-桶狭間の章 1- ひのもといちの馬鹿
初夏の匂いを含んだ空模様は、朝方から降り続けた大雨は、小雨へとうつり変わり、今やすっかり雨はあがっていた。
我が方の軍団は早朝から約20キロメートルを走りに走り、道中の砦で兵を吸収したものの、その数、いまだ2千余り。敵は総勢約3万で我が領土を進軍中。前日から放った、物見の報告では敵本隊が前方1キロメートル先の丘に布陣しているとのこと。
敵本隊の数は5千弱。こちらは2千。敵は初戦で快勝し、大きく油断している。今、奇襲をしかければ2倍差といえどもなんとかなる、なるはずだ。勝機が見えてきた。行け!足よ、前にでるのです!
ひとりの若武者が軍団の先頭に立ち、右手を天高く掲げ、皆に号令をかける。
「前方に見えるは敵の本陣!皆の者、乾坤一擲、今川義元の首を獲れ!」
旧暦1560年5月19日午後2時。歴史の神様がひとりの大馬鹿者に肩入れした瞬間である。その大馬鹿者こそ、かの有名な織田信長である。
時は遡り、2日前の5月17日。尾張の国(現愛知県西部)、織田信長が本拠とする清洲城より南東約25キロメートルに位置する、沓掛城主が上洛途中にある、軍勢・今川義元の謀略により、今川方に寝返った。その後、今川の軍勢は悠遊と尾張へと侵攻を開始したのである。
「あー、これはもうむり無理かたつむり。俺も寝返っちゃおうかなぁ」
清洲城より南南東20キロメートルに位置する善照寺砦を守る佐久間信盛は沓掛城落城の報せを聞き、うなだれていた。物見の報告では、ざっと見ても敵勢3万以上。対して善照寺砦の守護は450名。
「むーり。ほんと、むーり。あっ!でも、ここから南には丸根砦あるし、もしかしたら、そっちに行ってくれる?むしろ行ってくれ!てかそもそも?さっさと白旗あげて降参しとけばよかったんだとおもいまーす!」
信盛の愚痴は止まらない。
「あーあ、先代の信秀さまのときは良かったなぁ。可愛がられて家臣に取り立ててもらった矢先の代替わりときたもんだし。いくら、のき佐久間って言われても、こんな小砦を枕に討ち死にはいやだなぁ!」
のきとは「退き」と書き、合戦場から撤退する際に殿という重要な役目を任せられるほどの名武将に「のき」「逃げ」などと付けられる。それほど、佐久間信盛は戦上手であり、それでこその善照寺砦の防衛任務にあたっているのである。
「でも、信秀さまの墓前で殿をお守りするって約束しちゃったし。んー、無理かもしれんが、もうちょっと頑張ってみるかな、お兄さん」
信盛34歳。彼の受難は、まだ始まったばかりである。
一方、このとき、清洲城の殿といえば…
「さて、交渉の余地なく、今川さんから攻め入られたわけですが。だれか、これどうにかならないですか?はい、そこ、勝家くん。答えて頂戴!」
呼ばれた柴田勝家は湯呑に入った、ぷろてぃんを口に流し込み、上半身をはだけ、両手で槍5本をたばねて、それを頭上で回していた。その大男は大きな声で
「はっ!!こちらは総勢約4千!!敵は3万なので、一人当たり8人斬り殺せば勝てもうす!!!」
「はい、脳みそ筋肉に聞いた先生が馬鹿でした、すいません。あと、こんな狭いとこで槍を回すんじゃありません!」
勝家は引かず
「ではっ!我輩ひとりで3千人、引きつけるので、残りを一人当たり7人斬り殺せば勝てもうす!!!」
「微妙に計算は合ってるのが腹ただしいですね。というより、ひとりで3千人って無理でしょう!」
「那古野城を貸していただければ、一週間は耐えてみせもうす!!」
「きみ、本当にやりそうで怖いよ!」
人選を失敗したことを悔やみつつ、信長が次に指したのは
「次。村井の貞勝くん」
次に呼ばれたのは、村井貞勝。この40代にさしかかろうとしている七三分けの似合いそうな役人風の男は
「うっほん。では、籠城策をとり、農繁期となる8月下旬まで粘って、やりすごすという手でどうですじゃ」
「はい、出た、模範的回答。籠城って言いそうな顔してますもんね」
村井は汗を手ぬぐいで拭きつつ、ええ、はいと答え
「援軍の見込みのない織田家じゃひと月ももちません。残念。なんだか、貞勝くんは、将来やらかしそうな匂い、ぷんぷんしますね」
「で、ですがじゃ。織田家の戦力では到底、野戦などできますまいじゃ」
「そこをなんとかしないといけないから、会議開いてるんでしょうが!」
