ー千客万来の章10- 冬来たりなば春遠からじ
「やれやれ、きみたちときたら、まったく騒がしいですね」
信長が吉乃を随伴して、信盛たちの席にやってきたのだった。
「おお、殿に吉乃ちゃん。元気してた?」
「はい、おかげさまで」
吉乃は、にこにこ笑っている。本当に幸せそうだ。殿、吉乃ちゃんを泣かしたら、お兄さん、許さないからな!
「なんか、3日くらいしか経ってないのにえらく久しぶりに感じるぜ」
「そうですねえ。連日連夜のお祭りさわぎですし」
今も会場の舞台では、猿が司会で出し物が執り行われている。ひとりの男を取り合いになった女たちが槍を手に勝負をつけようとしているところだ。2本先取で交際権の獲得のようだ。祭りは盛り上がっていく
信盛は3本目の徳利を空けながら言う。
「いやあ、殿と吉乃ちゃんが結ばれてよかったよ。これぞ、赤い運命の糸ってやつなのか?」
「ん…。8年越しの恋が実ってよかった」
「なっちゃん!私たちだって、長さなら負けないよ!」
佐々成政と梅が応じる。この2人は幼馴染から合婚を通じてカップルになったのだ。想いの長さは10年を超えるだろう。若いっていいなー。俺もこんな青春送りたかったわあ。
信盛は4本目の徳利に手を伸ばす。一益が飲みすぎすよというが、これで飲むなと言われても困る。この幸せものどもが!あー、このまま行ったら、賭けは殿の勝ちだ。困った、困った。
それはさておき
「これで一豊と千代ちゃんと、小春のやつがいたら、初日のメンバー勢ぞろいだな」
はははと、信盛は笑う。だが、吉乃は少し暗い顔になり
「あ、あの。小春さんのことなんですけど、じつは」
ん?と信盛は不思議そうな顔をする。あいつになにかあったのか?と
「今朝、宿で小春さんが、ここには私の居場所がないから村に帰るって言ってて」
おいおいと、信盛は、吉乃に詰め寄る
「え、あいつ、村に帰ったの?まだ合婚も終わってないのにさ」
「す、すいません。わたしにもどういうことかわからなくて。その後、気付いたら、もういなくて」
「どういうことだよ!あいつ、ここで男みつけて一発逆転するって言ってたのによ、なあ、吉乃ちゃんよ!」
信長は、信盛を静止し、こう告げる
「やめなさい、のぶもりもり。吉乃が悪いわけではありませんよ」
「す、すまねえ。つい、熱くなっちまった。吉乃ちゃん、ごめんな」
「い、いえ。いいのです。それより小春さんのことです」
そうだ、小春だ、小春のことだ。あいつ、なにしてやがる。
「吉乃ちゃん。小春がどこの村からきたか、わかるかい?」
「え、えっと確か、中村出身だと言ってたはずです。たぶん、その中村に帰ったんだと思います」
中村といえば、那古野の町のすぐ隣だ。津島からなら女性の足でも半日もせずにたどり着く。
まだ、合婚の日にちは残っている。それに、婚姻活動を続ける気があるなら、清州に移住することだって可能だ。それなのに小春は飛び出した村に戻ることを決めた。あいつめ、一体、何考えてやがる。信盛は、つい舌打ちをする。
「すまねえ。俺、ちょっと行ってくるわ」
と、飛び出そうとした信盛であったが、飲みすぎたせいか、千鳥足だ。まともに歩けない。
「ちっ、くそ!こんなときに!動け、足!」
信盛は、両足の腿を手のひらで叩き、喝を入れる。のぶもりもり!と信長は、信盛に問いかける
「あなた、どこに行くつもりですか」
「決まってんだろ、小春のとこだよ」
「行って、どうするつもりなんですか、のぶもりもり」
「そんなの、小春をここに連れて帰るんだよ!」
「そういうことでは、ありません。あなたは小春さんをどうするつもりなんですか」
ぐっともうっともつかない声を出し、信盛は言い返せない。
「行くのはいいでしょう。それで小春さんをここに連れてくるとします。そのあと、あなたはどうするつもりなんですか」
信盛は絞り出すように言う
