ー千客万来の章 6- 庭には丹羽(にわ)
滝川一益は、清州城の庭にやってきた。
そこには、小池があり、岩があり、灯篭があり、それらがちょうどよく配置されている。この向こうに見える小さな屋敷のようなものは、茶室であろうか。小さな戸がついてある。
その小さな戸が開き、そこから伸長160センチメートルくらいの、一益より一回り小さな少しなよっとした男がでてきた。その男は、こちらに気付き、小さく頭をさげ、礼をする。一益は男に向かい
「おっす。茶の湯ってやつ?それ」
一益は、男が手にもっている茶碗をしげしげ見ながらそう言った。男は
「はい。にわちゃんは、茶の湯の勉強をしてましたのです」
にわちゃん…。一益は、ちょっと面くらい
「えっと、にわちゃんってのは、あんたの名前?」
「はい、そうなのです。丹羽長秀なので、にわちゃんです」
そうかそうかと、一益はうなずき
「んで丹羽っちは、お茶には詳しい?」
「いえ、にわちゃんは、まだまだなので、練習中なのです」
ふわふわとして掴みどころがないなあと一益は思う。一益はひるまず、果敢に話しかける
「丹羽っちは、信長さまの小姓かなにか?」
「ちがいますのです。にわちゃんは、信長さま付きのでぃれくたーなのです」
でぃれくたーとはなんだろう。南蛮語であることはなんとなくわかる。
「でぃれくたーとは、平たく言えば、演出家のことなのです。そう、にわちゃんは、信長さま付きの演出家なのです」
ふむと2度うなずき、一益は言う
「そのでぃれくたーの丹羽っちが、なんで、信長さまといっしょにいないの?」
「そうです。問題はそこです。にわちゃんは、信長さまと合婚の出し物を考えていたのです」
丹羽は続ける
「そうしたら、これ以上、現場をひっかきまわすなのじゃと、村井貞勝さまに、にわちゃん、おこられたのです」
「それはひどいな。村井ってやつは」
「そうなのです。にわちゃんは合婚を盛り上げようとたくさん企画を考えていたのです」
「ほう、それは、おもしろうそうな話っすね。例えばどんなの?」
「えっとですね、罪人を樽にいれるのですね。そして、参加者が、順番に外から刀や槍を突き刺して、罪人が飛び出したら、そのひとの負けなのです」
「あ、あの。丹羽っち?晴れの舞台にその出し物はちょっとないんじゃないかな?」
「えー、にわちゃん、せっかく考えたのにです。あとはですねえ」
さすがに今のは、この男の話の掴み方なのであろうと思い、次の言葉をまった
「砂地にですね。罪人を埋めて、首からうえだけ出してですね。手ぬぐいで目を隠した男女二人組が、ふたりで金砕棒をもってですね」
「うおおおおい、ちょっとまてやああああ!」
もしかして、この男。織田家の危険人物なのか?と若干、冷や汗が出てくる一益であった。
「ん?おお、ここに居たか。あれ、丹羽。お前、合婚に行くはずだろ。準備は?」
佐久間信盛が準備を終え、一益を迎えにやってきたのである。
「え!こいつも来るの?」
さすがに一益はあせった。
「ん?それがどうした?丹羽も独身だからな。織田家の武将で独身者は、全員、出る予定だぞ」
一益は小声で、信盛に言う
「なんか罪人を槍や刀で刺す企画とかいってるんですけど」
「ん?なんか問題あるのか?おーい、丹羽。なんか変なこと言ったのか?」
「いいえ。にわちゃんはいつもどおりなのです」
そうかと信盛は頷き
「ああ、そういえば、こいつ。滝川一益。滝川益重殿の親族だ。もしかしたら、近いうち、織田家に仕官するかもしれん」
わあいと丹羽は喜び
「にわちゃん、一益くんがくるの、歓迎なのです。いっしょに村井貞勝をやっつけるのです」
いつのまにか、なんか変な約束させられてる。やっぱ危険人物だ、こいつと一益は思う。はははと信盛は笑い
「さて、津島に行こうか、一益殿。おーい、丹羽。遅れるんじゃねえぞ、殿に怒られるぜ」
「はーい、にわちゃんも、準備して向かうのです」
道中、一益は、信盛に問いかける。
「丹羽っち、やばくないっすか?」
「ん?織田家じゃ、普通だぞ、まだ。勝家殿とか人間やめてるからな、しゃべって歩く筋肉」