ぐぬぬとまだ何か言いたげな貞勝をしり目に、信長は
「じゃ、次は河尻くん。答えて頂戴!」
30代半ばにして、信長親衛隊・黒母衣衆筆頭を務める泣く子も黙る真面目系なお兄さん、河尻秀隆が
「精鋭部隊を引き連れ、山や森に隠れひそみ、そこから強襲を繰り返す。南蛮風に言えば、げりらというそうだ」
「なんか先生、この戦を生き延びたあとに、将来、他家から、それを喰らいそうな悪寒がしますねぇ」
「だめか?」
「というより、げりらはいいんですが、そうなると、織田家は、対外的に滅亡扱いじゃないですか?」
「あっ!駄目じゃないか!」
「そう、駄目なんですよお!」
ふぅと嘆息しながら信長は、廊下を見ると、そこには見知った20代入りたての美丈夫な若者がいた。なぜか、彼は障子を両手でかかえ、こちらから隠れてるつもりなのだろうか、障子の後ろから、ちらちらと覗っているのである。
「はーい、そこ。自宅謹慎中なのに、こっそり今回の合戦で活躍するつもりの前田。前田利家。犬千代、はい答えて!」
彼は、障子を横に投げ出し、元気に挙手をし、ハキハキと
「んー?こう、ババッ!ガッ!バシッと奇襲なんかどうでッス?」
「うーん、奇襲。奇襲ね。やっぱりそれしかないですかねえ」
勝家が話に入り込み
「ガハハ!我輩が3千人引き受けますゆえ、ご心配ないかと!」
「脳みそ筋肉はおいといてですね。よっし、その案、採用です!そんな利家くんには、すたんぷ1個進呈。50個貯まると茶器と交換できます」
利家は集印帳を信長に差し出し、永楽通宝をかたどった印鑑を押してもらった。これで計4個目だ。利家は嬉しそうに集印帳をふところにしまい、廊下にでて障子を両手に抱える姿勢にもどった。
信長は湯呑に入った茶を飲み、のどの調子を整え、続けて
「では、奇襲策を取るとしまして、具体的な経路を決めていきましょうか」
たたみ二畳に広げられた尾張の清洲城から、南東、三河の岡崎城までの地図を信長は指し棒を使い
「物見の報告では、すでに岡崎城より西の沓掛城が敵の手に落ちました」
沓掛城の上を指し棒でばつ印を描き、そこから西へ指し棒を移動させ
「丸根砦、善照寺砦のどちらかが次の目標となりそうなわけで、河尻くん、どっちだと思います?」
河尻は閉じた扇子を指し棒代わりに丸根砦の位置を軽く二度叩き
「沓掛城が落ちた今、敵方の城、鳴海城を包囲する位置にある丸根砦とそこと隣あう鷲津砦を落としてくるものかと存じます」
続き、河尻は、清洲城の頭上に扇子を移動させ、そこから熱田神宮を経由し、善照寺砦をなぞりながら
「しかしながら丸根砦救援には向かわず、熱田神宮から東へ迂回し、善照寺砦を経由し、敵後方の今川本隊を攻めるのが上策かと存じます」
「で、あるか。河尻くんにすたんぷ1個進呈です」
河尻はさも当然といった体で集印帳をふところから取り出し、信長はそこに永楽通宝印を1個押した。河尻はこれまでの手堅い進言ですでに計12個のすたんぷを集めている。
しかし、ここで織田軍には大きな問題がある。信長は右手を広げ、親指を内側に折り畳みながら
「こちらは昨年、尾張統一を成し遂げたばかりで全軍合わせて4千です」
今度は、左手のひとさし指と中指を立て
「それを丸根砦方面の防衛に2千、那古野城に勝家くんで3千人分。善照寺砦方面の防衛に1千。清州から出せるのが1千」
信長は頭を起こし、まわりを一度、ぐるっと見回して
「奇襲に使えるのが1千から2千です。敵本隊が多くて5千だとしても、え?これ、無理試合臭がするんですが」
ぷろてぃん3杯目に突入した勝家が
「ひとりあたり4人斬り殺せば勝てもうす!!!」
信長は半ば、あきらめ顔で
「あー、最後は脳みそ筋肉試合敢行ですか、そうですか」
廊下にいる利家が
「信長さま!一番槍は俺に任せてくださいッス!ガッガガガガッと道を開いてみせまッス!」
「いや、だから、利家くん。きみ、一応、自宅謹慎中なんで。一番目立つとこでやられても。て、そもそもなんで登城してるわけで?」
「信長さまのお役に立ちたくて、ズサッと参上しましたッス!」
「は、はぁ。まあとにかく付いてくるのは勝手ですが…」
「はいッス!」
「織田家の一大事とはいえ、こんな戦いで死なないように。きみにはまだまだ活躍してもらいますからね?」
「当然ッス!まだまだ死ぬ気はないッス!」