「あいつは、嫁ぎ先でひどい目にあって、それで、ここに逃げてきたって言ってたんだ」
なにかにせがむように言う
「ここなら、あいつを絶望から救ってくれるやつがいるはずなんだ」
なにかに救ってほしいかのように言う
「ここからさらに逃げたら、あいつ、逃げ場所がなくなっちまう。このままじゃ、あいつ、どうなっちまうかわからねえ!」
殿!と信盛は言う
「俺は、小春をほっておけねえ!なにができるかなんて、わからねえ。でも、今、行かなきゃならねえ気がするんだ!」
ふうと信長は嘆息し
「中村と言えば、猿の出身地です。彼なら道に明るいでしょう」
「そうか、ありがとうよ、殿!おーい、秀吉、ひーでーよしー!!」
「ふあい。な、なんでしょうか?信盛さま。突然、わ、わたしを呼び出したりして」
「秀吉。お前、中村の出身なんだろ?小春ってやつ知ってるか?」
「え、えと、わたしでは、わ、わかりかねますが、うちの母親なら、た、たぶん何かわかると、お、思います」
信盛の勢いに圧倒される、なにかあったんだろう。それはわかる。
「頼む、秀吉。俺を中村まで案内してくれ!」
「そ、そう言われましても。わたし、いま仕事で席をはずせません。か、かわりに私の弟のひ、秀長をつかわせます」
秀吉は、部下のものを呼び、弟の木下秀長を呼んでくるように指示をだす。信盛は貧乏ゆすりをし、その弟がくるの待った。
しばらくすると、秀吉より二回りもおおきい、ひょろっとした男がやってくる。
「兄者、どうしたんだい?急に呼び出したりして。せっかく、女の子たちと飲んでいたっていうのに」
秀長は、秀吉に対して、不満の口を並べた。そして何かに気付いたかのように
「ははあ、さては、ねね様に内緒で、女の子にお近づきになりたかったのかい?でも、新婚ほやほやでそれはいただけないなあ」
などと、秀吉に言っている。信盛はたまりかねて
「おい、秀長殿。お楽しみの最中、ほんとうにすまねえ。でも助けてほしいんだ」
んん、と秀長は不思議そうな顔をする。良く周りをみれば、織田家のそうそうたる武将たちがこの席には集まっている
「ははっ、すいません!なんの御用でしょうか」
秀長は、片膝を地面につき、頭を下げた。酔いが急にさめていく感覚をおぼえた。
「秀長殿、頭をあげてくれ。頼み事をしたいのは、こちらのほうだ」
信盛は秀長に姿勢を戻すよう、促す。秀長が立ち上がる姿を見、信盛が言う
「中村に住んでいる、小春という女性に会いたい。案内を頼めるか?」
「小春、小春。ああ、あのひとか」
「おお、知ってんのか?それなら話は早い」
「でも会いたいといっても、小春さん。たしか、今年の春、嫁いだばかりで人妻ですよ?」
秀長は訝しそうな目で信盛を見る。
「そこをなんとか頼む。理由があるんだ」
んーと秀長はひとしきり考え込む
「わかりました。案内します。でも、案内までですよ。そこから先の責任は信盛さま、ご自身で負ってくださいね」
それとと、秀長は続ける
「酒が抜けるまで待ちましょう。もし何事が起きたときに酒が入っている状態では危ない」
信盛は焦る気持ちをそのままに
「でもよ。いやな予感がするんだ。急がないと手遅れになりそうな気がしてならねえ」
「急がばまわれですよ。のぶもりもり。急いてはことを仕損じる。まずは酔いがさめるまで待ちなさい」
「と、殿。ええい、わかった。茶だ、熱いお茶。だれか頼む!」
秀吉は、信盛の要望を受け、中央の机にいき、ヤカンと湯呑をもってきた。なみなみと湯呑に熱いお茶を注ぐと、信盛はずずいとそれを飲み干し、うなる
「待ってろよ、小春!いま、俺がいくからな!」
1時間後、酔いがさめると、信盛は秀長の案内のもと、津島を出て中村へ出立した。
秋が深まりつつある中、夕暮れの風が吹く。
運命の歯車がひとつカチリとはまる音が聞こえた気がした、信盛であった。