられた。
「確かに先生、少し煽り気味でしたが、本当に人妻をさらってくるとは思いませんでした」
信盛は、小春を背負い、津島の合婚会場まで戻ってきたのだ。小春は熱をだしており、着き次第、医務室に運び込んだ。医者が言うには、身体のところどころにあざはあるが、死に至るほどではないそうだ。ただし、これだけのあざ。日常的に暴力を振るわれていた可能性が強いという。
「しょうがねえだろ。状況が状況だったんだ。あのまま、あそこに置いておいたら、命に関わったかもしれねえ」
信盛は、信長に喰ってかかる
「それに決めたんだ」
「そうですか、やっと決めましたか」
信長がやれやれ、やっとですかという顔をする。
「ああ、小春は俺が責任もって引き受ける」
信盛の意思は固かったのである。
「で、殿、このあとのことなんだけど、なんか良い策ないか?小春があいつらから解放されるようになる、なにか」
信盛は、小春を連れてきたのはいいが、その後のことは何も考えてはいなかった。信長は、うーんと唸りながら
「ひとつ、手があります」
「お、まじか。どんな手だ?」
信盛は信長のほうへ身を乗り出す。
「神に祈ります」
「はあ?何言ってんだよ。こんな時に冗談か?」
「まあ、わたしに任せておきなさい。のぶもりもり、疲れたでしょう。とりあえず、今夜はもう休みなさい」
でもよ、と言いかけ、信盛は膝から崩れ落ちる。いくら健脚といえども、妙齢の女性を担いで、5キロメートル以上をひた走ってきたのだ、疲れないわけがない。
「くそっ。殿すまねえ。最後は殿に頼っちまって」
「いいのです。早く休みなさい。明日は忙しくなりそうですからね」
信盛は宿に戻り、休息をとることにした。まずは明日だ。明日、殿がなにかしら解決案を明示してくれる。重度の疲れのなか、布団に潜り込むと、そのまま、朝まで眠り込んでしまうのだった。
明けて、9月20日 合婚は6日目を迎え、いよいよ明日は合同結婚式だ。会場の4分の3の男女が花柄のわっぺんを胸元に身に着け、春の到来を喜んでいた。そして残された者たちは、最後の希望にすがるかのように
「もう俺たちには、あとがない!ここは誇りを捨てて、条件をさげるんだ!」
「胸がでかくなくてもいい。きれいじゃなくてもいい。家事全般できるだけでいいんだ!」
「眼鏡をかけていなくてもいい。一人称が僕。それだけでいい!」
「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花。すいません、高望みしすぎました。僕とおしゃべりしてくれるだけで充分です!」
佐々成政は、残りものの男性陣を横目で見ながら
「ん…。もう手遅れかな」
「なっちゃん!望みは捨てちゃだめなんだよ、最後まで戦ったものが勝利者なんだからね!」
梅は、佐々に説教をはじめた。佐々は、梅の言葉に思い直し
「ん…。がんばれ。死ぬ気で」
と言い直したのだった。そこに、山内一豊と千代が現れて、佐々たちに挨拶をする
「やあ、佐々殿、梅殿、お久しぶり」
「みなさま、お久しぶりでーす。5日ぶりなのでーす」
「ん…。一豊殿と、千代殿、おひさ。どうしてたの?」
「なっちゃん、駄目だよ。野暮なこと聞いちゃ!逢瀬を重ねてたにきまってるでしょお!」
はははと、一豊は笑う。少し、頬がこけているが、元気なようだ。見ない間、よっぽど千代に振り回されていたのだろう。千代は一豊の元気を吸い取ったかのように、艶々している。
「ええ、5日間、たっぷりと、津島の町を堪能させていただきましたのでーす。一豊さんといっしょに」
「ん…。楽しんでるようでよかった」
佐々も、一豊と千代が仲良さげで、うれしい気分だ。それからしばらく後、滝川一益と香も合流して、机を囲んでわいわいとお茶や、漬物を味わい、時間をすごした。そこに珍客が現れたのだった。
「わーい、佐々くん、一豊くん、それに一益くんじゃないですか。にわちゃんは、みなさんに会えてうれしいのです」
「げげ、丹羽っち、どうしたすか。いきなり現れて」
一益は、丹羽の最初のインパクトが強くて、こいつを危険人物扱いしている。
「えへへ。にわちゃんは、信長さまに呼ばれて、参上したのです」
すごく嫌な予感がする。絶対、こいつ、なにかとんでもないことを考えついたにちがいない。
「あれれ?信長さまはどこなのですか?にわちゃんは困ったのです」
「ん…。信長さまなら、さっき、舞台のほうに向かって行った」
佐々が、舞台のほうを指さした。その舞台の壇上には、佐久間信盛と、もうひとり中年の男が縄に縛られ、正座をしている。ん…、なにがあったんだろう?