一益は驚きを隠せない。あれでまだ普通なのか、やはり織田家は噂通り、いやそれ以上だ。
「俺っち、織田家でやっていけるかなあ」
「ああ、大丈夫だろ。一癖もふた癖もあるやつらだが、根は良い。たぶん」
たぶんかよおと思いつつ、一益は、さらに尋ねる
「信盛っちは、見た目、普通だけど、なんか裏がある?」
「ああ?俺?ぼん、きゅっ、ぷりっが好きなだけの普通の34歳」
「ぼん、きゅっ、ぷりっ?」
「胸がぼん。腰がきゅっ。お尻がぷりっ」
なんか、頭、痛くなってきたなあと、一益は額に手を当て、宙を仰ぐ
「でも、だれもかれも、一芸に秀でるやつらだ。うちは他家とは違って、出世ができる。事実、俺も足軽組頭から、いまじゃ立派な鳴海城の城代だ」
織田家は出世ができる。他大名では、ほぼありえない待遇の良さだ。他大名では、家柄や親の身分できまる。家老の息子は家老に。足軽の息子は足軽だ。これが覆ることは、ほぼない。よっぽど運がよくて足軽組頭か、300人部隊の足軽隊長までだ。
一益が北伊勢の関氏から追い出されたのも、待遇改善を訴えたことによる。
「えっ、信盛っち、城代なの?世の中どうなってるの?」
失礼なやつだなあと思いつつも、信盛は答える
「そう、し、ろ、だ、い。年収1000貫(=1億円)。まあでも、直属の部下の給与で半分飛ぶけどな」
「ほえええ。織田家は、すごいだああああ」
年収がすごいだけではない。織田家の家臣は直属の部下を養っていいのだ。他大名では、その領地の兵士は全員、その大名直下の兵士である。しかし、織田家は、家臣に家臣を養わせている。いわば、武将ごとに独立した軍隊を持たせているのである。
しかし、武将が独立した軍隊を持っているということは、謀反が起きれば、そのままその軍隊が敵に回るのである。危険きまわりない。だが、信長は家臣を信頼している。いや、信頼しすぎていると言って過言ではない。
「信長さまって、馬鹿なのか天才なのか、わけがわからないっすね…」
「ああ、馬鹿なんだろ、たぶん。じゃなきゃ、家臣が直接、軍隊をもっていいわけがない。俺なら持たせないね」
でもと、信盛は続く
「そこが殿の良いとこなんだろうな。部下を信頼してくれてる。それだけで、殿のもとで働く意欲が湧く」
ふーん、そんなもんかねえと一益は思う。こんな戦国乱世の真っ只中だ。いつ主君に裏切られるかわからない。事実、一益は、関氏が期待に応えてくれず、疎まれ、出奔の憂き目にあったばかりだ。
「織田家は、おれっちの居場所になってくれるかなあ」
「その前に、20キログラムの米俵かついで5キロマラソンのほうの心配してたほうがいいとおもうぞ?」
「それもそうか」
はははとひとしきり、一益は笑い、次いで、ちょっとにやにやしながら
「信盛っちは、信長さまに惚れとるっちね?」
信盛は、馬鹿言えと
「まあ、確かに惚れてるかどうかと言えば、惚れてるんだろうな」
信盛は宙を見上げ、少し溜めて次の言葉を言う
「戦国の世を終わらせたいからと、全国、すべての大名と戦争する気だぜ。殿は」
天下統一。すなわち、すべての大名を屈服させなければならない。
「民に笑顔になってほしいからって、その手を血で染めるんだ」
この世は民にとって生き地獄である。民を救うために、その手で血を掬うのだ。
「もしかしたら、誰も感謝しないかもしれねえ。そりゃ、いつ終わるかわからねえからな、この戦は」
応仁の乱より始まった、戦国乱世はすでに100年を経過しようとしていた。
「殿が、平和を求めれば求めるほど、戦は苛烈さを極めていく。間違いなくな」
事実、尾張を統一しただけで、今川義元は、信長を危険視し、攻め込んできた。
「それでも、殿は、止まることはない。もう決めちまったからな、あの馬鹿は」
そう、幼い日、目の前で救えなかった少女の亡骸を抱きながら、信長は誓ったのだ。
「あいつは馬鹿だ。ほんと馬鹿だ。だから、お利口さんの俺が支えてやんなきゃなんねえ」
秋に入り、風は、涼を運んできている。殿の戦いは、まだ始まったばかりだ。この一時の平穏を楽しむため、信盛と一益は祭りの会場へと足を運ぶのであった。