ー戦端の章 1- 民の喜び
その日の午後4時。将軍・足利義昭の就任を祝う宴はつつがなく開始された。
足利義昭を伴った行列は、京の都を横断し、道行く中で庶民たちが拍手喝采を上げる。
「ほっほっほ。京の皆々よ。まろを称えるのじゃ。称賛するのじゃ」
御輿に乗った義昭はご満悦である。義昭はときおり、御輿の上から金と餅をばらまく。庶民たちは声をあげ、その金と餅を拾う。
「しょうぐんさまー。さすが、ふとっぱらーー!」
「よしあきさまー。こっちをみてーー!」
沿道の民たちは、次々と義昭に声を上げる。ほまれやかな顔の義昭は、よいぞよいぞとばかりに金をばらまく。
「ほっほっほ。ほれ、拾え、拾うのでおじゃる。まろからの恵みであるぞ」
民たちは、御輿に殺到する。その勢いに御輿は大いに揺れる。
「おまえたち、将軍さまの御輿を揺らすとはなにごとだ!離れよ!」
和田惟政が怒声を上げ、御輿から民たちを遠ざけようとする。
「ほっほっほ。惟政、良いではないか。これも、まろの威厳のためなのでおじゃる。ほれ、ものども、もっとちこうよれでおじゃる」
和田惟政の心配もよそに、義昭は民たちの手に触れていく。一目、将軍のご尊顔を拝しようと、民たちはますます御輿に殺到する。
「やれやれ、これでは警護をしている意味がござらぬな」
細川藤孝が、御輿からやや離れた位置から、その盛況ぶりを見る。
「ほそかわさまー。こっちをむいてくださーい!」
「ほそかわさまー。京へおかえりなさーい」
細川藤孝は足利義輝の時代より、京に滞在していた。一度、義昭を連れて京から離れざるおえなかったが、民たちの中には細川藤孝の姿を忘れぬものも居たのであった。
細川は、声をかけてくるものたちに手を振る。民たちは、手を振り返してくる。存外、覚えてくれているものがいるものだと感慨深くなる。
京の民たちは、手放しに新しい支配者を受け入れている。この将軍さまこそ、この乱世を鎮め、ひのもとの国に平和をもたらしてくれると信じているようだ。
そんな民の喜ぶ姿を見ていると、細川は申し訳ない気持ちでいっぱいになってくる。この男を褒めたたえたところで、平和なぞやってこないと幾度となく叫びたくなる。真にこのひのもとの国に平和をもたらすのは、信長殿だ。
「なんともうまくいかぬ世の中でござるな」
将軍・足利義昭を連れた行軍は続く。いつまで続くかわからぬ、この将軍を称える民の声は、やむことをしらないのであった。
行軍を終えた義昭一行は宴の場へと足を運ぶ。その会場には、色とりどりの屋台がならんでいた。天麩羅はもちろん、釜飯屋、酒、肉、野菜、そして、堺より取り寄せし、南蛮渡来のめずらしい食べ物もあった。
義昭は、その屋台をまじまじと見ながら、屋台に並ぶ、食べ物に手をつけようとする。
「将軍さま。食べるのは挨拶が終わったあとにしてくだされ」
和田惟政が義昭に注意する。
「なんじゃと。ううむ、まだ喰えぬでおじゃるか。まろはお腹がぺこぺこでおじゃる」
よだれをたらしそうな顔つきの義昭であったが、理性が勝ったのか、おとなしく檜舞台へと進んでいく。
檜舞台の下には、織田家の諸将達が並んで、義昭が来るのを待っていた。
「上様、お疲れ様です。京の町を練り歩き、民たちの反応はいかがでしたか?」
信長がそう、義昭に尋ねる。
「上々でおじゃる。民たちは、まろを祝福しておったでおじゃる。まろは京の民たちの期待を裏切らぬよう、将軍の務めを果たさなければならぬと感じたのでおじゃる」
「それはよい心がけですね。上様ならきっと、歴代の将軍たちに負けず劣らずのおひとになれると思います」
「ほっほっほ。そなたが側についておれば、歴代1位の将軍であったと後世で語られるようになるでおじゃろう」
信長は黙って、義昭を壇上へといざなう。彼は、もったいぶったように壇上へ上がり、皆のほうへ振り向く。
檜舞台は、1メートルのほどの高さで組み上げられており、宴に集まる面々の顔が見える。右やや前方には和田惟政、細川藤孝、そして、自分たちの家臣が並んでいる。
向かって左前方には、織田家の諸将ならびに、宴に参加する兵士たちがいる。
「さあ、上様。ご挨拶と宴の開会宣言をお願いします」
義昭は、んんっと喉を鳴らす。
「ああ、お集まりの諸君。まろがこのたび、第15代、足利家の将軍になった、足利義昭でおじゃる。皆も知っておる通り、まろが将軍に就くまでは、長い長い苦労があったのでおじゃる。はじめは」
義昭の話は、寺に入れられたところから始まり、京から脱出したこと、北陸をさまよったことなどなど、誰も聞きたいとは思っていない子細のことまで話だす。