「あー、信長さまったら、もう、準備がおわったんですねえ。にわちゃんも驚きの早さなのです」
「丹羽っち、一体これからなにが始まるすか?」
それはと丹羽が言う
「それは、えんたーてぃめんとの花形、裁判からの即、刑執行のいべんとなのです」
えんたーてぃめんととは、なんだろう、南蛮語なのかなと、ハテナマークを頭に浮かべる一益であった
「えんたーてぃめんととは、人々を楽します娯楽という意味なのです。にわちゃんは、考えましたのです。信盛さまの人妻さらいの罪を裁く、えんたーてぃめんとを」
「織田家、こわいすね。裁判は、えんたーてぃめんとなんすか」
別に織田家に限ったことではない。戦後処理での磔や、京の河原で晒し首など、裁判や処刑は、古今東西のエンターティメントのひとつだったのである。統治者は自分の正しさを証明するために、公明正大な裁判を民衆へのショーの一環として行ってきているのだ。
「で、信長っちは、あそこで何をやるんすか?丹羽っち」
「えーとですね。我が国古来から伝わる火起請をします」
火起請とは、鉄の棒や斧を、あっつあつにこんがり焼き、裁判官がそれを手にして、熱さで落とせば有罪。落とさなければ無罪という裁判方法である。
「まった、えげつないのやるっすねえ」
一益は、裁判の内容に戦々恐々とした。でもですねと丹羽は言う
「にわちゃんは知っているのです。信長さまは昔、一度、火起請で裁判官役を買ってでたことがあるのです」
まじすかと思わず、一益は唸った。
壇上では、信長が火起請を執り行っている。裁判官の信長は訴状を読み上げる
「佐久間信盛、その方、中村の酒屋の嫁をかどわかしたのは誠ですか?」
「あちらの言い分通りなら、そうなんでしょう」
信盛は縛られながらも、悪態をつく
「だがよ。あのまま、小春を置いといたら、確実にこいつらに殺されてたさ。それでも、俺が悪ってなら、裁いてくれや」
「信長さま。騙されてはいけません。わたしたちは折檻なぞしておりません。どうせ、他人の嫁ほしさについた嘘なのでしょう」
酒屋の大旦那は、こちらも縛られながら、言いたい放題言う。
信長は、ふうと嘆息し
「では、これより火起請を行う。ワシが熱さで斧を落とせば、佐久間信盛の有罪。佐久間信盛に重い処罰を与える」
酒屋の大旦那はしめしめと思う
「ひるがえって、ワシが斧を落とさなければ、佐久間信盛は無罪とし、酒屋の大旦那が嘘をついているとして処罰を行う」
斧は、たき火の上に置かれた網の上で、真っ赤になるまであっつあつに焼いてある。あんなもの手に持てるものなどいるわけがない。これで佐久間の有罪が決まったようなものだ。大旦那はほくそ笑む。
「さあ、信長さま。はやく裁決を下してください」
大旦那は余裕しゃくしゃくだ。信盛は小さく舌打ちする。このまま、斧を持てば、殿は大やけど。そして俺は処罰を受ける。軽くて織田家および、尾張から追い出されるであろう。火起請による裁可では、追放など、命を取られないだけ、まだましだ。
たき火からパチッパチッと音がする。
斧は持つ者すべてを焼くがごとく、業々と真っ赤に変色している。
火起請とは、神に自分が正しいということを証明する儀式である。
神に守られているものは、熱く焼けた斧だろうが、熱さを感じずに持つことができると言われている。
信長は神を信じている。
熱田神宮に座する神が、信長を守り、今川義元を討ち取らせたのだと。
そして、再び、神は、正しい信長を守ってくれると信じている。
「いざ、参る」
信長は、熱く焼けた斧の取っ手をがしっと掴み、その斧を天高く掲げ上げた。
「熱くないぞ!神は信長を支持した。よって、佐久間信盛は無罪!」
おおおおと会場中が沸き立つ。
「嘘だ、そんなの嘘だ!」
大旦那は泣き喚き散らす。
「酒屋の大旦那は嘘をついてるとし、有罪。火起請にのっとり、死罪とする!」
信長は、その泣き喚き散らす頭に向かって熱く焼けた斧を振り降ろした。