異世界三日目
トントンと子気味の良い包丁の音が聞こえる。
次いで、フライパンで炒める時の、油の跳ねる音。
俺の頭に、朝食の二文字が連想される。
目を覚ますと、狭い小屋の天井が視界に映った。
……狭いくせに、天井は高いんだよな、ここ。
布団代わりに使っている衣類をどけ、のっそりと起き上がる。
外に出ると、ボロボロのフードのついた肩掛け(……ポンチョというのだろうか、服装には疎いためよく分からない)を羽織ったアイフィが、鉄板で卵を焼いていた。
「…………おはよう」
「あ、おはよう」
寝起きの低い声であいさつすると、アイフィはこちらに気づいたようで、挨拶を返してきた。
まだこっちに来て三日目だってのに、何の違和感も感じていない自分に少し驚く。
歳をとって感動が減ったのかね。
「今日の朝食はね、なんと!近所からもらった『鳥獣種』の卵だ!」
「おう、昨日もそれだったな。美味しかったけどさ。たださ、『ファルコン』って隼だよな?……あの鳥、どうみてもニワトリ亜種にしか見えなかったんだけど」
「『鳥獣種』は『鳥獣種』だよ?まあ、あくまでも種族だから細かく分ければ色々いるけどねー」
そんなことを言いながら、焼けた目玉焼きを、皿(石)によそう。
思ったんだが、この世界は種族の分類がだいぶ適当だ。
トカゲやワニを『ドラゴン種』とか呼んでいてもおかしくないな。
「おお、そろそろ焼けてきたよ!」
アイフィは朝からテンションが高い。
むしろ、朝食を食べる時が一番機嫌がいい気がする。
数少ない娯楽のうちの一つでもあるのだろう。
「ところでさ、他には何かないの?」
俺は目玉焼きの乗った皿(石)を受け取って、昨日おっちゃんから貰ったつまようじで食べる。
昨日は手づかみだったが、いくらなんでもワイルドすぎてなあ。熱いし。
「他って?」
対照的に、アイフィは当然のように素手で食べる。
異世界だからというよりは、魔族ゆえの食べ方なのだろう。異文化を感じる。
「いや、他の朝食は無いのかって話。ほら、包丁で切ったり、フライパンで炒めたりしてたじゃん」
「無いけど……。ああ、もしかしたら近所に住んでる『魔女種』のお姉さんがまた実験してるのかも」
「え、近くにそんなのがいたのか」
「この辺の魔族で一番偉い魔族だよ。ここに人間が寄り付かないのも、お姉さんのおかげだしね」
「へえ、人払いの魔術みたいなものでも使ってるんかね。というか、魔女は魔族なんだな」
「まあ、人型の魔族は少ないようで多いからね。私はその中でも超レアな高等種族だけど!」
なるほどなあ。
……………………いや、待て。納得するな俺。
この小屋はゴーストエリアの外れじゃねえか。
近所っていっても数分は歩かないと、家なんかねえよ。
なんで、他の家の中の音が聞こえてくるんだよ。
………もはやホラーじゃねえか!!
「…………いや、まあ、でも、ほら、そろそろ冒険に出るしな。そういえば、近所にお別れは言ったりしなくていいのか?」
「……私さ、なんでこんなところに住んでるかっていうと、ハブられてるからなんだよね。……卵も、直接貰ったんじゃなくて、扉の前に置かれててさ。紙に『口外するなよ』って書いてあって……」
「……それは優しさだよ。素直に受け止めておこうぜ」
「…………うん」
………なんというか、魔族にも魔族付き合いとかあるんだな。
朝食を食べ終え、来たのは馬車の手配所だ。
歩いて移動するには流石に遠いらしい。まあ、当然と言えば当然か。
アイフィは連れてきたが、基本的にはしゃべらせない。
失言が怖いのと、単純にこういった手続きが出来なさそうだからだ。
ちなみに、少女の姿だと俺が危ない、もとい、危ない人に見られかねないので、歴戦の剣士風の姿をさせている。
見た目だけで言えば、俺の300倍は強そうだ。
ただ、俺は正直、この役割を請け負ったことを酷く後悔していた。
理由の一つとしては、受付の人が超ゴツイということだ。
それはもう、おもわず敬語をつかってしまうほどに。
「あの、『アトーニア』に行きたいんですけど……」
「…………、一応言っておくが、あそこは強力な魔族が多い地域だってのは知ってるよな?」
「はい、大丈夫です」
「……あんた、魔法職か?とてもじゃないが、剣を振れそうにはないよな」
「えっと、盗賊とか、そういった感じの……」
「冗談でも嘘は感心しない。盗賊はれっきとした犯罪者だ。まさか、強盗するためにきたなんて言わないだろ?」
「……言わないです。実は親族が『アトーニア』にいて……」
―――――あああああああ、面倒くせえええええええ!!!!!
こういう事務的なことは嫌いなんだよ!受付のくせに偉そうな態度しやがってえええええ!!!
そりゃそうさ。
相手が若造で、しかも超弱そうで、そいつが行きたい場所に送るかどうか決めるのはこっちだ、なんて状況だったら、俺だって偉そうにこんな態度を取るだろう。
でもさ、それとこれとは違うんだよ。
強く言えないから、とやかくは言わねえけど、金あるんだからさっさと了承しろやあああああ!!!!!