利家はニカッと笑い、再び障子を両手に抱え、見えない風の姿勢を作り出した。河尻はひとつ咳ばらいをし
「殿。利家は佐々隊にいれておきます。どうぞ、ご安心を」
河尻は続けて
「問題は今川義元めが、本陣を構える位置ですな」
信長は、ふむと言い
「物見の報告では今川先発隊が桶狭間山にて陣を構築中らしいです」
「それはまた厄介な位置でありますな。さすが海道一の弓取り」
桶狭間山は、標高は低くく山というよりは丘であり、辺りを見回せる位置にある。
「そうですね、いい場所を陣取りますね。さて、どうにかして油断を誘えないものでしょうか…」
「あ、あの!お、お酒。丸根砦が落ちれば、今川は、戦勝気分で、う、浮かれる、はず。そ、そこでお酒を振る舞うの、です。の、農民に化けて」
下座からたどたどしく進言するのは、成年にしては背が小さく、顔はひとというよりは猿と言ったほうが似つかわしい。そんな彼は続けて
「今の季節は、梅雨時、です。雨が降りやすいから、丘の上からといっても、視界が悪い、はず。油断しているところを、つけばきっと成功するはず、です!」
信長は、はっと息をのみ込み
「ほう、お酒ですか、なるほど。きみ、すばらしい案ではないですか。名は確か…」
「ひ、ひでよし。木下秀吉、です」
「うむ。ひでよしくんですか。よくぞ進言してくれました。これで腹は決まりました。すたんぷ3個進呈です!」
「あ、ありがとうございます!」
秀吉は平伏姿勢で集印帳をふところから取り出した。信長は秀吉に近づき、そこに永楽通宝印を3個押した。秀吉は唇を横に伸ばし、にひひとほくそ笑んだ。
信長は印を押した後、上座に振り向き
「では、皆の者!丸根砦が攻められし時、熱田神宮に集合すること!」
そして自分の席へ戻りながら
「そこから善照寺砦を通過して、一気に敵本陣へと奇襲をかけます!」
一同は、おおっと声をあげ、出立の準備へと向かうことになったのである。
明けて18日。今川義元は、桶狭間山から北東に位置する沓掛城に入場した。そして、その夜、丸根砦から南西の大高城へ、松平元康、のちの徳川家康が兵糧を運び込み、鳴海城、大高城を足掛かりに万全の態勢で尾張侵攻へ進みつつあった。
さらに19日未明、ついに丸根砦、鷲津砦を今川勢が攻め込んだのである。その報せは清州城にいち早く伝わり、信長は熱田神宮にて集合せよと号令し、自身はいち早く出立した。それが19日早朝5時ごろであった。
19日午前7時ごろ、雨降り注ぐ中、熱田神宮にて必勝祈願の参拝を終えた信長は、兵士たちの前に立ち
「はーい。織田家の兵士諸君。おはようございまーす!家族や恋人との別れは済ませたかな?」
縁起でもねぇーー!!と兵士たちの罵声を浴びつつ、信長はさらに続ける
「ここに集まってもらった兵隊の皆様がた。きみたちは本来、3男、4男坊なので部屋住みで一生過ごす予定でした!」
ここで言う部屋住みとは、家の跡取りにはほぼ成れない3男坊以下で、嫁ももらえず、食い扶持だけもらって生活するものたちだ。
「もらったお給金で食べるご飯はおいしいかい?じゃあ、もっと、たーんと食べれるように槍働きしないとね!」
この時代では、兵隊は基本、給与なしである。給与の代わりに敵国での略奪を許可していたりする。織田家は全国で唯一、下級兵士にまで給金を払っている。
「きみたちは強い!なんたって、年がら年中、訓練してきたんだもんね!」
織田信長以外の大名家では、専属軍隊はなく、普段は農民をやっているものたちに武装させただけであった。
「怖かったら逃げ出したってもいい。でもね?」
カネで集められた兵だったため、実際、逃亡は多かったらしい。
「この戦、勝ったら、モテ期くるよ?モ・テ・期」
本来なら一生部屋住みで、女性に縁がないものたちである。みなの心が震えたのは至極、当然だったのかもしれない。
「カネ、女、出世。なんでもいい。叶えたい夢があるなら、ワシについてきなさい!」
俺、この戦がおわったら、あの娘に告白するんだと言った伏線構築したりする者も出始める。
「さあ、出発進行!この戦、勝ちますよ!!」
おおおおの叫び声とともに、総勢1千名の地響きが熱田神宮から発せられたのである。
19日午前10時ごろ、信長本隊は佐久間信盛が守護する善照寺砦に到着した。このすぐ先の中島砦は、すでに今川軍に包囲されており、風前の灯であった。