和田惟政、茶坊主の一派は感涙を流しながら、義昭の話に耳をかたむける。対して、織田家の諸将はうんざりとした顔つきだ。さっさと酒にありつかせろ。それが、織田家の共通認識だった。
「であるからして、あのとき、まろは刀を抜き、迫る敵をばったばったと」
「あの、上様。料理が冷めてしまいます。ここらでしめていただきませんかね」
「なんじゃと。これからが良い話だというのに。そちは、せっかちでおじゃるな」
「せっかくの料理が冷めてしまっては、上様も困るでしょう。話は宴席の場で聞きますゆえ、ここはこらえてください」
義昭は、ううむと唸る。まだまだ全然、語り足りぬ様子である。
「上様」
「わかったのでおじゃる。では、皆のもの。杯を掲げるのでおじゃる」
不承ぶしょう、義昭は信長の言を聞き、乾杯の音頭をとる。
「皆の者、ご苦労であった。まろを称える宴じゃ。皆、よく飲み、よく食べるがよいでおじゃる。かんぱあああいい!」
かんぱあああいいい!と、宴に集まるものたちが声を上げる。義昭の長話から解放された喜びも多少は混じっている歓声だ。
「話、ながかったッスねえ。信長さまが止めなかったら、朝まで続いてたんじゃないッスか?」
「ん…。せっかくのご飯が冷める。空気を読まない主君はダメすぎる」
前田利家と佐々成政が互いにさきほどの義昭の演説について愚痴を言う。
「大体、武勇伝なんて、自分で言うものは信用できないッスよ。越前に住んでる虎を退治したって、あの人、馬鹿ッスか」
「ん…。この国に虎が住んでいるなんて聞いたことはない。甲斐の虎ならいるけど」
「あの勢いなら、越後の龍を倒したとか、大ぼら吹くのも時間の問題だったッスね」
「ガハハッ。何を愚痴っておるか。つまらない話をしていると、せっかくのメシがまずくなってしまうぞ」
警護の仕事をすました、柴田勝家が、前田利家たちと合流する。彼の手には、酒と、大根の菜とシラスの炊き込みご飯に、利家が考案した、白菜の唐辛子和えがあった。
「お、白菜のやつ。数が間に合ったんッスね。いやあ、急な宴の開催宣言だったから、この日までに漬け込みが間に合うか微妙だったんッスよね」
「ガハハッ。新作の漬物と聞いて、手に取ってみたはいいが、利家の考えたやつであったか。なら、味は保証されたようなものでござるな」
「めっちゃうまいッスよ。できるなら、白いご飯で試してほしかったッスけど、酒にも合うんで、たくさん食べほしいッス」
「そういえば、胡瓜の唐辛子和えもあったでござるな。あれも試してみるでもうすよ」
「ん…。胡瓜の唐辛子和えは少し、ごま油と鰹節をかけるのをお勧めする」
利家、佐々、勝家は、屋台の前に談笑する。そこに佐久間信盛が現れる。
「よお、お前ら。やっとメシにありつけるなあ。あの馬鹿は、一体、どんだけしゃべれば気がすむんだよ」
「その話は、さっき終わったッス。メシがまずくなるから、やめてほしいッス」
「それにしても、信盛。きさま、その様子は、なんなので申す」
「ああ、ちょっと、どうしたものかと困ってるところだ」
信盛の両脇には、ろしあ女のエレナと、古女房の小春がしがみついている。右脇のろしあ女のエレナは
「信盛サマ。寿司を食べまショウ。お寿司を私は食べたいのデス」
そして、左脇の古女房の小春は
「信盛、あんた、ドジョウ飯を食べなさいよ。スタミナ食よ。精をたっぷりつけなさい」
「信盛サマは、お寿司が好きなのデス。小春サンも、お寿司を食べてくだサイ」
「エレナ。あんたは身体が細いのよ。そんなんで、うちの旦那の子供が産めるって言うの?あんたも黙って、ドジョウ飯で精をつけなさい」
信盛が助けてくれという顔を利家たちに向ける。だが、3人は
「まあ、可愛い妾も出来たことですし、信盛さまは精をつけたほうがいいんじゃないッスか。今夜のことも考えて」
「ん…。信盛さま。お寿司も残さず食べてあげてください」
「ガハハッ。今夜は3人でお楽しみでもうすか。正直、うらやましいでもうすよ」
「ちょっと、信盛サマ。よそ見をしないでクダサイ。お寿司の屋台にいきますヨ」
「だから、あんたたち。精をつけなさいと言っているでしょ。そんなんで今夜が持つと思っているのかい?」
「ワタシは、若いから大丈夫なのデス。信盛さまが何回、求めてこようが、応えることができるのデス」
「え、俺、しぼりとられちゃうの?」
「信盛。エレナだけ構ってたらいけないんだからね。私も久しぶりなんだから、きっちり相手してもらうからね」
「ああ、暑いッス。ここはとっても暑いッス。もげてしまえばいいッス」
「ん…。信盛さまは、もげてしまえばいいと思う」
「ガハハッ。40過ぎて、嫁が2人とは大変でもうすな。もげてしまえばいいでもうす」