と、非常に鬱憤がたまるのです。
「―――だから、あまり人気のないところに行くのはお勧めしない。気をつけろ」
「……はい」
「………じゃあ、馬車に乗るのは」
「―――あっちの剣士と二人分、お願いします」
「……分かった。彼なら強そうだが、くれぐれも無理なダンジョンなどは入らないようにな。実は上級者に連れられて命を失う初級者はかなり多いのだ」
「……はい、気を付けます」
―――俺もあいつも初級者以下だけどな!!
「出発時刻は明日の早朝だ。集まり次第に出発するが、あまり遅いと置いていくことになる。遅れないように」
「……はい」
俺は受付から離れ、アイフィの下へ行く。
アイフィは無言でうなずくと立ち上がり、一緒に手配所から出ていった。
「………ようやく終わった。……なんだったんだ、あの受付。荒くれ物の風貌してるくせに、文系教師並みに細けえ……」
めっちゃ疲れた。
それこそ、アイフィをいじる余裕もないほどに、へとへとだ。
おまけに、冒険の出発は明日になってしまった。
急いでいるわけでは無いが、モチベーションの問題がなあ……。
「お疲れ、テル。……お金はあるし、気分転換にお昼ご飯でも食べに行く?」
「ああ、いいなそれ。行こうぜ。……ただ、その格好で気軽に話しかけると、威圧感がすげえ」
「そうかな?」
声も低く渋い声になっている。ガタイの良い強そうなおっさんが、親しく優しい口調で話しかけてくるという、この違和感も凄い。
「なあ、いつもの姿に戻ってくれないか?」
「でも、それだと危ないのはテルだって……」
「なら、髪の色とか俺に似せてくれよ。妹で通すことにする」
「わかった」
街まで行く道で、人気がなくなった瞬間に、さっきまでの剣士はいなくなり、代わりに黒い髪の少女がいた。
もっと時間をかけて変わるのかと思ってたが、マジで一瞬なんだな。
これならば、人前で変わっていても勘違いだと思われるかもしれない。
「それで、何を食べに行く?……お、お兄ちゃん」
「お兄ちゃん?」
照れながら言ったアイフィに、思わず唖然として、単語を反復するだけの返事をしてしまった。
……そうか、お兄ちゃんか。
この一瞬で義妹ができたのか。
言葉にしがたい感情が沸いてくるぜ。
「あ、あれ?……妹って兄の事をそう呼ぶって――――」
「―――ああ、その通りだ、妹よ。好きなだけお兄ちゃんって呼んで構わないぞ」
「……ええ、その反応は何か嫌なんだけど……」
これは、一種のそういうアレなような気がしてきた。
だが、この物語にR-15要素は無い。
「―――いらっしゃい!!人数は二人かい?そっちが空いてるから掛けな!!」
おお、活気がすごい。
結局、俺たちは大衆食堂のような場所に来ていた。
品物が選べて、かつ人が多く、個人に目の向かない場所だ。
俺たちにとっては利点が多いといえる。
壁にはいろいろなメニューが書かれた紙が貼ってある。
基本は定食しか売っていないのか。
というか、言葉もそうだったが、文字もすべて日本語なんだな。異世界って感じがあまりしない。
さて、メニューは、と。
クトーニアン定食、トロイア定食、リスク丼、レプリカ定食、……なんだこれ。
「ご注文はお決まりかい?」
「私はアタラクシア定食で!」
「俺は、……………………ライス定食で」
「はい!少々お待ちを!!」
わからねえ!!
食べ物全てが知らねえものしかねえ!!
唯一知っている食べ物の名前が載っていたからという理由で選んだが、ライスが米である保証がどこにもねえ!!!
「私、こういうお店って初めて来たんだけど!」
アイフィは予想通りテンションが高い。
が、対照的に俺は不安で仕方がないよ。
「一応聞いていいか?……アタラクシアって何?」
「さあ?知らないけど」
「嘘だろ!?」
肝が据わりすぎてて、思わず尊敬してしまいかけた。
そうだよな、不安がっていても仕方がない。
もしかしたら、この店のネーミングセンスが前衛的なだけで、品物自体は普通な可能性も――
「―――お待たせしました!!ライス定食とアタラクシア定食ね!!」
―――イメージと全然違え!!
アタラクシア定食は、麻婆茄子のような何か。
茄子ではなく、ズッキーニに似た玉蟲色の野菜が入った麻婆だ。
玉虫色の野菜ってなんだよ!!
そして、ライス定食は色々なパンと、スープである。
ライス要素はどこだよ!!
「………ちょっと辛そう」
「……いいよ、俺のと変えてやる」
「―――いいの?ありがとうお兄ちゃん」
あれだな、お兄ちゃんってワードがあざといな。
しばらくの間、妹設定のままにしてやろうかな。
そんなことを思いながら、口に運ぶ。
……あ、結構おいしい。
そんな感じで、昼食を食べていると、食堂内で一人、覚えのある顔と目が合った。
するとその人物は、ジョッキを片手に少し赤い顔でこっちへ移動して、アイフィの隣、俺の向かいに座る。
いや、別人だよ、きっと。
だって、俺の知ってるその人は昼間から酒を飲んだりとか―――
「――――奇遇だな。いつぞやのテル少年じゃないか」
「………………………………き、奇遇ですね」
―――――――どうやら別人じゃないらしい。
お金を恵んでくれた衛兵のお姉さんは、その時の凛々しさなど見る影もなく、何故か荒れていた。