さらには未明より攻撃されていた丸根砦と鷲津砦が陥落し、織田方の武将、飯尾定宗、佐久間盛重、両名とも討ち死にの報せが届いてきていた。当然のことながら善照寺砦の士気は右肩下がりであり、佐久間信盛は、逃亡兵を極力出さぬよう尽力していた。
信長は開口一番
「はーい、のぶもりもり、元気だったぁ?寝返りしようとか考えてなかったよねぇ?」
佐久間信盛はイラッとしつつも、ここはお兄さん、大人の対応で
「むーり無理むりかたつむりって思ってませんでしたよぉ。殿ならなんとかしてくれると信じてましたので!」
「本当ですか?そこまで信じられてるとは、びっくりです」
本当ほんとと、信盛は続けて
「で、殿。何か妙策があるんでしょ?だから、きてくれたんでしょ?」
しかし、信長はあっけらかんとした口調でこう告げる。
「あー、それはですね。ここからまっすぐ一気に義元本隊に突撃します。ね、簡単でしょ?」
ははは、と信盛は受け
「え?冗談でしょ?」
「はい。本気です。ここの兵隊たち、徴収です。全軍突撃です」
またまたあと信盛はまだ現実を受け入れられず
「河尻殿。何か言ってくださいよー」
「全員、槍を持てぇ!勝利の時は近い!」
やってきたのは援軍ではなく、まさかの地獄への片道切符を手に持った馬鹿たちだったことにようやく気付いた信盛は
「帰る!おうち帰る!もうやだ!死んじゃう!むーり無理むりかたつむりぃぃ!」
「のぶもりもり、つれないなー。親父に仕えてたころから、きみなら出来ると信じて重用してきてるのに」
「とは言っても、今川義元相手に、真正面からでしょお!」
「勝家くんは、一人で3千人相手するつもりですよ」
「あのひとは頭おかしいから。そもそもヒト科ヒト属にいれないでください!」
「ひどい!のぶもりもり、ひどい!彼だって生き物なんでよ!先生、かなしい!」
つられて、兵たちも、のぶもりもりひどいーと煽りだしたのであった。ああ、もうと信盛は態度を改め
「わかりました、殿。その代り、だめだと思ったら退いてください。のき佐久間の名にかけて全力でお守りします」
ははっと信長は笑い
「そんな心配はいりません。先生、勝って帰るつもりですからねー」
「そうッス!信長親衛隊がついてまッスから!」
ひょっこり草むらから頭を出した利家が力強く言い放つ。佐々が隠れてろとばかりにまた草むらに頭をつっこませている。
「しょ、勝機はあります。丸根、鷲津、両砦を落とした今川軍は、きっと油断して、ます!配下のものが農民に化け、戦勝祝いの、お酒を振る舞っているころ、です!そこを全軍で突撃するんで、す!」
猿面冠者が顔を赤くしながら必死に訴えかけてくる。その必死の形相がますます猿に見えて、思わず笑いが込み上げてしまっている。
「殿。それでも2千は2千だ。本隊のみ相手と見ても、あの今川義元。こちらの2~3倍は居るはずだ」
そうですねと信長が返答する。そして全軍に聞こえる大きな声で
「これより先、狙うは今川義元の首級のみです。道中で討った敵の首を取ることを禁じます。ただまっすぐに義元を狙うこと。禁をやぶった者はあとできついお仕置きです」
一呼吸置き、信長はさらに続ける。
「義元の近習を斬った者は金子3枚と母衣衆への就職斡旋。そして義元の首を取ったものには金子50枚。さらには母衣衆幹部候補への抜擢です。奮って参加願います」
おいおい冗談だろと呟きつつ、信盛は頭の中で勘定していた。通常、兵士は手柄ほしさに討ち取ったものの首を取る。
だが今回はそれを禁じさせ、しかしながら義元本人の首に向こう10年は働かずに食っていける破格の賞金をつけた。しかも将来安心の就職先も用意している。兵士たちは我さきへと義元の首を狙うはずだ。
馬鹿と天才は紙一重とは正にこのことか。これならいけるかもしれない。そう、のき佐久間の直観がささやきかける。
「んー、先生、さらにおまけ付けちゃおう!この戦いが終わりましたら、町娘、村娘とのですね、はい、合同飲み会からの~」
まだ続く信長の口上に、兵士一同は、静まり返り、聞き耳を立てた。
「合同婚姻会。略して、合婚を企画します!」
おおおおおおおっ!と、兵士たちは声をあげる。
善照寺砦に集まった2千の兵は沸きにわいたのである。信盛は、このとき心底おもった。馬鹿だ、こいつら馬鹿だらけだ!